第154話  愛へ駆ける乙女




 カチェとワルトが急いで市場から出たころ、夕焼けが王都の空を覆っていた。

 まさか野宿などできるわけもない。

 だが、安宿も絶対に利用したくなかった。

 本当なら商友会まで行き、そこで紹介してもらうつもりだったのだ。


 慌てて、走るように見回す。

 看板や建物の状態から宿泊できそうなところを探す。

 完全に勘だけを頼りに、ある宿へ目星を付けた。


 三階建てで、薔薇が植えられた小さな庭があり、中年の門番がいる。

 門番すらいない宿など最低の部類なので論外だ。

 玄関に入り、受付の女将に泊まる部屋を探していると告げた。


「個室でないと困ります」

「ちょうど空いておりますよ。清潔な、とっておきの部屋です。ただし、王都のゴート大市場にほど近い優良店として相応の費用はいただいておりますが」


 四十歳ほどの女将は探るような眼つきで値踏みしてきた。


「おいくらかしら」

「貴方と、そちらのお供で銀貨二十枚です」

 

 驚くほど高かった。

 街道筋の宿屋なら一泊で銀貨一枚か、せいぜい二枚だろう。

 だが……もう時間が無い。 

 諦めたカチェは頷き、黙って金を払った。


「日暮れ後、一刻したら玄関も窓も全て閉めます。よろしいですね」

 

 案内されたのは二階の隅にある、実に狭い部屋だった。

 寝台が二つ、それだけで部屋はほとんど埋まっていた。

 どうせ寝るだけだと自分を納得させる。

 

 とにかく宿は確保したので次は夕食にありつかなければならない。

 一端、外に出て店を探す。

 これはいくらでもあった。人の大勢いる所には必ず飲食店があるものだ。


 適当な露店で鶏肉の炙り焼きや小魚の酢漬け、小麦粉を薄く延ばして焼いたパンや無花果いちじくなどを買い求める。

 宿まで持ち帰り、ワルトと一緒に食べた。


「今日は全然上手く行きませんでした。わたくしの判断が間違っていたのね……」

「目的地に近づけたずら。明日は良いことがあるっち」

「そうだといいけれど」


 今日でこの有様だとすると、明日はもっと面倒な事が起こるのではないかとカチェは暗澹たる気分になって来る。

 アベルがいないと気持ちが沈んでいくばかりだ。


 ワルトの大きな口の中へ、肉が凄い勢いで消えていく。

 かなり多めに買ったのにカチェが見ていると、あっという間に無くなってしまった。


 食事が済むと寝台は使わずに扉の前で座って寝てしまう。

 これはワルトの習慣だ。

 こうして何か異常があれば直ぐに対応できるように備えてくれる。


 寝苦しい夜。

 気持ちは焦るものの、空回りしていた。

 もがいてばかりで正解が見つからない。


 アベルは別れ際に、自分で何とかするから下手なことはしないで欲しいと伝えたという。

 だが、放っておくことなど出来ない。


 もはやガイアケロン陣営には戻れないのだから密使や連絡役の任務は終わりだ。

 そうだ。

 となればアベルを助け出して、皇帝国に帰るだけ。

 それしかない……。

 

 日が暮れて、普通なら人々が寝静まるだろう時間になったが、表の通りからは酔漢の笑い声や女の嬌声が聞こえてくる。

 都大路に面しているため静寂とは程遠いのであった。

 何度か気分の良くない目覚めを繰り返し、夜明けが来た。

 カチェは顔を洗い、装備をきっちりと身に着ける。


「よしっ。今日こそ西方商友会を見つけるわよ」


 さっそくカチェとワルトは宿から出る。

 朝焼けの空に、動き出した人々。

 大市場の近くだけあって露店や商店が多く、早くも喧騒と熱気が立ち上ってくる。


 歩いていると、野菜や果実を売る店、花屋、雑貨屋、牛乳売りなどがさっそく商売を始めていた。

 それは値切りや言い争いの開始でもある。

 しばらく街角を眺めた末、カチェは道を歩いている尼僧に声を掛けた。


「あの、すみません。お尋ねしますが西方商友会の商館はご存じですか」

「いいえ、あいにく存じません」

「では、パルーヴァ寺院はどうでしょうか」

「それなら知っていますよ。そこの大通りを進んで、街区の変わり目で東に曲がるのですよ」


 カチェは礼を言い、雑踏を進む。

 だが、早々に自信が持てなくなってくる。


 以前は同行者にスターシャがいた。

 自分と比べれば王都に詳しく、ガイアケロンに至っては細い抜け道まで熟知していた。

 アベルにしても、知らない街を意外と器用に進んで目的地に行ける特技というか、妙に都会慣れしたところがあった。

 そうした仲間が一人もいない今、苦労するのは当然なのであった。

 

