第63話  仲間集め




 

 冴えた星空は薄らぎ、代わりに東の空が僅かに太陽の気配を感じさせた頃、アベルは目を覚ます。

 ほとんど同時に隣で寝ていたイースも半身を起こした。

 ユーリアン氏族たちの声や興奮した馬の嘶きが聞こえる。


「イース様。食べるものとお湯を……」

「彼らは、もう起つような様子だぞ」


 共に戦うことになったユーリアン氏族らの様子を見ていると、彼らは早くも戦闘準備に取り掛かる。

 朝食はどうするのかと近くにいた氏族の男に聞いてみれば、急ぐので馬上で食べるという。

 ぼやぼやしていると置いて行かれそうなのでアベルたちもそれに倣うことにした。

 驚いたカチェがアベルに聞いてくる。


「馬に乗りながら食事! アベル。どうやってやるの? わたくし、水ぐらいなら飲みますけれど」

「僕もやったことないけれど、まぁ……舌を噛まないようにしましょう」


 アベルたちはウルラウに従い、薄暗い早朝の草原を馬で駆けた。

 少し霧が出ていて空気は涼しく、清々しい澄んだ雰囲気がある。

 そんな草原を殺気だった騎馬集団が馬蹄を轟かせて移動していた。

 憎い敵を探し出して殺すためだ。


 すぐに日の出となる。

 ひどく明るい朝日が差し込むと、遮るもののない草原はすっかり姿を現す。

 ユーリアン氏族の者たちは馬を走らせながら、馬乳酒の入った革袋を投げ渡していた。

 馬に乗りながら酒を飲み回すわけだった。

 それから昨夜、焼いておいた肉などを齧っている。

 何事もなくやっている様子なので、彼らには日常的なことらしい。

 さすが馬と共に暮らす騎馬民族とアベルは感心する。


――ユーリアン氏族か……。

  草原の人々はどんな風に生活しているのか……。

  興味あるな。

  それに殺された族長の娘。あのウルラウって女の子。

  ディド・ズマの大軍相手に戦おうなんて勇気があるというか、

  もはや蛮勇というべきか……。


 少女の身でありながら一族の命運と復讐を賭けて戦うウルラウがアベルの方へ馬を寄せ、革袋を投げて寄越した。

 それを受け取る。

 飲めと言う意味に決まっているから、アベルは中身を飲んだ。

 馬乳酒だ。

 ちょっと酸っぱい、ヨーグルトに似た味の酒。

 アルコール度数は低いようなので、それほど酔わない。

 皇帝国ではほとんど飲まれることの無い酒だった。

 やはり異なる文化圏に入っているのだと実感する。


 ウルラウが笑顔ではないものの、出会った頃の緊張感をすっかり消した表情でアベルに話しかけてきた。


「アベル。聞きたいことがたくさんある」

「はい。なんですか?」

「貴方たちの長はロペス殿ということでいいのか」

「そうです」

「三騎の礼のときにいた、薄青色の髪をした魔人氏族の女性は何だ? ロペス殿の妻か?」


 横で会話を聞いていたカチェが思わず笑っていた。

 笑っているといっても苦笑だ。

 夫婦として、あまりにもあり得ない二人……。


「彼女はライカナという学者です。魔獣界で知り合って、いまも道案内や交渉などで助けてもらっています。協力者というか恩人ですね」

「アベルとロペス殿は主従関係か?」

「そう思ってもらってもいいのですけれど親戚でもあります。僕の本当の主はイース様です。黒髪の……」

「ああ! あの、恐ろしく強い戦士か。あれほどの使い手、滅多にいないだろう。大剣を自在に振り回し、草でも刈るように長槍を薙ぎ払っていた。私はそのことでも驚いた」


 アベルはイースの腕を理解してもらえて気分が良くなる。


「ウルラウさんもそう思いますか。そうなんですよ! イース様は優れた戦士なのです。でも、素晴らしいのは、そのお心です。決して人を騙さず、妬まず、憎しみもしません!」


