第65話  夜襲、火攻め



 


 ディド・ズマの軍勢が立て籠もる砦を偵察してから六日目。

 手伝える者は女も子供も総出で作業したので早くも草束の準備ができた。

 しかも、その日は空模様を見た限り曇天が続き、夜は月が隠れるはずだった。


 この滅多にない機会到来にウルラウは、さっそく夜襲の手配に取り掛かる。

 各氏族の族長を集めて不満の無いように役割を取り決めた。

 夜襲は同士討ちの恐れすらある難しい攻撃方法なので、異なる氏族の者がたくさん混ざると混乱するだろうとウルラウは考えたらしい。

 よって最初の攻撃はユーリアン氏族だけで行うこととする。


 また攻撃地点を一か所に絞ることにした。

 この攻撃では柵の破壊を目的として、無理に砦内部にまで進撃はしないと決する。

 夜襲を前にウルラウがロペスとアベルに相談してきた。


「私はロペス殿とアベルの案を受け入れ、族長たちは了承した。しかし、我々は砦を攻めるという戦いをやったことがない。ましてや大規模な火攻めなど誰もやらない」


 ロペスが迷わず頷く。


「分かった。では、俺が先頭になって合図を出そう」

「ロペス殿。頼ってばかりですまない」

「気にするな。敵の撃破は俺の望むところ。攻撃などと言うものは、とにかく強引に押して押しまくるものだ。臆病さも遠慮もいらない。細かい駆け引きはあろうが、そんなことは兵がぶつかる前にやること。戦が始まれば、あとは狂うのみよ」


 ロペスの主張には短絡さもあるが、それよりも生々しい血の噴き出る戦場の臭いが漂っていた。

 アベルが補足説明をする。


「夜陰にまぎれていても砦に近づけば見張りに見つけられるでしょう。でも、構わず柵の傍に草束を積み上げて、魔法で着火します。必要なら風を送り込んで火勢を増してやりましょう。風向きは、むろん我らの背から吹けば申し分ないです。逆風が強ければ柵への延焼は減ってしまうと思えます。だから風向きが悪いとなれば、直前で夜襲を止めにするのも手ですね。それはウルラウさんが決めてください」

