第167話  狂宴





 広い闇の中、陰惨な殺気が満ちている。

 その中をアベルは駆ける。


 白骨戦士の目的は生命を吸い取ることなのだろうか。

 想像もつかないが、骨のバケモノは意外と素早く近寄るなり錆びた剣を振ってきた。

 それを躱して、逆撃カウンター


 鋭く伸びるダガー。頭蓋骨を砕く。

 すると化物は即座に骨の塊へと戻る。


 それからマイヤールだったものと向かい合う。

 溶け残った肉が、まだ白い骨にこびり付いていた。

 世界を改善しようと理想を語っていた男の面影など、どこにもない。


「今、楽にしてやるよ……」


 この屍鬼や死霊という存在は寒々とした怨念だけを纏っている。

 早くマイヤールを解放してやりたかった。


 アベルは剣を構えず防御をしないまま、あえて前に進む。

 すると思った通り、吸い寄せられるようにマイヤールだったものが歩み寄って来る。


 攻防も駆け引きも無い。

 白骨体が、なにか愛しいものでも抱きかかえるような仕草で腕を伸ばしてきた。


 アベルは錆びた長剣を真っすぐに跳ね上げる。

 切っ先は顎骨と頭蓋骨を貫き、砕いた。

 すると全身の骨が呆気なくバラバラに分離し、足元一面に飛び散る。


 からん、からんと、空しい音が鳴った。 

 アベルは呟く。


「いい夢を見てくれよ」


 マイヤールの親友であるギャレットが棍棒を振るい、ヒエラルクの配下だった治療魔術師に止めを刺す。

 こちらも同じく骨の塊になった。

 歯を食い縛ったギャレットが跪き、散らばったマイヤールの骨を握り締める。

 その手は怒りと悲しみで震えていた。


 アベルは暗闇に目を凝らす。

 骸骨だけでなく、ぼろぼろになった鎧や衣服を纏った骸が湧き出てくる。

 動く屍だ。

 人間の最後としては最悪と言える無残な姿となり彷徨っている。

 だが、恐ろしくはない。

 手には敵を斃すダガーと剣がある。


「バケモノども! 来い!」


 アベルは目立つように叫ぶ。

 反応した屍が、ずるずると体を引き摺り歩み寄ってきた。


 動く屍と戦った経験は数回しかないが、その動作は鈍く、フェイントが効果的な相手だ。


 アベルはわざと隙を見せ、緩慢に寄ってきたところを躱し、手足に斬りつける。

 動く屍は首か頭部に大きな傷を負うと、ほぼ体を動かさなくなる。


「おい! こちらも手伝ってくれ!」


 叫ぶように呼ぶのは魔術師サレム・モーガンだった。

 いつも冷静な彼にしては珍しく感情を高ぶらせていた。

 理知的な気配を絶やさぬ濃紺の瞳に焦りを浮かべている。


 ドルゴスレンとギャレットが奮闘しているものの、屍の数に押され気味だ。

 得意の魔術が使えない状況では、さすがの宮廷魔術師も慌てるらしい。


 アベルは突き出される骸の腕を斬り落とし、蹴り飛ばす。

 動く屍が立ち上がろうと藻掻くところでドルゴスレンが的確に棍棒を叩きつけた。

  

