第67話 続く旅
宴には様々な人物がやって来た。
連盟に参加せず日和見を決めていた氏族なども次々と訪問してくる。
彼らは連盟を賞賛し祝うものの、自分たちがディド・ズマ側に付かなかったのが勝利の決定的な要因だなどと述べてくる。
そうして正当な権利として奴隷や略奪品を分けるように要求してきた。
この図々しく、
アベルがそうした大人の対応に感心して後でウルラウへ聞くと答えがある。
「あんなの、よく怒らないなぁ。様子見していて事態が決まったら利益だけ欲しがるなんて狡いにもほどがある」
「草原氏族は決して裕福ではない。特に奴隷や金品は貴重だ。たとえ僅かでも手に入れられる機会は逃せないから何とでも言ってくる」
「いちいち怒るほどのことでもないと」
ウルラウは余裕の笑みを浮かべて頷いた。
「そういうことだ。それに侮辱して追い返すと恨まれて、後で何をされるか分からない。だから、少しは渡す。ただ、草原のかなり遠くからも噂を聞きつけて知らない氏族が来ている。上手く話し合いが纏まるか……もしかすると難しいことになるかもしれない」
「ひとつ注意しておくことがあります。ディド・ズマという傭兵たちの統領は王道国に協力している。今回のことでウルラウさんは確実にズマの怒りを買っているだろうし、もしかすると王道国から敵対視されるかも」
「それは予想している。だが、向こうから仕掛けられた戦いだ。私は卑屈な態度など絶対にしないぞ。もし、再び攻撃をしてくるなら同じように滅ぼしてやるまでだ。戦い方はアベルやロペス殿に教えて貰ったからな」
そう言ってウルラウは不敵に笑うのであった。
誇り高い人間の自信や覇気が漲っている。
心配などかえって無礼に値するというものだ。
その後もアベルは投降してきた敵や訪ねてきた商人などとも話をして、かなり情報を集めた。
皇帝国と王道国との戦争は、さらに激しさを増しているのは間違いなかった。
王道国の王族たちはそれぞれ強力な軍団を編成、さらに皇帝国へ攻勢を仕掛けているらしい。
その攻撃は皇帝国本土だけでなく、周辺の属州にも及んでいるという。
また、勝った側の王道国にも問題がないわけではない。
過酷な税制、遠征によって発生している巨大な労役。作物の不作などが重なり、民衆や貴族は重い負担に苦しんでいると噂されていた。
王道国には属国的に従えている藩国と呼ばれる周辺勢力がいくつかあるが、そこも似たような状況らしい。
北方草原と隣接した地理関係にあるマカダン藩国、プシャータ藩国などは大変な圧政で民心は乱れ、治安も覚束ないと商人は口にする。
また亜人界も小さな紛争は数え切れないほど起こっていて、特にウルグスク地方と呼ばれる地域は新興宗教の勢力と諸部族が激しく争っていた。
世界中、あらゆる地域で戦争や騒乱が頻発している……。
「ウルラウさん。僕たち、もう数日以内には支度を終えて旅に出ます。世話になりました。冬越しさせて貰った上に多額の報酬まで手に入った」
「何を言う。世話になったのはこちらだ。私は今となっては理解している。アベルやロペス殿がいなければ勝利できなかっただろう。
ところで……ちょっと気になることがあるから、やはり私たちが草原と亜人領との境まで見送ることにしたよ。道案内もしてやろう」
「それは助かるなぁ。でも気になる事というのは」
「もちろんアベルたちに決まっている。多くの金貨を持った上に美しい女までいる旅隊が移動するのだ。それを知って悪さを思いつく者がいたらどうする」
どうやらウルラウは襲撃を恐れているようだ。
「そういう恐れはありますか……」
「用心に越したことは無い。ここのところ付き合いの無い氏族が集まりすぎている。草原氏族は盗賊ではないが、どうしても欲しい物は力ずくで奪い取るものだ。特に女は狙われる。略奪婚を仕掛ける者もいるからな」
これはアベルにも納得のいく理由だった。