「よし。心得た」


 風向き、天候、太陽の方角、そうした自然現象も戦いでは重要な要素だった。

 ウルラウはアベルの確かな考えに内心、驚く。

 まだ若くとも激しい戦いを繰り返した猛者なのだ。



 ユーリアン氏族の夜襲部隊に、なぜかスターキ氏族のルスタールが一人でついてきた。

 人工的な傷によって恐ろしい顔面をしたルスタールにアベルは思わず聞く。


「貴方、ルスタールさんだっけ。どうしたの。スターキ氏族は攻撃担当じゃないですよ」

「へへっ。こんな面白そうなこと俺にもやらせろよ。夜に敵へ忍び寄って放火なんて、やったことがない悪さだぜ」

「悪さって……別に戦法の一つだし。盗賊みたいに言わないでください」

「へへ。暴れられりゃなんでもいいよ! さぁ、いこうぜ」


 なんだか、やたら戦いが好きそうな男だった。

 戦闘狂に戦争好きときたら、いったいどうなってしまうのだろうか……。


 やがて陽が完全に沈み、夜半になった。

 空は厚い雲に覆われ、月光は僅かも感じられない。

 じっとりと重たい夜の闇がやってきた。

 まさに夜襲の時機だ。


 ウルラウの率いる五十騎ほどの放火部隊は馬の背に草束を乗せて砦に近づく。

 風向きは東から南西に吹いているが、微風程度であった。これなら問題にならない。


 ウルラウたちは馬具が擦れて音が出ないように、鞍などは外してしまった。

 さらに馬のいななきで位置が暴露すると奇襲にならないので、特に性格の穏やかな人の命令に従う馬を選抜してある。


 馬具のない裸馬に乗ることなど騎士でも、そうそうできない芸当なのだが、ウルラウやスターキ氏族のルスタール、少年のルゴジンまでも、それをやってのけてしまう。


 アベルも馬具なしで乗るのは難しいのでウルラウの後ろに乗せてもらう。

 落馬しないように、馬の腹を必死に足で挟んだ。

 それからウルラウの腰にも、しがみ付く。

 鎧ごしだから、面白くもなんともない。


 砦からぎりぎり察知されない距離まで慎重に進み、そこからは一気に馬を駆けさせた。

 暗いが、馬は夜目の効く生き物であるし、木柵の中では間隔を置いて松明の明かりがあった。

 深い堀があると馬でも落ちてしまうのだが、砦の一部にしか堀がないのは何度も行った偵察で確認がとれている。


 一気に木柵のぎりぎり手前まで移動したユーリアン氏族の騎馬たちは、馬の両脇に括り付けてある草束を切断して落とす。

 次々に積んでいくと、それ自体が壁のようになっていった。


 ようやく敵が奇襲に気が付き、敵が警告の声を上げる。

 闇夜に松明が増えていく。

 矢が何本か飛んできたが、見当はずれの方角へ飛んで行った。


 アベルは気象魔法「極暴風」を予防的に使うことにした。

 魔力を集中、短い詠唱ののちに上空で強風を吹かせた。

 およそ二十メートルのほど幅で草束が壁のように積み上げられたところで、カチェが火魔術第五階梯「竜息吹」を行使。

 火炎放射器に似た炎の帯が干し草の壁を舐めると、激しい勢いで燃え出した。

 大量の煙が発生する。


 素早くウルラウが撤収を命じた。

 馬の群れが矢の射程外へと逃れていく。


「ウルラウさん。止まってください! 例の落雷魔術を試してみます。少しぐらい外れてもここなら無事でしょう」

「よしっ。アベル、頼む!」


 アベルは一端、下馬して集中力を高める。

 闇夜に炎が盛大に燃え盛っていた。

 敵は水魔術を使って消火しようとしているが、すでに木柵に燃え移っていた。

 柵の向こう側は蜂の巣をつついたような騒ぎだ。

 人を呼ぶ鐘の音が鳴り響いている。


 アベルは魔力を上空に放出。

 詠唱を進めると、放った魔力は拡散することなく空中で激しく渦巻く。

 やがて大気と魔力がぶつかり、帯電していくのがアベルにはっきりと感じられた。


 問題はここからで、おおよそ飛ばす方向は定まっても、細かく狙った地点に落雷させるのは至難の業だった。というより上手くいったた試しがない。

 たいていの場合、雷は空中を走っていくか、狙いからだいぶ離れた所に落ちてしまう。

 アベルは炎の向こう側で消火作業をしている敵兵がいると想定して、そのあたりに落雷を強くイメージした。


――いけっ!


「紫電裂!」


 紫の閃光が闇に明滅した。

 雲が覆った重たい夜を鮮やかな稲妻が切り裂く。

 高地の麓に落雷したのが、誰の目にも鮮やかに捉えられた。

 火事の現場からは数百歩ほども離れていた……。

 アベルは溜め息交じりで言う。


「外れだ。全然だめ。当たる気がしない」


 だが、スターキ氏族のルスタールが興奮して奇声を上げた。


「すげぇな! 雷が本当に落ちたぜ!」


 ウルラウもアベルに答えた。

 暗くてウルラウの顔はあまり見えないが、喜色を浮かべているのが何となく分かる。


「敵陣に落ちたのは間違いない。あれなら何人かは仕留めているような気がするぞ」


 ロペスも落雷魔法の成功を肯定した。


「たとえ当たらずとも、敵は突然の落雷にかなり驚いているだろう。今宵は曇天ゆえに魔法で起こした落雷とは思わないだろうが……」


 翌朝、清澄な空気が満ちる草原を氏族連盟が全兵力で移動。 

 いよいよ敵の陣地に圧迫を加えるためだった。

 二千騎ほどが移動する様子は、まさに勇壮な景色だ。

 

