第66話  晴れた心

 



 草原から清々しい植物の匂いがする。

 季節は初夏。

 地平線まで緑が生えそろい、まるで海原のようだった。

 白い羊が数千頭も遊牧されている様子は長閑のどかであるが、実際のところウルラウが盟主である草原氏族とディド・ズマの軍勢が殺し合いをしている真っ最中だ。


 春から始まった包囲戦。

 敵は五千人ほどに対して草原氏族は二千騎にも及ばない。

 しかも、相手は高地に造った堅牢な要塞に立て籠もり、さらなる増援を待っている。

 このままディド・ズマの優勢が確実となれば、ウルラウにとって情勢は不利となってしまうところだが、アベルやロペスが連日に渡って敵を殺し、武器などをぶんどってきてからというもの味方の士気は高い。


 結束を強めた氏族連盟は要塞の周囲を広く封鎖しつつ、遊牧も同時に続けている。

 これに対して敵は何度か戦いを挑もうと砦の外に戦列を作るなど仕掛けてきたが、アベルはウルラウに応じないよう要請した。

 今やウルラウも兵糧攻めを理解しているので、挑発には乗らない。

 そうして日々が過ぎていく。


 春は羊や山羊の出産時期で、あたりには可愛い子羊がたくさんいたものだ。

 近頃は仔馬の生まれる季節に移り変わり、母馬の乳を吸う様子があちらこちらで見られた。


「なんだか戦争しているとは思えないなぁ」


 あまりの穏やかさにアベルは思わずつぶやくが、ただの戯言だった。

 敵との小競り合いは連日連夜に及んでいる。

 徹夜で戦った後、昼に僅かな仮眠をとって、つい先ほど起きたところだった。


 しかも、まだまだ仕事は山積みだ。

 武器と鎧の手入れ。

 馬の世話。

 皆の食事の支度もやらなくてはと考えていたところ、大慌てで怪我人が運ばれてくる。

 呻いている男は腕に大きな傷がある。パックリと開いた傷口の奥に白い骨が見えるほどだ。


「アベル殿! イベルート氏族の族長ボイホです。息子の傷を治していただけませんか。早くしないと命に関わるのです」


 怪我人の意識は朦朧としていて顔色は真っ青になり、出血が酷いようだ。

 もたもたしていると死んでしまう。

 アベルは急いで傷を調べ、強力な魔力を奮い立たせて治療魔術を行使する。

 さらに傷が一か所とは限らないので服を脱がして全身を検査、異常がないのを確認しておく。

 族長の息子などが死んだら大事になってしまう。


 治療が無事に終わり、どうにか助かると分かれば族長ボルホは大喜びで礼を述べてくる。

 そこへウルラウが騒ぎを聞きつけてやってきた。


「アベル。いつもいつもすまない。皆、アベルの施術が確かだと知って大怪我のたびに助けを求めてくる。あまりに数が多くて無理なら言ってくれ。わたしから断る」

「連盟のためだから。一日十人ぐらいなら何とかなりますよ……」


 族長は謝礼として羊をくれたが、戦いながら世話をするのはさすがに不可能なのでユーリアン氏族で預かってもらう。適当な時に食べるのだ。

 なにしろロペスやワルトなど信じられないほどの大食らいなので、いくらいても足りないぐらいだ。


 ようやく一段落してアベルが仲間たちの元に戻ると、ロペスとモーンケ、ガトゥなどの姿は見えない。聞けば他の氏族に招かれて食事に行っているという。

 最近、この手の誘いがかなり多い。

 断ると非礼になるので適当な代表者が招かれることにしていた。

 今日はあの三人が向かったらしい。


 特に名指しで招かれることもあるが、その頻度がアベルより高いのがカチェだった。

 どうやら溌溂とした美貌、際立って凛々しい戦いぶりが草原氏族の心を掴んだらしい。


 人気があるだけなら良いかもしれないが、嫁に欲しいとかいう真剣な交渉を既に何回もされている。

 しかも、確実にそういう話は増える一方でカチェの悩みになりつつあるらしい。

