第115話  野心の結末






 ピラトは困惑していた。

 すぐにも圧倒的に決着が訪れると思っていた戦いは、かなり長びいている。

 決め手になると思った迂回攻撃が、あまり効果を示していない。

 状況を聞き出そうと連絡を取ろうにも、伝令兵が走って遣り取りをしなければならないので非常に遅い。


 全ては敵が密かに設置していた逆茂木が原因だ。

 大して厳重な作りでもないから破壊できるかと思ったが、敵陣から攻撃があるとそう簡単なことではなかった。

 せっかくの重装歩兵が全面攻勢を仕掛けられないでいる。

 だからガイアケロン軍団に乱れが生じていない。

 混乱に乗じてこその迂回攻撃であったということだ。

 正面攻撃と迂回攻撃はもっと連動していなければならなかった……。

 ピラトはそこに思い至ったが、今更どうすることもできない。


「執軍官ピラト様。千人将ゾルタンより伝令。敵の防御強固にて攻撃は進まず。障害物の破壊に援軍が欲しいとのこと」

「大工どもに逆茂木の排除を急がせろ! 中央部だけでも何とかしろ!」


 ピラトは大工と呼ばれて蔑まれている工兵部隊に催促をする。

 工兵部隊は付属部隊であって親衛軍扱いにはならない。

 その実態は一級の兵士に選ばれない者たちの掃き溜めである。

 工兵は原則、戦闘には参加しないということもあって自然と侮蔑の感情が持たれていた。


 戦場の喧騒。

 さらに時間は経過する。

 しばらくしてピラトの元に工兵隊長から伝令がある。

 敵の反抗が激しく撤去が思う通りに行かないので魔法部隊で掩護してもらえないか、というものだった。


 ピラトは忌々し気に舌打ちする。

 それから数人いる強力な魔術師の使いどころを考える。

 彼らは代えの効かない貴重な戦力で、絶対に死なせるわけにはいかない。

 また、魔法使いらは魔術門閥に所属しているので、下手な運用をして戦死者を出すと門閥から圧力がある。

 特に第十階梯魔術師ロン・ローグが総帥を務めるローグ魔術門閥はコンラート皇子と関係が深いので、うっかりすると政治問題となってしまう。政治力の無い自分にとって厄介な問題だった。