 要塞が見えてくる。

 火攻めをした辺りの柵が燃えて倒れていた。

 敵はその部分を大急ぎで補修している。

 千人以上の兵士が動員されていた。

 当然、相手の嫌がることをやるべきで、つまりそこに攻撃を加えるのである。


 ウルラウが予め決められた順番で族長に指示を出す。

 するとその氏族の最も優れた者たちによって、約十騎の攻撃部隊が編制された。

 矢のように馬を加速させて要塞に接近していく。


 戦法は単純で、そのまま通過しつつ騎射を仕掛けるのである。

 敵の弓兵が持つ強弓は射程だけなら馬上弓よりも優れるが、素早く動く目標に当てるのは簡単なことではない。


 草原氏族の騎馬戦士たちは、速攻離脱を延々と繰り返す。

 木材を地面に打ち込んでいる敵兵に矢が次々と命中。

 柵の補修どころではなくなり、慌てて予備兵力を出して防衛に死力を振い出した。

 しばらくすると大きな盾を構えた歩兵が戦列を作り、柵の補修をしている者たちを矢から守った。


 やがて敵は魔法使いまでも前面に出動させて、魔術による防御も始めた。

 気象魔法の「突風」や「極暴風」で矢を逸らせる。

 そうなると騎射の効果は目に見えて落ちていく。


 草原氏族にも魔法を使える者はいるが、軍事組織ではないので強力な攻撃魔法をいくつも習得しているというような者は、かなり少なかった。

 生活や狩りの役に立つ初歩の水魔法や気象魔法で充分なので、それより上級の魔法を身につける必要性が薄い。

 むしろ、アベルやカチェのような魔法剣士は極めて希少な存在だった。

 ウルラウがこのまま効果のない攻撃を続けるか族長たちと相談を始める。

 そこでアベルは声を掛けた。


「僕が魔法で攻撃してみます」

「アベル。行ってくれるか」


 支援のためにイースを始めとしてハイワンドの面々がついてきてくれる。

 赤毛の愛馬は素晴らしい勢いで駆けた。

 草原の光景は流れ、要塞のある高地がグングンと近づいてきた。

 敵の長弓部隊から矢が飛んでくるが、ライカナが気象魔法「突風」で軌道を大きく逸らし無害化した。


 アベルは魔力を活性化。

 頭上に灼熱を発する炎の塊が創成され、勢いよく飛翔していった。

 炎の槍が盾を構えている敵兵の戦列に飛び込む。

 爆発。

 密集している敵が十人以上も吹き飛ばされる。

 動くのを止めるとさすがに弓矢の反撃を食らうため何度も往復して魔法を連発。

 草原氏族の方から歓声というか応援の呼びかけが聞こえてくる。


 最初こそ「爆閃飛」は効果的に敵兵へ命中していたが、すぐに相手は「水壁」で防ぐことを覚えてしまった。

「爆閃飛」が水壁に命中すると相殺されるような形になって、小爆発を起こすだけで受け止められてしまう。

 アベルは攻撃の成果が見込めなくなったので、魔法を止めた。

 魔女アスから伝授された火魔術「爆閃飛」は射程が炎弾よりも長く、しかも飛翔速度が速いので強力なのだが、いずれにせよワンパターンの攻撃はすぐに対策を練られてしまう。


 敵は氏族連盟の攻撃を防ぎ切り、木柵は再び砦を囲ってしまった。

 そればかりでなく急いで堀の拡張工事も進めていた。

 柵の内側で大型の盾を構えた敵は戦列を形成している。

 来るなら来てみろと言わんばかりだ。

 これ以上攻撃しても進展はないので、ウルラウら族長たちは撤収を命じた。




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 夜になると、前日とは比べ物にならないほど多くの松明が砦に灯っている。

 ウルラウやスターキ氏族のルスタールなど、他の族長たちはその様子を離れた所から見ていた。


 今日は昨夜と違って晴れているので、月が良く見える。

 月光も相まって大軍が寄せてはすぐに発見されて、とてもではないが奇襲にはならない夜だった。

 ウルラウがアベルとロペスに意見を求めた。


「敵は警戒を強めてしまったが、これでいいのだろうか」


 ロペスが力強く首肯した。

 頼もしくなるほど自信に満ち満ちている。


「これでいい。松明とて無限にあるわけではない。いずれ枯渇する。しかも、夜間、警戒する兵士が増えれば疲労も増していく。疲れると士気は低下するものだ。ましてや敵は傭兵の集まりである。不満が溜まれば結束も緩むであろう。攻撃側は主導権を取れるのだから、悠然と相手を引きずり回してやればいい」

「決戦は、いつだろうか」

「まだまだ先にするのだな。兵法によれば……城攻めには守る側の倍から三倍ほどの兵力を必要とする。ゆえに敵が三千ならば、こちらは最低でも六千の兵力が欲しいところだ」

「こちらは戦闘員というと二千がいいところ。まるで足りない」

「そうだ。だから兵糧攻めと、しつこい威嚇や攻撃を繰り返して敵を脅し続けるのだ」


 アベルはロペスの、こと戦術に関する知識の深さにはさすがに感心する。

 一応、伯爵家の跡取りとして英才的な軍事教育を受けて来ただけある。

 もっとも、ロペス本人が持つ根っこの性格は、粗暴で愚直な戦士気質としか言いようがないけれども……。


 アベルは考えてみるとこの戦いは、皇帝国にとって重要な意味があるような気がしてきた。

 もし、ディド・ズマの傭兵軍団に草原氏族の騎兵が数千騎も協力することになれば、真に恐るべき勢力になるのは確実だ。

 今でも傭兵軍団の強烈な略奪と残虐さに苦しめられているが、これがさらに酷くなるなど最悪を超えている。


 現状、ウルラウの元に集まった氏族連盟の士気は高い。

 闇夜を焦がす火攻めを手始めとして、砦への騎馬攻撃となり結束は強まっている。

 だが、もし負けが続きウルラウへの信頼が無くなると、そのときはどうなるか分からない。

 草原氏族は強い者にしか従わないという原則を考えると裏切らないまでも、連盟から離脱してしまうことはあり得た。


 それにディド・ズマに勢いありとなれば、どこか他の氏族が協力を申し出てしまうかもしれない。

 何と言っても敵の目的は草原氏族を傘下に収めることなのだから、様々な脅迫と懐柔を繰り返してくるだろう。

 どちらにも乗らせないように手を打つしかない。

 もし草原氏族の大多数がディド・ズマと対抗する意思を失えば、それは敗北だ。

 小さな負けも許されないこの戦いは、やはりウルラウにとって厳しい戦いだった。


 アベルは、どうすれば良いか考える。

 確実なのは続けざまに勝利して求心力を維持することだ。

 カチェの指摘したように漫然と包囲しているだけでは、やがて緊張感や士気を失ってしまう。

 そこへ敵がさらなる増援を得て、決戦を挑んで来たら……負けてしまうかもしれない。


「ウルラウさん。戦の常道は相手より多くの戦力を用意しておくことです。でも味方がこれ以上増える見込みは残念ながらない。ではどうするか……。

 ディド・ズマの手下は力を見せつけて多くの氏族を従わせるつもりでしょう。このまま何もしないと敵の考えに乗ってしまう。よってここは、攻撃……。攻撃あるのみ。僕もロペス様と同じ考えです。もう今夜にも再度、夜襲を仕掛けましょう」


 それまで黙っていたモーンケが顔色を変えた。

 目を剥きだして反論する。


「調子に乗りやがって、このバカ。敵だって警戒しているに決まってんだろ。そんなところに突っ込むなんてのはキチガイのやることだぜ。やるにしても何日か間を取れよ」

「柵の傍までは接近しないで、離れたところから魔法で攻撃すれば大して危険じゃない。僕とイース様の二人でもできますよ」


 モーンケが信じられないものを見た、という顔をしている。

 嫌そうに首を振る。


 アベルはさっそく準備をする。ウルラウの集めた精鋭と共に、暗闇に紛れて敵の砦に近づき、ふたたび「紫電裂」の行使を試してみることにした。

 魔力をかなり消費する魔法なので、今のところ一発にしておくべきであったが、再び落雷があれば敵に影響があるはずだ。

 アベルの夜襲には仲間たちが残らず付いてきてくれるが、ライカナまでもが戦闘の準備をしているので問わずにはいられなかった。


「こう何度もライカナさんに危険な攻撃へ参加させるのは気が退けます。これはディド・ズマや王道国との戦争でもあります。本来、旅の協力者である貴方が助ける筋合いではないはずなので」

