第114話  戦い、幻影、餓えた男

 




 アベルの心臓は抑えようもなく鼓動を速める。

 コンラート軍団数万人の兵どもが殺到してきた。

 壮絶な殺し合いの始まりである。

 緊張しないはずがない。

 これほどの大合戦は久しぶりだ。

 草原での戦いですら、敵味方合わせても一万人に満たない人数だった。


 アベルはガイアケロンの声を聞いた気がした。

 気のせいではなく、かなり距離があるのに号令の声が届いたのだ。

 弓と投石による攻撃が一斉に始まる。


 射程の長い強弓の矢が、渡河を終えたばかりの皇帝親衛軍の頭上に降り注ぐ。

 直線ではなくて、山なりに届くような射かたをしている。

 皇帝親衛軍は大きな長方形をした盾で矢を防いでいた。

 防御力に優れた大型の盾なので、矢は効果が薄いと思われた。


 それにしてもガイアケロンの巧みな用兵だとアベルは感心する。

 数日前から材木の伐採準備を進めておき、昨夜の内に壁のように並んだ戦列の後ろに設置。

 皇帝国の前進が始まったら一糸乱れぬ素早い行軍で通路から後退させて、その通行可能だった隙間は重装歩兵で防御を固めた。

 この鮮やかさは予め兵士たちに作戦を説明して、理解させていたものと思われる。

 逆茂木は簡易的なものだが、破壊するのには手間どることだろう。

 敵前で排除作業などしていれば格好の的である。


 アベルが鞍の上で立ち上がり、軍団の右翼後方から戦況を眺めていると、いよいよコンラート軍団の重装歩兵が迫ってきた。

 動きに統一性があって装備も優良。

 恐るべき相手だ。


 ついに逆茂木の設置されていない場所では長槍による突き合いが始まる。

 戦列同士が槍を突き合わせる直前、人の間に隠れていた魔法使いが主に火魔法を行使する。

 炎弾かそれに類する魔術だった。

 察知して防御魔法として「水壁」を出しているため、双方、大した被害は出ていない。

 運悪く盾に命中して傷を負った兵士が後ろに運ばれて行き、すぐに戦列は元に戻る。


 コンラート軍団は逆茂木を破壊しようにも斧や大槌を所持している兵士は皆無だったため、どうすることもできないでいた。

 手で押したところで抜けるほどヤワには作っていない。

 魔法で破壊したとしても、数人が抜けられる隙間を作るのがやっとの様相だった。

 アベルが見ていても積極的な魔法攻撃はないので、警戒して温存しているのかもしれない。


 コンラート軍団は膨大な重装歩兵を活用できなくなっていた。

 相手の長所を潰す作戦は当たりつつある。

 これなら寡兵のガイアケロン軍団でも引き分けぐらいには持ち込める……という見立ても出来るが、やはり数的格差は大きい。

 どこかで防御が破られると寡兵の軍団は、たちまち危機となる。


 もし形勢不利のまま乱戦に巻き込まれたら自分も死ぬかもしれないとアベルは、ついそんな想像した。

 コンラート軍団の渡河は続けられた。

 後続が延々と視界を埋め尽くしている。

 四万人いるのか五万人いるのか、良く分からなかった。 


 アベルの見たところ皇帝国の重装歩兵百人隊は横十列、奥行十人の隊形を作っていた。

 これは最も基本的な戦列のありかたで、奥行きが十人と厚いため突破力にも優れている。

 まさに重装歩兵の特性を最高に発揮できる隊列だった。


 奥行を減らして横に広く取れば攻撃範囲は大きくなるが、その分、戦列は薄く脆くなってしまう。

 かといって、逆にあまりにも陣形の厚みを増やしたら後列が全く攻撃に参加できずに遊ばせてしまうことになりかねない。

 だから戦列の厚みは五列から十列程度が適当であると習った覚えがある。


 時間が経つ。

 アベルたち後方部隊は、じっと待つほかない。

 今のところコンラート軍団は想定していなかった逆茂木で大軍の利点を生かせないまま、戦況は膠着状態になっていく。

 最前線の兵士は両軍ともに長い槍と盾を装備した重装歩兵。

 逆茂木の無いところでは槍で攻撃するだけではなく、もはや盾で押し合いをしている状況だった。

 猛獣のような唸り声や叫び声を上げて、殴り合いにも発展している。

 まさに暴力の宴だ。


 重装歩兵戦列の後ろに控えている弓箭部隊が、互いに矢を射あっていた。

 ガイアケロン軍団の騎兵は草原氏族出身の者で構成されている。

 彼らは槍の他にも弓を武器として所持していた。

 約三千もの騎兵は一端、馬を下りて前方に進出。

 本職の弓部隊に混じって相手に向かって盛んに矢を放っていた。

 荷駄部隊の雑役夫たちは矢が尽きないように配り歩いている。

 実に巧みな支援体制だった。

 