 ここぞという時の切り札。

 逆茂木を壊すのに使うのが丁度よいのかもしれないとピラトは結論した。

 決着はあくまで親衛軍の戦力でつければよい。

 その方が自分にとっても得だ……。


「仕方ない。魔法部隊に工兵部隊の掩護を命じる。すみやかに障害物を無効化せよ」


 やがて昼を過ぎた頃、中央部の逆茂木をほぼ破壊したという報せを受けた。

 やっと受け取った吉報である。

 まさか相手が逆茂木を用意していると思わなかった。

 ガイアケロンの策に嵌められた。

 しかし、これでようやく計画通りに事が動く。

 最後の決め手として温存しておいた最精鋭の重装歩兵部隊二千人に渡河を命じた。

 歴戦の勇士が集められた「忠誠隊」と呼ばれる彼らに中央突破を仕掛けさせる。


「勝った……! これで勝ったぞ」


 苦しい戦いになっていたが、この采配で勝負が決まる。

 敵が中央で崩壊すれば左翼に展開している迂回部隊が、いよいよ効果を表す。

 包囲を恐れて敵は山岳へ伸びている街道へ逃げ出すに違いない。

 バロウ千人将の槍兵部隊で退路を遮断できれば包囲殲滅である。


 ピラトは確たる勝利の光景を見た気がして歓喜に包まれていた。

 ガイアケロンかハーディアを殺せば、きっとコンラート皇子は自分を伯爵に任じてくださる。

 有力貴族の仲間入りだ。

 栄光の人生が開けている。

 ピラトは満面の笑みを浮かべた。

 これまでの攻撃による損害は大きく、集計できていないものの数千人の死傷者が発生するようだが勝ちさえすれば帳消しである。

 勝利こそが全て……。




 ~~~~~




 ガイアケロンはコンラート軍団に動きがあるのを見て取った。

 魔法部隊を交えた敵の工兵部隊により中央部の逆茂木はあらかた破壊されてしまった。

 なかなか優秀な工兵たちだった。

 皇帝親衛軍の攻勢が一時的に止み、部隊の交替が始まる。

 最精鋭の切り札で中央突破を試みようとしていると読んだ。


 ついに決着の時。

 ガイアケロンとハーディアは馬に飛び乗り本陣から駆け出す。

 シラーズ軍団へと向かう。

 そこには士気の低いシラーズ配下の兵士約四千人がいた。

 彼らを取り囲むように督戦隊やガイアケロンの兵士たちが配置されている。


 シラーズ王子は馬に乗り、特に選抜した近習たちを護衛に侍らせていた。

 黄金と宝石で煌びやかな鎧兜を身に着けたラカ・シェファの姿も見える。

 ガイアケロンは弟王子に大声で呼びかける。


「シラーズ王子! 攻撃の機会を与えてやる。中央部から打って出よ」


 頷いたシラーズは決死の思いで兵士たちに号令する。

 怜悧な顔は蒼ざめていた。


「さぁ、戦列を組め! 中央部から前進! 前へ進めぇ!」


 のろのろと意気消沈の様子で準備をする者たち。

 百人頭たちが怒声を上げて気合を入れる。

 完全に戦意を失い、もはや戦いに加わろうとしない者が数百人もいた。

 怒った百人頭と抵抗する男たちが罵声を浴びせあっている。

 シラーズはこれが自分の兵かと情けなくなり、猛烈に怒りが込み上げる。


 実際、多くの兵が目の前で凄まじい殺し合いを見ている内にすっかり怖気づいてしまっていた。

 金貸しのラカ・シェファが財力に飽かして集めただけの人間たち。

 すでに危険な気配を感じ取った勘のよい者は行軍中に脱走していた。

 その数、約二百人にも及ぶ。

 逃亡者は見つけ次第、処刑すると宣言していた。

 ラカ・シェファが顔を真っ赤にさせて叫ぶ。


「お前らっ! 戦えっ! 戦わんか! 褒美は用意してあるぞ!」


 傍の馬車には銀の壺や装飾品、金貨銀貨、珍獣の毛皮などが積まれていた。

 分かり易いやり方ではあった。

 やけっぱちで先頭に並ぶ千人ほどの兵士。

 その後ろに仕方ないという気配の者たちが並び、最後に不貞腐れて寝転がっているような者が五百人ぐらい残っている。


 シラーズ軍団にいる、やる気のない者は捨て駒として利用する作戦だった。