 アベルは心底から苛ついてきた。

 これは何だろうと思う。

 幽玄の迷宮世界に思わず美しさを感じていたが、墓場のような場所でもあるらしい。

 様々な理由によってここまで来た人間を、片っ端から骸骨や動く屍にしてきた神殿だ。


 アベルは怒りの衝動に突き動かされるまま戦い続ける。

 やがて屍も骸骨戦士も、すべて床に崩れて動かない。

 ようやく少しだけ落ち着けた。


 アベル以外の者たちは酷く疲労している。

 特に少年リティクは歩くのもやっとで、どうにか立っている様子だ。

 親しかったマイヤールが悲惨な姿となり死んだのがよほど衝撃であったらしい。


「リティク。安心しろ。もうじき決着はつく」

「ア、アベル殿。私は、何の役にも立てず、仲間が……」

「余計なことは考えるな。これから神殿の悪霊どもを始末する。そうしたら地上に戻るのさ」


 アベルはリティクから魔力付加のある錫杖を貰い、そのままサレムに渡す。


「これは何だ」

「魔力の集中を促す効果があります。サレム様がこうした小賢しいものを使う御方でないのは理解しておりますが、貴重な品にてお預けします」

「なるほど……。これは確かにそうした効果があるようだ。結界の影響を退けて、いくらかは魔術が使えるだろう」

「その手の道具は高価だと聞きます。見つけたのはそこの少年です。どうかこの手柄に報いてやってください」

「罪人に恩赦を与える権限は私にはない」


 アベルはサレムの瞳を睨みつけるように直視した。


「そうだとしても頼みます」


 戦場の殺し合いに慣れたはずのサレムだが、思わず頷いていた。

 アベルの凄まじい視線。陰から襲い来る野獣を感じさせ、恐怖の味わいすらあった。


「皆はここでサレム様を守っていてくれ。僕はヒエラルク様の手伝いに行ってくるから」


 アベルは仲間たちに背を向けて神殿へ歩いていく。

 この神殿が何なのかは分からない。

 だが、生ある者と、全く反する存在であることだけは確かだ。


 石舞台のような神殿に近づくほど結界の影響は再び強まる。

 神殿の中に足を踏み入れてしまえば魔法は使えない。

 

 激しい剣戟の音が聞こえていた。

 アベルが見ると、ヒエラルクの弟子たちが戦っているが……押されているのは明白だった。

 対する敵の正体を探ろうとアベルは観察する。


 神殿を守る衛士であり、歩く屍の上位存在のようなものなのだろうか。

 まず、装備が普通の人間のそれと同等だ。

 剣や槍を持ち、鎧で体を覆っている。


 問題なのは表情だった。

 一様に、まるで感情の起伏がない。

 そして、よく見れば、相手は呼吸をしていないのだった。

 難敵であることは間違いない。

 顔や息から動きを読むことが出来ないからだ。


 シェバという弟子が足を震わせながら、どうにか槍を払いのけた。

 だが、それで精いっぱいだ。

 食らいついて反撃するだけの力を失っていた。

 するとヒエラルクが言う。


「シェバ。そんなに死にたくないのか? それなら何歳まで生きれば満足するのだよ。五十歳か、八十歳か? 力も金も名誉も無く、乞食同然になって生き延びたとして何の価値があるんだ、そんな人生」


 シェバという男は振り返り、尊敬する師であるヒエラルクを仰ぎ見る。

 汗だらけの顔には引き攣った笑み。

 それから頷いた。


 シェバが支離滅裂な絶叫を上げて、槍を持った衛士に駆け出す。

 それなりに熟れた動きだが、相手を圧倒する技量も気迫もなかった。

 体力の消耗と共にシェバの足運びは鈍くなり、訪れた最後の駆け引き。

 槍がシェバの右目を貫き、さらに脳を抉る。

 

 即座にヒエラルクが駆け、接近。

 衛士の槍は新たな獲物へと反応する。

 ところが巧妙に繰り出されたはずの穂先をヒエラルクは鮮やかに跳ね上げ、瞬間、懐に入り込む。


 槍は間合いの内に侵入されると柄で押し返すか、回転させて石突きで対処するか、あるいは槍を捨てて予備の武器に切り替えるしかない。

 衛士は柄で跳ね返そうと動き、ヒエラルクの攻撃はそれより遥かに速かった。


 真っ二つになる胴体。

 ゆっくりと落下した。

 速すぎて刃の残像が暗闇を切り裂いたようにしか見えなかった。

 床に転がる上半身と下半身。


 ところが、そんな姿になっても神殿の衛士らしき屍は蠢き、ヒエラルクの足に掴みかかった。

 ヒエラルクが心底、嘆かわしいというように言う。


「つまらん相手だのぉ。叫びもしない、驚きもしない。技は捻りがない。何より心が無いから感動がない。最低の敵だ」


 ヒエラルクはしがみ付いて来る屍の脳天へ、軽やかに斬りつけた。

 頭蓋を完全に両断され、ようやく動かなくなる。

 そうしてアベルへ振り返った。


「来たな、アベル」


 ヒエラルクの親し気な笑み。

 なんて男なんだろう……計り知れない器をアベルは感じる。

 この異界と呼べる地で、如何なる敵も寄せ付けない強さ。

 おのれの間合いに入るもの全てを支配していた。


「この死人ども、うるさいですね」

「ああ、お前もそう思うか」

「死んでいるくせに生きているみたいに。残らず全て消してやりたい」

「ああ、俺もそう思っておる」

「ところで、弟子なのに助けてやらないのですか」


 ヒエラルクは優し気に微笑したが……濡れた眼には怒りと喜びが渦を巻いていた。


「このヒエラルク、弟子たちに飯だけは欠かしたことがない。餓えさせたことなど一度も無いぞ。全ては強くなりたいという弟子どものためよう」

「手助けしても意味がないと」

「俺は、ちと弟子たちを甘やかしてしまった。あまりに可愛くてな。俺のもとへ強くなるために来てくれたのに弱くさせていたとしたら、俺は自分で自分を許せない」


 アベルはヒエラルクの顔を見る。

 ぎらついた面相だが、嘘を言っているようには見えなかった。

 

