第117話  奇妙な友情

 




 再び執軍官に任命されたノルト・ミュラーは、親衛軍にガイアケロンの追撃を行わないように厳命する。

 同時にドラージュ騎士団の長であるエリアス・ドラージュを探しに行く。

 途中、殺気立った騎馬隊と行き交う。

 彼ら騎士たちはガイアケロンに槍をくれてやろうと猛り狂っていた。

 馬に拍車を入れて山道のほうへ駆けていく。


 小高くなった丘にエリアス・ドラージュを見つけ出した。

 派手な黄金の翼が冑に装飾されているので遠目でも見つけやすい。

 数十騎の幕僚を従えて、自身は白馬に乗っている。

 何かしきりに下知していた。

 ミュラーは警戒兵を怒鳴って追い散らし、接近していく。

 見てくれは貧相な男でも、執軍官の飾りが付いた冑には効果がある。


「ドラージュ騎士団長殿! ミュラーめの具申を聞いてくだされ!」


 彼はあからさま面倒な者を見る顔つきをしたが、一応は皇帝親衛軍を束ねる執軍官の進言を無視しなかった。

 しぶしぶ承諾する。

 それでも権高い声色でミュラー子爵が何の用事だ、と問うてきた。

 官職ではなく子爵とわざわざ呼ぶあたり、立場を弁えろと威圧しているも同然であった。


「なにとぞ、追撃は慎重に!」

「なにを言うかと思えば、お前は愚か者だ! 今こそ果敢に攻める時ぞ」

「これは罠でしょう」

「何が罠なものか。敵は敗走を始めている。我ら公爵家の増援があることを察知したに違いない。このまま原野に残れば多勢無勢の不利と気づいたのだ」

「偽装ではないかと」

「ふっ……! 臆病者は藪の中の兎を獅子と間違える。偽装した後退などという戦術は机上の空論だ。演技で逃げることなどできない。兵士たちは敗走しているうちに恐怖に駆られ予定地から掛け離れた所まで逃げるだろう。隊列は失われ、周囲は見知らぬ者ばかりとなる。組織的な反撃などできはせぬ」

「平野ならそうともなりましょうが、あそこは細い一本道ですぞ」

「ええい! しつこい! ガイアケロンとハーディアめは直ぐそこにいるのだ。これでどうして攻撃せずにいられようか!」

「……」


 エリアス・ドラージュは目に怒気を湛えてミュラーの意見を拒絶した。

 周囲を固める彼の幕僚たちも軽蔑の視線で見ている。

 説得は失敗だ。

 ミュラーは沈痛な気持ちで顔を俯ける。

 執軍官などと言っても公爵家への強制力はない。

 唯一、命令できるのはコンラート皇子なのだが……、皇子は後方の軍陣から出てこようとしない。

 打てる手はなさそうだった。


「エリアス・ドラージュ騎士団長殿。せめて山岳へは大軍を入れすぎませんように。十人ほどの部隊を小刻みに送らなければ渋滞の憂き目になることでしょう」

「ミュラー子爵。お主に言われずとも心得ておる。もはや口出し無用。怪我人ばかりで役に立たぬ親衛軍の面倒でも見ておれ」

「……」





 アベルは追って来る皇帝国公爵家の軍勢の様子を見た。

 追ってくる敵の顔。鉄兜の庇の下には、濡れたような生臭い色を帯びた眼が凶暴に光っている。

 相手は騎士階級の者が多く、馬に乗っていてその周囲を従者が固めていた。

 彼らはガイアケロンとハーディアという巨大な目標に向かって、闘争心を燃え上がらせている。


 復讐ということもあろうが、褒美が目当てでもあるはずだった。

 敵国の英雄の首を獲れば、高位の貴族に成り上がることすら夢ではない。

 そんな欲望に駆られた相手が山道を数百人ほどで追跡してくる。

 後続はどれほどいるか見当もつかない。数千人だろうか。


 生死を賭けた後退戦。

 乗っていた馬は強襲偵察隊に預けて別れたので徒歩だ。

 場所は幅の狭い山道である。

 四、五人が横に広がると、もうそれで両側は切り立った崖や深い谷への斜面となる。

 時折、馬車のすれ違いのためか道幅の広い場所があるものの、いずにせよ限られた空間しかない。

 