 そうして、よくアベルに顔を赤くさせながら聞いてくる。


「ねぇ。アベル。どうするの。わたくし大変よっ」

「なんで大変なんですか。皇帝国へ帰るのだから婚姻するわけない」

「凄く素敵な人が申し込んで来たらどうするの。アベルが断り入れて頂戴ね」

「なんで僕が……」

「わたくしのことが心配じゃないの?」

「カチェ様に敵う男なんかいないですよ」


 そう言うとカチェは、よっぽど心外だったのかムッとした顔で睨みつけてきた。

 怖い……。



~~~~~~



 ディド・ズマの配下であるフォーグ・ベルナルという将軍は包囲を崩そうと、最近は小さい反撃を繰り返してくるようになった。

 精鋭によって百人ほどの部隊を編成し、夜間に要塞の外へ出撃させ、馬を弩で射るなり逃げるような一撃離脱を繰り返してきた。

 

 さらにベルナルからは使者も送られてきた。

 世界で最も強大な傭兵軍団を率いるディド・ズマは十万の兵力によって草原など焦土に出来るとか、今なら良い立場で待遇するから協力しろだとか、そういう脅し文句を伝えてきたがウルラウは一笑に付して使者を返した。


 やがて敵は挑発も脅迫も効果がないのを知ったらしく、要塞の防備をさらに増強させていく。

 砦の周りの草刈りなどをして視界を確保したり、堀を深くするなど土木工事に移っていった。


 敵がそうした反応をしてくるのならアベルたちも対抗しないわけにはいかない。

 負けじと不規則に夜襲を繰り返し、雷を要塞に落とした。

 相変わらず紫電裂の命中は期待できず運任せであったが、何度も攻撃していると偶然ということもある。

 二基あった物見櫓は両方とも落雷の火事で燃え尽きた。


 当然、待ち伏せしたりされたりをお互いにやるため、草原の夜で死闘を繰り広げた。

 闇を隔てて聞こえる、敵の吐く息。

 命を奪う刃がぶつかり火花が飛び散る。


 身の毛のよだつような呻き声。

 びしゃびしゃと音を立てて流れる血。

 激しい戦いをイースやカチェとの連携で、どうにか乗り越えていった。


 そんな日々を送り、さらに五十日が経過して夏の盛りがやってきた。

 近頃、要塞にいる兵士の動きは目に見えて悪くなっているのが偵察ではっきりとしている。

 ここのところ煮炊きの煙すら減っているので、おそらく食料が不足してきているのだと思われた。


 氏族連盟の族長たちは、このまま包囲が成功すれば敵が自滅するのを理解している。

 ウルラウを盟主として支え、時間のかかる包囲戦に協力を惜しまないでくれた。


 春の終わりごろから、敵の砦では狼煙が常に上がっている。

 それは赤と緑、黒色の煙で、組み合わせにより何か簡単な意味の伝達をしているようだった。

 それに南の方角からディド・ズマ配下の部隊が何度も偵察に現れている。


 これらの動きから予測するに、敵が河を使って増員を送りこんでくるのは間違いないだろう。

 ウルラウは、その時こそ勝敗を決定する決戦を仕掛けるつもりだとアベルに教えてくれた。


「連盟は今のところ結束力を維持できているが、長期間に及ぶと熱意が薄れる。何年も包囲できるものではないから、いつかは決着をつけるための合戦を起こす。それはやはり敵の援軍が現れた時が相応しいだろう。

 これは私がそうと決めた。まだ誰にも相談していない」


 アベルはウルラウに、こっそりと意見を言ってみた。


「もし敵の援軍が来たら物資を奪った方が効果的なはずです。兵士が数千人いたって食べ物が無くなれば飢え死にするしかないのですから」

「あえて正面から戦わないということだな」

「そうです。ロペス様も言っていたのですが、籠城は増援があるときにやることです。その頼みの増援が失敗すれば奴ら敗北を強く感じるでしょう。戦う意思がくじけた時に勝敗は決まるのです」