「気づかせてくれたのはお前だぞ、アベル」

「そんなつもりは無いのですが」

「お前との稽古。素晴らしかった。俺は久々に心から痺れて戦いの神髄を再び理解できた。どうやら俺は弟子どもが確実に勝てる相手ばかり用意していたらしい。それは愚かな事であった。もっと本物の戦いに、生死の際にと飛び込まなくてはならん」


 話している最中にも戦いの趨勢ははっきりしてきた。

 エルナザルが二人の衛士を仕留めるが傷を負い、片膝を付く。

 プラジュとザルーファはお互いを庇いつつ戦っているが、余力がないのは明らかだった。


 アベルは意を決する。

 ヒエラルクと協力して、この異様な敵たちを滅ぼさなければならない。

 生きて戻るにはそれしかなかった。

 

 神殿の衛士ら、屍を率いているらしき男が進み出てきた。

 四十歳ぐらいに見えるが、果たして年齢というものに意味がある存在なのか分からない。

 生気の乏しさは人形に近い印象を与えてくるほどだ。


 錆びた金髪。

 ほとんど動かない瞳は灰色をしている。

 際立って格調の高い装備をしていた。

 繊細な彫金が施された鎧を纏ったこの男のみ、言葉を発してきた。


「静寂を汚す者どもよ。愚かな精神を浄化してやろう。神殿を守る者へと生まれ変わらせてやる」


 ヒエラルクが鼻で笑う。


「御大層な物言いだな。人間のつもりなら名乗りぐらいしたらどうだ」

「私は聖騎士ベルンゲン」

「お前だけ、他の屍もどきより上等に作られておるではないかぁ。どんな理由かな?」

「神殿の聖霊に選ばれた」

「なるほどなぁ。だが、このヒエラルクの巡検に出くわしたのが運の尽きというもの」

「穢れ切った魂は滅び、清浄な骸となり神殿の礎となるがいい」


 ベルンゲンと名乗る男は長方形をしたやや大型の盾と、見事な拵えの剣を構えた。

 艶を失った金髪を靡かせ、どこかしら人間を超越した不気味さを溢れさせた顔だ。


 神殿の衛士と思しい戦士たちも、無表情のままヒエラルクへ歩み出す。

 その数、三体。

 

「お前ら、それで悟っているつもりか。弱いから心を無くしたのだろうが、そんなものは人間が人形に化けただけのこと。くだらんなぁ」


 ヒエラルクが滑るように移動していく。

 なんと刀は鞘に納まったままだった。

 まるで街中を歩むような自然さでヒエラルクは進む。


 三体の衛士がヒエラルクに接近。

 それぞれ長剣、槍、ハルバードを持ち、普通に考えれば不利すぎる情勢でしかない。


 見る見るうちに間合いを突破。

 ついにヒエラルクへ、鋭く槍が繰り出された。

 アベルは思わず呻く。


 ヒエラルクは槍の柄を左手一本で掴み取っていた。張り付いたように動かない。

 あんな鋭い攻撃を見切って、しかも掴み取るとは……。


 だが、それを隙と見たか隣のハルバード使いが、やはり突いてきた。

 ヒエラルクはその攻撃を予見していたかのように動く。

 まるで必然であるかのごとく、再び空を切る攻撃。

 

 穂先を避けたヒエラルクが踏み込み、刃が閃く。

 居合い抜きとアベルが認識した時、既に切っ先はハルバードの戦士を捉えている。

 