 ウルラウはアベルのどこか暗い視線が、イースを語るとき情熱の色を帯びるのを見た。

 強い絆で結ばれた強固な主従なのだと察した。


「アベルたちの一行は全員親戚なのか」

「違います。ロペス様、カチェ様、モーンケ様がご兄弟です。そして、残った僕らの主ということになります。あそこで走っている狼人はワルト。僕の所有する奴隷というか、友達みたいなもんです……」

「アベル。あんな雷を落とす魔術など見聞きしたことも無い。どこで覚えたのだ」

「とある高位の魔術師に教えてもらいました。しかし、まだ完全に会得しているわけではありません。とても危険な魔術です。失敗したら味方や自分まで殺しかねない。あれはたまたま成功しただけです」

「ロペス殿やアベルには助けられた。我ら草原氏族は敵に容赦しないが、恩には篤く報いる。今日、残敵との戦いに決着をつけたら我らの住処まで来てくれ。歓迎したい!」

「はい。たぶん、ロペス様は断らないでしょう……」


 アベルとウルラウらが前日、戦いのあった場所に行くと人や馬の死体がいくつも落ちている。

 早くも禿鷲が死骸に群がり、肉を啄んでいた。

 敵は死体の埋葬もしないまま、慌てて逃走したらしい。

 使えそうな武器や鎧、服や靴に至るまで回収するや撤退をした敵の歩兵部隊の追跡に移る。

 草原に足跡が残っているので追うのは容易だ。


 馬を走らせること数刻。

 緑の絨毯のような草原に、黒い人影の集団が見えた。

 ウルラウは号令をかけて馬の速度を上げた。

 彼女が凛とした声で命令した。


「まずは敵を囲む。降服の意志が無いのなら、矢を射かける! アベルたちは見ていてくれ」

「敵の魔法使いに注意してください。歩兵の中に混ざっているでしょう」

「ああ、分かっている! 」


 ウルラウは約百五十騎の仲間を三つに分けた。

 そして、敵の歩兵集団を周回しながら威圧行為を繰り返す。

 敵の弓兵から矢が放たれてきたので、アベルは突風で方向を逸らせる。

 歩兵の数は三百人ぐらいのように見えた。

 分散して逃げられたらそれが一番厄介だったのだが、やはり地理の不確かな場所をばらばらに逃げる不安感から集団になっていたようだ。


 アベルは手のひらを頭上に掲げて魔力を集中させる。

 火魔術「爆閃飛」をイメージ。

 赤い炎が筋を描いて敵の群れに吸い込まれていった。


 爆発。

 上手いことに敵の魔法使いの守備範囲外だった。

 爆風で兵士が数人、吹き飛ばされる。

 敵たちが狼狽して、逃げ場などないのにどこかへ脱出しようと駆け出す者が見えた。


 咄嗟にウルラウが機と見て、氏族を率いて接近していく。

 騎射を繰り返した。

 敵は複数方向からの飛来してくる弓矢に翻弄されて、ほとんど何もできない。

 相手の魔法使いが気象魔法「突風」で防御しようとするが、全方位から射かけられるので、防ぎきれなかった。

 アベルは思わず呟く。


「隠れる場所がないと、歩兵は騎馬に勝てないよな。これでは」


 イースが冷静な声で淡々と答える。


「これが騎馬の理想的な戦い方だ。こうなったら強力な魔法を使うか、あるいは大型の盾を用意しておいて歩兵に装備させ、最前列に配置。それで、なんとか耐えるしかない。矢はやがて尽きるからな」