「私の目標は諸種族の平和。ズマは悪名轟く極悪人よ。傭兵の頭領として評価する者もいますが、私にとっては敵に等しい勢力です。戦う理由はあるのです。それに……アベル君を放っておくわけにはいかないですからね」


 そう言うライカナは穏やかに微笑んでいた。

 高潔な理想を持つライカナにアベルはちょっとした怯みを感じる。

 大きな志など自分のどこにもないはずだ……。




 夜の草原を移動する。

 紫電裂の射程すら未だに理解していないが、どうにか狙えるだろうという距離まで接近することができた。


 今夜は唯一の出入口になっている門を攻撃することにした。

 物見櫓が二基、設置されていて、周辺の柵も二重になっている上に堀まであった。

 厳重な作りである。

 見張りも特に多い気配だった。

 アベルはどこを目標にするか、月光を頼りに観察する。


――では、あの櫓を狙うか……。

   周囲より高いから当たりやすいかも。


 アベルは魔力を高め、「紫電裂」の発動を試みる。

 周囲はイースやカチェ、ワルトにガトゥが固めて、安全を確保してくれていた。


 じっくりと念入りに魔力を練り上げ、壊れやすい精密装置を扱うように魔術は完成。

 闇に紫の雷光が迸り、次の瞬間、物見櫓で光が爆発した。

 火花が飛び散る。

 遅れて、落雷音が鳴り響いた。

 カチェが小声で歓声を上げる。


「当たった!」


 激しい電流によって出火まで起こる。

 物見櫓の柱が燻っていると思っていたら、やがて何か所も炎が上がった。

 敵の叫び声がする。


「やはり周囲より高い所へは命中しやすい。つまり逆に言えば場所が悪いと当たらないわけか」


 急いで撤収する。

 朝になり、アベルは戦果報告のために氏族連盟の族長たちの集まりに顔を出した。族長らはウルラウを除いて全員男性。

 中年から初老の煮しめたような、滅多に笑顔を浮かべることもない男たちだが、みな機嫌を良くしている。

 族長たちは元来、苦手な攻城戦をここまで有利にしているのはロペスやアベルがあってのことだと、そろそろ理解しているらしい……。


 ウルラウなども無邪気に喜び、このまま連夜に渡って敵へ打撃を与えられるかと聞いてくる。

 アベルは断るわけにもいかず頼みを了承する。

 族長たちの前から退出したあと、イースがアベルに言った。


「アベル。そろそろ敵も不審に感じるはずだ。魔法で起こした雷だと気づいているかもしれない」

「となると……例えば要塞外に伏兵を忍ばせておく可能性が?」

「そういうことだ。注意しないとならない。同じ攻撃は二度までというのが常道だ。三度目は読まれて反撃される。だから、私は相手に肩すかしを食らわせるつもりで、何日か夜襲を控えた方がいいと思っていた」