 どんな通りにも商店や露店、工房など犇めいていて、群衆が絶えず移動していた。

 人の波についていったのだが、どうやら曲がりくねった路地に迷い込んでしまったみたいだ。

 引き返そうかと思うが、ここを抜ければ位置を理解できるかもしれないという期待が湧いてくる。それに、どうせ入ったのだからどこに続いているか意地でも見てみたい。


 浮浪者が寝転んでいる路地を抜けると、ふいに大きな運河に行きついた。

 そして、金箔で眩いばかりに輝く丸屋根をした寺院が視界に飛び込んでくる。

 あれこそパルーヴァ寺院に違いない。

 

 観光に来たわけではないが、その壮観な石造りの建物に心が奪われる。

 大勢の人間がごったがえす中を歩む。

 寺院の壁には精巧な浮彫が施されていた。

 来歴が書いてある壁画を読むと、二千年も前からこの寺院はあるのだという。


 貧しい少年パルーヴァが幻視者の女に導かれて、大きな財を成す。

 だが、それに留まらずパルーヴァは稼いだ金を使って自分の街を造り、ついには類を見ないほど栄えた商都にまで成長させることに成功した……。

 パルーヴァは大変な尊敬を集めた史上最大の富者となったが、晩年は極めて不幸だった。

 複数の妻、数多くの実子は互いに相続を争い、パルーヴァは失意のうちに亡くなる……。


 その後、ありとあらゆる王朝や政権の勃興と滅亡を経て、寺院だけは辛うじて姿を残したということだろうか。

 寺院の敷地に入るだけなら無料であったが、建築物へ入るには少額のお金を喜捨しないとならなかった。

 カチェはワルトの分も含めて銅貨を壺へ投じる。


 パルーヴァ寺院の僧侶が振り香炉を手にして連祷れんとうを唱える。

 商売の神を祀る寺院だということで、一目で商人風と分かる人たちが祈りを捧げていた。

 お香が大量に焚かれ、複雑な匂いが充満している。

 ワルトが嫌そうな顔をした。


 どうやらこのパルーヴァ寺院には世界中から商人が集まってくるようだった。

 服装などから北方草原の地域で見かけたと思しき姿をした商人もいれば、派手な原色の長衣を纏った、おそらく南方出身の男たちというように様々な人がいる。


 カチェは片っ端から西方商友会に属する人はいないか声を掛け続ける。

 すると十数回めで、頷く男らがいた。

 三人組で兄弟なのだという。

 カチェは銀鎖で首飾りのようにしてある登録証の金属板を見せた。


 男たちは相好を崩し、仲間だと認めてくれた。

 タイラル三兄弟と名乗る彼らは親切にも西方商友会の本拠地まで案内してくれるという。

 もっとも彼らにしてみれば新しい情報を手に入れようという試みでもあったわけだが。


 カチェは中央平原を東へと横断して王都に着くまでを掻い摘んで話す。

 王子の旅に同行したことを隠すのは面倒だったが、上手く答えられたはずだ。

 途中の街の様子や物価などを憶えている限り伝えた。


 しかし、何を売り捌いているのか、という質問には閉口してしまった。

 なにしろレーチェ・ハイベルグという名の商人だというのは偽りであるのだから。

 商売人らしきことなどやったことがない。

 かつて長旅の間は次兄モーンケがそうしたことを一手に引き受け、歴戦の商売人と渡り合っていたのだった。


 あまり言いたくないと躱そうとするが、しつこく聞かれたため商ったのは武器だと偽りを言わなくてはならなかった。

 自分が最も相場や状況を良く知るのはこれぐらいなものであった。

 それでも最前線での矢一本の値段や不足情報などは貴重な商売の種であるので、彼らは納得してくれた。


「それにしても、こんな素晴らしい別嬪さんがお供一人で商いとは……ちょっと不用心だなあ」

「まさかそちらの獣人と二人だけで中央平原を横断したのではないよね?」

「いくら何でも無謀だぜ」

「……その、実は同行していた叔父が病で急逝しまして」


 そう言うと彼らは酷く同情を寄せ、同じ商友会の人間が亡くなったのだからと祈りまで捧げて来るのだった。

 カチェは内心謝る。ごめんなさい、嘘なんです……。


 そうして正午ごろ、ついに探していた西方商友会の本拠地に着いた。

 寺院に程近く、あたりには有力な商協会の建物がいくつもあって問屋街や歓楽街にも隣接した場所だった。

 敷地は高い壁に囲まれ、中に煉瓦を積んで造られた二階建ての商館が見える。