「イース様。でも、敵の剣士兵の持つ盾は中型ですね。上半身を守る防具みたいだけれど」

「ああ。だから、あれでは草原氏族の矢を防ぎ続けることはできない」


 やがて敵に動きがある。

 手を振っていた。

 降服の意志がある者が武器を捨てて、歩き寄ってくる。


 敵中でイザコザが起こっていた。

 戦意のある者と無い者が、言い争いのようなことをやっている。

 仲間割れだ。

 これはもう、あと、ひと押しだとアベルは確信する。

 魔力を高めて、敵に向かって気象魔法「極暴風」を食らわせた。

 激しい風によって前列の兵士が転がっていく。


 もはや完全に戦意を失った敵兵が、武器を捨てて座り込んだりしていた。

 あくまで抵抗を止めない二十人ぐらいにウルラウたちが騎馬突撃を仕掛ける。

 槍を構える敵の顔面へ、ウルラウの放った矢が命中。

 体勢の崩れたところに馬を体当たりさせた。

 まさに馬蹄で踏みしだくとは、このことだろうか。

 百騎を超えるユーリアン氏族の攻撃で、最後まで抵抗する敵は木っ端みじんになった。

 草原に無数の骸が転がっている。

 ウルラウは馬上から敵に呼びかけた。


「武器と防備を一か所に纏めて捨てろ! 従わない者は殺す!」


 降服した敵は仕方なく従っていく。

 やがて装備の山ができあがる。

 丸腰の敵が三百人以上、立ち竦んでいた。

 皆、これから自分がどうなるのか不安そうにしている。

 性別は全員が男だった。


「服も全て脱げ! 金品を隠しても無駄だ。あとから必ず見つかる。そのときは盗人として腕を叩き切るぞ!」


 厳しい要求だが身内や仲間を殺されているのだから当然かなともアベルは思う。

 多くの敵兵が服を脱いだ。

 だが中には命令を聞かない人間もいる。

 そうした者の元にユーリアン氏族の男たちが近づいて行って、蹴り飛ばし刀を突きつける。

 そうすると最後の反抗をしていた兵士も渋々と服を脱いだ。


 首飾りだとか腕輪を奪い去り、体に何も隠していないか髪の中まで調べて、問題がなければ着衣を許した。

 ウルラウたちは物品をその場で分け合う。


 鎧など防備のない者には体に合う物を渡していた。

 刀剣に弓なども人気のある物らしく、争いにならないようにウルラウが裁定している。

 しばらくして分配が終わったらしく、ウルラウと弟のルゴジンがアベルたちの元にやってきた。

 二人は手に器のような物を持っていた。

 それは裏返しにした冑で、その中に戦利品を満たしてある。

 貴金属類で出来た装飾品や、金貨銀貨が輝いていた。宝石の嵌った腕輪や首飾りなどもある。

 冑ごとロペスに渡してきた。


「ロペス殿。すまないが武器類は私たちが使うので分けられない。代わりに奪った貴金属や貨幣の半分を渡す。これで満足してもらえないか」

「いや。多すぎるぐらいであろう。有難く貰っておく」

「ロペス殿。我々はこれからあいつら、奴隷どもを連れて宿営地に戻る。ぜひ、我々と来てもらえないか。貴方たちは恩人だ。草原のこと、戦いのことなど貴方たちのような戦士と語り合いたい。それに……もうじき冬が来る。そうとなれば越冬の必要がありましょう」