「分かった。敵が現れたとしても即座に全兵力をぶつけるような指示は控えよう」



 その数日後。一隻の船が河を下っていくのを発見した。

 船は全長十メートルほどの、川船にしては大型のものだった。


 草原氏族の騎馬戦士たちが河岸から矢を射かけるが、ずらりと並んだ盾に防がれてしまう。

 船は要塞の船着き場ではなく手前で河岸に乗り上げる。

 中から人が二十人ほど飛び出してきて、慌てて砦の木柵に沿って走り出した。


 ユーリアン氏族の騎馬戦士が敵に接近すると、砦の中から矢が盛んに飛んできた。

 しかし、猛り狂った他の草原氏族の戦士たちもどんどん集まってくる。

 激しい矢の射ち合いになった。


 騎馬戦士たちが突撃の気配を見せると敵は門から高地の中に入るのを諦め、大慌てで木柵を攀じ登り、要塞の中に逃げ込んだ。

 数人の死体が柵の付近に転がっている。

 

 船の到来は間違いなく援軍の予兆である。

 いよいよ始まる重大な戦いを前に、ウルラウは軍勢を千騎と八百騎の二つに分けた。


 河を下ってくる敵も夜間は岸に船を上げて休む。

 そこへ奇襲を仕掛ける狙いだ。


 合議の結果、スターキ部族のルスタールが八百騎を率いることになった。

 意気揚々と軍勢を連れていく彼をウルラウとアベルたちが見送る。

 ウルラウは恐ろしい顔をしたスターキ部族を信頼していた。


「ルスタールならきっと上手くやってくれるはず」

「河や地形は事前に調べてあります。勝機は十分。でも、全ての船を撃破するのは難しいから、要塞まで近づく船もあるはずです」

「だが、アベルの偵察で要塞の崖側、河に接する斜面の船着き場が小さいのは分かっている。とてもではないが数十隻の船が荷下ろしをするのには使えない」

「必ず敵の増援部隊は要塞の近くで河岸に船をつけますよ。そこを襲うのです」

「だが、問題が一つある。要塞から軍勢が出てきて助けに来るかもしれない。いや、きっとそうするだろう。我々は千騎。向こうは五千、加えて船で来た敵もいる。そんな差があって狙い通り邪魔できるかな」

「要塞の厳重な守りが、この場合は災いします。出入口は門しかない。敵があそこから出てくるのが分かっているのだから、そこに罠を仕掛けておきましょう」

「草束だな」

「そうです。あらかじめ草原に乾いた草を隠しつつ積んでおいて敵が来たら火をつければ、たちまち視界は失われて混乱するでしょう。まして新手はここの情勢に詳しくない。それほど機敏に動けるとは思えません。その隙に攻撃するのです」

「季節は夏で草も乾いている。物凄い勢いで燃えるだろう……。どこまで延焼するか分からないが勝つためだ。それでいこう」


 作戦を聞いていたライカナが驚いた表情をしていた。

 鮮やかなグリーンサファイアのような瞳が輝き、興味深そうに見つめてくる。


「アベル君には将器がありますね。イースの言うとおり貴方には本当に不思議なところがあります。その才覚は世のために使うべきですよ」

「将器? これは全部、他人の力を借りているだけです。だいたい自分の軍勢でもないのに将もないでしょう。しかも失敗すれば責任はウルラウさんが取るのだから、こんな酷い話はないわけで……」

「そんなことはない」


 そう同時に声を上げたのはイースとカチェだった。

 どうしたわけか二人は代わる代わるアベルの作戦に理解を示し、きっと成功させて見せると意気込むのだった……。




 草原氏族が二手に分かれてから、三日後。

 河から丸太を何本も結束して作った筏船が下ってきた。

 アベルの視界には、五十隻ほどもそんな船が見える。

 一隻に兵士が二十人ぐらいは乗っているだろうか。ざっと総勢千人の敵。

 食糧を詰めているらしい麻袋も積載されていた。


 アベルが見ていると彼らは要塞のある高地の手前、一メルテぐらいのところから岸へ上がってきた。

