第64話 アベルの作戦
景色は降り積もった雪で白一色。
だが、北方草原、ユーリアン氏族の越冬地に春が訪れてきた。
寒々とした視界のようでいて気温が高くなってきたのをアベルは感じる。
大人の腰ほどもある積雪は、春が来ると数日のうちにほとんど溶けてしまうそうだ。
冬越しの間、事件が一つあった。
捕虜にしていたディド・ズマの傭兵たちが集団脱走を試みたのであった。
その数、約百人。
もともと、かなり緩い監視環境だったので逃げようと思えば逃げられる状態だった。
ウルラウは少しも慌てなかった。
冬季の雪原を徒歩で、しかも余所者が装備もなく長距離移動するのは無理なのを知っていたからだ。
数日後、天候が良い日を選んでウルラウは馬に乗り、追跡をする。
アベルたちはそれに付いていく。
それほど進んでいない地点に、雪の盛り上がりがあった。
雪を払ってみると、それは逃げた捕虜の凍死体だった。
衣服は貴重品なので回収したのだが、体が石のように固まっていて脱がすことも容易ではなかった。
土は凍りつき魔法でも使わないと穴を掘ることは不可能なので埋葬もしない。
進むごとにそうした遺体が増えていき、約八十人まで確認したあとウルラウは退き返した。
日が暮れてきたし、これから先に行っても同じものを見るだけだからだ。
ウルラウは呟く。
「愚かな奴らだ。働けば飯も食わせてやるのに。攻めてきて、敗れて、最後は自殺に等しい死に方とはな……」
アベルは言うべきか迷ったがウルラウに話してみた。
「ウルラウさん。期間のない終身刑を受けた者は、やる気を無くすものです。努力してもしなくても状況は今より良くならないのですから。むしろ、投げ遣りになって態度は悪くなるはずです。例外はあるけれど奴隷にも年季を切るのはそのためですね」
ウルラウは一瞬、瑠璃色の瞳に不満そうな色を見せた。
肉親や仲間を殺した集団の人間など、一切の情けもかけたくないという気持ちが透けて見えた。
アベルはもうそれ以上、何も語らなかった。
恨みと言うのは自分が納得しない限り、他人に何を言われても消えないものだ。
それはアベル自身が知り尽くしている。
殺しても、輪廻転生しても、なお消えない父親への憎しみ……。
ウルラウは、しばらく黙して考えていたが、やがて小さく頷く。
「アベルの言いたいことは理解できた。働きの良いものは五年で解放してやろう」
アベルはウルラウが考えを改めたのに驚いた。
忠告じみた余計なことを言ったかと少し後悔したぐらいであったのだが……。
「もう奴らを憎んでないのですか」
「まさか。本当は殺してやりたいぐらいだぞ」
「それでは、なぜ罪を軽くするのですか」
「アベルの言っていることには理がある。逃げなかった奴隷も夏なら逃げられると思っているかもしれない。次には馬を奪えば良いかもと考えるようになるだろう。それなら奴隷として働く気が出るように仕向けた方がいい。その方が有用だ」
「……僕、出過ぎたことを言ったかもしれないですね」
「いいや。そんなことはない。そういう考え方、感じ方もあるのだと私は感心した。だから、決めたことだ」
ウルラウは感情よりも実利を取ったようであった。
彼女は、爽やかな笑みをアベルに見せてくれた。
~~~~~
いよいよ、雪解けが進んでくる。
本格的な春が訪れようとした日のことだった。
アベルは遠く、地平線に騎馬の集団を見つけた。
かなり遠いが間違いない。
「もしかすると、敵ってことも……?」
謎の集団の接近を急いでウルラウへ知らせる。
アベルの報告に彼女も弟のルゴジンも驚き、氏族の者たちに敵襲を警戒しろと鋭く命令した。
男たちが走り、弓や刀をひったくるなり馬に飛び乗る。
アベルも素早く防備を装着して武器を持ち、馬の準備。
ユーリアン氏族の者が纏まって五十騎ほど宿営地を飛び出していくので、それに合流する。
こちらに近づいてくる相手の数は多い。
三百騎ぐらいはいそうだった。
お互いの距離が急速に縮まっていく。
「ウルラウさん! 敵だったらどうするのですか。数が多いよ」
「いや、たぶん敵ではないはずだ。見たところ草原氏族だが、攻めるつもりならゆっくり近づいてこない」
やがて相手が三騎を出してくる。
草原氏族の風習、三騎の礼というやつだ。
これに応えたウルラウはルゴジン、それから大叔父のナフタを連れて行く。
しばらくしてウルラウたちが相手方の使者を伴い戻ってきた。
アベルは正体不明の草原氏族を見て、ぎょっとした。
――なんだありゃ!