 腕がハルバードごと切断された。

 ヒエラルクの挙動は止まらない。

 剣先で相手を制圧していく様子は、神がかった力を秘めているようにしか見えなかった。


 アベルはヒエラルクの挙動を脳裏に焼きつける。

 すぐに特徴を理解した。

 攻め太刀ばかりで防ぐことがない。

 つまり攻撃あるのみだ。


 これでは攻めが及ばなかったとき、致命的な反撃を食らう懸念を持つが、目の前で行われる展開はそうならない、

 相手の動作を完璧に読み切り、二手三手と先手を打っていく技の多彩さ。

 アベルは超絶的な技の流れに魅せられていく。


 ヒエラルクの間合い。

 剣聖の魂魄が、激しい波濤のように絶え間なく漲っている。

 敵を滅ぼすという純粋な意思が支配していた。

 あくまで敵を殺すまで止まらない、常に先手で相手の反撃を封じていく巧緻の極み。


 三体の衛士は切り刻まれ、神殿の床に散らばっていた。

 不死の体と言えども首や頭を破壊されると活動を止める。

 ヒエラルクは自然体のまま佇んでいた。


 アベルはヒエラルクの表情を見る。

 焔のような熱気が滔々と渦巻いていた。

 静謐に満ちていた神殿を、その熱が侵食していく。

 ヒエラルクが叫ぶように叱咤する。


「お前ら、この剣聖と共に比類ない剣士になりたいのではなかったのか! 自分の薄っぺらさを自覚して、挑むのではなかったのか!」


 その熱狂に当てられた弟子たちが猛然と反撃を開始した。

 プラジュとザルーファが連携しつつ進み、エルナザルに至っては聖騎士ベルンゲンへ突っ込んでいく。


 損得や計算を無視した戦士の世界。

 ただ、一瞬の激情に狂い、命を捨てるのである。

 

 エルナザルの剛腕によって振るわれる刀。

 物凄い速さと力だったが……、ベルンゲンは大型の盾を巧みに動かす。

 力をいなされ、盾へと僅かに刃が入った程度。


 逆にエルナザルを盾でぶん殴る。

 すると剛力を誇っていた巨漢が衝撃で数歩、後退した。

 怒りの咆哮を上げてエルナザルが刀を大上段に掲げて突撃。


 斬ると見せかけて、柄から素早く離した左手で盾のふちを掴んだ。

 アベルはあの突然と片腕を駆使してくる癖技に危うく殺されかけたのを思い出す。

 さすがはヒエラルクの弟子頭だ。上手い。


 だが、そんな印象は一瞬で終わり告げた。

 盾を剥がしたところでベルンゲンは長剣を突いてきた。

 その剣はエルナザルの鎧を貫き、臓腑を抜いて背中から飛び出す。


 エルナザルはベルンゲンを睨みつけ、その顔面を巨大な拳で殴りつけた。

 頬骨が砕け、拳が顔に埋まる。


 さらに長剣が捻られ、肺腑を引き裂かれたエルナザルは血を吐いた。

 だが、攻撃を諦めない。

 鉄槌のような拳で何度もベルンゲンを殴り、やがて片方の眼球は潰れ、さらに顔面は破壊される。

 

 そこでエルナザルが力尽きた。

 蹲るように膝を神殿の床に着けて、もはや力を失う。


 プラジュとザルーファも一体の衛士を仕留めたが、手傷を負ったのか行動を止める。

 弟子たちが命を燃やし、ヒエラルクは残った衛士らを存分に切り刻んだ。


 今やベルンゲンのみが、神殿を守るべく立っている。

 だが、これで形勢逆転と呼べるだろうか。

 もしヒエラルクがベルンゲンに負けたとしたら、自分に奴を倒せるだろうかとアベルは自問する。


 そうならないためにアベルは前に足を踏み出す。

 自分が攻撃して、隙を作り出す。

 かなり危険だが、それが生存を最も高める作戦だろう。 

 しかし、アベルが足を踏み出せば、ヒエラルクは制止してきた。


「これは俺の戦いだ。お前にも分けてはやれん」

 

 ベルンゲンの顔が、淡くぼんやりと光っている。

 砕けた肉が蠢き、粘土のように形が整えられていく。

 潰れた眼球が眼窩の奥へ引っ込んだと思えば、奥から元通りとなって迫り出してきた。

 

 すっかり顔を回復させたベルンゲンが歩もうとした時、蹲り、ぴくりとも動かなかったエルナザルが跳ね起きた。

 猛獣も怯むような唸り声を上げ、ベルンゲンの盾にしがみ付く。

 巨漢の力に耐えきれず、盾が引き摺り降ろされていった。


 ヒエラルクが疾風となった。

 全身が敵を斃すためだけに躍動する。

 閃く刃。

 ベルンゲンは長剣でヒエラルクの斬撃を防いで見せたが、絶え間ない連撃が続く。

 無数の刃がぶつかり幾重にも火花が散る。

 

 ついに押し負けたベルンゲンが盾を離し、バックステップで距離を取った。

 ヒエラルクは床に倒れたエルナザルへ語り掛ける。


「剣の神髄、見えたか」

「師よ……僅かに」

「良くやった」


 エルナザルは大量に喀血して、眼を見開いたまま動かなくなる。

 それからヒエラルクは剣を大上段に掲げてベルンゲンに向かう。

 その構えは獰猛で、揺るぎなく、威厳すらあった。


「ベルンゲンとやら。お前には愛が無いな」


 神殿の聖騎士を名乗るものから返事は無い。

 動く屍や死霊は意志や感情を持たないとされている。

 ただ生命や肉を求めて彷徨うだけの化物であると。

 しかし、この聖騎士からは、禍々しい憎しみが放射されていた。

  