気に入った女性を手に入れるために誘拐におよび、そのまま結婚してしまう風習は至る地域に存在していた。
もっとも、いつでもそうした試みが成功するわけでもなく、略奪が失敗した挙げ句に家同士の戦争になることもあった。
金、利権、メンツ、そして女。
これらが争いの種になるのはどこも同じだ。
「でも、それを言えばウルラウさんこそ危ないんじゃないかな」
ウルラウは若く美しい女性だ。
加えて聡明。
しかも、勝利によって財産もあれば人望も高い。
「さてね。わたしを娶りたいとなればまずは勝負だな。まぁ、わたしより弱い男など願い下げさ。もしかすると、これからもっと激しい戦争となるのに惰弱な男を夫になどできるはずがない」
勇敢に戦っていたウルラウよりも優れた男など、そうそういないだろうとアベルは感じるが、そのことについては黙る。
女性に向かって婚期が遅れるかもなどとは口が裂けても言うべきではないのだ……。
アベルたちは急いで旅支度を調えると、騒ぎにならないよう静かに連盟から離れることにした。
スターキ氏族のルスタールなどは引き留めもしなかったが、しつこく草原に残ってほしいと頼んできた族長もいたからだ。
おろらく、見つかると都合が悪い。
ユーリアン氏族の全てで移動するわけにも行かないので居残るウルラウの弟、ルゴジンが涙ながらに別れの言葉を口にした。
なかなかの美少年である彼が顔を赤くさせて涙ぐんでいると、妙な風情があるから困る。
「アベル。また来てくれ! 必ずだ」
「……」
アベルは口ごもる。
同意してしまえば空約束になるかもしれない。
再び、この草原に来ることなどあり得るのだろうか……。
「そいつは天しだいだな」
そんな、曖昧な答えしかアベルはできなかった。
「おれ、姉上とアベルが婚姻すればいいと思っていたよ。本当に」
「えっ……! ルゴジン。お前、そういうこと簡単に言うなよ」
「本心だ。でも、アベルたちは何か目的のある旅なんだろう。止められないからな。じゃあな」
ルゴジンはそう言うや固く口を結んで、別れは済んだとばかりに黙った。
アベルは酷く奇妙な気分になる。
――くそっ……こういうの苦手なんだ。
友達も恋人もいなかったからよ。
そもそも出会いがないから、別れなんて特に経験がなくてさ……。
「……ルゴジン。元気でな」
アベルは同い年の少年に短く、そうとだけ別れを告げて馬の腹を叩く。
むやみに愛馬を早駆けさせた。
地平線まで見渡せる緑の草原と青い空が流れ去って、もう二度と戻らなかった。
~~~~~~~~
夏の草原の日差しはなかなか厳しいが、朝や夕方には爽やかな風が吹いて快適だ。
ウルラウは二十人のユーリアン氏族を供として連れ立っている。
地理に明るい彼らに導かれて、アベルたちは安全で素早い移動ができた。
西に進むこと、約二十日間。
景色が変わってくる。
草原の代わりに麦畑や林がちらほらと見えだした頃、ついに大きな城郭都市が現れた。
街の周囲は、人の背丈の倍ぐらいある城壁で守られている。
中に入ると、しっかりした石造りと木造の建築物が連なっていた。
そこはナルヤという名の独立した交易都市で、主に扱うものは羊毛である。
この世界における、最大級の羊毛の取引所が都市にはあった。
草原氏族は遊牧している羊の毛を売りたい場合には、こういう街で取引をする。
羊を生きたまま連れてきて、ナルヤの郊外で毛を刈り取って羊毛を用意するのだ。
業者は山のように積みあがった羊毛に駆けつけて、値段交渉をして買い取るという運びになっていた。
集まった大量の羊毛はナルヤで紡がれて糸となり、亜人界、皇帝国、王道国と世界各地に運ばれる。
だから、街には糸紡ぎの工房が無数にあった。
働いている職人がいるため、関連する商業も発達していた。
街には人間族だけではなく、森人氏族や獣人族、それらの混血という風情の者も大勢いた。