「イース様のお考え、正しいように思います。でも、もう約束してしまいました」

「今夜の攻撃は特に警戒しよう。ワルトの鼻が頼りだな」

「任せてほしいだっちよ!」


 馬に乗ってユーリアンの陣地に戻り、夜襲で睡眠不足のアベルは昼寝をする。

 夕方前に食事の支度をしていると誰か近づいてきた。


 それは、あのスカーフェイスですぐにスターキ氏族と知れる。

 まだ二十五歳ぐらいの若い女性なのに、頬に十字の傷を切ってあった。

 頭にはウルラウも被っているような毛皮の帽子をして、耳には金の飾りが光っている。

 服は華やかな幾何学模様の羊毛織物。

 栗毛の長髪をして、眼つきも鋭い美人だった。

 なんとなく立場のありそうな雰囲気だ。

 アベルは頬の傷に何か痛ましい印象を持ってしまうのだが、どこの部族であるか一目で分かるので、そういう意味でも必要な習慣なのかもしれない……。

 女性はアベルたちに言う。


「ユーリアンの客人の方々、貴方たちは勇猛な戦士である。我らが族長、ルスタール様が今日は是非にも我が氏族でも歓待したいとのこと。これから招かれてもらえるか」


 アベルがウルラウに意見を聞くと、断るのはかなり非礼なので応じてほしいということだった。

 となれば、あとは付いて行く他ない。

 ロペスやアベルたち、それにユーリアンの代表としてルゴジンが加わって食事に招かれた。

 ウルラウは各氏族との調整があるので別行動となる。


 アベルの立場はイースの従者であるから、一行の中ではワルトに次いで最下底なのである。

 ところが、そうした事情を知らない草原氏族の者たちはアベルを優秀な魔法剣士として恭しく丁重に待遇してくれた。

 おそらくロペスの次席ぐらいの扱いだった。

 それは草原氏族にある強者に従うという風習とも関係しているかもしれない。


「とびっきりのツワモノどもが招かれてくれたぜ! さぁ楽にしてくれ」


 ルスタールは極めて上機嫌でアベルたちを迎え入れる。

 草原に美しい上等な絨毯が敷かれていて、そこへ座った。

 スターキの連中は陽気な踊りや歌で歓迎だ。

 さっそく酒が出され、次に羊の脳みそや腸詰などが運ばれてくる。

 この白い脳みそ、まろやかな味で意外と美味い。

 カチェなども匙で掬って食べている。


 見世物として剣舞が始まった。

 男女のペアが湾曲刀を軽々と振り、速いステップを踏む。 

 優雅ではあるがどこか戦闘的な感じがあり、カチェは趣味に合うのか笑顔で拍手している。

 紫色の瞳が喜びで輝かんばかりだ。

 アベルはそんな様子を見て、やはりお上品な貴族の遊びよりも、こういうちょっと乱暴なものを好むのだなと思う。


 踊りのクライマックスは、燃え盛る焚火の上を飛び越える曲芸だった。

 下手すると焚火に足を落としてしまい、火傷をしかねない。

 だが、危ないからこそ興奮して、楽しめるというものだ。

 イースまでも珍しく面白そうな表情をしていた。


「お前らもやってみないか!」


 ルスタールが楽しみ半分、挑発半分という具合に聞いてきた。

 アベルは誰がやるのか、もしかしたら俺かと途惑いつつ見回すとイースが黙って立ち上がった。

 スターキ氏族の者たちが手拍子で囃し立てる。


 イースは長い黒髪を手早く纏めると、ほとんど助走もなく焚火に走り、跳躍。

 焚火の上で捻り回転をして、鮮やかに着地してみせた。

 おお~っという歓声。

 誰しもが笑顔。

 アベルも一心不乱に拍手する。

 大いに場が盛り上がった。


 賑やかに饗応してもらい、アベルたちは夜まで楽しくすごした。

 酔ったモーンケなどは自分が一端いっぱしの戦士であると自称し、兄のロペスを比類ない豪勇の人物だと吹聴して回っていた……。

 さすがに皇帝国伯爵家ハイワンドの者であるとは言わないものの、モーンケの調子に乗りすぎた舌にアベルは内心、あきれる。


――ロペスはいいとしてもさ、お前は違うだろ……。


 カチェなどもモーンケの軽薄でいい加減な性格を諦めているので何も言わない。

 苦笑いしているガトゥも、特に諌めるつもりがないらしい。

 モーンケの熱弁は留まることを知らず、野盗を何百人も殺しただとか化け物みたいな魔獣を殺しただとか、どんどん話がデカくなる。しかも、スターキ氏族の者たちはそれをまともに受け止めている。


 すっかりアベルたちとスターキは馴染み、彼らは親しみすら見せてくれた。

 顔は切傷のせいで恐ろしげだが、心根は剽悍で単純な草原氏族そのものの人間たちなのが分かる。

 ルスタールは宴の終わり、嬉しそう言った。


「あんたらの策略は確かだ。これほどの戦士と一緒に戦えて楽しくて仕方ないぜ! 何千人も捕虜にすれば、金貨銀貨に装身具、武器も奪える! ははははっ」 


 ルスタールが笑うと耳元まで切り開いた口角が広がり、怪物みたいだった……。




 宴は終わりアベルたちは夜襲の準備のためユーリアン氏族の陣地に戻ることになった。やたらと忙しいが人と会うのも仕事の内だ。

 いつもながらほとんど会話もせずに黙っていたイースだが、帰り道に、こうしたことはあまり良くないかもしれないと言う。


「アベルは英雄に祭り上げられたくて戦っているわけではないだろう?」

「そうですね。もともとは皇帝国に帰るための戦いですから……」

「私はお前が無事でいてくれればそれでいい。成り行きでこんな大規模な合戦に参加することになってしまった。そのうえ、最先鋒まで務めている。これは私の考えていた状況とは異なっている。もう少し、控えめに支援するような戦いになると思っていた」

「まぁ、ロペス様の気風ではね。その場その場で戦いを求めるところがあるから……こうなりますかね」

「それもあるが、アベルの魔力が強力になってきているのも原因だ。強者は利用されやすい。私はアベルに強くなってほしいのだが、こうなると考えものだな」


――イースがこの手の心配をするのは珍しい。

  本来ならイースも危険な戦いを恐れないはずだ。

  大規模な戦争だと、自分の力だけでは状況を変えられない。

  それを警戒しているのかもな。

  ウルラウは不利になったらいつでも去っていいと言ってくれたが。

  しかし、ここまで協力してしまうと逃げにくいのは確かだ。



 今夜の夜襲では、アベルたちに加えてユーリアン氏族の若者十数名が参加した。

 移動の前、イースがロペスに進言する。


「アベルにも伝えたことなのですが、似たような攻撃を繰り返すと敵も逆手にとってきます。今夜は明け方近くまで様子を探り、それから砦へ接近して攻撃しましょう。もしかすると敵の逆襲部隊が出張って来るかもしれません」