 立派な建物で、かなり大きな施設のようであった。


「ずいぶん広いのですね」

「中には会合所、貸し部屋、宿泊施設、銀行もあるぜ。地方で会員になると初めて訪れる人もいるんだよなぁ」

 

 正門には鎧を纏い、槍や鉾で武装した強面の番人が十人はいる。

 おそらく内部では多額の金銀による取引が行われるため、強盗への対策と思われた。

 商友会の会員でなくとも不審な点が無ければ中に入れることは入れるのだが、手続きが必要だった。

 使用人の身分としていたワルトは名前と風体を書き留められた上に、預り金を渡さないとならない。

 やはり開かれた場所ではなく会員限定の世界であることを感じる。


 三兄弟はやたらと親切で、まだ続けて案内してくれそうであったが、やはり隠密に行動したかったのでカチェは別れることにする。

 彼らはそれぞれ名乗り、どこそこで商売をしているから近く来た時には立ち寄ってほしいと頼んできた。


「あ、そうそう。会合所の支配人には挨拶しておいた方が捗るぜ。まぁ、頭取にはなかなか会えないけれどな。支配人はイアル・シェムさんという公平な方だよ。じゃあ、レーチェさんにパルーヴァ様のご加護がありますように」


 さて、これからどうしようかとカチェは考える。

 バース公爵に報告を送らなくてはならない。

 任務は継続困難であると……。

 

 王道国と皇帝国は全面戦争をしているから直接の交易や取引は厳しく禁じられている。

 だが、様々な必要性から抜け道というものがあった。

 そこで亜人界などを経由するか、密入国によって国境を突破するのである。


 だから、そういう伝手に熟知した……つまり皇帝国との通商に詳しい人物を当たってみるべきだ。

 アベルを脱出させた後のこともある。


 施設の一階にある会合所は広く、円卓や椅子がふんだんに配置されていた。

 思い思いの席に座り商人たちは相談をしている。

 露店などと違って、落ち着いた話し合いの雰囲気があった。

 大声で怒鳴るように語る人などいはしない。


 壁には大きなタペストリーが飾られていた。

 天秤に麦と羊の柄。

 西方商友会の紋章である。

 そのタペストリーの下に設置された座席。支配人らしき人物が座り、静かに会合所を見渡している。


「あの、すみません。わたくしはレーチェ・ハイベルグと申します。商業都市クタードの出身で初めてこちらへ来ました」

「登録票を拝見させていただいてもよろしいかな」


 カチェは小さなプレートを渡す。

 五十歳ほどの髪の毛から眉毛まで真っ白な、やや細面で、愛想はないのに相手へ不安感を抱かせることのない印象をした支配人のシェムは頷いた。

 そして、カチェに語りかけてくる。

 

「実はハイベルグ殿もしくは、アゼル・レイルという会員の方が訪ねて来られたら連絡をつけて欲しいという人がいます」


 思わずカチェは息を飲む。 

 予想していない言葉であった。


「……わたくしかアゼルに? 用件は何でしょう」

「大事な商談とのことです。ハイベルグ家に関わることなので直接に会いたいとの伝言でございます」


 カチェは想像していなかった状況に内心、やや警戒する。

 だが、偽名や西方商友会のことはガイアケロンにも教えていない。

 ということは本国からの連絡員が来ているのだろうか。

 

「どんな人でしたか」

「人間族の男性お二人で、年齢は四十歳前後とお見受けしました。会員の方ではないのですが、商人を名乗られていました」


 支配人から伝えられた名前は、まるで聞き覚えのないものだった。

 だが、疑えば際限のないことだった。


「出会うにはどうしたらいいのかしら」

「私に伝言か手紙を残して会合の日時を指定しておくか、宿泊されて待つかをお勧めいたします」

「たしか、こちら泊まれるのですね」

「はい。世界中から長旅をされて苦労も多い方ばかり。安全で管理の行き届いた宿を提供しております」

「分かりました。では、ここに逗留いたしますので、その二人を見かけたら部屋を伝えてください」

「そのように手続きを致しましょう」


 何から何までシェムという支配人が手早く取り計らってくれた。

 商館の使用人が現れて別棟まで案内がある。

 庭を横切ると水神と魚の彫刻が施された水盤があり、水面は鏡のように光っている。

 混乱の渦のような外とは隔絶した静けさと優雅な空間。

 