スカーフェイスだ……。
顔が凄い。
男も女も、顔面に刃物で作った大きな切傷がある。
それは戦闘でついたものではなくて、身体装飾として人為的に切りつけたものらしい。
人によっては口の大きさが倍ぐらいになるほど、口角から頬へ切れこみを入れている。
彼らは確かに人間族なのだが、なにか亜人の一種族であるような気すらしてくる異様さだった。
ウルラウが驚いているアベルやカチェに説明してくれた。
「彼らはスターキ氏族だ。本来、もっと北の方で活動している氏族なのだが、我々の氏族連盟に加われば奴隷が貰えると聞いてやってきたそうだ。私たちもほとんど付き合いのない氏族だが、非常に勇敢なことで高名なのだ」
「そ、そうですか。頼もしい味方ですね。しかし、あの顔の傷跡は何事です」
「ああ、あれこそスターキの伝統だ。ああやって顔に印しをつけていると悪霊が近寄れないという言い伝えらしいぞ」
「いろんな人たちが居るものだな……!」
アベルがスターキ氏族の方を興味深く見ていると、向こうもアベルやイースを見てきた。
やがて、一騎が近づいてくる。
二十五歳ぐらいの若い男で、頬の右側だけに口角から耳の手前まで長い切り傷がついていた。
頬の内側まで貫通した傷に見える。
そのままでは頬が開けて不便だからか、金で作られた輪で上下を閉じていた。
髪は褐色。瞳は深緑色をしていた。
アベルは男の瞳を観察する。
自然の中で培った自信や勇敢さを感じる。
狡賢いというような気配はなかった。
相手の男は不思議そうにイースに話しかけてきた。
「お前、綺麗な顔をしているな。それに珍しい髪だ。真っ黒なんだな。瞳が宝石みたいに赤いぞ」
「私は魔人氏族の血を引いている。混血だがな」
「ユーリアンには亜人もいるのか?」
「いいや。旅人だったのだが、今は客として遇してもらっている」
「お前らも、ズマとか言う男の軍勢と戦うのか」
「そういうことになったな」
「面白そうだなぁ! ユーリアンの連盟に加われば奴隷も貰えるうえに、戦えば戦利品も手に入る!」
顔に異様な傷のある男が陽気に笑うと、何か奇態な凄味があった。
道すがら話しをしていると、その男はスターキ氏族の族長の次男であるのが分かった。
名前はルスタール。
恐ろしげな顔をしているが、性格は明るかった。
会話をしている内に色々と分かってきたことがある。
スターキ氏族は総勢数万人の大氏族で、北方草原の中でも最北部の辺りを縄張りにしているらしい。
そのスターキ氏族なのだが、人数と家畜が多すぎるので、族長は数名の子供に氏族人を連れて枝分かれを命じたという。
そうして、ルスタールは約千五百人を従える長として、遊牧のために南下していたそうだ。
言ってみれば分家みたいなものだろうか。
去年の秋、ユーリアン氏族が連盟を呼び掛けているという噂を聞いて、ここまでやって来たということだった。
飼料用の干し草を作る作業をしている奴隷たちを並べて、スターキ氏族の者たちが品定めをする。
まず、若い男が選ばれる。
それから筋肉の付き方を調べて、歯を見た。
虫歯が多いものは不健康と見なされる。
最後に顔色で病気の有無を判断された。
ルスタールがウルラウに聞いた。
「何人、貰える?」
「……氏族連盟に加わってくれるのなら何人でも欲しいだけもっていけ。ただ、私は奴隷どもと五年を良く働いたら解放する約束をした。その約束は引き継いでほしい」
「ふ~ん……。いいだろう! 奴隷を五十人くれ。その代わり、スターキは三百騎で協力する。場合によってはもっと出してもいい」
「三百とは大勢だな。助かる! ユーリアンのウルラウはスターキ氏族を仲間として受け入れよう」
こうしてスターキ氏族もウルラウの仲間になった。