 勝ち戦に乗じて略奪することが目的の彼らを現地で解雇すれば悪質な山賊と化す。

 だから兵士を辞めさせればいいという問題ではなかった。

 ゴロツキを連れてきてしまったのなら、きちんと最後の始末までするのが指導者の役割となる。

 ガイアケロンは大声で誰にも聞こえるように呼び掛けた。


「シラーズ王子! この有様は何だ!」

「ガイアケロン兄上。私は不満です! この戦いの結果次第では指揮下を離れさせていただきますぞ!」

「……我が軍団に加えてやったというのに采配が気に入らないと申すか! この不心得者が!」


 ガイアケロンの良く透る声が戦場に響き渡る。

 電撃のような大喝だった。

 演技と分かっていたシラーズでさえも背筋が冷たくなっていく。

 王道国の王子同士の関係が良くないと見せかける芝居のはずであった。

 敵を騙すにはまず味方から……という方法をそのまま実践したにすぎない。

 事前にシラーズ軍団の兵士たちにはガイアケロンと新参のシラーズとの仲が良くない、というようなことを吹き込んでもある。


 言い争いを続けようとするが、シラーズは言葉が出てこない。

 紛れもない殺気を放射しているガイアケロンに気が呑まれてしまった。

 これは兄の隠されたもう一面かと感じる。


「シラーズ王子。もはや口先の出番ではない! 攻撃せよ!」


 ガイアケロンの隣にいるハーディアも信じられないほど冷たい顔をしていた。

 数え切れないほどの人間を殺してここまで歩んできた人間の気迫だった。

 戦場の緊張感も加わって、シラーズは首を締められるような気分になる。


「ぐわああぁぁぁ!」


 ふいに叫び声。

 座り込んでいる兵士を槍で串刺しをしたのは軍目付けヒエラルク・ヘイカトン。

 雪のように白く仕上げた特異な鎧を身につけていた。

 男を串刺しにして槍玉に上げ、放り棄てる。


 青筋が何本も浮いた額、褐色の瞳は興奮で濡れたように光っている。

 それが合図となって、ヒエラルクの連れてきた直参の従卒約百人と督戦隊二百人が槍や刀で戦列に加わらない者を攻撃し始めた。

 たちまち数十人ほどが殺され、あるいは殴られるなどしている。

 悲鳴があちこちで上がる。

 あくまで逃げて戦列に参加しない者をガイアケロンの兵士たちが罵り、石を投げつけて追い返す。

 彼らにしてもやる気のない者が傍にいて苛立っていたのだった。


「てめぇら男だろ! 戦え~!」

「逃げるな! 敵に向かって進め!」


 シラーズ軍団が進めるのは逆茂木が破壊された中央正面のみだった。

 歪な戦列を組み、重装歩兵が進む。

 シラーズ王子は馬に乗り、剣を手にして最後尾から配下たちを追い立てる。

 督戦隊が槍を持ち、穂先を味方の背中に突き付けていた。


 曲がりなりにも軍団が前進していく。

 シラーズは気を取り直し、冷酷に微笑した。

 一戦一戦が己の命運を賭けた戦いだ。

 初陣から負け戦となれば支持者など、今後は全く増えないだろう。

 父王イズファヤートからは取るに足りない小者として捨て置かれるに違いない。

 王族として広大な領地を手にし、数万の軍勢を支配する以外の人生に意義などありはしないと思い定めていた。

 叶わないのなら死ぬのみだ。


「さぁ。シラーズ軍団、敵にかかれ! 後退する者は手討ちにいたすぞ!」


 シラーズは檄を飛ばす。

 皇帝親衛軍の予備部隊が進出してきた。

 横三十列、奥行き十列の隊が三部隊並んでいた。

 約二千人規模の重装歩兵である。

 コンラート軍団、取って置きの精鋭であると思われた。


 背中から刀槍で追い立てられたシラーズ軍団が皇帝親衛軍と激しくぶつかる。

 後退すれば殺されるシラーズの兵士は必死に戦う。

 猛獣のような叫び声。断末魔の悲鳴。

 押し合いと槍の突き合い。


 始めは互角かと見えたが……徐々に形勢はシラーズ軍団の不利に傾いていく。