 さっそく荷揚げ作業を始める。


 要塞でも動きがあった。

 砦の門が開き、中から盾を構えた軍勢が出陣してきた。

 門は狭いので軍勢が出るのには時間が必要となる。


 その隙に攻撃と、草束への放火をしなければならない。

 ウルラウは河岸で作業をしている敵に突撃を命じた。

 草原氏族の騎馬戦士たちが猛然と襲いかかる。

 勢いに任せて攻撃しているわけではなく、まず最初に騎射を与えて、強固に盾で防御している敵には下馬してから接近戦を挑む。


 放火のほうは戦士ではなくても出来るため、非戦闘員の女性や子供にやらせていた。

 たちまち草原に炎が広がり、激しい白煙が巻き上がる。


 アベルやロペスも河岸の戦闘に参加した。

 火魔術「爆閃飛」を序盤から連発。

 兵士が集団になり盾を壁のようにしているところへ命中させた。

 人間の体が玩具のように舞い上がる。


 そうして出来た防備の穴へロペスが突き進み、暴れ狂う。

 ハルバードで巧みに人体を破壊する様は驚嘆に値した。

 たちまち十数人を討ち取る。


 互いに少数の魔法使いが魔術で戦闘をするが、それもやがて下火になって、戦士たちが肉迫した戦いとなった。

 アベルたちは、やや離れたところで様子見をする。

 なんといっても草原氏族たちの攻撃が凄まじく、加勢する機会がなかったからだ。


 岸辺に上がったばかりで戦闘の心構えができていなかった敵を圧倒していく。

 もともと河を背にしているから逃げ場がない。

 あったとして筏船だけだった。狼狽した敵が船に乗り離岸するものの、その数は僅かだ。


 草原氏族たちは食料の入った袋を奪ったり、あるいは河に捨ててしまう。

 それから無人の筏船を河に押し出す。

 あとは流れによってどこまでも下流に運ばれていくだけだ。


 草原は夏の日差しで既に乾いていたせいもあり大火災になりつつある。

 要塞からの軍勢は近づくことも出来ないようで姿が見えない。

 煙が充満してきたこともあってウルラウは素早く後退の合図をした。

 早鐘が鳴らされる。


 氏族の戦士たちが戻り、馬を捕まえると再び騎乗して逃亡に移る。

 ウルラウは川沿いに南へと軍勢を移動させていく。

 ルスタールの率いる別働部隊と合流するためだ。


 すると大きく迂回してきた敵の騎馬部隊が追跡してきたが、これを無視して南下を続けた。

 敵の騎馬部隊は結局、歩兵の援護なしで戦闘をする決断はしなかった。

 夕方に砦方向へ引き返していった。


 三日後、ウルラウはルスタールと合流を成功させる。

 彼は切り開いた頬を全開にさせて笑う。


「夜襲は上手くいったぞ。二百人ぐらいは殺したぜ。朝まで岸辺で戦闘をして、残った敵は慌てて船に乗って河に逃げた。いくらか機会が合わずに下流へ逃した船もあったんだがな」

「そちらへの攻撃は成功した」

「さすがウルラウだぜ」


 捕えた敵から増援勢の状況も聞き出すことができた。

 増援の人数は約三千人。

 予想通り、上流の森林地帯で筏船を作って、それに乗って南下してきたという。


 ただ、河下りは簡単なことではなかったらしい。

 なにしろ水流がよほど緩やかでないと上手くいかない。

 泳げる人間も限られている。

 悠長に水泳だとか操船を訓練している時間もなければ、施す組織もなかった。


 よって実にゆっくりと北上する旅が続いた。

 しかも、途中で総数約百隻の丸太船は、いくつもの集団に分かれてしまった。

 各個撃破してくれと言わんばかりの輸送体制になっていたようだ。


 草原氏族は河沿いを南下して、その後も着岸している敵の丸太船に襲撃を繰り返した。

 十日間ほど、そうした攻撃行動を繰り返して、砦の包囲作戦を再開するべく引き返す。

 草原の火災は三日ほど続いていたが大雨の日があり鎮火していた。