 ガイアケロンの重装歩兵らは十人ほどが道を塞ぐようにして戦い、敵の追撃を押し留めている間に本隊は後退を続ける。

 戦闘をしていた兵士は機を見て退き、また別の部隊が防衛線を作って待ち構えているので、尽かさず交代して戦うということ繰り返していた。


 頼もしいことにガイアケロンとハーディアの声は、いつでも聞こえた。

 常に最後尾で戦っている部隊から、そう遠くない位置で、つまり声の届く距離で叱咤激励をしている。

 撤退戦では味方から置いて行かれるという恐怖が潰走を生む。


 しかし、ガイアケロンの勇ましい声が騒々しい戦場にあって、別格の気配を伴い届いてくるのだ。

 アベルは馬上にある彼が放射する気迫に息を飲む。

 炎のような性、輝く顔つき、圧倒的な信頼感、信念と集中力がオーラのように湧き上がっていた。

 目には見えないが、魔力と渾然一体となったカリスマ性が配下ばかりか敵すら呑むようだった。

 まさに数万人を手足のように動かす男の姿だった。


 そのガイアケロンがアベルの視線に気が付いた。

 そして、戦う素振りを見せていたアベルに手招きをしている。

 間違いない。

 アベルはガイアケロンの周囲を守る親衛隊の間を抜けて近づいた。

 膝元に辿り着く。馬上から声が掛かる。

 

「アベル。これは撤退戦だ。お前は切り札になってもらう。我の重装歩兵では防ぎきれないような猛者が出てきたら、そのときこそ頼む」

「はい」

「ただし、踏ん張りすぎるな。あくまでも無事に後退すればいい。夕方までに山脈を抜けるのだ」

「分かっています。敵を誘き出すためにこんなことをしているわけですから」

 