 相手は選抜され訓練を積んだ皇帝親衛軍である。

 士気でも練度でも大きな差があった。

 鋭い長槍で体を刺され、盾による押し合いに負けて数十人の兵士が仰向けに倒れる。

 そこを槍で突かれ、地に伏しているところをさらに無数の兵士によって踏み殺されていく。


 シラーズ軍団の前列が見る見るうちに崩壊していく。

 数百人が殺されていった。

 生臭い血が濃厚に原野に漂う。

 ヒエラルクは満足げに独り言を口にする。


「くふふふ……極まってきたのう。獅子斬りをかせ」


 状況に応じて武装を変えるので、従者に武器を持たせて随伴させている。

 ヒエラルクの槍を素早く受け取った従者。

 別の従者が急いで大刀の柄を差し出す。

 抜き放つと陽光に刀身が眩いほど輝く。

 獅子斬りと呼ばれる、刀としては最大級の大振り業物だった。


 ヒエラルクが扱えば鎧兜で防御をした兵士といえども頭頂から股下まで真っ二つに斬り下げることができる。

 次々に殺されて行く前列の様子を見て恐慌寸前の兵士たちが、どこかに逃げ場所がないか浮足立つ。


「さてさて! これほどの戦場に恵まれたというのに楽しめもできない哀れな者どもよ。活を入れてやらねばな」


 ヒエラルクは歩もうとしない兵士の胴を横薙ぎにする。

 本当に上半身と下半身が分断されてしまった。

 自らの下半身が臓物をぶちまけている光景を目にした当人が悲鳴を上げた。

 次の瞬間、絶命している。

 軍目付けの従卒たちもそれに倣い戦意の乏しいものをさらに斬殺する。

 ヒエラルクは首を捻りながら、呟く。


「ボッ! ボッ! ……う~ん。ちょっと違うな。工夫が足りぬ」


 獅子斬りを振りながら、シュバッとかシュボッと繰り返す。

 傍にいる弟子たちがそれを見る。


「本当に斬撃が決まったというとき、ヒュボッと斬れるものだ。人間の体だけではないぞ。鎧兜と言えども、スボッと斬れるのだ。こればかりは中々説明できないものよぉ。お主らも斬って憶えい」


 従卒たちから威勢のいい返事がある。

 逃げられないと諦めた兵士たちが皇帝親衛軍へと死に物狂いで突撃していく。

 しかし、相手は皇帝国最精鋭の部隊だ。

 数千人は既に致命傷か虫の息で倒れ、その死体を踏み越えて親衛軍が進んでくる。


 ガイアケロンは戦場を見渡す。

 捨て駒の部隊は、あとほんの数刻で消滅する。

 相手が凄い。まるで草でも刈るようにシラーズ軍団の兵士を薙ぎ倒していく。

 さすが精鋭、皇帝親衛軍の予備部隊である。

 おそらく「忠誠隊」と呼ばれる歴戦のつわものが集められた集団ではないかと想像した。

 統率、個々の戦闘能力、どれも高い。

 面魂も大したもので、ふてぶてしく、落ち着いていて、それでいて惨忍でもあった。

 良い戦士たちだ。

 ガイアケロンは馬上から号令した。


「督戦隊は横に逃れよ! 次いで不死身隊。前進!」


 不死身隊と名付けられた重装歩兵二千人はガイアケロン軍団にあって、最も戦歴豊富にして戦闘意欲の高い部隊だった。

 彼らはガイアケロンとハーディアに命を捧げる覚悟を持ち、同じ隊員たちとも固い団結心を持っている。


 急速に接近した彼我の最精鋭がぶつかり合った。

 シラーズ軍団の兵士たちは、融けた氷のように姿を消した。


 血飛沫、暴力と暴力のぶつかり合い。

 数百人の獰猛な男どもが槍で突き合い、盾で押し合う。

 少数居る魔術師は下手に手出しできない。

 両軍互いに強力な魔法使いに対する警戒と憎悪は激しく、もし術を行使してきたら弩や強弓などで徹底的に反撃する心積もりだった。


 そして、さらに時間は経過していく。

 冬の太陽は傾いていった。

 山岳地域のことである。

 そう遠からず原野は日陰となる頃合いだった。


 ピラトは状況が呑み込めなかった。

 迂回部隊は動きが見る見るうちに緩慢になり、敵の重装歩兵と戦闘をしていたかと思えば、いまや後退して傍観している。