 敵の旗を見ると、中央と左翼は皇帝親衛軍で右翼は公爵連合の軍勢であるのが知れた。

 ガイアケロン軍団は一歩も退かずに持久戦の構えだ。

 消耗した最前列が後列と交代することはあっても、突破を許した箇所はどこにもない。


 盾が矢でハリネズミのようになった者が大勢いた。

 数万人の人間が争うというのは、やはり極めて異常な状態だった。

 何が起こるのか全く分からない。

 気を揉むアベルは喉が渇いたので水を飲む。

 ところが隣のカチェは平然と数万人の争いを眺めていた。


「カチェ様。怖くない?」

「見ているだけですからね。別にどうともないわ」

「……カチェ様なら一万人でも指揮できそう」

「そうねぇ。百人頭と千人長を掌握できるかどうかが重要でしょうね。よほどの下手を打たなければ、優秀な将兵を敵より多く用意してぶつければ勝てるのではなくて。まず重要なのは軍団を維持する兵站よ」

「あの逆茂木。よく用意したね。事前に計画していたに違いない」

「奇策というほどのものではないわ。木柵を作ることぐらい教えれば兵士たちはやれますから」

「敵に隠して作り、ぎりぎりで内側に隊列後退をさせたのは凄いけれど」

「普段の訓練がものをいうのよ。突然、やらせようとしても訓練が行き届いていないと無理でしょう。だからこれは作戦というよりも兵士の能力を鍛えてあるかどうかです。基礎能力があって初めて策が生きるということです」