「我らはこの辺りについて知識がまるでない。頼むとしようか」


 ウルラウたちは捕虜というか、もはや奴隷となった者たちの中から五十人を選んだ。

 その者たちの手足を縛ると、荷物のように馬に載せる。

 ウルラウが率いる五十騎は先に宿営地に戻るらしい。

 残りの捕虜は徒歩のまま連行する。

 そちらはウルラウの大叔父、ナフタに任された。




 アベルたちはウルラウについて行く。

 雄大な草原をひたすら進んだ。空気は涼しく移動に最適だったが、これから極寒の冬がくるのだった。

 ユーリアン氏族は地形を熟知しているので馬が歩みやすい地点を選んでくれる。

 緩やかな起伏が続く草原でも、苦労の少ない進路というものはあるものだった。


 そうして八日間ほど移動をした先に山岳地域が現れた。

 山岳と言っても、そう高い山ではない。

 アベルが見たところ登ろうと思えば馬でも登れそうな、一千メル程度の山だ。

 風が直接当たらない斜面の陰に、円形の筒のような形をしたテントのようなものが沢山張ってある。

 その数、六十ほどだろうか。

 家畜が、かなりの頭数でいた。

 馬や駱駝もいるし、羊と山羊やぎが多い。


 宿営地に残っていたのは子供と老人ばかりだった。

 彼らはウルラウが帰ってきたので、興奮して大騒ぎをしている。

 捕虜というかもはや奴隷に身を落とした男たちを地面に降ろして、拘束を解く。

 しかし、すぐに立ち上がれるような者はほとんどいなかった。


 馬はかなり揺れるので、縛り付けられた体勢で何日も移動させられると激しく消耗してしまう。

 数日間は半病人のような感じだろう。

 ウルラウがアベルたちの元へやってきて言う。


「ここがユーリアン氏族の宿営地だ。普段ならここで越冬もするのだが、敵が攻撃を仕掛けてくる恐れがある。だから、明日には移動する。これから貴方たちを歓待するから、私の家に来てくれ」


 ウルラウの住処もまた大型のテントのようなものだった。

 アベルは興味深々で入り口から中を見る。

 知らない世界を見られるのでドキドキしてきた。


 細い木材と動物の骨が、柱や梁になっていた。

 壁や天井には羊毛で造られた美しい織物を張ってある。

 けっこう明るいのは、採光のために天窓が空いているからだ。

 広さは十畳より、もう少し広いほどだろうか……。

 立派な作りだが根本的に家屋ではなく天幕なので、どう見ても分解して移動できる構造だった。


 床にも敷物がある。

 族長の家らしく、精緻な幾何学模様や動物の紋章が豪華な絨毯であった。

 こういうところで家格がうかがい知れた。

 靴は敷物を汚さないため、入り口で脱ぐものらしい。

 ウルラウは折り目正しく、アベルやロペスに言う。


「楽にしてもらいたい。鎧を脱いでほしいのだが」


 断る理由はなかった。

 これが安心できない相手ならば、そう易々と従うことは出来ないのだが。

 アベルたちは素早く鎧を外して、靴を脱ぐ。

 やはり体が自由になって爽快だ。


 戦場ではしばしば冑や防具が邪魔になり勢いで外して、そこを襲われて殺される者がいる。

 そういった意味でも戦士というのは我慢強くないと生き残れない……。

 カチェが、すっきりした声で言った。


「あ~。鎧を脱ぐと体が軽いわ! 軽装を好む人の気持ちが分かるわね」


 アベルたちはウルラウに促された場所に座る。

 椅子はないので、あぐらみたいな感じだ。


 すぐに飲み物が運ばれてきた。

 意外にも葡萄酒だった。

 たぶん、客に出す特別なものだろう。

 ウルラウと弟のルゴジンが相対する形で座り、改めて感謝をしてきた。


「私は幸運だ。父と仲間の仇を討ちにいき、貴方たちのような境遇を同じくする者と出会えた」


 ロペスは黙って頷くだけ。

 いつもなら必要もないのにべらべらと喋りまくるモーンケはまだ何か警戒しているのか兄の傍で周囲を油断なく見まわしている。

 おそらく獰猛な戦いぶりを発揮した草原氏族に怯えているのだろう。

 代わりにアベルが答えた。


「考えてみれば僕らこそ幸運かもしれません。知らずに移動していて、ディド・ズマの手下に遭遇すれば何が起こるか分からないのです。傭兵というか野盗のような奴らだから。通行料とか言って法外な金額を要求してきたり……。前にそういう目に遭っているもんで。ところで、ウルラウさんはこれからあいつらと、どう戦うのですか? いくらなんでも敵の数が多すぎます」


 ウルラウは頷いた。


「いくつか近しい親戚の氏族がある。そういった草原氏族にディド・ズマとヌバト族の非道を伝えて、味方になってもらう。捕えた奴隷を贈り物として渡すつもりだ。味方として千騎集まれば、勝てると思っている。ただ、敵の中に強力な魔法使いがいると厄介ではある……それで、実は貴方たちに頼みがあるのだ」