その夜は歓迎の宴が催され、飲めや歌えやの賑わいだ。
アベルはウルラウの元に戦力が結集しつつあるのを感じる。
同時に草原氏族の習慣や考え方を肌で感じ取った。
翌日から、さっそく氏族全員で移動が開始された。
普通、大人数の移動では食料の確保がまず問題になる。
しかし、草原氏族は家畜の馬を始めとして羊や山羊、牛などを伴って移動するので、飢えることはない。
くわえて家族ごと移動するので戦士を支援する体勢ができあがっている。
この機動力は農耕民族にない強みだった。
昼と夜の時間がほぼ等しくなる、春分の日。
ウルラウが呼びかけた草原氏族連盟は申し合わせていた場所に集結した。
十の氏族、約千八百騎におよぶ騎馬集団である。
ウルラウが目指していた千騎を大幅に上回る軍勢だった。
これは馬に乗って戦闘をする者の総計で、彼らの家族なども含めると四千人ぐらいは集まっている印象だ。
親戚同士でもあるので、まるでお祭りのような賑わい。
各氏族の族長が集まり連盟の誓いをする。
神への捧げものである羊を殺し、心臓を取り出す。
その心臓を分割して、族長たちが食べるのであった。
ウルラウの唇が鮮血で、より赤くなる。
アベルが遠目に見ても妙に美しかった。
この場合、ウルラウが盟主になるのだが、他を下に従えるというわけではない。
あくまで義の象徴というか、連盟の総名代であって、他の氏族はウルラウに力を貸すという形態であった。
よって物事は合議で決められる。
氏族連盟は遊牧をしながら南下して、ディド・ズマの軍勢やヌバト族の勢力地域を目指した。
ウルラウは連日、他の氏族と相談して戦略を組み立てる。
そういう相談も馬上で移動しながらやるので、軍勢は止まることがない。
日常の遊牧生活と戦闘行動が不可分であり、そこに騎馬民族の強さがあるとアベルは気が付く。
二十日間ほど軍勢は、ゆっくりと確実に進軍を続ける。
そして、とうとう敵の支配地域に到達した。
北方草原の最南部にあたる地域で、ここから南にいくほどディド・ズマの影響力が強くなる。
さらに南下して山脈を越えると中央平原に到達するそうだ。
現在、その中央平原は王道国が支配している……。
ディド・ズマは自らの支配領域を広げようと東は魔獣界、北は北方草原、北西は森人氏族や鉱人氏族など様々な亜人の住む領域に圧迫を与えているらしい。
支配した街や村には重い税金を課して、払えないとなれば容赦なく攻撃と略奪を仕掛ける。
争った末に負ければ、住人たちは炭鉱や荘園へ奴隷として送り込まれるらしい。
凄まじい欲望の塊のような男だとアベルは感じる。
ディド・ズマとはいったい、どんな男なのだろう。
そして、そんな男を利用できる王道国の王とは、いかなる人物なのか……。
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アベルたちとウルラウは氏族連盟の本隊から分離して、さらに先行する。
敵の本拠地を偵察するためだ。
もう雪は完全に消えて、爽やかな春風が吹き、青々とした草が大地を覆っていた。
まずは、かなり遠方から敵情や地形を探る。
とりあえず地域全体を大きく理解してから、徐々に細かく追及するという方針だった。
調べてみると判明したのは、歩兵の多いディド・ズマの軍勢は砦というか要塞じみたものを造って、そこに籠城しているということだ。
砦が造成されたのは河の横にある高地であった。
高地と言っても、周囲の草原から二十メートルほど小高くなっている程度のものだ。
面積はアベルの見たところ南北に二キロ、幅一キロぐらいだろうか。
その高地に天幕や小屋が無数にある。
約三千の歩兵や騎馬の大多数は高地で宿営しているらしい。
高地の河側は切り立った崖状の斜面になっている。