皇帝国とは全く様相が異なっている。
亜人を排斥、差別している皇帝国において、人間族以外は奴隷である場合がほとんどだった。
しかし、ここ亜人界において人間族と亜人たちは同等であったし、逆に亜人の主人に人間族の奴隷が付いている場合も見られた。
交易都市なので、とにかく商人が多い。
商隊は小規模なもので五人ほど、大規模なものだと百人を越えた隊もあった。
隊を率いるのは商家の主自身か、有能な番頭である。
荷物は馬や駱駝に乗せるか、奴隷の人足が担いで運ぶ。
もちろん商隊には護衛の戦士が随伴する。
長旅の初めから終わりまで同行する戦士もいるし、ある地域から地域までの契約で護衛する戦士もいるようだ。
そうした商隊の護衛をするような戦士を雇用したい場合は冒険者組合で募るのが普通だった。
対して戦争に用いるような本物の傭兵が必要な場合は、傭兵団の団長に直接依頼することになる。
傭兵と自由戦士、あるいは冒険者というものは近くて遠い、微妙な棲み分けのある職業であった。
アベルたちは、とりあえず商店の並ぶ通りと市場を訪ねる。
様々な店舗が数百軒と軒を連ねていた。
市場は露店が集まっていて、果実や雑貨など多様なものを扱っている。
草原では果物など入手不可能だったので、やはり地域が変わったのだと実感が湧いてきた。
ウルラウたちは、まず薬を扱う店に行った。
そこで妊婦に飲ませると良い薬だとか、解熱剤などを選ぶ。
薬はやはり高くて、なかなか買えるものでもないのだが今は戦利品のおかげで金銭的にかなり裕福だ。
ウルラウは金貨を惜しまず、薬を大量に買っていった。
次にウルラウは鏡を購入していた。
自分の為ではなくて、氏族の女に貸すためのものらしい。
それから化粧品なども選び抜いて買う。
カチェがそうした知識があるので二人は楽しそうに買い物をしていた。
紅花から作った口紅がどうしたとか、そういう話しをしている。
それに対してイースは装身具や華美な服、まして化粧などには全く興味を持っていない。
だがアベルはそれで満足だ。
――イースは化粧なんかしなくっても綺麗だから、それでいいよ。
白粉なんか塗ってほしくない……。
女のひたすらに長い買い物を眺めつつ、アベルはぼんやりとそう思っていた。
本当にウルラウやカチェの買い物は長くて、ありとあらゆる店を執拗に見分するのだった。
アベルは体の成長が進み、服が窮屈になってきたので新品を買うことにする。
絹の上着が一番高く、麻の製品も銀貨五枚程度と、それなりの値段だった。
羊毛織物の服は種類が多く、値段も手ごろだった。
持ち運べる量を考えて新しい服を買い、古着は同じ店で売った。
服は貴重品なので穴が空いていたり破けていても、必ず売れる。
もっとも、安く買い叩かれるのは仕方ない。
アベルの買い物は、すぐに終わった。
カチェとウルラウを探すと、まだ同じ店で延々とああでもない、こうでもないとやっていた。
実に楽しそうに会話している。
男たちはこうした間、暗い顔をして待つしかないのである……。
アベルは足がだるくなってきて、正直なところ溜め息ものだった。
ロペスとモーンケ、ガトゥらはとっくに遊べる女がいるような店に行ってしまった。
ライカナとカザルスは分野こそ異なるが学究の徒なので、知識を交換する専門の会所のような場があるらしく、そこへと出かけている。
ワルトはそこらじゅうにある屋台の食べ物屋が気になるらしく、尻尾を振って物欲しげにしていた。
本物の犬ならいざしらず、デカい岩みたいな狼男が眼光も鋭く、さらに鼻息は荒いときて怖いだけだった。
諫めなくてはならない……。
「ワルト! おすわりっ!」
「くう~ん……」
アベルは戦争に勝ったおかげで懐具合が温かいこともあって、ワルトを悩ませている羊肉の串焼きや腸詰などを片っ端から買い与えてやった。