「お前がそう言うのであれば、そうするか」


 戦闘においてロペスはイースを認めている。

 意見を素直に受け入れた。

 それからアベルたちは鎧が音を立てないように紐で縛るなどの工夫をする。

 馬で砦の途中まで移動。

 砦から確認されないところで下馬する。

 ここで隠密行動が苦手なカザルスとモーンケは待機させた。

 馬はユーリアン氏族の者に任せて、さらに徒歩で進む。


 最前衛、ワルト。

 次にイースが続く。

 ワルトの鼻に、魔人氏族の夜目となれば最強の組み合わせだ。

 残りは先行する二人の後をついていく。


 月光のみを頼りに、じっくりと慎重に草原を中腰になって移動する。

 草の背は、この頃かなり高くなっていて、しゃがむと全身が隠れてしまう場所がいくらでもあった。


 夜半前に移動を停止。

 要塞から少し離れたところで明け方まで時間を潰すことになった。

 アベルは闇夜に向かって感覚を研ぎ澄ます。

 魔力の動静には特に注意を払った。

 敵の方が先にこちらを発見して、魔法を使ってくるかもしれない。

 それを事前に察知しなくてはならない……。


 眠気を追い払いつつ、アベルたちは草原に潜み続ける。

 やがて、夜半を過ぎた頃、アベルは人影のようなものを暗い草原の最中に見たような気がした。

 しかし、すぐに夜陰に紛れてしまう。


 アベルの勘が危険信号を発していた。

 緊張で血が逆流するようだ。

 敵にどんな使い手がいるか分からない。

 もしかすると、全く未知の技を持った難敵がいるかもしれなかった。


 腰の両側に差している二刀の柄に手を掛ける。

 鞘走りの音が鳴らないように、そっと慎重に抜いた。

 傍にいたカチェが、すぐにアベルの行動を察した。

 自らも刀を抜く。


 少し前方にいるはずのワルトとイースは夜の草原に溶け込んでいて、どこにいるか分からない。

 イースと同じく魔人氏族のライカナは人間族よりも夜目が効く。

 ライカナの方へ、アベルはゆっくり移動をした。

 彼女もまた、気配の変化に気づいていた。

 アベルは耳元に小声で囁く。


「ライカナさん。敵を見ましたか?」

「一瞬だけ、何かの影を見ました。狼かもしれない。はっきりとは分かりません」

「僕は敵だと思います」


 アベルの断定にライカナは頷いた。

 いつでも攻撃できる態勢を整える。

 月光の僅かな光。

 暗闇の先に、やはり無数の気配を感じる。

 どうやら敵は等間隔の列を組み、索敵をしている感じがする。

 隠密行動をしているが、移動をすればどうしても出る足音や不自然な草ずれの音が聞こえた。


 イースとワルトは敵に気づいていた。

 潜み続けて、相手の方が近づいてくるのを待つことにする。

 一人、通過させた。

 二人目も横を歩いていく。

 三人目が、まるで吸い寄せられるように目の前へ接近してきた。


 敵の兵士。急に動きを止めた。這うほど屈んでいるイースに気づく。

 ワルトは助走なしで跳躍。

 空中でナイフを抜くと、敵の喉に刃を突き刺した。


 イースは通過させた敵の背後に走り寄る。

 振り向いた相手が両手剣を防御的な形で構える。体の前で剣を垂直に立てていた。

 その防御を破壊する勢いと速さでイースは大剣を横なぎにした。

 狙いは腕と拳。


 次の瞬間、まったく対応できなかった相手の両腕が切断されていた。

 何を言っているのか聞き取れないような大声を出して敵が、よろける。

 とどめの斬撃が冑と頭をカチ割った。

 イースとワルトはアベルのほうに駆ける。


 アベルはイースが潜んでいるはずの方角からやってきた者と対峙する。

 暗いが、気配で仲間ではないのがはっきりと伝わってきた。

 相手の荒い息が聞こえてきた。

「魔光」は使わない。

 使えば、たちまち位置が暴露する。


「カチェ様。同士討ちが怖いから手を出さないで」


 言うやアベルは踏み込む。

 敵は恐怖からか、ブンブンと無意味に剣を振り回していた。


 目の良いアベルは月光で照らされた剣の先端を見切る。

 踏み込みつつ空を切った剣を左手の刀で押さえつけて、右手に持った刀「無骨」を顔面に目掛けて繰り出した。

 ずるっと、ほとんど抵抗なく切っ先は敵の目の奥まで到達。

 即死。


 突然、草原が明るくなる。

 上空に「魔光」をさらに強力にしたような光源球体が浮いていた。

 照明弾が浮遊している感じに近い。


 暗闇を照らす特殊な系統の魔術だとアベルは悟った。

 敵の姿がはっきりと見える。

 数は三十人ほど。

 完全武装で、等間隔に並んでいた。

 数なら敵の方が三倍はいる。


 敵はアベルたちの姿を発見すると雄叫びを上げ、さらに激しい罵声を浴びせる。

 激怒している。

 ロペスやガトゥが対抗して、物凄い大声で叫び返す。

 二つの集団の間で殺意が極限まで高まってきた。

 