「ご明察……」


――やっぱりカチェは人の上に立つ人間だな。

  まさに生まれついての貴族だ。

  これはカチェ大将軍も夢ではないぞ……。





 ~~~~~





 ピラトの元に軽装歩兵の百人隊長から訴えが殺到してきた。

 冷たい河で半身を濡らした兵士たちが後方で戦いに加われないまま待ち惚けを食らわされていると激しい不満を伝えてきたのだ。

 昨日に続き、今日までも冷たい思いをして兵士たちは怒り狂っているという。


 ピラトは幕僚や伝令兵を伴って騎乗のまま渡河。

 さらに最前線で状況を見ていたが、判断に迷う。

 最初の計画では自軍の重装歩兵によってガイアケロン軍団の戦列を崩した後、軽装歩兵を左翼から迂回させるつもりだった。

 しかし、逆茂木のせいで守りは崩れず、迂回するにしても計画より遠くまで移動させなくてはならない。


 まずは正面の攻勢を成功させなくてはならないが、殺気立った兵士たちの要求に抗しきれなくなる。

 だいぶ当初の計画とは異なるが、ここで左翼から迂回攻撃をさせる決断をした。

 つまり相手にとっては右翼の側面を狙うわけである。


 ガイアケロン軍団の戦列と逆茂木を避けて、さらに横手に進むと岩場や林があるので大きな集団を作ったまま前進はできそうにもない。

 散兵となってしまうが、それでも大軍で圧し潰せばいいと楽観視した。だいたい軽装歩兵は戦列戦法を重視する兵科ではない。弓や投石で相手に被害を与えたうえで接近戦に持ち込めばよい。

 数で優っているのだから勝てるに決まっているとしか思えない。


「伝令兵。軽装歩兵の千人将らへ左翼から迂回して攻撃を命じる。攻撃地点は任せるが、バロウ千人将の槍兵隊は後方の街道を奪取せよ。次いでベイルケ千人将の重装歩兵後列二千人も迂回攻撃に加われ」


 ピラトは全く攻撃に加われないでいる重装歩兵と軽装歩兵へ迂回攻撃を発した。

 なにしろ膨大な人数である。

 伝令兵が到達した部隊から順に左側へと移動していった。

 戦列は姿を失い、ただ群れを成した兵士たちが兵科も混ざったまま岩場や林へと歩いて行った。


 アベルはコンラート軍団が迂回攻撃を狙ってきたのを察する。

 相手の動きは丸見えなので、気づかないわけがない。

 その迂回部隊も総数で言えば凄い数だ。

 はっきりとは分からないが一万人に達するかもしれない。もっと大勢にも見える……。

 しかし、コンラート軍団は最大の強みである大兵力を生かし切れていない感じがする。

 逆茂木と徹底した防衛戦術で進撃は完全に停止しているからだ。


 ガイアケロン本陣から馬廻りが通達にやってくる。

 スターシャの遊撃隊、シュアットの強襲偵察隊、アグリウスの軽装歩兵隊、ボルホト指揮下の重装歩兵隊は敵の迂回部隊を迎撃せよ、というものだった。

 アベルは馬に乗り、槍を小脇に抱える。

 いよいよ出番だ。


 指令を受けた部隊が右翼後方から離れて、主戦場の横手に展開していく。

 コンラート軍団は逆の左翼側からは迂回部隊を進ませて来ない。

 しかし、ガイアケロン軍団は全体としてはUの字に近い形へと変形していく。

 この陣形変化によって迂回部隊へ対抗するつもりだ。


 スターシャが指揮をする遊撃隊の五百人は騎乗している者が半数ほどで、残りは徒歩で随伴していた。

 武器は多様で、大弓を所持している者や物騒な形状をした鉾を携帯している者までいた。


 アベルはスターシャに馬を寄せる。向こうもアベルに気が付いた。

 彼女は軽装甲ではなくて、かなり厳重に鈍色をした板金胸甲や草摺りで防備している。

 冑は鏡のように磨かれた白鋼で、鶏冠のように鮮やかな青い飾毛が伸ばされていた。

 赤毛の髪が冑の間から流れていて妙に美しい。


「どうした、アベル」

「どうやって戦ったらいいかな」

「ボルホトもアグリウスも優秀な将だ。配下の百人頭も強者揃いだから任せればいい。どうせ敵は戦列なんか組めないまま適当に迂回してくるだろう。あたいらは中でも最も回り込んで背後を狙ってくる部隊に対応しよう。間違ってもガイ様やハーディア様のいる本陣には近づけさせないよ」


 最高指揮官である王族兄妹は陣形の中央、すぐ後方にいた。

 全方向を親衛隊で防衛しつつ、伝令騎兵の送受をさかんに繰り返していた。

 本陣は戦列から離れた標高の高いところに設置して、俯瞰しながら指揮をするという方式がむしろ主流なのだが今日、ガイアケロンはそうしたことをしていない。