 ~~~~




 ディド・ズマの配下、少将位フォーグ・ベルナルは悲惨な被害を受けた増援部隊を見て激怒した。

 期待していた食料がほとんど届かなかった。

 兵員も攻撃を受けて砦に辿り着いたのは半数以下の約千人ほどである。


 さらにヌバト族を使者にした仲間集めは、一回も成功しなかった。

 まず、外部への連絡自体が包囲されていて容易でなかったこと。

 ディド・ズマの名を出しても、効果がなかったこと。

 さらには敵対しているユーリアン氏族が先手を打って協力しないように要請しているなど……。


 思い切って全ての軍勢を出撃させるべきか迷っている内に、ふたたび草原氏族たちは砦を包囲してしまった。

 フォーグは古い仲間で、食料の管理を任せている男に聞いた。


「兵糧はあと何日分あるのだ?」

「一日二食に削っても、三十日分ですかな。また千人も増えましたからな。退くなら、そろそろ最後の機会ではないですかい」


 次にヌバト族の族長バータルにフォーグは聞いた。


「南にいるディド・ズマ様に、さらに援軍を求めたい。使者を送りたいのだ」

「無理であろう。砦の周りは十重二十重の警戒がある。よしんば上手く抜けたとして、お前らの主であるズマの居場所までどれだけかかる」

「ヌバト族の騎馬を全て出してくれないか」

「それで突破しろというのか……。全滅するだろうな」

「俺に協力しないのか」

「それは協力とは言わないじゃろう」


 バータルは固い表情、蔑むような視線をしていた。

 ディド・ズマの欲深く冷たい視線と重なる。


 フォーグは目を閉じて、考える。

 少しずつ間違えた結果……、破滅が近づいていた。

 それにしても予想外なのはユーリアン氏族がここまで強固な連盟を形成してきたことだった。

 せいぜい集まっても五百騎程度の抵抗だろうと見下していた。

 さらに火攻めや魔法攻撃など、実に嫌な襲撃を執拗に繰り返してきた。


 加えて用兵までも巧みだった。

 あくまで決戦を回避して、食料の枯渇を狙ってくる戦略。

 騎馬民族は城攻めが苦手だというのは、まるで勘違いであった。


 今となって考えてみれば、もともと無謀な命令だったのだ。

 状況もよく分からない広大な土地へ行って、草原氏族を従える。

 言うのは簡単でも、やるのは途方もないことだった。


 自分もここまで来て、やっと現実を知った。

 ディド・ズマはガイアケロン王子とハーディア王女の成功に触発されて、目が眩んだのだ。

 それに付き合わされた自分……。


 それにしても二人の王族はどうやってこの難事をやり遂げたのだろう。

 英雄と呼ばれるような人間だからこそ、できたのだろうか。

 そうだとすれば、つまり自分という男はこのまま敗北して破滅するだけの凡人……。


 フォーグは己を叱咤して決断した。

 痩せても枯れても五千人を指揮する将にまでなったのだ。

 座して死を待つことだけはしない。


 草原氏族の盟主がユーリアン氏族ということだけは判明している。

 ヌバト族はユーリアン氏族が宿営地とする場所を知っていた。

 盟主を叩けば、連盟は瓦解するかもしれない。


 たった一つの希望に全てを賭けて全軍を出撃させる。

 持ち出せる物資は残らず搔き集め、無理なものは燃やして灰にする。


 翌日、アベルたちは砦から無数の火の手が上がっているのを見た。

 敵は施設に放火しているようだ。

 これは、もうここには戻らないという不退転の行動だろう。


 そして、ディド・ズマの軍勢が方陣を組んでゆっくりと移動していく。

 方角は北だ。


 氏族連盟は付かず離れずの距離で追跡を続ける。

 そんなことが二十日間も繰り返された。

 敵は追跡を追い払おうと何度か攻撃部隊を派遣してきたが、草原氏族は決戦に応じない。

 小競り合いに終始した。

 ウルラウは早い段階で宿営地を狙っていると察し、先んじて使者を送り、残っていた者たちを逃す手配をする。


 軍団の食料がいよいよ尽きかけた頃、フォーグは目的地に到達した。 

 だが、ユーリアン氏族の宿営地は無人。

 小さな農地に薬草だとか野菜がほんの僅か栽培されているのを見つけた。

 あとは、ただ草原がどこまでも広がるのみ。


 食糧を奪える畑も街もないことに今更ながら、はっきりと気づいたのだった。

 草原において人間の食料は家畜や野生の植物、そして、兎などの小動物に限られる。

 大軍があったとしても兵站と輸送路が確保されていなければ……敗北である。


 フォーグは飢えた手勢を眺めながら考える。

 戦場で働くこと三十年近くだ。こうなる恐れなど薄々とは感じていた。

 しかし、成果なく戻ればディド・ズマから処罰されると分かっていたから、それができなかった。


 奴の正気とは思えない責め苦にだけは耐えられない。

 全身の皮を剥ぎ取られる拷問など死んでも嫌だ。

 これは最後の足掻きだった。


 食料が残り僅かなのを知った手下たちが逃走を始めていた。

 もともと傭兵や奴隷上がりの者が大部分だ。

 明らかに全滅が近い軍団からは、逃げ出していく。

 フォーグは止めようとも思わなかった。

 なるようになれ……。


 アベルたちは降服、逃亡、飢えで約五千人にも及ぶ軍団が散り散りになり、無残に崩壊していく様子を日々、眺めていた。

 敵の逃亡者は例外なく、騎馬戦士に捕らえられる。

 身ぐるみ剥がされて殺される者、奴隷になることで許される者……。


 アベルは敵の指揮官、フォーグ・ベルナルという男が山の麓に野戦陣地らしきものを築いたのを見た。

 残った軍勢は歩兵千人に、騎馬が四百騎ほど。

 それとは別にヌバト族が総勢四百人ぐらいいるが、彼らも戦って勝ち目がないのは分かっているらしく攻撃してこない。


 最近は、そこに籠って野草などを採取して食べているらしい。

 もう末期的だった。

 最近は殺した敵を調べても、体は栄養不足で痩せ細っていた。




 その日。

 変化は突然に起こった。


 フォーグは配下が騒いでいるのを聞きつける。

 気にはなるが腹が減って体はだるい。

 何をするのも億劫だった。


 おそらく捕えた鼠などを巡って喧嘩でも起きたのではないか……。

 そんなことを考えていると手下が血まみれで走ってきた。


「ヌバト族が裏切った!」


 すぐさまフォーグは剣を手に取る。

 抜いて、鞘を捨てる。

 自分の元にヌバト族の男たちが迫ってきたのを見た。

 手には血の滴る刀を握っている。

 