崖には一か所だけ、河と高地を行き来できる細い坂道があるものの、馬で登ることはできそうもない。
崖は険しく、直下は河なので大軍が登るのは不可能に見える。
敵の方も河側は天然の要害になっていると考えているらしく、特に人工物の障害は設置されていなかった。
アベルが見たところ河の幅は三十メートルほど。
南から北へと流れている。
水の勢いは、それほど急ではない。
むしろ穏やかな部類だ。
河の水深を確かめるために、アベルは防具を外してから馬を流れの中に進ませる。
赤毛の愛馬は、嫌がりもせずにアベルの意図を理解して河へと入っていった。
馬は泳げるので深くとも溺れる心配はほとんどない。
河の中央部に深みがあり、馬は足がつかなくなってしまった。
防具を付けた人間が騎乗したまま水中に入るのは、かなり危険である。
重たい防具を着けたまま、うっかり水に落ちれば死んでしまうことぐらい子供でも分かる。
足がつくからと油断するのも禁物だ。
体勢が悪くて起き上がれず、混乱して水を吸い込んだら、たちまち溺れてしまう。
つまり河側から要塞を攻撃するのは、ほぼ不可能ということだ。
できるとして少数の精鋭による奇襲ぐらいのものだろう。
河の調査は終わったので、砦の偵察を再開する。
草原側の麓は木柵と堀で防備を固めてある。
木柵の総延長は五百メートルぐらいだろうか。
柵のない場所は垂直になった斜面などで、ハシゴでもなければ上には行けない。
堀は工事中で、まだ二割ぐらいしか掘り込みが終わっていなかった。
それでも、騎馬が高地の中に入り込む余地はないようだ。
草原には森林地帯が少ないから、当然材木がほとんどない。
ウルラウが言うには、柵に使えるような木はこの付近では手に入らないということだった。
となれば、砦の建設に使われている材木は離れた森林地域から伐採して運んできたものらしい。
柵は重厚な作りではなく、簡素なものである。
腕ほどの太さの縦材に人が潜れない間隔で横材が架かっている。
要は騎馬突撃をさせないための、最低限の防備だった。
しかし、一か所だけ例外があった。
高地と外部を繋ぐ「門」がある。
出入り口のあたりは二階建ての砦が造られていて、周囲よりもさらに堅牢に造られているようだ。
アベルはカザルスの望遠鏡で観察してみる。
門の両脇に物見櫓が二つ、見えた。
矢なども放てるような本格的な造りになっている。
あまり近づくと発見される恐れがあるので、アベルたちはそれ以上近づかないことにした。
別の地点から砦により接近を試みる。
やがて起伏の影から近づけそうな場をイースが見つけ出した。
ウルラウやロペスが、強弓の射程外からじっくりと砦の様子を見極める。
アベルも付き合って観察していたが、斜面と木柵、堀などがあって、やはり馬で攻めるのは難しいように思えた。
騎馬の最大の強みは機動力である。
要塞攻めには、全く向いていない。
拠点を無理に攻めると弓や魔法によって無意味に損害を出してしまう。
「イース様。こういう場合はどうしたら良いでしょうか」
「私は百人ぐらいの戦いなら意見も言えるが、こうした数千人の兵士を動かす砦攻めに見識はない。ロペス様と相談してくれ」
偵察に同行しているガトゥやライカナも戦略に口出しするつもりはないらしく話に加わらない。
アベルは戦争しか知らない男に聞いてみる。
「ロペス様。何か策はおありですか? 馬では攻撃しにくい。こちらの強みが使えないという有様ですが」
「いくつか手はある。最も常識的な方法は包囲して連絡や輸送を絶つ。我々がポルトでやられた兵糧攻めだろうな」
「はい。兵が多ければ必要な食糧もたくさんですからね。飢えだしたら戦いどころではないです。だからポルトでは大量の食糧を貯蔵しておきました」