 ウルラウはアベルを見てきて言った。

 玻璃色の瞳に真剣な気配がある。


「草原氏族は強い者に従う。こちらに抜きん出た戦士や魔法使いがいれば、他の氏族の説得も上手く行くはずだ。だから、アベルやロペス殿にまた力を借りたい。つまり、このまま私たちユーリアン氏族の客将として仲間になってほしい。食べ物や報酬は約束する。その他、欲しいものがあれば言ってくれ」

「時期は、いつまでですかね?」

「もうじき冬だ。雪が降れば小部隊ならともかく、大軍を草原で動かすのは無理だ。だから、その間、私が他の氏族に呼びかけを続ける。氏族連合の約束ができたら、来年の春に決戦となろう。それに勝ち目がないほど我らに不利となれば、いつでも離れてくれて構わない。貴方たちは客であって配下ではないのだから」


 アベルはロペスやライカナに聞いた。


「どうしますか」

「俺は協力してもいい。王道国やディド・ズマの勢力を漸減できる。それに越冬の協力もしてもらえるのだろう」

「わたしは、ロペス殿がそう決めたのなら反対はしません。争いは避ける方針ですが、ディド・ズマの非道には呆れるばかりです。それにここまで一緒に旅をして、今更さっさと別れるには、わたしは貴方たちを好きになりすぎています」


 ライカナは理知的な顔に、柔らかな微笑を浮かべていた。

 アベルは頷いた。


「ウルラウさん。僕ら態度は決まりました。しばらく、貴方に力を貸します」


 ウルラウは緊張に満ちた顔を綻ばせて、ほっとしたような表情をした。

 隣に座るルゴジンが満面の笑顔になる。

 笑うと、可愛い顔をした少年だ。


 二人とも、まだ若い。

 気張ってはいるが、一族すべての命運をその身に乗せている。

 負ければ皆殺しか、あるいは奴隷かの運命だ。

 それは物凄い重圧だろう。

 想像するとアベルは二人に同情も湧いてきた。

 命がけになるだろうが力を貸してもいいと思えてくる。


 その夜、大量の肉と酒でアベルたちは饗された。

 氏族の者が、かわるがわる挨拶に訪れる。

 とても顔などは憶えきれなかった。

 一人一人とじっくり話をしたわけではないが、どうやら素朴というか朴訥というべきか、言ってしまえば田舎の人間という印象である。

 特に年配の男は、無口で頑固、動物的なほど根性が据わっている。


 ウルラウの隣に座っているルゴジンは姉に似て、白皙の美少年といった感じだ。

 明るい褐色の髪。青い瞳。

 そのルゴジンがアベルに問いかけてくる。


「アベル様は何歳なのですか」

「僕に敬称はいらないよ。ロペス様とカチェ様、あとモーンケ様が僕らの主だから。それで……僕はもうじき十六歳だ」

「えっ! おれと同い年なの? 二十歳とかもっと上かと思っていた。態度も落ち着いているし体格も大きいから」


――まぁ……そう思って当然というか。ルゴジン正解だ……。



 隣のウルラウも驚いていた。

 それまで黙っていたモーンケが会話に加わるや言う。


「そうそう。こいつ異様だろう。故郷でも噂になっていたんだぜ。好き好んで危険なところに行っては人を斬りまくって、普通なら死ぬような目にあっても平気な顔で帰って来る。目つきは暗くて何を考えているのか分からない不気味な奴。アベルとイースと言えば騎士団でも飛びっきりの変わり者って有名でな」

「……」


 ウルラウはどう答えていいのか分からないらしく困ったように黙っていたが弟ルゴジンはカチェやイース、ライカナの美しさと強さを褒め称えたり、ロペスの雄姿に感動したとか、意外と上手いことを言ってきた。