 力を振り絞り、襲って来た男らと戦う。

 二人、三人と逆に斬り殺した。

 しかし、周りにいる古い仲間たちが徐々に殺されていく。

 十年も物資の管理を務めている男が手斧で頭を割られた。


「フォーグ! 逃げろっ! 逃げてくれっ」 


 そう絶叫するのは、ディド・ズマに屈服する以前からいる最古参。

 傭兵団を立ち上げた時から力を貸してくれた男だ。

 だが、答える前に男は押し倒され、刀で滅多刺しにされる。


「うおおぉおぉぉぉ!」


 怒りに任せてフォーグは叫び、剣を振り回す。

 何人か斬り払ってやった。


「俺を誰だと思ってんだぁ! 騎士の血だぞ! てめぇら馬に乗るだけの蛮族風情が・」


 背中に激痛。

 鎧の隙間から刃物を差し込まれたようだった。

 飛びついてきた男に体を倒された。

 

 今度は首に異物が突き刺さってくる。

 獣のような唸り声を出す。

 血が口に溢れた。

 ちくしょう。

 こんなところで……なぜ。


 意識が暗闇に落ちた。





 ~~~~~





 ウルラウの前にヌバト族の使者がやってきた。

 先ほどまで生きていたであろうフォーグ・ベルナルという将は、恨み深い視線を宙に向けている。

 すでに斬首されているが、生々しい眼は最後の感情を湛えていた。


「ユーリアンのウルラウ様。どうかヌバト族をお許しください。ヌバトの族長、バータルは自らの命も捧げると申しております」

「……分かった。父と兄、仲間の復讐はそれで終わりだ」


 ウルラウは、きっぱりと言い切った。

 降伏を受け入れると伝えれば、残った敵は武器を捨てて投降してきた。

 それから哀れっぽく何でもするから食べ物をくれと言ってくる。


 草原氏族たちは敵の武器や持ち物を全て奪い、公平に分配した。

 捕虜のうち、働き手になりそうなものは奴隷にしたが、使いものにならないと見なされた者は食料も与えられずに打ち捨てられる。

 戦いは終わり、アベルはイースに言う。


「僕、戦争というものが、ちょっと分かった気がします。草原のような場所に大軍を進めても征服は不可能なんだ。食料も現地調達できません。相手が一万人でも結果は同じであったでしょう」

「草原に限らず、知らない土地に攻め込むというのはそれだけで危険極まりないこと。私はこうした大きな戦いについてはアベルに何も教えてやれない。私には多数の者を従えて意のままに動かす機微がないからな」

「従えたのはウルラウさんですね。僕だって何もしていないです」

「そうだろうか。たとえばアベルが皇帝国に戻らず、ここで頭角を現し、大軍を率いることになっても不思議ではないと思うが」


 何を絵空事を……。そう答えようとしたがイースは真剣な眼差しをしていた。

 どうやら本気で言っているらしい。


 アベルはそんなことになるものかと心で思う。

 皇帝国に戻りイースと自分はこれまで通り、騎士と従者のままである。

 それでいい。

 他の望みなんか……。



 戦いが勝利に終わり、草原氏族はお祭り騒ぎになった。

 族長たちは勝利の宴を開くという。

 そのために数日間を宴会の準備に費やすというのだった。


 その宴の主賓はアベルたちだ。

 盟主のウルラウと等しい名誉を得ることになった。


 あらゆる者が勇者としてロペスやアベルに惜しみない称賛を与える。

 するとスターキ氏族のルスタールがこんなことを言ってきた。


「あんたらがこのまま連盟に残ってくれたらいいな! そうしたら南下してディド・ズマとかいう奴に戦いを挑もう。なに、俺たちなら勝てるって!」


――おいおい……勘弁してよ。


 戦慄しているアベルはロペスがあっさりと提案を良しとしないか緊張する。

 いったいどんな返事をするだろうか。


「すまぬが我らは皇帝国に行きたいのだ。いま、何年もお前らと共に戦うわけにはいかないな」


 ロペスは、しごくもっともな返事をしてくれた。

 この当たり前の答えをしてくれるか心配しなくてはならない自分にアベルは悩む……。


 ルスタールだけではなくて、他の族長などもロペスの答えに酷く残念そうにしている。

 だが、ルスタールはそれ以上、しつこく誘ってはこなかった。