「アベル。城を攻めるのに適した兵は何だと思うか」
「一種類の兵科ではなくて……剣士、槍、弓、工兵など諸兵科を総合力でぶつけることです。どこか一部門でも弱ければ、それは全体の弱点となるでしょう」
アベルがそう答えると、ロペスが厳つい顔を怪訝そうにした。
「お前、いつ兵学を習ったんだ」
――いや、それは俺の前世では常識なんだよな。
会社だって一部門だけじゃ成り立たないんだ。
経営、製造、営業、販売という具合に部署がいくつもあってだな……。
「いや、へへへ。まぁ、聞きかじりです。ロペス様、お許しを」
「ふん。アベル。お前に不気味なところがあるのは知っている……。では具体的に、騎兵しかいない今の状況で兵糧攻め以外に何か手を思いつくかだ。敵は騎馬相手となれば立て籠もって戦う方が有利と知っている。草原氏族に手出しができないと思うからこそ砦を作ったのだ。簡単には誘いに応じて出撃しない。おそらく出てくるときは準備が整って決戦する場合だ」
「う~ん……」
アベルは景色や砦を観察する。
無い物を欲しがっても仕方ない。
あるものを利用する他ないのだ。
目に付くのは草原……。石や岩。
「草かな……。草を刈り取って、乾燥させて束にするのです。冬の間、家畜に与える飼料のような感じで。大きさは一人で持てるぐらい。それを夜間、馬で柵の傍まで運ぶのです。そうしたら火を付けて、逃げる」
ロペスが獰猛な感じで、にやりと笑った。
「ほるほど。火攻めか……。悪くない手だが、柵に近づくと敵は矢を射かけて来るだろうな」
「そこは夜襲かつ速攻に賭けます。それに草の束が盾の代わりになります。複数個所を同時に攻撃して、撤退の時にこそ魔法で防御しながら逃げる。あるいは大量の草束を一気に燃やせば、かなりの煙がでます。それが煙幕となって敵の目を欺くかと」
「そうだな。できれば大量かつ広範囲に燃やすのが一番良かろう。火勢が増せば、生半可な魔法では消すことはできまい。しかし、上手くいっても柵を破壊したあとに問題があるな。力攻めをすると追い詰められた敵は死に物狂いで抵抗する。頭数だけは向こうの方が多いからな。攻め切れるかどうか」
「威嚇して恐怖心を煽り、河のある崖側に敵を追い詰めれば……」
「アベル。お前は恐ろしいことを考えるな。おそらく集団が恐慌状態になって崖を下り、河に入れば助かる者など僅かだろう。お前の意図は短期間での殲滅戦だ。
俺なら、一か所だけ敵が逃げられる間隙を作っておく。敵はそこへ殺到して、あとは勝手に逃げてくれる。歩兵が食料もなしに草原を歩いて逃げられるわけがないのだがな」
「ロペス様の作戦は中期的な殲滅戦ですか」
「バカを言え。俺の案は無理な力押しをしない漸減戦法だ。敵に自滅させるのが、上策というもの」
「いやぁ。僕も敵を追い詰めたら危険なのは分かっているつもりです。ただ相手が逃げずに、あくまで抵抗したらどうするかを考えているわけで……」
「それで河に追い込むと? あきれた奴だ」
モーンケが、いやらしく笑った。
「ひへへ。とにかく戦争ってやつは相手の嫌がること、やられたら一番困ることを狙うものさ。アベル。お前、そういうの得意だろ?」
「いや、モーンケさん。そういう方面でこそ僕はあんたには敵わないよ」
「そんなことねぇって。性格の悪さじゃ、お前が一番さ」
「それ違う……絶対」
会話を聞いていたウルラウが、ひどく感心していた。
「草原氏族では考えない戦い方だ。正直なところこれほど大規模な要塞に戦いを仕掛けることなどないから策がなかった。教えてもらえなければそのまま攻撃していたかもしれない。さっそく族長たちに今の案を聞いてもらう!」
ロペスが喜び勇むウルラウと好対照の無表情で言った。
