第118話  終わりなき戦い






 アベルは走りながら背後に気象魔法「極暴風」を使った。

 追ってくる者たちの全身に激しい風圧を与えてやる。

 なにしろ場は狭い山道なので逃げ場がない。

 小石ぐらいなら飛ばす勢いの風に敵勢は停滞した。

 また新手の魔法使いが対抗魔術を使ってくる気配があったので、素早く逃走に転じる。

 ひたすら走る。

 アベルは駆けながら今度は濃霧を発生させる気象魔法「迷霧」を詠唱。


 体の中のパワーを振り絞り、猛烈に加速させる。

 出来る限り、最大の魔力を込める。

 カチェはアベルから強烈な波動を感じ、驚く。


 敵の魔法使いたちがどれほど強力な魔法攻撃があるかと危険を察知し、味方に気を付けろと警告していた。

 走るアベルの掌から爆発的にミルクのような濃密さで霧が発生した。

 運よく風向きがよい。

 敵に向かって濃霧が雪崩のように向かって行った。

 敵から混乱の声が上がる。


「アベル。凄い霧。魔力が強いから……!」

「このまま霧を発生させつつ逃げますよ。さぁ急ごう」


 ジブナル・オードラン副騎士団長は山道の先で白い靄が発生したのを認めた。

 見る見るうちに白い幕のように広がっていく。

 最前線近くまで出張って来たものの、負傷者ばかりの追跡戦にいらだちを感じているところだった。

 オードラン公爵の弟にして騎士団第二の地位にいる自分こそが勝利の立役者と意気込んでいただけに、焦りを感じる。

 立場は副騎士団長であっても、実質、オードラン公爵家の軍事を取り仕切っているのは己であった。

 その自負心、矜持が悔しさを倍増させた。


「ええい! わしの護衛はいい。魔術師どもを馬に乗せて前へ進ませろ。魔法で風を起こして霧を吹き飛ばせ!」

「しかし、ジブナル様。それでは不用心に過ぎませぬか」

「うるさい! 自分の身ぐらい自分で守れる。急げ。あの悪鬼をここで殺せば大手柄だ!」



 断続的に濃霧を出しつつアベルたちは移動を続けた。

 ガイアケロンとハーディアの部隊は姿も見えなくなっていた。

 まさに最後尾である。

 やって来た時は行軍速度だったので距離が長く感じたものだが、走ってみればそれほどの長い山道でもないようだと気がつく。

 もうじき旧ハイワンド領になると思われた。

 太陽の傾き具合から判断して、日没までもう少しは時間があると察する。

 ワルトが獣の耳をピクピクと動かしていた。


「ご主人様! 後ろから蹄の音だっち! 馬で何十騎も近づいてくるっち!」

「アベル。きっと魔法で霧を飛ばしながら馬で追い駆けることにしたのよ。追い付かれるわ!」


 アベルは考える。

 ここで落雷魔術「紫電裂」を使って敵の先頭に必殺の一撃を与える……。

 しかし、あの魔術は未だ正確な狙いが出来ないでいた。

 外してしまうばかりか、至近距離に落雷などさせたら地面を伝わってきた雷電流によって自分自身を傷つけてしまう。

 かといって他の魔法……土石変形硬化では、大きな壁が完成する前に追いつかれる。

 だいたい、氷の壁にしても土壁にしても魔法によって破壊されてしまうだろう。

 結局のところ、なんとかして山道を通過してガイアケロンの軍勢と合流するしかなさそうだった。


「二人とも。全力で走ろう! あともう少しで山道は終わるはずだ」

「ご主人様。いざというときは、おらっちが残って戦えばいいずら。足には自信があるっち。戦ってからでも逃げられるずら」


 アベルはワルトの円らな黒目を見た。

 狼男としか言いようのない顔に、忠実な瞳が光る。

 ワルトはかなり強いが、それでも魔法の援護がある敵と単独で戦い続けて無事に済むはずが無い。

 自分を犠牲にしてでも助けるつもりのようだ。

 もはや奴隷というよりは友達である獣人を、こんなところで失うつもりなどない。


「ワルト! 格好いいこと言うじゃないか! だが、お前の世話にはならないぞ」

「そうよ。ワルト。わたくしだっているからね」

「カチェ様。最後の手だ。冑と胸甲を捨てよう!」


 カチェは頷いた。

 革の帯をナイフで切断して、まず冑を谷の方へ捨てた。

 カチェの紫紺の髪が、表に露わとなった。

 それから胸甲と背甲の間にある帯も切ってしまう。

 がらんと金属音を立てて防具が道に落ちた。


 体が物凄く楽になった。

 アベルとカチェは歯を食いしばって、さらに走る。

 ワルトだけはほとんど疲れを感じさせずについて来ていた。

 さすが狼人だとアベルは、ちょっと笑ってしまう。


 アベルは背後を振り返る。

 ちらほらと騎馬の姿が見える。

 いよいよ覚悟を決めて、戦うか、あくまで逃げるか選ばないとならない。

 戦うのは自分とワルトだ。

 カチェには逃げてもらいたいけれど……言う事を聞かずに残って戦ってしまうかもしれない。


――イチかバチか紫電裂を使うか。


 アベルが魔力を集中させ始めた時だった。

 ワルトが叫ぶ。


「先の方に匂いがするっち!」


 蛇のようにうねる坂道。

 登りきると展望が開けた。

 旧ハイワンド領だ。

 森や林、原野が広がる。

 背後から悲痛なほどの馬の嘶きが聞こえた。

 追っ手は馬に鞭でも与えているようだ。


 アベルたちはどこにガイアケロンの軍勢がいるのか見渡しながら進んでいると、行く先に小勢がいた。

 その数、僅か十人ほど。

 見覚えのある男がいる。


――ヒエラルクだ!