 宴は進む。

 着飾った女たちが楽し気に舞い、笛や太鼓が鳴らされた。

 普段では作られることのない凝った料理も用意されている。


 羊の内臓を全て取り出し、中に香辛料で味付けした様々な食材を詰めて丸焼きにした特別な品がでてきた。

 この場合、料理の取り分けは盟主のウルラウが務めるのが習わしになる。


 彼女は良く焼けた肉に刀で切り込みを入れる。すると中から琥珀色のスープが流れてくるので深鉢で受け止めた。

 次に肉と中身を分けて、まず最初にアベルらへ献じてくれる。


 ちなみに祝いの席には仇座あだざというものがあって、ヌバト族の族長とディド・ズマの手下、フォーグ・ベルナルの生首が置いてあった。

 族長の方は整えてあるのか静かな死に顔だが、フォーグの方は恨みを残した酷い面だった。

 食欲に影響があるものの、草原氏族の風習なので仕方ない。


 ウルラウは敵から奪った葡萄酒をアベルの杯へ注いでくれた。

 そして、あらためて礼をいってくる。


「アベル。貴方が勇者であること間違いない。いつでもユーリアンは貴方に力を貸そう。共に千里万里を越えることも厭わない。戦いは終わったが私にとってアベルたちは尽きることのない生涯の恩人だ」


 ウルラウの瑠璃色をした瞳には、限りない感謝と好意が溢れている。 

 アベルが気後れするほど純粋な感謝だった。


 出会ったときは荒々しい狼のような雰囲気であったが、今は美しい女性そのものだ。

 口紅をうっすらと施し、明るい褐色の髪には櫛が入れられて、黄金の鎖で作られた飾りが額に巻きつけられている。

 もともと鼻筋のすっきりした美人であったが、盛装がさらに磨きをかけていた。


「い、いや。それほど大したことはしていないです」

「いらぬ謙遜だ。おかげで私は父と兄、仲間の仇を討てた。とても金品だけでは返せない恩だ」

「これで復讐は終わりですか? 心は晴れましたか?」

「ああ。今は草原のように心が爽やかだよ。アベル」

「そうですか……。尽きない怒りや憎しみを滾らせるより、その方がいいかもしれないですね」


 ウルラウは、少し不思議そうな表情をアベルに向けていた。


――怨念なんか忘れられるものなら、忘れてしまった方がいい。

  もっとも、それができないから怨みになるのだけれども……。



 アベルの元には数えきれない人間たちが挨拶に来た。

 各族長の兄弟姉妹、親戚、有力な戦士など……。

 みな、雷の魔術が凄かったとか、刀を使っても凄腕だとか、そういうことを言ってくる。


 賛辞を述べに来た者たちは、カチェにも挨拶をしていく。

 特に男たちはカチェの美貌に魅入られているようで、口説き文句めいたことを口走る者が大勢いた。

 もちろん、カチェはその全てを断っていたけれど……。


 アベルは尽きることない感謝と称賛の言葉を受けて考える。

 今回は盟主のウルラウの傍で常に活動したから、特に評価されたのかもしない。


 最前線で戦い、色々と策を考えもした。

 剽悍だが素朴な草原氏族は、力を見せれば付いて来てくれた。

 運が良かったということもあり、ウルラウが優秀だったということもある。

 アベルは隣に座るカチェに話しかけた。


「敵は、むしろ自滅したのじゃないかな。無理やり言うことを聞かせようとして族長を殺した。ウルラウと敵対して、かえって草原氏族を団結させた」

「そうね。そのうえ慣れない草原で戦って、最後は食糧不足で崩壊というわけね。わたくし、スタルフォンから軍学で習った記憶があります。兵を養わざるは、これ負けなり……」


 宴は一日で終わらなかった。

 翌日も続けられる。

 料理だけでなくて、分捕り品も分けられた。


 ロペスの前には敵から奪った金貨銀貨が山積みになった。

 アベルが、ざっと見た感じでは金貨二百枚ぐらいある。

 銀貨はたぶん千枚はあるはずだ。

 大部分は王道国が鋳造している王政金貨だったが、見たことの無い金貨も混ざっていた。


 ライカナに正体不明の金貨のことを聞くと、亜人界にある小国が作った金貨だという。

 ともかく、断る理由はないのでロペスは莫大な報酬を受け取る。

 モーンケは嬉しくて堪らないらしい。