「籠城は援軍がある場合にとるべき手だ。もしかすると敵にあてがあるかもしれない……調べておいた方がいい」
カチェは、ずっと気になっていた疑問を口にした。
「敵軍は材木をどこからどうやって持ってきたかしら。陸路を馬車で? 無理じゃないかしら、それって。草原は馬でなら大抵の場所を通行できるけれど、重たい荷物を積んだ馬車となると、まともな道が必要よ。アベルはどう思う?」
「たぶん、河を利用したのでしょう。上流の南方向はディド・ズマの支配地域です。そこで伐採して、川に流して運んだのでは」
「となると、援軍や物資を同じように輸送するかもしれないわね。つまり漫然と包囲しているだけでは勝てない」
「何か防ぐ手を考えておかないとな……」
草原を眺めながらロペスが言った。
「増援が大規模にあるとは思えんな。数万の余剰兵力はディド・ズマにもないはずだ。なにしろ、主戦場は遥か西方の皇帝国なのだから。練度の低い雑多な傭兵が増えたところで食料不足を招く。それを狙ってここは兵員の輸送をあえて見過ごすというのも手だ。いずれにせよ、夏か秋ぐらいまでの包囲戦は覚悟しておくべきだな」
「敵の将はどんな奴だろう。年齢や性格を知ることが出来れば弱点を見つけられるかも。ウルラウさんは何か知っていますか」
「ヌバト族の族長はバートルという名だ。年齢は五十歳ぐらい。総勢千人ほどの氏族で、奴らは草原でも最も南の方を縄張りとしていた。脅されて屈したか、早めに傘下に入って有利な立場になろうとしたかは分からないが、要するに損得で動く男だと思う。
ズマが送り込んできた将の名はフォーグとかいうらしい。私の兄が息を引き取る前に教えてくれた。狡賢い顔をした男だったと。噂ではディド・ズマという傭兵どもの頭領は酷く残虐で容赦のない男だというから、手下も似たような者であろう」
「そいつらがそれほど深い仲とは思えない。勝っている間は協力しても苦しくなれば綻ぶかも……」
その後、ウルラウが主導した合議の結果、物資や人の流れを遮断するために騎馬部隊を張り付けることなった。
それと同時に氏族連盟の者たちは草の束を作る作業に入った。
敵に意図を察知されないように、砦から見えない距離で作業を開始する。
着々と最初の一手が整いつつある。
戦争はもう目前だ。
~~~~~~
ディド・ズマの配下。将軍の一人であるフォーグ・ベルナルは砦に作った宿舎で酒を呷る。
捗らない戦況の苛立ちから、酒量が増えていた。
見ず知らずの異郷で何千人もの者を指揮するのは至難の業と言っても余りある。
重圧は増す一方だった。
つい、なんとなく己の過去を反芻する。
どうして、こんな北方草原などという辺境で軍団を率いることになってしまったのか……。
今年で三十八歳。
もともと皇帝国の下級貴族の家に生まれ、父親は騎士だった。
子供のころから自分に自信があった。
父親から仕込まれた格闘術や剣術を素早く吸収したおかげで喧嘩に負けたことが無い。
頭でも抜きんでていた。
軍学や築城術も意欲的に学んで理解した。
希望を抱き公爵家に仕え、騎士見習いになり、あともう一歩で騎士になるところだった。
ところが、そこから先が長すぎた。
無能な主は少しも自分に注目しなかった。なぜ、俺ほどのものを認めないのか理由が分からない日々。
抜擢さえしてくれればどんな困難な任務もやり遂げて出世できると信じていた……。
だが、三年経ち、四年経ち、二十二歳になっても見習いのままだった。
努力が認められない日々。
やがて父親が王道国との戦争で戦死した。
人生最大の衝撃だった。
尊敬していた父は、手柄とは程遠い、つまらない小競り合いで呆気なく命を落としたのだ。
つくづく先の見えない人生。
公爵家に嫌気がさして、いちかばちか亜人界に出奔した。