 剣聖ヒエラルク・ヘイカトン。

 イズファヤート王の直属にして軍目付けの彼が、こんな最前線で何をしているのだろうか。

 しかし、アベルはともかく彼の元に向かう。

 ヒエラルクと視線がぶつかる。


 ねっとりした熱気を孕んだ瞳。青筋の浮いた額。

 残忍な情熱、酷薄さが言いようもなく面相に滲み出ている。

 彼は笑っていた。この上もなく楽しそうにしている。

 ヒエラルクは潜在的に完全な敵なのだが、ここは奴を利用しない手はない。

 アベルは叫ぶ。


「ヒエラルク様! 僕の後ろに味方はいません! 皇帝国の追手が来ています!」

「おう! 若いの。前に一回、会ったことがあったなぁ。最後尾でよくぞ戦い抜いた。見事なり!」


 アベルはヒエラルクらを横目に通り過ぎる。

 離れた所で様子を見ることにした。

 敵の馬群が姿を現した。その数、約三十騎。

 派手な旗や幟が翻っていた。

 オードラン公爵家やドラージュ公爵家の騎士らしい。

 皆、顔に凶暴なまでの殺気を漲らせている。

 延々と成果なく追跡を続け、もはや怒りが頂点に達しているらしい。

 邪魔する者は皆殺しにする気迫を発散させていた。


 ヒエラルクの背後に控えている男から激しい魔力を感じる。

 アベルは鼠色のローブを着たその男が、サレム・モーガンという高名な魔術師だったのを思い出す。

 サレム・モーガンの頭上に炎弾に似た炎の塊が数十個と渦巻き、馬群に向かって乱打された。

 馬群の中には魔法の使い手もいたので「水壁」によって防御したが、その守りを上回る効果範囲だった。

 爆発を身体に受けて騎士が落馬する。

 馬が混乱状態になり下馬する者もいた。


 ヒエラルクが抜刀して突入する。

 従者らしき男たちも従った。

 ヒエラルクは長大な刀身の得物を手にしていた。

 無骨よりも、さらに長い。


 素晴らしい速度で駆け抜けるヒエラルク。

 真っ白な鎧を着ていた。

 目立つために度肝を抜くような衣装を身に纏う者も戦場には良くいるが、白というのは珍しい。

 それだけに敵からの注目を浴びる。

 騎士がヒエラルクに殺到した。


 ヒエラルクは完璧に刃筋を立てて、振り抜いた……ように見えた。

 アベルの眼でも完全には捉えきれなかった。

 もう首が一つ、宙を飛んでいる。


 サレム・モーガンの魔法で四、五人が殺されたとはいえ敵の方が人数で上回る。

 多勢を相手するときは包囲されないことが重要なのだが、ヒエラルクらは不意を突く動きで騎士たちを翻弄していた。

 そして、相手の攻撃を誘い、後の先をとる。

 確かにヒエラルクの方が攻撃されているはずが……次の瞬間、相手の両腕が切断されていた。


 戦闘は一方的な様相を呈する。

 ヒエラルクの弟子たちもまた、相応の使い手だった。

 騎士たちを圧倒していく。

 しかし、公爵家の戦士たちにも意地がある。

 一人の騎士が片腕を切断されながらもヒエラルクの従者に組み付き、格闘戦になった。


 絡みついたまま弟子と騎士が地面に倒れる。

 騎士は片腕になっていたので、やはり組手では不利だった。

 隙を見て弟子は小刀を相手の鎧の隙間に突っ込んで致命傷を与えたように見えたが、最後の抵抗がある。

 死を覚悟した騎士は弟子の首筋に噛みつき、肉と動脈を引き千切る。

 血潮が噴き出す。

 壮絶な殺し合いだった。


 見る見るうちに皇帝国の追撃部隊は逆襲され人数は減っていった。

 ヒエラルクが最後の一人と相対している。

 相手は全身を板金鎧で覆った騎士だった。

 バイザーの隙間から覗く目は恐怖。

 完全にヒエラルクに呑まれている。


「お前らの攻撃は雑すぎる。何というか、愛が無いなぁ」


 ヒエラルクの問いかけに返事はない。


「技術がついてないのは、もはやこの場で言うても仕方なし。だったら尚更、気持ちを込めなくてはならんぞぉ」