 命令である迂回行動を放棄してしまっていた。

 後方を突くはずの部隊から伝令が飛び込んできた。


 ガイアケロン軍団の別働隊に攻撃は阻止され、矢は尽き、もはや前進することはできない。撤退の許可をくれという。

 そして、最も重要な、ここぞという戦機に繰り出した精鋭の重装歩兵は数千人もの敵兵を殺したが、新手の部隊を突破できずにいる。


「これはいったい、どうなっているのだ……」

「軍団を後退させてください。マクマル・ピラト執軍官」


 呟きに答えたのは、うっかりすれば下級役人にすら見えてしまう貧相な風体をした頭でっかちの中年。

 ノルト・ミュラー子爵だった。


「……、な、なにをバカな」

「迂回部隊を撤退させなければ彼らは全滅してしまいます。そうとなれば貴方は指揮権剥奪のうえ厳しく罰せられましょうぞ」

「な、なぜ全滅などするのか。圧倒的に兵力で勝っているのだぞ! 現に忠誠隊は敵の軍勢を数千人と殺しておるではないか!」

「ガイアケロン軍団は逆茂木を利用しているので正面兵力を減らすことができます。余剰した戦力を迂回部隊の迎撃に当てたのです。しかも、我が方の兵員は休みなく移動したうえに冷たい河を渡って戦った結果、疲労の極み。迂回部隊は実力を出し切れなかったでしょう」

「……」

「時間を浪費すると被害が拡大します。早く撤退を。今なら立て直しが出来る程度の損害で済みます。このミュラーも共に責任を負いますゆえ……さぁ」


 ピラトは唇を噛む。

 握った拳が震えていた。

 勝てなかった……ということが呑み込めない。

 コンラート皇子にあれほど強気で申し出てしまった。

 後には引けない。

 勝てるはずだった。

 なぜ、負けるのだろうか。

 いや、まだ負けたわけではない。

 公爵連合の軍勢は、僅かな損害しか発生していないはずだ。

 ここで右翼側からも迂回攻撃を仕掛ければ、戦況は変わる。

 そうだ。そのはずだ……。


「エリアス・ドラージュ騎士団長殿に伝令。公爵連合の軽装歩兵を右翼側面から進出してほしいと伝えろ」


 ノルト・ミュラーは焦り迷っているピラトを哀れに思う。

 この状況で公爵勢が兵を送るはずがない。

 彼らは勝てないことを素早く察知しているだろう。

 むだに兵を失う行動は絶対にとらない。


 伝令兵が馬に乗り、駆けていく。

 待っている間も悪い報せばかりが上がってくる。

 重装歩兵からは敵の抵抗が激しく、前進できないという報告が何度もやってきた。

 弓部隊からは矢の供給がなければ支援射撃ができないとの訴えが届く。

 そして、全ての部隊から疲労により兵員の限界が近づいていると急告が殺到していた。


 ピラトは顔面蒼白になり沈黙する。

 なぜこうなった……何かの間違いのはずだ……公爵家が迂回攻撃をすれば今度こそ敵は崩壊する……。

 そんな考えで頭が一杯になる。

 撤退を訴える使者を怒鳴って追い返す。


 ノルト・ミュラーは体を焼かれる思いで公爵家の返答を待つ。

 やはりピラトには最後の駄目押しが必要だった。

 彼は判断能力を失いつつある。もう、どんな報告もひたすら無視を続けていた。

 口の端に白い泡を吹いている。


 もう少ししたら前線の兵士たちは命令を無視して、後退してしまうかもしれない。

 それこそ真の危機だ。

 恐慌状態になったまま一切の指揮命令系統から逸脱して逃げる「潰走」の状態になってしまう。


 唯一の希望は皮肉なことにコンラート皇子を手酷く非難したリモン公爵の戦力である。

 リモン騎士団の防衛陣地があるので、おそらくガイアケロン軍団は追撃を仕掛けてはこないはずだ。


 ノルト・ミュラーの胃が痛みだす。

 薬を飲もうかと思ったとき、ドラージュ騎士団に送った伝令兵が戻ってきた。


「ピラト執軍官様。ご報告します。公爵勢に迂回攻撃の余力なし。皇帝親衛軍の正面突破がならない以上、これより対岸まで後退するとのこと」

「……なっ!」