ワルトは涎をぼたぼた垂らしながら、本当に嬉しそうに大口あけて食べている……。
夕方、ウルラウたちは山ほど物品を買って大満足らしく、年頃の娘の愛らしい喜びに溢れていた。
氏族を率いて生か死かの戦いに挑んでいたときに見せていた、張り詰めた険しさはどこにもない。
ばらける前に申し合わせておいた飲食店に行き、全員集合してから豪華な料理を楽しむ。
ウルラウが連れてきたユーリアンの仲間もいるから、総勢三十人近い。
酒で乾杯して、久しぶりに魚や鶏肉、卵料理などを口にする。
ウルラウ以下、草原氏族の者たちは飲食店というところに入るのが初めてらしく、反応がいちいち面白い。
気に入った料理があると、際限なく同じものを注文するし……。
カチェやライカナが色々と忠告しながら料理を頼んだ。
それでもウルラウは卵料理ばかり好んで食べている。
草原では野鳥の卵を採取することはあるが、滅多に食べられない貴重品だからだった。
「こんなにたくさんの卵を食べられるとは、幸せだ」
ウルラウは至福の表情を浮かべ、鋭いはずの瑠璃色の瞳は柔和になっていた。
食後にはイチジクや林檎の蜜漬けなどが出てきた。
アベルたちも甘いものなど久しぶりだ。
女性陣はやはり甘味に目が無い。
ずいぶん料理を食べて満腹のはずなのに、かなり大量に追加して食べていた。
これはユーリアンとの別れの宴でもあるので、つい騒ぎも大きくなる。
深夜まで酒を飲み、騒いで、あとは宿屋で倒れ込むように寝てしまった。
翌朝。
街の郊外、馬上にてアベルはウルラウと別れの挨拶をする。
「それでは、ウルラウさん。お元気で」
「アベル……。私はずっと気になっていたのだが貴方の眼はどこか暗い……はぐれて飢えた獣のような。私の間違いだろうか」
「それで合っていますよ」
「ロペス殿やカチェ、イースのような素晴らしい仲間たちがいるのにか?」
「……」
アベルは黙って首を振った。
ウルラウはそれ以上、聞かないことにする。
言いたくない深い理由があるのだろう……。
「アベル! 貴方なら、きっとどこでも立身出世することだろう。何かあれば、いつでもユーリアンを訪ねてほしい。私が生きていれば何でもする。もし、私が死んでいてもルゴジンがいる。草原氏族たちは貴方のことを、ずっと憶えている!」
ウルラウの瑠璃色の瞳に、じっとりと涙が溜まっていくのを見た。
アベルの核にいる男が、苦手としているもの。
前世では考えられもしない生々しい感情の触れ合い。
――この世界、通信手段が貧弱だ。
それに定住しない遊牧民には手紙が出せない。
別れは二度と会えないことを前提にしなくてはならない……。
出会いと別れに、どこか悲痛なまでの重たさが伴っていた。
こういうときに何と言えばいいのか、やはり良く分からない。
粘り、糸を引くような感情を突き放ち、ぐだぐだと余計に語らず、アベルは小さく頷いて馬頭を西へと向けた。
赤毛の愛馬に軽く合図をすると、滑らかに歩み出す。
少し先を進むイースとカチェに追いつく。
アベルが一度だけ背後を向くとウルラウたちが手を振った……。
~~~~~~~~~~~~
西への旅は続く。
草原が姿消すと、その代わりに森林や平地が大地を覆っていた。
果てが無いような地平線に芥子粒と見紛う小村が点在している。
ナルヤのような大きな街は滅多にない。
村と村の間には、かろうじて道があるものの、それは細く険しい獣道同然のもので皇帝国にあった街道とは比べ物にならない。
皇帝国の幹線街道は石灰や火山灰を利用した混凝土で固められている。
道路の脇には側溝まで設けられていて、馬車二台が擦れ違える広さがあった。
それに対して亜人界には道路整備という概念が、ほとんどないらしい。
泥土や凹凸に満ちた、何とも歩きにくい道が延々と続く。
アベルたちは徒歩ではなく馬で移動しているが、道が均されていると馬にしても楽に歩けるので体を大きく揺さぶられない。