「……」

「恐怖というものは、つまり我が身可愛さに尽きる。怖がっている内は、気持ちは湧かない。そんなことでは愛は生まれないというもの」


 ヒエラルクが動いた。

 刀は構えられてもいない。

 実に野放図な、全く防御を感じさせない動き。


 アベルは騎士の足元に注目する。

 人間の心の動きは体の端々に現れるものだが、足は特に顕著な部位だ。

 その者が行きたい方向に足は向いている。

 逃げたいのか戦いたいのか……。


 騎士の足がヒエラルクに向き直り、一気に動いた。

 悲鳴のような絶叫を上げつつ騎士が両手剣を振り上げて突っ込む。

 必死の攻撃だったが意外と正確な斬撃。

 ヒエラルクの首筋に切っ先が近づく。

 紙一重で避けた。あえて接近を許したヒエラルクは刀の柄頭で騎士の面頬を鋭く叩く。


 いくら板金で防御されていても衝撃は激しい。

 騎士は仰向けに転倒。

 立ち上がろうとした瞬間、ヒエラルクの横薙ぎ。

 鎧ごと胴が分離してしまった。

 血と内臓が飛び散る。


 凄い強さだとアベルは戦慄を覚える。

 ヒエラルクは機の読み方に天才性があった。

 しかも、呼吸の乱れが全くない。


 もし戦ったとして、あいつに勝てるだろうかとアベルは自問する。

 剣だけなら負ける。

 夢幻流の癖技に引き摺りこめば、あるいは……とも思うが、やはりそれは甘かった。

 では魔法はどうだろうか。


 強力な魔術を連発して……だが、ヒエラルクにも対抗する技があるかもしれない。

 剣の腕で負けていて、それでいて勝てるなどとは愚かな考えだった。

 アベルは首を振る。

 しかし、あいつを殺さないとイズファヤート王は殺せない。

 ガイアケロンは奴を倒せるのだろうか。


 戦いはひとまず終わったが、山道の方が何やら騒々しくなってきた。

 皇帝国の後続部隊だ。

 おそらく数千人に及ぶだろう。

 ヒエラルク達が身を翻して戻ってくる。

 アベルたちも急いで逃げなくてはならない。

 だが、どこが安全なのか。


「お~い。若いの! 殺された者の馬が余っている。乗れ!」


 ヒエラルクは気さくなほどの態度でアベルへ、そう語りかけて来る。

 顔には満足げな笑み。

 アベルはかなり体力を消耗している。断る余地はなさそうだ。


 カチェとアベルは二人乗りをして場を離脱する。

 ヒエラルクの純白だった鎧には血飛沫が散っている。

 まるで模様のよう。


 背後を振り返ると公爵勢が溢れるように姿を現していた。

 隊列も作らないまま原野に広がっていく。

 ヒエラルクたちに付いて馬を操っていると、やがて林の中に入っていった。

 そこにはガイアケロンの重装歩兵、軽装歩兵などが姿勢を低くして隠れている。


 皇帝国の軍勢は止まらないというよりも、勢いを停止できない様子だった。

 手柄目当てで興奮した数千人が殺到しているのだ。

 原野に三千人ほどが侵出してきたところで太鼓の音がした。

 ガイアケロン軍団が林の中から姿を現す。


 槍を構えた部隊が整然とした戦列を形成し、まるで歩く壁のようだ。

 この時のために温存していた最精鋭。

 ポロフ原野にもあえて連れて行かなかったガイアケロンの切り札と思える。


 特徴的なのは盾を持たない槍兵部隊だ。

 盾が無い代わりに、彼らの持つ槍は通常の重装歩兵が装備しているものよりも、さらに長いのだった。

 思い切って防御を捨てた、攻撃のみに特化した長槍部隊である。


 そんな部隊が五千人ほど公爵勢に進み、無慈悲な攻撃を仕掛ける。

 初めは対抗して戦っていた相手だが、すぐに圧倒的不利を悟った。

 なにしろ長大な槍とではリーチの差があって、一方的に攻撃されるばかりだった。

 苦し紛れに魔法で反撃したところで焼け石に水の状態。