 敵に魔法使いが何人かいる。

 アベルは魔力の蠢きを捕えた。

 混戦になる前に、相手が魔術を行使してくるのは明らかだ。


 アベルは防御魔法を詠唱する。

 敵は複数系統の魔術を使ってくると見るべきだ。

 水魔法の「水壁」では炎弾を防げても氷槍に貫かれてしまう。

 アベルは魔女アスに伝授された氷の壁を創る魔術、第五階梯水魔法「氷絶界」を唱える。

 たちまち幅五メートル、高さ二メートルはある分厚い氷の壁が創られる。


「みんな、壁の後ろに!」


 接近戦を挑むため横手へ駆けて行ったイースとワルト以外の者が壁の後ろに隠れた。

 敵の魔法使いは氷の壁を破壊しようと強力な火魔術「竜息吹」を行使してきた。

 巨大な炎の塊が氷の壁に衝突。

 水蒸気が噴き上がり轟音を立てるが、分厚い氷は魔法を受け付けない。


 やがて炎の攻撃が止む。

 反撃。

 カチェとライカナが「氷槍」を射出する。

 敵の戦士に命中。

 防具があるせいで致命傷にはならないが、激しい打撃でよろめく。


 アベルは相手の動きを想像する。

 まず防御的か、攻撃的なのか。

 敵が土石変形硬化で土の壁を作るのは、時間も魔力も必要になる。

 しかも、三十人におよぶ人数全員が隠れる壁を創るのは、カザルスのような上級の術者でも容易なことではない。

 となれば、戦士と魔法使いが連携しながら数で押してくるはずだった。


 思っていた通り、敵の戦士が二十人以上、氷の壁の裏に回り込もうと駆け出してきた。

 さらに別行動をしているイースとワルトに対抗しようと、そちらへも人数を送った。


 アベルは刀を握り直す。

 汗が出てきた。

 敵は連日の夜襲で苛立っているらしく、激しい怒気を発散させている。


 槍を持った敵が氷壁の裏まで迫ってきた。

 一直線に接近してくる。

 アベルは二刀を下段に構えて無造作に近寄った。

 槍を持った者は攻撃範囲で優位に立っているという先入観があるため、つい不用意に攻撃する傾向がある。

 まんまとアベルの誘いに相手が乗ってきた。

 鋭いが、捻りのない突き。


――ヘタな攻撃だな。


 即座に刀で穂先を跳ね上げた。

 間髪入れずに体を前進させ槍の間合いの内側に入る。

 ところが敵が反応よく槍を捨てる。

 ついで居合い抜きのような動きで腰の小刀を抜きざま、打ちつけてくる。


 しかし、アベルの「無骨」の方がリーチは長かった。

 敵の籠手を、無骨の切っ先が斬り割る。

 連続してアベルは左手に握る白雪を、敵の顎の真下に突き入れた。

 確かな手ごたえ。

 急所を刺された敵は、それでも抵抗しようと体を暴れさせる。

 しかし、すぐに膝をついて血を吐き出した。

 ビシャビシャと水を撒いたような音。

 倒れて動かなくなる。


 カチェとライカナ、ガトゥも回り込んできた敵を仕留めている。

 魔法剣士二人と暗奇術の達人の組み合わせに勝てる者など、そうそういるはずもなかった。


 ロペスが鎧に包んだ巨体を、のしのしと威圧的に歩ませる。

 斧の付いたハルバードの先端を横薙ぎに振った。

 相手は盾と剣を持った剣士兵の男。

 左腕にベルトで固定した盾でロペスの攻撃を防ごうとしたが、あまりに激しい打撃により、体が横転してしまう。

 アベルがそこを逃さず、炎弾をぶちこんだ。

 魔法使いに防御してもらえなかったうえ、避けることもできず敵に炎弾は命中。

 敵の体が爆発する。即死。


「ぐおぉおぉぉぉあ!!」


 ロペスがあたり中に響き渡る雄叫びを上げて、敵中に突撃。

 ハルバートを猛烈に突いた。

 穂先は安物の鎧を貫いて、敵の腹を突き刺したものの、何かに引っかかって抜けなくなる。

 敵の戦士は好機とみて、そんなロペスに踏み込んできた。

 だが、瀕死の体が突き刺さったままのハルバートをロペスは、あっさりとぶん回した。

 ハルバートに刺さった死体ごと跳ね飛ばされて敵が倒れる。


 敵の内、十人ほどはアベルとロペスに対抗してくるが、すぐに状況が変わる。

 牽制のために激しく移動しているイースとワルトこそが、恐るべき強さなのを理解しはじめた。

 数で圧倒しようと二人に近づいた八人の戦士は、ほとんど剣戟にもならず逆に殺されてしまう。

 気がつけば、三十人からいた仲間は半分になっていた。


 アベルは敵の魔法使いに注目する。

 二人組になっている魔法使いがいた。

 一人は魔力を集中させて、なにか複雑で強力な魔術を行使しようとしている。

 さっき「竜息吹」を使ったやつだ。

 かなりの使い手、優先的に殺さなくては。


 アベルは「氷槍」を狙い澄まして、射出。

 だが、もう一人の魔法使いが予期していたのか素早く、「火流陣」で炎の帯を発生させ氷槍を蒸発させてしまった。


 アベルは敵の魔法使いの動きを観察。

 初見の魔法は、本当に危険なものだ。

 予測していない攻撃を食らうと、一発で致命傷になりかねない。


 敵の魔法使いの前方に水と魔素が集まっていた。

 これは「魔凍氷結波」のような、氷や冷気系統の魔法と断定して、アベルは魔法使いへと全力で駆けこむ。

 こうすれば無視などできないから、必ず自分に魔法を使ってくる。


「があぁあぁぁあ!」