乗り心地は段違いなのである。
亜人界にはそれなりに人口があり物流もあるのだが、それに対して道が貧弱すぎるのである。
狭い道を擦れ違う時、相手が怪しいといちいち距離を取って脇に退避しないとならない。
だが、お互いに気が強いと道を譲らないから正面で対峙することになる。
となると、体がぶつかったりもする。
また、明らかにわざと鞘や槍を衝突させるような輩も大勢いた。
その瞬間に喧嘩へと発展したところをアベルは何度も目撃した。
酷いと武器を使っての闘争にまで一気に行ってしまう。
ところが一通り激しくやりあうと、今度は一転して和解し、そのまま酒を酌み交わしたりすることもあった。
戦士同士で、なんか分かり合うらしい。
アベルにはもう意味が分からない世界だ……。
ちょっと楽しそうなどと思ったら大間違いで、こんなことが毎日のように起こっていたら旅どころではない。
アベルは偵察と称して先回りし、トラブルになりそうなものはないか神経を擦り減らして探す苦行に陥っていた。
亜人界は様々な種族がモザイク状に領地、縄張りを主張していた。
ある森は森人氏族。隣の平野は人間族。隣接する山岳地帯は獣人族……という具合である。
この非常に複雑で分かり難い勢力分布は移動するアベルたちを大いに悩ませた。
ライカナだけでなくアベルたちも小さな宿場町に着いたら、あれこれと話をして情報を集める。
危険な場所はないか、歩きやすい道はどこだとか……。
そうやってリスクを避けようとしていても小規模な軍事衝突に遭遇することが、しばしばある。
亜人界の諸勢力は寸土を巡って所有権を争い、調停する者も無いか、いたとしても僅かなために勢力同士は際限なく戦う。
さらに皇帝国と王道国の戦争、ディド・ズマの勢力拡大などが重なり、情勢は混沌としていた。
道を歩くものは例外なく武装していて、時として百人単位の傭兵集団と遭遇する。
仮にディド・ズマ傘下の傭兵団でなくとも、野盗と大差ない荒くれの集団であると思った方が良いので、常に緊張を強いられる旅だった。
事実、しつこい尾行を受けることも、しばしばあった。
隙あらば襲おうということらしい……。
そんな物騒な旅の最中、アベルはライカナに聞く。
「こんなにたくさんの種族がいるのに魔人氏族だけは見かけないですね。イース様にしたって混血だし」
「魔人氏族と呼ばれる者たちは大陸でも、それ以上北に進むと人が住めないと言われる寒冷地を根拠にしています。わたしも、そこで生まれました」
「北方草原より、もっと北ですか?」
「そうです。北に行けば行くほど気候は寒冷になっていきます。魔人氏族の故郷において雪が消えるのは一年の内およそ半年だけです。深い山林と原野、それに海に突き出した半島があるのです。穀物は僅かしか採れず、森で動物を狩り、海岸では漁労をしています。
訪れる者も少ない北限の地で、数千人の氏族がひっそりと住んでいます。彼らは南側の世界とは隔絶しています。他の種族と関わり合いになるのを忌避すらしているのです。魔人氏族を滅多に見かけないのは、そうした理由からです」
「どうして、そんな生活をしているのですか」
「他の地域と争うこと、さらには他種族を利用することも厳しく戒めているからです……。だから、魔人氏族の居住地域に奴隷はいません。商人との取り引きも最小限に抑えられていて、外部との交流はほんのわずかです」
「そんなに厳しい戒律があるのですか……」
「理由が言い伝えられています。かつて千年前、大帝国の世界統一戦争に反対した魔人氏族はこれに激しく抵抗したと言われています。しかし、その結果、魔人氏族のなかでも有力な十五血統のうち実に九つが滅んでしまうほどの悲惨な戦争であったそうです。正確な記録は残っていませんが氏族人口の半分以上が死んだのでしょう。