 ガイアケロンとハーディアがこの狂乱の最中でも失わない冷静な心性を感じさせるように、微笑した。

 肯定の笑みだった。

 これはただの後退ではない。

 そうでなければ最も守らなくてはならない王族兄妹が殿軍に居残るなどありはしない。

 単に将兵を大事にする性格や勇猛さだけが動機ではないのだ。


 この一見、分かりやすいような計略に皇帝国の軍勢は乗せられていた。

 皇帝国の騎士たち、初めは噂の憎い敵の顔を見てやろうという気持ちであったかもしれない。

 美しさを賞賛されているハーディアの素顔を見物したいという好奇心もあるだろう。

 ところが、頭に血の上った同僚や兵士が抜け駆けをする。

 それを見て刺激された者もまた飛び出して追いかける。


 必然、戦闘が始まる。

 そうなってしまうと、もう集団心理の止めようもない流れが発生する。

 遅れてなるものか。

 我こそは英雄を倒し、新たな勇者になるのだ……。

 そうした欲望の連鎖が発生していた。


 人間の心理を理解し、操ってみせたガイアケロンの手口にアベルは感心する。

 人はやはり欲を刺激されると、どうしても弱点が露呈するのだった。

 普段は、厳重に守備しているはずの命ですら無防備にしてしまう。

 欲しいものの為なら、つい危険を忘れて手を伸ばし、罠に落ちる。

 これを防ぐには強力な抑制力が必要なのだが……。


 アベルの感じ取って見たところ、そうした制御はほとんどされていない。

 我こそは大手柄を立てられると勇んだ者らが押し寄せていた。


 突然、追ってくる皇帝国の部隊から矢が飛来してくる。

 狙いは馬上にいて目立つガイアケロンかハーディアだった。

 しかし、傍に控えていたオーツェルが短い詠唱を唱えると気象魔法「突風」が発動。

 もともと命中しそうにもなかった矢が、さらに方向を違えて飛び去る。


 普段は参謀と事務長を兼ねたような働きをしている彼だが、最前線にあっては魔術師としても行動していた。

 理知的で学者のような雰囲気のある彼もまた、信じる主のために命を投げ打つ決意を顔に漲らせている。


 戦場でもっとも危険なのは逃げる場合で、これを混乱なくやり抜くのは勝つことよりも難しいかもしれない。

 その困難を成し遂げるには兵士の質と指揮官の行動が鍵となる。

 ガイアケロンとハーディアは兵士たちから絶大な信頼を得ていた。


 その二人が間近で指示と激励を繰り返しているので、重装歩兵たちは整然と後退戦を続けられていた。

 一列の戦列を作り、後ずさりしながら大胆不敵に戦う。

 勢い余って突っ込み過ぎた皇帝国の戦士を槍で迎撃した。


 時折、様々な魔術による攻撃がある。

 多いのは火魔術だった。

 こればかりは鎧冑だけで防ぎ切れるものでもなく、防御魔法が間に合わなければ人体が吹き飛び、肉の塊が路傍に撒き散らされた。


 ガイアケロンの強弓兵が三十名ほど同伴していて、技量抜群の彼らは魔法使いへ徹底的な反撃をした。

 気象魔法の突風で矢が逸らされる場合もあるが、敵とてなし崩しに追撃しているだけなので連携は悪い。

 矢の連撃を防御しきれなかった魔法使いに命中を与えることもあった。


 ガイアケロンの弟にあたるシラーズ王子も最後尾に残り、撤退戦を肌で感じていた。

 困難な戦いを後学のために見届けるかと、姉であるハーディアから提案されたからだった。


 シラーズの高い誇りがこの申し出を断らせなかった。

 危険な役目を兄姉に任せて逃げるなど、恥辱である。

 そうしてラカ・シェファの反対も押し切ってここにいる。

 ごく間近で兄姉の堂々たる戦いぶりを見ていると、これが軍団の統括者かと改めて痺れるように感じたものだった。


 ハーディアはシラーズの仕種をそれとなく観察している。

 命の瀬戸際で人の本性は露わになる。

 どれほど口では美辞麗句を囀ったとしても、血走った眼に殺気を湛えた敵の大男を前にすれば、戦うか、逃げるか、その二種類だけがある。

 どちらを選ぶ者なのか、見極める絶好の機会だった。

 さらに狙いはもう一つある。


 シラーズに怯えの気配が僅かでもあれば、その心胆の弱さの現れと判断してよい。

 事に臨んで恐怖ばかりの武将など、およそ信用に足りない。

 この先、共に歩むのは無理だ。


 もし、そうならばシラーズを思い切ってここで謀殺してもよいとハーディアは考えていた。

 シラーズは兄ガイアケロンに従うと説明していたが、そんなものは口約束にすぎない。

 王族というだけで権力闘争に利用され、いつ災いと転じるか知れたものではなかった。

 心の弱い者は動揺しつつも人を裏切る。

 欲深い者は平然と立場を覆すのを数え切れないほど見てきた。


 目付けのヒエラルクやラカ・シェファも先行させたのでここにはいない。

 シラーズには少数の配下がいるだけだ。

 激しい撤退戦の最中であれば戦死も不審ではない。

 彼の軍団の残余を吸収すれば自軍はさらに増強するというものだ。


 ハーディアは弓矢が不気味な擦過音を立てて上空を飛び交うなか、柔和に微笑みシラーズの名を呼ぶ。

 シラーズにしてみると白鋼の鎧に身を包んだハーディアの姿は、光り輝くようであった。

 琥珀のような瞳には勇気が灯り、豪奢な金髪が冑から零れ落ちていた。

 美の具現にして戦いの姫だ。


「シラーズ王子。人の体が粉々に吹き飛ぶ戦いの味わいはいかがですか?」

「はい。姉上! ここまで見事に撤退戦ができるとは思ってもいませんでした。偽装後退と言ってもまさか自ら囮になるなどとは……! これならば相手は罠を疑いつつも乗らずにはいられない。これが戦術の妙だと思い知っています」