亜人界では才覚次第で、いくらでも立場を作れた。
二十五歳の時には、既に百人からの構成員を持つ傭兵団の団長になっていた。
さほど豊かではなかったが、やりたい放題の日々。
己の才覚を頼りにした自由な毎日。まさに青春だった。
だが、そんな生活も長続きはしなかった。
あの男……。
ディド・ズマに目をつけられた。
異様な男だった。
地獄から這い出てきた怪物と見紛う、醜悪な顔。
イボ蛙と人間の混血だと思ったほどだ。
どんな戦いでも弱気になったことなどなかったが、ズマの執念深い視線に怖気が出た。
そして、ズマは傲慢に命じてきた。配下になれと。
なれば働き次第で数千人を指揮させ、広大な土地をくれてやる……。
選択の余地など無かった。
ズマの率いる傭兵団「心臓と栄光」は構成員二万人。
桁の違う勢力だ。しかも、ズマの暴力の凄まじさは知れ渡っている。
街を落とせば平然と数千人を虐殺して、女という女を犯し、攫い、奴隷にする。
子供までも、まとめて鉱山や荘園に送り込む。
逆らえば、ひとたまりもなく殺される。
これも転機だと諦めて配下になり、亜人界、中央平原で身を粉にして働くこと十年。
ついに将軍の立場になるほど出世もした。
三千人もの人員を割り当てられ、大規模な略奪で富を得た。
だが、満足とは程遠い。
まだ上に行けると自分を信じていた。
さらに地位が上がれば、与えられる兵士の数は増える。
戦で活躍すればディド・ズマから広大な荘園まで与えられるはずだ。
そうとなれば、それは小さくとも「王」のような存在である。
王。
傭兵稼業の男なら誰しも夢見る頂点。
ディド・ズマの手下と幹部たちが皆、目指しているところだ。
負けるわけにはいかない。
フォーグに去年、命令が下った。
今度は北方草原で草原氏族を傘下に引き入れろということだった。
目標は騎馬三千以上をディド・ズマの軍門に降らせること。
ディド・ズマは言った。
ガイアケロン王子とハーディア王女は、僅かな親衛隊を伴って北方草原を訪れ兵力を手に入れた。
王族二人に出来て、このディド・ズマに出来ないはずがない。
特に騎兵が不足している今、どうしても草原氏族の力が欲しい。
腹心の部下であるフォーグ、お前だからこそ、まずは任せる。
後から、さらに二千の援軍も派遣してやる。
成功すれば、もっと高位の将軍にしてやろう……。
内心、嫌な命令だとフォーグは思った。
豊かな街を略奪すれば上納金を払ってもなお、巨額の金を手に入れられる。
それと違って北方草原という辺境で生活している氏族たちを支配下に置いても、大した収入にはならない。
街と違って略奪できる物も少ないに決まっている。
しかも、草原の現地民を手懐けてズマに従わせないとならない。
だが、断るわけにはいかなかった。
ディド・ズマは命令を全うできなかった手下を容赦なく切り捨てる。
ここで無理だと言えば、大幅に扱いは悪くなる。
ディド・ズマの下には野心を滾らせ出世したい男たちが群がっていた。
限りある将軍位は、常に争奪戦だ。
ディド・ズマの望みを叶えなければ、やっと手に入れた将位も失いかねない。
それだけは我慢できなかった。
苦しい命令をこなし、幾度も命を賭けて、手にした地位と立場。
無くすぐらいなら……戦って死んだほうがましだ。
フォーグは決意と共に、兵を率いて北上した。
北方草原は訪れたことがない。
土地勘がないので、現地を知る商人を捕まえて情報を聞き出した。
陸路を歩いて進むよりは、河から船で行くのが楽だという。
しかし、草原に着いたところで街というものはなく、遊牧民は移動を繰り返しているらしい。
そこでフォーグは、作戦を思いついた。
大規模な拠点を建設して、草原氏族を呼び出す。