 アベルはわざと雄叫びをあげて、途中の相手と戦う。

 敵たちの注目が集まる。


 アベルの相手は盾と剣を持っている。

 あえて上段の攻撃を繰り返す。

 これは誘導だ。

 相手は盾を屋根のように構え、隙を見て下から幅広な両刃剣を突いてきた。

 予想通り。

 アベルは半身を動かすだけでかわして、突然、足元を攻撃する。

 足を守っていた薄い錬鉄の脛当てを破って、刀が骨を割った。

 敵が悲鳴を上げて倒れる。

 こうなると、もう歩行すら不可能だ。


 アベルは敵の横をすり抜けて、さらに猛然と二人組の魔法使いに突撃。

 長い詠唱に集中をしていた魔法使いが、アベルに狙いを定める。

 魔力の動きが最大に活発化したのをアベルは見抜き、「火炎暴壁」をありったけの魔力を振り絞って発動。


 ほぼ同時に敵は細く長い氷の散弾を無数に飛ばしてきた。

 しかし、その大部分が炎の壁で消失する。

 敵の行使してきた魔法はおそらく、広範囲を攻撃する強力な魔法だったのだろう。

 だが、アベルの予測と防御範囲の方が勝っていた。

 アベルは火炎暴壁の魔法を止める。


 敵の魔法使いがあからさまに動揺していた。

 自信のある攻撃が防がれて驚いたらしい。

 あいかわずロペスは大声を上げて敵を蹴散らしているし、イースとワルトはさらに五人ほど殺している。

 気がつけば、敵はたった七人にまで減っていた。

 アベルは頃合いと見て呼びかける。


「お前ら降服しろ! 今なら助けてやる!」


 敵はしばらく迷っていたが、やがて武器を捨てて両手を上げた。


「頼む! 殺さないでくれ! 金なら払うからよ」


 ガトゥが剣を突きつけて怒鳴った。


「俺たちに付いて来い! ちんたら歩いていやがったら、その場で殺すぞ! 特に魔法使い。魔力を少しでも使っている気配があったら、問答無用でやるからな!」


 アベルとワルトは捨てられた武器や金目の物を拾い集めた。

 ロペスとイース、ガトゥが倒した敵の首を獲って、荒縄で鈴なりに繋げる。

 照明魔法や火魔法によって戦闘が発生しているのは確実に砦に伝わっている。

 敵が増援を数百人規模で送ってくる可能性があった。

 もっとも、深読みすれば「誘い出し」の作戦とも受け取れるので、敵の指揮官が慎重ならば砦から軍勢を出しはしないだろうが……。


 捕虜を連行してアベルたちは帰還した。

 結局、敵は新手を出してこなかった。

 視界の悪さを嫌って、夜明けを待ったらしい。


 アベルたちが二十を超える首を持って帰ると氏族連盟たちは、熱狂的に大喜びする。

 首級を槍に突き刺して掲げれば、戦闘員に限らず老若男女が見物に来た。

 こうしてウルラウへの支持と信頼は、さらに高まる。

 触発された氏族の戦士たちは、戦闘を希望して我も我もと名乗り上げてきた。

 また、ロペスやアベルを勇猛屈強な戦士と認め、態度があからさまに恭しくなってきた。



 その後、七人の捕虜に脅迫や懐柔を繰り返して様々な情報を引き出した。

 敵の指揮官はディド・ズマの配下。将軍フォーグ・ベルナル。

 軍勢の詳しい内訳も判明した。

 騎兵五百。槍兵二千。剣士兵が千人。弓兵五百。それから雑役夫が二百人ほど。

 他にヌバト族の氏族全員が高地にいるらしい。


 兵員はいずれも中小の傭兵団をディド・ズマが吸収して、それを再編成したものだという。

 よって、槍といっても長さが異なっていたり、弓の張りも統一されておらず、装備にしても雑多なものが集まっているという。

 今のところヌバト族はフォーグに従っているものの、傭兵たちの中にはその戦意を疑う者もいるらしい。

 籠城をしているとヌバト族は遊牧できないので、そこに不満を持っているともいう。


 最も重要な情報も手に入れた。

 ディド・ズマが援軍を送るのは、ほぼ確実というものだ。

 殺すべき敵どもが、さらにやって来る。

 もともと皇帝国に帰るはずの旅であったのに……。


 ところがアベルの心に闘志とも違う、強烈な欲望のようなものが湧き上がってくる。

 自分でも正体不明な衝動。

 

 ずっとずっと前から、欲しいものがある。

 飽き足りない飢えた獣の望み。


 貪欲な人間は、いつも何かが足りない。

 だから彷徨うことになる。

 もっともっと欲しくなり、もっともっと殺すことになる……。

 


 イースはアベルの横顔を、そっと覗き見る。

 アベルの眼。

 夕陽の残光を反射する群青色の瞳に、この世の全ての色彩を感じる。


 他の誰にも無い、底知れない渇望が宿っていた。

 どんな咎人よりも業が深く、それでいてなんと魅力的だろうか。

 これほど美しいものが他にあるとは思えない。

 

 そして、言葉を超えた直感がある。

 初めて会った時から気が付いていた。

 アベルは何かを求めているが、それを自分が与えてやることなど、到底できはしない。

 

 考えてみれば、この少年と青年の狭間にいる男は、本当におのれの従者だろうか。

 もはや、とっくに主従は逆転しているのではないだろうか。

 そう感じずにはいられなかった。


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