 シラーズは長兄イエルリングの顔つきに似て美男子と呼ぶほかない。

 すっきり通った鼻梁、引き締まった頬、氷のような青い瞳。

 普段は何事も白けた様子で冷やかに見詰める視線の持ち主であるが、しかし、今は戦いの興奮に軽く酔っている。

 恐怖の気配はどこにもなかった。


 ハーディアは満足げに頷いた。

 今、殺す必要はない。

 彼はまだ裏切らないだろう……。

 しかし、いつかその日が来るかもしれない。




 アベルは防衛に加わる機会を待ちつつ後退を続ける。

 登り坂、降り坂を繰り返す山道。

 馬車の通行ができるように整備されているものの、決して楽な道のりではなかった。


 追いかける方も逃げる方も、だんだんと体力を失っていく。

 早くも時間は正午ごろで、山岳の半ばあたりまで来たところだった。

 アベルは何か強い魔力を感じたので注視していると火魔術「竜息吹」と思しき攻撃がある。

 カチェの得意な魔法でもあるあの術は火炎放射の効果を発揮するので、複数対象が固まっていると非常に威力を現すことがある。


 膨れる火炎。

 吐き出された火の帯。

 戦列を作っていた重装歩兵の上半身を舐めるように炎が蠢く。

 火達磨になった重装歩兵が十人ほど悶え苦しみ、悲鳴を上げる。


 敵に動き。

 ドラージュ騎士団の騎士がその隙に騎馬突撃を仕掛けてきた。

 二騎が併走してくる。

 火傷に苦しむ重装歩兵を馬蹄で踏み潰し、さらに突撃。


 一人は赤い飾り羽を冑に付けている。もう一人は鎧の上に青地の陣羽織を着流していた。

 その二騎は際立った手並みだった。

 赤い羽根の騎士が槍を手にして、馬上という高所を利用。上方から激しい突きを繰り出し、新手の重装歩兵は圧されていく。


 青い陣羽織の方は戦槌を片手持ちにしていた。

 大型の槌にも関わらず軽々と振り回し、盾を打ちつければ一撃でひしゃげてしまう。

 盾の防御を破壊され腕ごと折られたらしく、兵士が倒れた。

 どう見ても名のある騎士に違いない。


 激しい攻撃のなか、それでも隙を見て槍を掻い潜り、騎士の足元に接近した兵士がいたが、あと一歩というところで炎弾が命中した。

 兵士の鍛えられた太腿が柔い粘土のように千切れて、体は飛ぶように転ぶ。

 素早く近づいた剣士兵が止めを刺した。

 二騎の背後には魔法使いや刀槍を手にした従者が控えていて、相手が接近戦に持ち込もうとしても馬に乗る主たちを攻撃させなかった。


 猛攻は続く。

 まさに豪槍と呼ぶべき鋭い攻撃を、赤い飾り羽の男が仕掛けた。

 重装歩兵の長い槍を巻き込みつつ捻り上げ、間髪入れずに馬で突進。

 馬鎧で覆われた騎馬の衝突はハンマー以上の破壊力。

 跳ね飛ばされた重装歩兵がなすすべなく転倒する。

 重傷を負った歩兵は後ろから来た従者たちによって滅多刺しにされてしまう。


 これまでの追手とは別格の気配がある。

 二騎の騎士は戦いに怯える雰囲気など全くない。

 かといって気が変に高ぶっているという様子もなく、落ち着いて敵に接敵し、殺すことに手馴れていた。

 加えて背後の従者たちとの連携がいい。

 魔法使いも実戦慣れしている。

 アベルは自分の出番だと感じた。


「ガイアケロン様。かなりの使い手が現れました。あいつらは魔法剣士でないと防ぎきれないでしょう。これから戦ってきます。僕らを最後尾にして、ガイアケロン様は先へ進んでください」