数千人の兵士と要塞の威容を見れば簡単に屈するだろう。
途中、山林地帯で木材を伐採。
丸太船を作り、それに乗って河を下り北方草原に到達する。
手ごろな高地を見つけ出して、砦を造り、近くで遊牧していたヌバト族を誘い出し、なかば脅迫して配下に組み込んだ。
さらに、フォーグの部下とヌバト族の娘を婚姻させるなどして、関係も強める。
そうして去年の晩夏までは上手く行っていた。
ところが、ユーリアン氏族を隷下にするのを失敗してから、計画が狂い始めた。
これまで堅牢な防備を敷いた城塞や街をいくつも攻め落としたことがある。
普段は遊牧をしている辺境民など、力で従わせる自信はあった。
ところが、草原氏族はこれまでの常識が全く通用しない相手だった。
ディド・ズマの名を出しても、恐れないし靡かないのだ。
数十倍の戦力差があるのにも関わらず、ユーリアン氏族のように獰猛に抵抗する者たちまでいた……。
同室にいるヌバト族の族長、バータルは沈黙している。
フォーグは不機嫌を隠すつもりもなく、詰問するかのように言う。
「バータル殿よ。春になれば仲間が増えるのではなかったのか」
「皆、すでにユーリアンの連盟になっていた。今はもっと遠くまで使者を送っている」
「そいつらはズマ様の軍門に降るのだろうな」
「我らにやったように、大軍で脅さなければ難しかろう」
「では、使者など送っても無駄ではないか!」
バータルは苦々しく言った。
「すべては、お前らがユーリアンの族長を殺したのが原因だ。儂は最後の手段として人質を進言したが、殺せとは言っていない。我らは義を失ってしまった」
「ふん。まさかあれほど囲んであるのに抵抗するとは思わなかった。勝手に暴れて勝手に殺されたバカどもが……自業自得だ」
「兵力を小出しにしては狙われるだけだと忠告もしたはずだ。それなのに小部隊を出陣させて、ほとんど全滅させるとはな……。同行していたヌバトの若者が何人も死んでしまった」
「うるさい! 砦の建設で人手が必要だった。割ける兵力があれしかなかったのだ。お前ら草原氏族は馬の扱いだけは中々のものだが、拠点を攻めるのが下手だろう。だから、この砦はどうしても造らねばならなかった」
「ならば、守りに徹しておればよかろう。部隊を派遣することはなかった」
「春まで、ただじっとしているなどできるものか。ズマ様が成果を待っているのだ。何か手を打たなくては。たまたま捕捉された上に負けたのは、ただの不運だ。
……まぁ、じきに援軍と物資が来る。合流したら、決戦を挑んで奴らを蹴散らしてやる。勝てば奴らの連盟など、すぐ緩むさ。今年の冬が来るまでに抵抗する部族の宿営地を片っ端から虱潰しにするぞ。冬越しができないとなれば我々を頼るしかなくなる。この手なら必ず勝てるのだ。早くしなければズマ様が機嫌を悪くされる」
フォーグは荒れた心を鎮めるために、蒸留酒を生のままで飲み下した。
しかし、それでも不安は治まりなどしない。
脳裏に浮かぶ怪物じみたディド・ズマの顔。
底なしに欲深く、圧倒的な暴力と恐怖であらゆる者を支配する。
ズマの命令を遂げらず、生きたまま全身の皮を剥ぎ取られた配下が幾人もいた。
皮を剥がれ生肉の塊のようになっても、まだ生きている。
そこへ飢えた犬を放つのだ。
忘れられない悲鳴。
ズマは楽しそうに、これ以上面白いものはないという風に笑いながら見ている。
死闘を掻い潜ってきた己ですら思い返すだけで汗が出てきた。
勝てなければ確実な死が待つのみ。
絶対にこのまま逃げ帰ることなど出来ない。
フォーグは歯を食い縛り、どんなことをしても戦う決意を固めた。
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