 金貨銀貨を、それはそれは楽しそうに満面の笑みで見ていた。

 やがて眺めるのでは飽き足らず、布で磨きはじめる……。


 朝から晩まで、飲み、歌い、食べる。

 眠たくなったらその場で寝るのが草原氏族の流儀だというので、アベルは夜半、草原に敷かれた羊毛の絨毯の上で睡眠をとる。

 酔っているせいか星空が踊っているように美しく見えた。




 まだ夜が明ける前、ふとアベルが目を覚ますとカチェやロペスは寝ていた。

 空は薄暗いがアベルは誰かから呼ばれた気がする。

 視線を向けると幔幕の影に一人の人物が立っていた。

 真っ黒なローブを纏う金髪の女。


 アベルは慌てて近寄った。

 そこにいたのは魔獣界で出会った、忘れえぬ女。

 魔女アスだった。

 アベルが転生した魂を持つ人間だと知っている、ただ一人の存在。


 空が急に明るくなる。

 夜明けだ。

 曙光が差してきて、魔女アスの空色をした瞳に光が宿った。


 恐ろしいほどの美貌だった。

 完璧に整った顔であるが、アベルに向けて浮かべる笑みはどこか妖しく、淫らであった。


「アス。会うのは一年ぶりぐらいか。こんなところでどうした。というか、どうやってここまで来たの?」

「貴方をずっと見ていたわ。楽しかった。本当に」

「え……」


――見ていた?


「すっかり氏族どもを手なずけたわね。アベルが呼びかければ、いつでも力を貸す」

「僕が? いや、ロペス様がやったことだ」

「向こうはそう思っていない。賢きウルラウはロペスが軍事に詳しくとも、性格の根本は個人戦士であるのを気づいている。それよりもアベルの異才に魅かれているわ」

「……」

「戦略や合戦というものがどんなことか、さらに理解したでしょう」

「ま、まぁ……ちょっとは」

「これは近い将来、アベルが何万、何十万もの軍勢を率いる練習みたいなものよ。今回は私が直接、力を使うまでもなかったわ」


――なんだろう。こいつ。

  やっぱり得体が知れない女だな……。


「北方草原を西に抜け、亜人たちの自治領をいくつか抜けると森人氏族の多く住む大森林になる。そこをさらに先にいけば皇帝国の属州よ」

「あ、そうなんだ。属州まで行けば皇帝国まであともう少しってわけだ」

「そうねぇ。順調に行けば皇帝国まで、あと一年ほどかしら」

「一年……」


――もうちょっと頑張れば、ウォルターとアイラに会えるな。

  それに妹のツァラ……。


「あら。イースが来てしまったわ。貴方のことになると敏いわねぇ。私、あの子は苦手」


 アベルが振り返るとイースが歩み寄ってくるところだった。


「もう少し二人きりでいたかったけれど仕方ないわ。では、いずれまた会いましょう」


 魔女アスは羊毛織物でできた幔幕の裏に体を翻した。

 イースがアベルの元に来る。


「いま、そこに居たのは魔女アスか」

「そうです」


 イースが幔幕を捲っても、そこには誰もいない。

 その姿は掻き消えていた……。


「何の話をしていた?」

「い、いや。取り留めのない会話でした……。なんか、よく分からない女です」

「……」

「皇帝国まで上手くいけば一年ぐらいと教えてくれました」

「そうか」


 イースは考えるというより、深く悩み続けている。

 あと一年で決めなくてはならない。

 自分は皇帝国に戻るべきか、そうでないか。


 皇帝国には亜人を排斥する法律がある。

 帰国しても騎士としては成り立たないだろう。

 だが、国に恨みの感情はない。


 もともと祖父ダンテと父親ヨルグがハイワンド家にいたから属していたに過ぎない。

 ほとんど会うことのない肉親。

 あれを失ったら自分は本当に寄る辺を失い、天涯孤独となる。

 別にそれでいい。


 ところがアベルには、このまま何時までも従者でいて欲しい、などという甘えのような気持ちが強く湧き上がってくる。

 おのれの内面を見つめると、どこまでもアベルに対する傾斜が実に多くを占めていた。


 いつまでも支えてやりたい。

 過剰な保護欲だろうか……。

 答えは、見つからなかった。






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