 ピラトは絶句した。

 いともあっさり友軍から決別されてしまった。

 いよいよこれが現実なのかと信じられなくなっていき、すべてを疑い出す。

 今にも迂回攻撃が成功してガイアケロン軍団に大きな動きがあるのではと考えるが、何も起こらない。

 それどころか左手の林や岩場から軽装歩兵などが走って逃げてくるのが見えた。

 攻勢に出ていたはずの重装歩兵らが、むしろ逆茂木から進出してきた敵方の兵士たちに押されつつある。


「ピラト執軍官。撤退のラッパを鳴らしますぞ」


 ミュラーの呼びかけに相手は答えなかった。

 返事を待たずにラッパ手へ合図を鳴らすように命じた。


 音を聞いた軽装歩兵たちは我先にと河の方角へと走っていく。

 重装歩兵たちは最後の忍耐力を発揮して、背中を見せずに盾を構えたまま後ろ歩きで後退していった。

 ミュラーと副官のウルズファルはピラトの乗る馬の手綱を取り、無理矢理に後退させた。

 彼は放心状態だった。

 ミュラーは負傷者を見捨てずに助ける命令を四方八方、あらゆる部隊へと送る。




 ガイアケロンは追撃を控えるように厳命する。

 下手に攻撃をすれば、せっかく沈黙していてくれたリモン公爵の戦力を刺激することになる。

 あらゆる兵士が勝鬨を吼えていた。

 場を守り抜き、敵は攻撃を諦めて逃げていく。

 間違いなく勝利だと誰しもが喜んでいた。


 ガイアケロンとハーディアの前に、血塗れになったヒエラルクが戻ってくる。

 返り血を目立たせるために白塗りになった彼の鎧は、真っ赤になっていた。

 表情は清々しさすら感じさせる。

 ただ濃褐色の眼だけは興奮で濡れている。

 笑顔を浮かべた。


「ガイアケロン様、ハーディア様。これは勝利と言ってよいでしょう。素晴らしい戦いでした。皇帝国は一万人ほども死んだのでありませんか」

「我の見立てだと七千強といったところであろうか。数えたわけではないから確証はないが」

「お見事なる采配。このヒエラルク、改めて王子が英雄と呼ばれるわけを知りましたぞぉ!」


 ヒエラルクが、ハハハハと金属でも擦り合わせたように高笑いをする。


「軍目付け殿。手筈通り、こののち偽装後退となります」

「おお、そうでしたな。一撃加えて素早く退くとは、剣術にも通ずる妙技ですなぁ。奴ら、上手いこと乗りますか。此度以上に屍の山を築けるか楽しみですなぁ! まったくガイアケロン様は素晴らしき御方よ」


 血に酔ったヒエラルクを横目に、ハーディアは怪我人の手当てを急ぐように伝える。

 負傷者は馬車か担架によって日没後、速やかに街道からポルトへ護送する。

 今夜のうちに、大部分の部隊は後退させるのだ。


 邪魔なヒエラルクには食事と風呂の支度をさせたと口実をつけて本陣から送り出す。

 彼はハーディアの本心を知りもせず、好待遇の配慮であるとさらに上機嫌になってくれた。


 夕暮れの中、本陣には引っ切り無しに伝令兵が出入りを続けた。

 オーツェルが緻密で素早い対応を見せる。

 ひたすら報告を聞き、指令を繰り返している内に日没となっていく。

 篝火が焚かれた。


 そのとき、本陣を訪れたのはアベルとカチェ、それにスターシャだった。

 念のため人払いをさせたので書記官などは退席していった。

 オーツェルも若干不満そうに陣幕から出て行く。

 近いうちに彼へ事情を説明しなくてはとハーディアは考えた。


 アベルが群青色の瞳を向けて、迂回部隊を迎撃した様子を語る。

 彼の強襲偵察隊がスターシャの遊撃隊と一体になりつつ激しく戦っていたのは知っている。

 ガイアケロンが信頼の籠った笑顔でスターシャを労う。


「スターシャ。いつもながら突発的な事態によく対応した。遊撃隊を充分に動かしてみせたな」


 愛するガイアケロンから称賛されてスターシャは夢見る乙女の表情である。

 おめめハートマーク状態……。

 アベルは、こいつ可愛い顔もできるもんだと驚く。