 しかも、素早く逃げようにも細い山道には進退もできないほど人が居てどうにもならない。

 皇帝国は完全なる罠に嵌ったのだった。

 それは一方的な阿鼻叫喚の様相。

 

 日没前までに決着はついた。

 皇帝国の追っ手は二千人ほどの屍を残して山道を戻っていく。

 しかし、山岳地帯では激しい混乱が起こっている様子だった。

 ガイアケロンは追撃をしない代わりに、気性の荒い野牛を十頭ほど用意してあった。

 牛の角に松明を縛り付け、山道の入り口で思い切り鞭で叩く。

 そうすると暴れ牛は、皇帝国の軍勢が敗走した方へと猛烈な勢いで走っていった。

 

 決着を見届けたアベルとカチェは全身、泥と返り血だらけ。

 鎧と冑も無くなっていて、なかなか壮絶な有様だった。

 空は赤く色づいていた。


 機会を見てガイアケロンとハーディアの元へ出頭しようと、しばらく戦場を見渡しているとそれらしき集団を見つけた。

 相変わらず最前線のすぐ近くにいる。

 今は戦闘の指揮で多忙を極めているため、アベルは待つことにした。

 カチェがアベルに語り掛ける。


「アベル。一番危ない役目をやりたがるのね……」

「カチェ様。どうしてもやらなければならないんだ」

「仕方がないわ。わたくし、アベルと一緒にいると決めていますからね。離れた所にいるよりかは、ましというものです」


――離れた所か。

  イースは今どこに……。


 その姿を脳裏に思い描くと、言い知れぬ気持ちが湧き上がる。



 夜になり、アベルはガイアケロンとハーディアの元へ呼ばれた。

 陣幕の中は人払いしてあり、余人はいない。

 二人は勝利を得た者の栄光を感じさせる笑顔だった。

 アベルを見るガイアケロンの灰と青を混ぜたような瞳には、確かな信頼が籠っていた。


「おお。アベル。来たな。無事で何より」

「待っていましたよ。アベル」

「……。このあと、さらに攻撃ですか」

「いいや。さすがに兵士たちは疲れている。それに勝利は大きすぎるのも良くない。ほどほどの勝ちを得たら慎重に様子を見るべきだ」

「コンラートの軍勢をだいぶ痛めつけました」

「アベル。この勝利、お前の働きによるところが大きい。おそらくコンラート軍団はこれで冬季の活動を停滞させるだろう。損なった軍団を立て直すには時間がいる。限定的な作戦行動しかとれなくなったはずだ」


 アベルは複雑な心境だった。

 この王族兄妹には何と敵が多いことだろう。

 皇帝国からは怨敵として呪うように敵視され、それでいて親類は油断ならない。

 あのイエルリングのような男と権力闘争をしているのだ。

 しかも、ガイアケロンの最終目標は父親を殺すこと。


 魂を燃やすような、父親に対する憎悪。

 アベルにとって、もう一人の自分と言っていい男。

 あまりにも艱難辛苦に満ちた道のりだった。

 助けてやらないとガイアケロンは負けてしまう。

 これほどの強い男でも……。


 そして、これは単純な人助けでもない。

 満たされない自分の心、餓えた願望を叶えられる二度は無い機会だ。


「アベル。我はテオ皇子と早く会ってみたい。密約……結ぶに値する人物と期待する」


 また成らずともアベルを手放すつもりはガイアケロンになかった。

 どうやら自分は、この奇妙な青年に意識を寄せられると強く自覚した。

 欲望と欲望が共鳴する不思議な感覚……。


 ハーディアは二人の間に醸成された特別な気配を察する。

 不意に胸騒ぎを覚えた。

 兄のことは知り尽くしているつもりだった。

 その兄が、ついぞ見せたことの無いほどの態度をアベルに示していた。

 

 とても危険な何かが芽生えているのでないか。

 直感が、そう告げていた。


 





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