 より味方に近いところから大声で叱咤激励していた。


 敬愛する英雄が背中から指示を飛ばしていれば、さぞかし前線兵士は勇気づけられることだろう。

 人の心を掴むのが上手だった。

 逆に言えば名将の必須条件とも言えるとアベルは感じる。


 実質、アベルが指揮官の強襲偵察隊とスターシャの遊撃隊は、ほとんど一体となりつつ側面から後方へと展開していく。

 進めば進むほど足場はさらに悪く、雑草が生え、大きな石までもが転がり、起伏が激しい。

 林が間近に迫ってきた。

 これより進むと長い槍を持つ重装歩兵や騎馬では行動できなくなってしまう。


 敵はなかなか来ない。

 きっと道なき道に苦労しているためだ。

 逆茂木のすぐ横手に敵の迂回した部隊が攻撃を始めたのが遠目に見えた。

 しかし、ボルホトという将が指揮している重装歩兵たちが素早く新たな陣形を作りだすことに成功していた。

 敵の攻撃を受け止めている。

 さらに時間は経過していく。

 昼前から始まった戦闘だったが、もはや正午をずいぶんと過ぎている。


 アベルが苛つきを感じ出した頃、やっとアベルたちの正面に敵が姿を現す。

 コンラート軍団の軽装歩兵が林や枯れた藪の間から姿を現してきた。

 武器は槍だが長槍よりは短い種類を持っていた。

 盾も円形をした小型のものを左腕に結束している。

 一応、冑を頭に被り、金属の小札で作られた鎧も装着している。


 アベルは相手の装備を観察して迂回部隊の性質や狙いを考える。

 ガイアケロン軍団の後方に回り込んで攻撃するのを企図しているはずで、それを許すと大きな危機に陥る。

 逆茂木と重装歩兵で攻撃を受け止めようという戦術が無効化されてしまうわけだ。

 だから、早期にコンラート軍団の後方攻撃は頓挫させないとならない。

 初っ端から全力で攻撃して相手の意気をぶち壊しにするのが最良であろう。


 アベルは体内の魔力を加速させる。

 昨日、治療魔術を使いまくったわりには少しも疲労していない。

 むしろ、ますます魔力は充溢してきていた。

 有らん限り攻撃魔法を連発していこうと決める。


 アベルの頭上に熱の塊が発現する。

 赤熱した鉄の塊を思わせる紡錘形をとり、次の瞬間、敵へ射出されていく。

 槍を持った軽装歩兵の群れの足元に命中すると、炎弾の数倍の爆発を起こし、爆風と共に破片が飛び散る。


 腹に響く衝撃波。

 千切れた内臓や手足が飛び散っていく。

 爆閃飛の強力な爆発は、簡易な鎧などズタズタに引き裂いてしまう。

 体に仲間の大腸を絡みつかせた親衛軍の歩兵が恐怖で悲鳴を上げる。

 シュアットたちが驚く。


「アベル! そんな魔法が使えたのか!」


 射程の長い強力な魔法を使う者は、本職の魔術師にも少ないので吃驚したらしい。


「いつまでも通用すると思わない方がいいぞ。水壁でも威力はほとんど減殺されてしまうからな」


 アベルの予測通り、爆閃飛を敵の集団に連続して使っていると状況を察知した魔術師が防御魔法を使ってきた。

 水魔法「水壁」を強化したような、範囲も広い水の壁ができる。

 無駄撃ちはしたくないので爆閃飛の攻撃はやめた。

 それでも二十人ばかりを即死させて出鼻を挫いた気配はある。


 こちらが魔法を使えば敵も使って来る。

 炎弾に似た魔法を行使してきた。

 少々離れた岩に炎の塊がぶつかって破片が飛び散る。

 アベルの胸甲にも小さい欠片が命中して金属音を立てた。

 配下たちに向かってアベルは叫ぶ。


「敵を前に進ませるな! 矢を積極的に使え!」


 草原氏族の戦士たちは馬上から弓を射るのを得意としている

 彼らはアベルの指示通りに馬で駆け抜けると同時に弓矢を放っていく。

 この騎射戦法だとちょっとした魔法使いなど問題にならないほど威力を発揮する。

 敵は有効な反撃を繰り出せないでいた。

 百騎程度の攻撃でも、充分な障害だった。


 敵の軽装歩兵に弓を装備した者も混ざってくる。

 しばらく射合いとなったが、やがて持ち矢が互いに減ってくる。

 遠距離攻撃の優位性が失われる瞬間だ。

 矢が尽きてしまえば弓箭兵は護身用に持っている刀剣で戦う他に手はない。

 しかし、盾を装備していない弓兵など、本職の剣士兵や重装歩兵には容易い相手となる。