 殺すだとか犯すだとか下品極まる傭兵話術の達者なアバズレには見えなかった。

 なんかちょっと萌えてしまう。


 次いでハーディアも満足げに声を掛けてくれる。


「アベル。後方の街道を占拠されていては兵士が動揺しかねませんでした。よく先手を打って敵を押し返してくれましたね」

「いや、あれは敵の動きについていっただけで、結果的に阻止できただけのことです。それよりも……僕は戦術の凄味を教えてもらいました。まさか守備の準備をしているとは思いませんでしたよ」

「逆茂木のことですか。あんなものは基本技術です。兵士は教えて鍛えれば様々なことをやってくれます。皇帝国の兵士にも同じことはできるでしょう。問題はいつどのように行うかの判断です」


 それよりも鍵となる人物と交渉して、コンラート軍団を誘導してみせたアベルの功績が大きいのだとハーディアは心で付け加える。

 かの軍団がさらに強大化し、リキメル王子を打ち破った後に戦うことになれば、それこそさらに困難な戦いになっていたかもしれない。

 今日こうして優位に合戦できたことは計り知れない利益であった。


「もう知らせてもよいことですが、我々はこれからコンラート軍団に偽装後退を仕掛けます」

「……それはどういう策ですか」

「私と兄が殿軍となって敵を引き付け、主要部隊は街道を戻って東に逃げます。山岳を越えた場所に罠を張ります」

「敵がお二人を追い駆けていくうちに罠にはまると……。でも最後尾で敵を引き付けるのは危険どころの話しではないでしょう」

「危なくない戦などあるものですか」


 ハーディアは柔和に笑ってみせた。


「殿には僕も加えてください」

「……随分とあっさり命を賭けますのね。我らとて貴方に死なれては困るのですよ」

「賭けるものと言えば、もともと命ぐらいしかないので」


 結局、生死の際で戦う他ないのだとアベルは感じる。

 イースの幻が姿を結び、何かが掴めそうな気がするのは死が臭う戦闘の渦中だけだった。


 アベルの返答を聞き、兄ではないが密使風情にしておくのが惜しいとハーディアは思う。

 活躍をしても所詮はテオ皇子の利益のために働いている者なのだと残念に感じる……。

 しかし、その時、ハーディアの脳裏に閃きがある。


 これほどの献身……本当にテオ皇子への忠誠心だけでやれることだろうか?

 アベルはそれほどまでにテオ皇子に入れ込んでいるのか。

 幸いスターシャ以外は人払いしてあるので探ってみる。


「アベル。私はテオ皇子の人柄を知らないのですが、どのような御方ですか? 聞かせてください」

「テオ様は……僕もじかに会話したのは二度あるだけです。背が高く肩幅もあり、見た目の印象としては重厚な方です。胆が太いと噂されていますけれど……」

「それだけですか?」


 アベルは照れたような顔をした。

 何しろほとんど話しをしたことがないので……そう説明してあとは黙ってしまった。

 ハーディアはおかしいと思った。

 とてもではないが尊敬する主人への気持ちなど全く感じられない。

 せめて、主はどうした考えを持っているとか特に讃えられるべき美徳はどうだとか、思想はどうしたものであるなどと力を入れて称賛するべきである。

 それなのに、アベルにはそうした素振りが無い……。


 アベルの異様なまでの激しさはテオ皇子への忠誠心が原動力ではないと見抜いた。

 ということは……何が動機なのだろうか。

 非常に気になる。

 放置しておくことはできない。


 アベルの望みを正しく理解して、それを叶えてやれば真の配下にすることができるかもしれない。

 ハーディアはどのような甘い誘惑を用意するか考えを巡らし始めた。

 これは敵の軍勢を撃破するよりも楽しい狩りになるかもしれない。

 どこか影のあるアベルの瞳の奥に、何が隠れているのだろうか……。









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