 宿泊施設も立派な石造りの建物で、玄関には帯剣した番人が配されている。

 中に入ると広い控室があって、柔らかい布張りの椅子に座り、ゆっくり寛いでいる商人が何人かいる。

 絨毯や暖炉があり、宿屋の階級でいうと最上等に属するものだった。

 聞けば風呂もあるという。

 これで一泊、銀貨三枚というのだから安いとしか言えない。


 カチェは素早く入浴を済ませて、身をサッパリと整えた。

 その後は併設された小さな食堂に移動したが食欲はあまりなく、ワルトにはたくさん、自分は豆のスープにパンだけの軽食を口にする。


 いくらか気分も落ち着き、午後の和らいだ日差しを見つめていると、誰かが寄ってきた。

 商友会の商人と名乗る、三十歳ほどの男だった。話をさせて欲しいという。

 カチェは、もしかすると例の連絡員なのかと思い応じてみるが、どうにも違うようだ。


「貴方のような美しい方が危険な中央平原を移動してきたとは恐れ入ります。彼の地には難民や流浪の武人、野盗が犇めているのですよ」

「……危険を乗り越えなくては利益は得られないものかと存じます」

「なるほど。見上げた商魂をお持ちのうえ、ただならぬ気品。さぞかし名のある商家のご息女としか思えません。どうでしょうか。私と商談をしていただけませんか。必ず貴方に損はさせない」


 何だか拙い運びになってしまった。

 商人の男は、かなり熱心に自分の来歴を語りまくる。

 もちろん本当に取引ができるはずもなくカチェは、今は事情があって新規の商談を進める余裕がないと言って席を立った。

 男は名残惜しそうに、数日は滞在するのでいつでも訪ねてくれと言ってくる……。


 ため息が出てしまった。王都に繰り出す気にもならないので部屋に戻る。 

 何とかして状況を変えなくてはならない。

 そんなことばかり思考するが方策が見つからない。

 

 カチェは思う。

 やっぱり自分にはアベルがいないと、どうにもならない。

 まず、アベルがいて自分がその傍にいる。それから行動が始まるのだ。

 どうしてこんなことになってしまったのか、自分でもよく分からない。

 恋とも愛とも焦燥ともつかない、もどかしい熱情が行き場なく回転している。

 

 たまらず葡萄酒でも飲もうかという気になるが、もしかすると例の連絡役らしきものが来るかもしれないと思い直した。

 やり場のない気持ちを滾らせているカチェと対照的にワルトは、いつものように寝てしまっている。

 

 二階にある部屋の窓から王都の景色を見るが、有為な感想は少しも湧いてこなかった。

 アベルは奴隷としてどんな生活を送っているのか、酷く扱われてはいないだろうか、そんなことばかり考えたが結論が出てくるはずもなかった。


 日が暮れたので夜空を見ると星すら暗い。

 宵の口とあって街には活気が揺らめき、様々な灯りが燈されて、不夜城とはこのことかと感じる。


 カチェは魔光を唱えた。

 どうにも眠れそうもなかった。

 ぼんやりとしている内に時間が流れ……ふと、ワルトに動きがある。

 立ち上がり、扉に耳を当てた。

 異常だ。

 素早く、静かにカチェは刀を手に取り、小声で聞いた。

 

「誰か来たの?」

「扉の向こうに人がいるずら。たぶん、二人」


 扉が小さく叩かれる。

 控え目な、丁寧な感じの叩き方だった。

 狭い室内では長い刀が不利になることもある。


 カチェは不意打ちに備えて小刀を抜き、背中に隠す。

 開けるべきか迷ったが、覚悟を決めて、腰を落とし気味にしてから閂を外す。

 ゆっくり……扉が開いていく。


 立っていたのは、やや長身で体格の良い男性。

 人物と目が合う。

 群青の瞳に、大らかで好意的な笑顔。

 

 ひどく見覚えのある人物。

 確かに祖父バースの面影を感じるが、最も似ているのは自分の父親ベルルだ。

 当然のこと、戦死した父親のはずはない。

 

 そこにいたのは叔父のウォルター・レイである。

 信じられないが、事実だった。



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