やがて氏族は敗北を悟り、始皇帝に降服しました。服従した後は、むしろ積極的に大帝国の統治事業に参画したのですが、その過程で数え切れないほどの戦争や虐殺に加担したのです。その血腥さは、今日にも語り継がれているほどです」
「ははあ。その反省から鎖国みたいなことをしたんだ」
「鎖国……国を閉じるという意味ですね。アベルの理解で正しいです」
「戒律があるのにライカナさんは、どうして故郷を出たのですか」
「まずあるのは、わたし個人の特性です。外の世界に興味が強く、閉ざされた狭い世界から出て行きたくなったのです。体が少女ほどに成長した二十歳の時、森人氏族の国であるエウロニアへ行き、そこで冒険者になりました」
「冒険者……。最初から学者になったわけではないのですね」
「その頃は好奇心に突き動かされているだけでした。危険な遺跡を探索したり、凶悪な犯罪者を追ったりと命を賭けた仕事ばかりです。刺激的で様々な出会いのある、燃えるような日々でした」
ライカナは昔を懐かしむように美しい瞳を和ませた。
「やがて世界中を旅していると、各地に残っている古代遺跡に魅了されたわたしは歴史学者を志したのです。冒険者として成功していたので、お金はありました。そこで森人氏族の高名な賢者チャバ・ウェーム様に頼み込み、師弟の契りを結んでいただいたのです。師のもとで研鑽の日々を送った後、大学舎に入学しました。いくつかの専門学を修了したのちには研究者として在籍しながら本を書きました」
「世界を平和にするために……」
「ふふっ。それは、まぁ、遠い理想のようなものです。目標はあったほうが良いですから。わたしは書物と知恵には世の中を変える力があると思っていました。今でもそう信じています。
しかし、現実には戦乱は激化して諸種族の関係が更に険悪になりつつあります。それを変える鍵となるのは何か調べ、考えました」
「魔女アスに尋ねていた、あれですか。始皇帝の剣」
「そうです。またの銘を皇剣。今では行方不明ですが、必ずどこかにあるはずです。統治の象徴をしかるべき人物が持てば必ず世の中は変わると考えるようになったのです」
アベルは疑いの気持ちが湧いてきた。
「皇剣ねぇ……。そういうものがないと世界は変わりませんか? たとえば……平民議会を設けて税金の使い道を貴族以外でも決められるようにしようという活動がありますけれど。そういうものはどうですか」
ライカナは表情を、はっきりと変えた。
「そうした運動の目的は分かりますが、実現しようとすれば貴族階級との激しい闘争となるでしょう。戦乱は治まるどころか火に油を注ぐような有様になるはずです」
「平和は戦争の後にしか訪れないかも……」
「アベル。怖いことを言いますね。国家や種族間の争いに加えて、平民と貴族でも争いが起これば、世界は分裂戦争時代を超えるような真の大戦乱となるでしょう。数百万人の死者でも終わらないような誰にも想像もできない大戦争です」
「そういえば、このまま西に進むと森人氏族の国があるのでしたっけ」
「はい。エウロニアがあります」
「もしかしてライカナさんの目的地って、そこですか?」
「その通りです。エウロニアの政情は安定していて治安も良いです。旅も捗ることでしょう」
「ライカナさん……。そこでお別れですか」
ライカナは少しだけ顔を曇らせて頷いた。
「言い難くて、これまで説明していませんでしたが……。エウロニアの首都に大学があるのです。アス様から頂いた書物をそこで精査して、他の専門家の意見なども聞きます。そして、わたしは再び、皇剣探索に出発するつもりです。ここでやめるわけにはいかない。むしろ、いよいよ探索の手がかりが見つかるはずです」
アベルはライカナの強い意思を湛えた瞳を見る。
自分のそれとは異なる、明るく澄んだ信念が輝いていた。
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