「アベル。頼っていいか」

「はい。こういう事のために僕はいるのです」

「あくまで牽制が目的だ。本当だったらお前をこんな風に戦わせたくない。もし無理をして踏みとどまり、逃げる余裕を失えば殺される」

「まだ死ぬつもりはありません」


 ガイアケロンはアベルの人物を推量し続けている。

 どこか孤高の、言うなれば群れを持たない狼のようなところがある。

 そうとなれば組織には最も向かない人間であるのだが……彼は皇帝国の密使という、これ以上ないほどの組織の一員としてやってきた。


 それに軽快な人格ではない。

 年齢の割に不自然なほど胆力があって、それは単なる若者の無知が原因ではなかった。

 どうも心の底に鉛のような沈鬱さを感じる。

 しかし、それでいて魅力的なのは何故だろうかとガイアケロンは考える。

 密約成立のためとは思えない、程度を超えた協力。


 ガイアケロンは感じる。

 心から湧き出る友情の熱を。

 敵国の使者と友になるなど、ありえないはず。

 だが、間違いない。


 理由は分からないが、立場を超えた繋がりを自覚せざるを得ない。

 しかもアベルの好意を利用する……とは考えられなかった。

 ガイアケロンは視線に信頼を湛えつつ頷いた。


 アベルは隣のカチェとワルトに合図してから、敵に向かって徒歩で近づく。

 腰の刀を二振りとも抜く。

 左手に白雪、右手に無骨。

 刀の鍔に紐を通して手首に巻いておく。

 こうしておくと柄に血油などがついて滑ったとき、刀を落とさずに済む。


 負傷者を抱えて逃げていく重装歩兵とすれ違う。

 彼らは徹底した訓練により致命傷でない限り負傷した味方を見捨てない。

 この掟はガイアケロンが日ごろから厳しく命じていて、もし仲間を見捨てて逃げたならば怯懦の行いとして罰せられるという。


 アベルは緊張してくる。

 呼吸は乱れ、掌に冷や汗のようなものが溜まっていた。

 刀や槍での闘争は、つまるところ手を伸ばせば相手に触れられるほどの至近距離で命の取り合いをする。


 一瞬の判断の過ちで内臓を刃物で抉られ、無残に死ぬ。

 あるいは、体の一部を引き裂かれるような暴力に晒される。

 以前に比べれば格段に腕は上達しているが、それでも治療魔術では間に合わないほどの致命傷を一回の攻撃で受けることもあるだろう……。


 死の影がちらつき、興奮が体を突き動かす。

 最後尾に到達したアベルは、体内の魔力を活性化させる。

 熱いエネルギーが渦巻くように腹の辺りへ溜まっていく感覚がある。

 二人の騎士は恐るべき使い手だ。

 初手から意外性のある攻撃を仕掛ける。


 水魔法「魔凍氷結波」を使う。

 この魔術はかつて最果ての島でリアンとクアンという二人の老人から伝授された。

 高度な魔術であり使い手の少ない技であるのか、戦場で誰かが使ったのを見たことは無い。

 敵にとって初見の攻撃魔術は効果が見込めるものだった。


 手練れの二騎。

 アベルから放射される魔力を感じ取って警戒したのか、いまだ馬上にいて様子を窺っていた。


 魔力の高まりが最高潮に達し、魔術が発動する。

 瞬間、大気が凍てつき、局所が極寒となった。

 青い陣羽織の騎士に激しい冷気が吹き付け、乗っていた馬が驚いて暴れた。

 危険を察知した騎士は戦槌を手にしたまま飛ぶように下馬する。

 馬の首から頭部にかけて一瞬で氷に覆われ、凍結した。倒れる馬体。


 騎士の背後に控えていた魔法使いから「熱温風」の魔法が発動。

 冷気が威力を大幅に減殺される。

 防御が一呼吸遅れたのは、やはり見たことのない魔術に素早い対抗ができなかったためらしい。