「愛と言うと分かり難いか? 要は想いの深さだ。そのことについて寝ても覚めても忘れられない。想うほどに、もっともっと欲しくなる。貫いた心の在りよう。それを愛と呼ぶのだ。

 ところが、お前らの暴力には愛が無い。最低だ。そして、そんな心無き有様で神妙なる境地へは辿りつけぬ」


 語りつつヒエラルクの接近は続いていた。

 滑るような摺り足。

 アベルは息を飲む。


 かつて直視したイースの歩法。

 あれこそ神秘の技だった。

 理解不能であったが、本能に刻まれた記憶。

 それと良く似た気配を漂わせ、ヒエラルクは間合いを破る。


 ベルンゲンの長剣。

 憤激の構えから、極めて速い速度で振るわれる。

 しかも、潰れた顔面の治りようを考えれば、半端な小技で逆撃を狙っても、かえって死地へと導かれるのみ。

 よって付け込む隙の無い、完全なる攻撃……。


 そのはずだったが結果は転変する。

 ヒエラルクは長剣を見抜き、弾き、軌道を狂わせる。

 刀はそのままベルンゲンの右腕を防具ごと切断した。

 さらにベルンゲンの体を蹴り飛ばす。

 床に腕が転がり落ちるが血の一滴も流れない。


「心も無ければ血も無いか」


 ベルンゲンの腕に淡い光が灯る。

 みしみしと音を立てて肉が盛り上がり、腕が再生しつつあった。


「治るのを待ってやるほどの価値は、お前にはない」


 ヒエラルクは嘯き、踏み込む。

 長剣が必殺の鋭さで伸びてくるが、ヒエラルクはそれを読んでいた。

 そうとしか思えない、予想を超えた俊敏さ。

 

 理論と本能が組み合わされた、完全なる攻撃と防御の合一。

 ヒエラルクの刃がベルンゲンの頭蓋を斬り割っていた。

 だが、斬撃は止まない。


 ヒエラルクは徹底的に体を分解していく。

 手足が切断され、精巧な鎧ごと胴体は真っ二つになり、脊柱を引き抜き、乾いた五臓六腑を曝け出し、最後は心臓を取りだした。


 ヒエラルクは首を振り、深く嘆息する。

 縮こまるように黒く固まった塊をアベルに渡してきた。


「見てみろよ、こんな干からびた心臓。命の鼓動も持たぬ者に何が理解できるものかよ。俺にはミッドロープ・アレキア様のお気持ちが分かるぞ。人間を醜い干物に変えて心を失わせ、それをして悟りとか称したのだろう。そんな魔術を操る教団など邪教と呼ばれて当然よ」


 ヒエラルクの言葉には多分に推測が含まれていたが、アベルは不思議な説得力に頷くしかなかった。


 神殿の静けさは跡形もなく破壊され、熱狂を発散させるヒエラルクが生き残った。

 それにしても何と強い男なのだろうかと、アベルは改めてヒエラルクに圧倒されそうになる。


 天才的な機の読み、その速さ、深さ、広がり。

 おのれの間合いの内を支配する力。

 傲慢を超えた揺るぎない自信。

 意味不明なバケモノを前にして、いささかも動揺しなかった。


「ヒエラルク様は強いですね……。以前、母上から観法を受け継いだとか言われていましたが、それが秘訣ですか」

「ふっ。母親か。あれは私に呪いを与えた」

「呪い?」

「あれも心を持たぬ、嫌な女だった。あいつの観る力はきっと不完全だったのだ。歪んで知ったことを口にすることしか出来ないから、巫女ですらなかった。俺の名を呼んだことすら一度もなかった。そのくせ俺が望みを叶えるために出立しようとした日、お前の夢は叶わないと、呪いの言葉を吐いてきた」


 ヒエラルクの瞳。

 アベルにはよく理解できる感情が湛えられていた。

 狂気じみた怒り。

 アベルの背筋に悪寒が走るほどの、憎悪だった。

  

「アベル。俺の夢は歴史上、最高の流派を創ること。

 イズファヤート様は皇帝国を滅ぼし、ヒエラルクの名は千年に渡って残る。俺は必ず、成し遂げる」


 誇大妄想と笑うことなど出来なかった。

 そして、必ずやってくる。

 ヒエラルクという運命の敵と戦う時が、いつか必ず来るのだった。




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