 アベルとシュアットが配下を率いて奮闘していると、コンラート軍団の迂回部隊の数がいよいよ増えてきた。

 最も大きく迂回してきた軍勢は二千人か三千人ほどだろうか。

 主に槍を装備した軽槍兵と呼ぶべき兵科のように見える。

 しかし、統率はまるでなっていない。

 適当に数人から数十人の集団となりながら緩慢に移動していく。

 アベルが次の手を考えているとガイアケロン本陣から伝令騎兵が飛び込んで来た。


「援軍に重装歩兵千人を送る。強襲偵察隊および遊撃隊、アグリウス指揮下軽装歩兵はそれまで防御および遅滞行動をせよ」


 アベルとスターシャは指令に従い、ゆっくりと後退する。

 だが、後退の様子見せたアベルたちへ、ここぞとばかりに相手は数を頼んで大部隊で攻撃を仕掛けてきた。


 コンラート軍団の迂回部隊に、さらに重装歩兵が混ざり出す。

 大規模な戦列は形成できない地形なので、それぞれが十人程度に纏まって大盾を構えつつ接近してきた。

 味方の重装歩兵はまだ来ない。

 形勢不利だが敵に主導権を渡してはならない。

 気合を入れてアベルは味方へ叫ぶ。


「ここが勝負の分かれ目だぞ! 増援が来るまで敵の突入部隊を絶対に通すな!」


 仲間たちから雄々しい返事がある。

 敵迂回部隊の一部は後方の街道を目指していたのでアベルは槍を手に騎馬突撃を命じた。

 馬の横腹を蹴り、いち早く駆け出す。

 カチェやシュアットたちがそれに続いた。

 百頭もの馬群はそれだけで威圧感がある。

 親衛軍の兵士たちが驚いて腰が引けたのが見えた。

 アベルは裂帛の声を上げて馬を急かす。


「でやあああぁぁぁ!」


 軽装歩兵の脇を過ぎざま槍を繰り出せば、穂先は喉へと突き刺さる。

 死体を地面に投げ捨てた。

 強襲偵察隊の配下たちも荒々しく攻撃を繰り返して敵の先鋒を粉砕した。

 街道を奪取しようとした敵の気勢を制した感がある。


 少し離れたところではスターシャの遊撃隊らが馬を降りて、地形の険しい場所でも敵と戦っていた。

 相手は迂回が妨げられ進めないことで動揺を見せている気配があった。

 しかし、数はさらに増えてくる。

 ここで突撃するか、待って敵を誘い込むか迷うところだが、尽かさずカチェが助言くれる。


「アベル! ここは私たちもスターシャみたいに徒歩で突撃しよう。待っていたら形勢を引っ繰り返されてしまうかも!」

「よしっ。シュアット。俺たちも下馬して遊撃隊の加勢に入るぞ!」

「望むところだ。暴れてやるぜ」


 剽悍な騎馬戦士たちは下馬していても獰猛な戦士である。

 いずれも顔に凶悪なまでの殺気を湛えてアベルの戦意に答えてくれた。

 アベル、カチェ、ワルトは混戦の中に突入する。


 敵の群れの中に指揮官らしき者がいるのをアベルは見逃さない。

 迷わず手に持つ槍を渾身の力で投擲した。

 ブルンブルンと柄を震わせて槍は飛翔し、飾り羽の付いた冑に命中する。

 激しい金属音が響き、相手は倒れた。

 脳震盪を起こしたのか動かなくなる。


 吐く息が荒くなってくる。

 怒りが込み上げてきた。

 心は平静とかけ離れていく。

 真の達人は状況によらず穏やかであるが、自分はそんな心境にはなれない。

 狂気に近い攻撃衝動。

 憎悪の奥にチラつく父親の姿。

 あの小男……殺しても殺したりない糞男。

 何度でも殺してやる!


 アベルは白雪と無骨を抜き、敵中に突撃する。

 前方をワルトが一歩早く駆けている。

 ワルトは勢いそのまま跳躍して重装歩兵の盾に蹴りを食らわせる。

 あまりの激しい打撃で相手は仰向けに転倒。

 ワルトは斧を振り回して暴れまくる。

 敵の腕が千切れるように飛び、冑ごと頭蓋骨を叩き割った。

 敵兵たちはワルトの激しい動きに注目せざるを得ない。


 アベルはその隙を逃さず近寄り、不用意に出ていた槍の柄を切断して盾に体当たりをした。

 盾を構えて防御を固めている相手はじっくり攻めるのを旨としているから、態勢を整える暇を与えない猛攻を続ける。

 盾の防御が無くなった部分、鎧があるものの無視して力を込め、胸元めがけて突きを入れた。

 無骨の切っ先が鉄の小札を貫通して、ずるりと滑らかに入り込む。

 心臓に達した感触があった。


 傷口から勢いよく血飛沫が噴き出た。

 原野が流血で赤黒く染まっていく。

 戦士たちが狂ったように取っ組み合いをしている。