 赤い羽飾りの騎士も同じく下馬した。

 馬を殺されたくなかったと思われる。


 アベルは戦い方を考える。

 やはり接近戦だ。

 魔法合戦をやっていると、いつかは魔力を消耗しきってしまう。

 そのとき無傷の騎士がいると厄介だ。

 魔力を減衰させて氷結現象を止める。

 相手の魔法使いもそれに合わせ「熱温風」を終わらせると、すぐさま次の術に移行した。


 灰色のローブを着た魔法使いから魔力の高まりを感じる。

 炎弾が創生された。アベルと視線が交錯する。

 フードの奥に三十歳ぐらいの男の慎重な目線が、品定めをするように隠れている。

 アベルの足元を狙って炎弾が射出された。

 これに水魔法「水壁」で対抗。


 双方の魔法がぶつかり合い、相殺された直後、赤い羽根飾りの騎士がこれ以上ないほどの素早い連携攻撃を見せた。

 突き。穂先がアベルの顔面に向かってくる。

 この攻撃は予測していた。

 やたらと良いチームプレイをしていた。当然、想定しておくべき状況。


 アベルは左手に握った白雪で穂先を捻るように弾き、体ごと跳躍させて前進。

 槍の内側に入った。

 さらに踏み込み、大上段に無骨を掲げる。

 頭を狙うと見せかけて、実際は相手の上腕を狙う。

 イースとヨルグという二人の師から伝授された技。


――こいつを食らってみろ!


 騎士の手首に刃を振り下ろすと、ずるりという滑らかな手ごたえ。

 金属の籠手など刃筋を立てた無骨にとって紙にも等しかった。

 呆気なく右手首が地面に落ちる。

 だが、相手は槍を捨てると悲鳴も上げずに後ろへ逃げた。


 青い陣羽織の騎士が戦槌を振り上げ、怒りの罵声と共にアベルへ近づくが、ワルトが間に入って牽制。

 トリッキーな横跳躍をする。

 躊躇っている隙にアベルは氷槍を創り、陣羽織の男へ射出。


 胸甲に命中して氷の槍は粉々に砕け散る。しかし、それでも牽制にはなった。

 ワルトが一気に跳躍して斧を陣羽織の騎士に叩きつけるが、相手はやはり手練れだ。

 ワルトの強力だが単純な斧の軌道を読み、素早く体幹を反らして回避。

 逆にワルトへ蹴りを入れる。

 湿った打撃音が響いた。

 跳ね飛ばされたワルトは空中で一回転して着地した。

 負けじと再び攻撃しようとする。


「ワルト! 深追いするな!」


 格闘戦になるのを制止した。

 カチェが敵に向かって炎弾を使い、爆発が起こる。

 敵の魔法使いが土石変形硬化を行使してきたが、アベルは魔力を注ぎ込み妨害した。

 片手首を落とされた騎士に代わって怒り狂った従者たちが寄ってくるが、アベルは相手をしないことにした。


 退き時だ。

 走って逃げに移る。

 カチェが再び炎弾を使って出鼻を挫いた。


 また徒競走のような状態になる。

 アベルたちは背後を振り向きながらひたすら走った。

 鎧が邪魔で仕方ない。


 ガイアケロンの部隊は、だいぶ先まで後退している。

 カチェが驚いて声を上げた。


「もうあんなに離れているわ!」

「カチェ様。きっとガイアケロン様はここらで一気に距離を稼ぐつもりなんでしょう。急がないと夕方までに山道を抜けられなくなります」

「これでは、まるで捨て駒……」

「いいや、信頼ですよ。でなければこの役目しんがりをやらせはしません」

 

 カチェに理由は分からなかったが、確かにその通りだった。

 アベルとガイアケロンの間には、奇妙な友情が芽生えているのを強く感じる。

 運命は、この極限の状況に理解できないような回転を見せていた。








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