 時間の感覚が吹っ飛んでいく。


 隣にいるカチェが炎弾を行使。

 水壁で防がれてしまった。

 十数人の敵集団の中に魔法を使える者が何人か混ざっていることを確認した。

 肉弾戦あるのみだ。

 アベルとカチェが雄叫びを上げながら敵に突っ込む。


 視界が赤く染まる。

 感覚は際限なく研ぎ澄まされて行くと同時に、ある朧げな幻に囚われていく。

 イースの姿。

 

 凶暴な顔をした敵兵の群れに突っ込み、縦横無尽に刀を振るい、あらゆる相手の肉体を引き裂いた末にやっと、イースの姿は凝縮していく。

 水面に映った影のような存在にアベルは語りかける。


――少しだけ傍に近づけた気がするよ。


 無骨で重装歩兵の盾ごと腕を斬り裂き、白雪の打突が敵兵の目を貫く。

 兵士による槍など、ごく単調なもので簡単に見極めがついた。

 ロペスの剛力かつ技巧のある槍とは比べ物にならない。


 猛獣のように大口を開けて狂ったように襲い掛かってくる敵と切り結び、いちいち数えていられないほど殺した後……。

 戦場には首筋や頭蓋を斬り割られた無残な死体が連なり、自分自身の手や腕も血塗れの有様になる。

 迂回を仕掛けてきた敵は背中を見せて逃走していた。


 精緻な輪郭を描いていたイースの顔貌や肢体は薄らいでいく。

 完全に消え去る寸前、最後の残像は一糸まとわぬ裸体。

 アベルは血に汚れた手を伸ばしてみる。

 象牙よりも白く滑らかな肌、膨らみかけた少女の乳房の柔さ、無毛無垢なる肉の割れ目が……。


 瞬きをしたら、もうイースの影は消え失せていた。

 本当に幻だったのか、あるいは現実だったのではないかと考えてみるが、やはりそこには影も形もなかった。




 やがて後方からガイアケロン軍団の重装歩兵が移動してきた。

 彼らは元々、正面戦力であったものだが、敵の迂回に併せて引き抜かれてきた戦力である。

 彼らと防衛を交代してもらう。

 敵の迂回攻撃は、もう明らかに停滞していた。

 どうも動きが鈍い感じがする。

 戦っていたのは一瞬のような気がしたが、アベルが太陽を見ると早くも正午はかなり過ぎている頃合いだった。


 短い休憩で水や酒を飲む。

 返り血で汚れた仲間が大勢いた。

 激しく扱ったせいでグニャグニャに曲がった刀を、それでも仕方なしに持っている者もいる。

 スターシャの姿が見えたので駆け寄ると、向こうから声を掛けてきた。

 彼女自身も最前線で戦っているから数人は斬り殺したような気配があった。

 鏡のように磨かれた冑に血が付いている。


「アベル! お前はやっぱり強いぜ。見ていたけれど白兵戦で二十人以上は殺しただろう。その前は魔法で敵の先手を圧倒していたし、今日一日でいくつ首を獲るつもりだよ」

「そうだったか。よく憶えていない……。コンラート軍団の奴ら、思ったよりも粘りが無いような気がしないか」

「相手も疲れてきているだろうさ。なぁ、アベル。野戦というものは多くの場合、長くても半日程度で勝つか負けるか引き分けか、いずれにしても決着がつく。何でか分かるか」

「やっぱり疲労かな」

「それも大きな原因だ。あとは空腹だぜ。朝から夕方まで飲まず食わずで戦えるわけないだろ。勝ち戦の場合は略奪に忙しくて戦いを止めてしまうこともあるけれどよ」

「じゃあ、今日はこれでお終いかな?」

「いや、相手はすげぇ大軍だからな。あともう一波ある気がする。仕掛けて来るなら中央突破だろうな」

「迂回攻撃が上手く行かないから、やっぱり正攻法で決着をつけると……」

「そうさ。相手の総大将はコンラートって皇子だっけ。誰でもいいんだけれどよ。誰が考えたって、もうそれしか手はねぇだろう。男が女を犯そうと襲い掛かった時と同じさ。犯せると思って掴みかかってんだ。簡単には離さないさ」

「下品な例え」


 アベルは思わず口を歪めて笑ってしまう。

 カチェは恥ずかしそうに顔を赤くさせていた。


「もし中央が破られたら予備にしてある騎兵と、あたいらみたいな後方部隊が最後の切り札になるからな。そのつもりでいろよ。いちいち命令なんかなくても即座に動け」


 アベルは納得して頷いた。

 歴戦の闘士であるスターシャの読みは理に適っているように思えた。

 混沌と殺戮に満ちた合戦に決着が訪れようとしている。





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