 もちろん気分の悪くなる話しではない。

 それにルゴジンのような純真な少年が本気でそう言っているのが分かるので、ちょっといい気になってしまう……。


 やがてすっかり夜も更けて、アベルたちはそのままウルラウのテントで寝る。

 薄着では家の中でも寒いので、七輪みたいな暖炉で家畜の糞を燃やしてくれる。

 別に臭くはない。普通にちょっと煙たいだけだ。


 翌日、ユーリアン氏族の者たちは一斉に移動式住居を解体した。

 ばらした天幕の材料はいくつかに分けて、馬に運ばせる。

 正午になる前には家畜を集めて、老いも若きも氏族全体で移動を開始した。

 アベルはウルラウに聞く。


「後から来る人達はどうするのですか」

「心配いらない。移動先を伝えてあるし、念のために使者を送ってある」

「騎馬民族って凄いね。拠点を変えられるから、攻め込まれても無理に守らなくてもいいんだ。不利になれば逃げられる。で、機となれば反撃すると。もしかして民族としては最強なんじゃないのかな」

「ふふっ……まあな。ただし、広大な草原でも縄張りみたいなものはある。親戚同士の氏族なら話し合いをするが、時には争いにもなる。どこにでも行けるかと言うと、ちょっと違う」

「けれど、この広い世界を行こうと思えばどこまでも行ける」

「ああ、そうだ。馬さえあればどこへなりとも行けるぞ」



 移動は続く。

 ユーリアン氏族の者は、八歳ぐらいの少年少女でも達者に馬を操っていた。

 ルゴジンを始めとして、子供らはけっこう人懐っこいところがあってアベルは直ぐに仲良くなった。


「イース様。僕、彼らのことが気に入ってきました。最初は厄介ごとに巻き込まれたと思っていましたけれど」

「無人の荒野だけでなく他人の土地を通る旅だ。こうしたこともあるだろう。困っている者が助けを求めているのなら、できる範囲内で手助けしてやればいい」

「ロペス様はもしかしたら、ウルラウさんが自分と似ていると思っているのかな。親や仲間を殺されているから」


 イースは、そうかもな……と小さいで答えた。

 アベルの知る限りイースは他人の心の有様を、こうと断定することはなかった。

 当然、噂話なども全くしない。

 アベルはイースのそうした淡泊な態度が好きだった。




 ウルラウは捕虜を三十人ほど連れて、他の氏族を訪ねるという。

 アベルたちもその移動について行く。


 見渡す限り、雄大な草原。

 あまりにも広く、視点というか、物事の基準になる感覚のようなものが変化していく気がした。


 五日間ほど移動すると、他の氏族に出会うことができた。

 彼らもまた似たような生活を営んでいる。

 馬に乗り、数千頭の家畜を育て、遊牧をしながら暮らしていた。


 ウルラウは他氏族の族長に丁重な挨拶をすると、自分の受けた非道と顛末を説明する。

 そして、十人の捕虜を贈物の奴隷として渡した。


 その族長は殺されたウルラウの父親と親交が深かったようで、それで協力を約束してくれた。

 来年の春、二百騎でウルラウを助ける運びとなる。


 その日のうちにウルラウは次の目標へと移動していく。

 今度は四日間ほどの移動で別の氏族に遭遇できた。

 同じようにウルラウは礼を尽くして挨拶をして、奴隷を贈呈品として渡す。

 しかし、今度の族長は力も見せてほしいと頼んで来た。


「アベル。すまないが、あの雷の魔術を使ってほしい。あれはかなり効果があるはずだ」


 アベルはウルラウの依頼を受けて、「紫電裂」の魔法を行使してみる。

 カチェも魔力を上空に放出して、発生を手伝ってくれた。


――まだコントロールできているわけじゃないから……。

  かなり危険だけれど……空中に飛ばすだけなら、なんとかなるか。


 ウルラウや他の氏族の者、数百人が見ている前で、アベルは青空に雷を発生させてみる。

 魔力が大気を蠢かし、渦や激しい気流となって満ちていく。

 唐突に、紫の電流が雲のない碧空を迸り、厳めしい雷撃音が響き渡る。

 

 まさに青天の霹靂でしかない現象に彼らは驚き入っていた。

 アベルを仰天した表情で見てくる。

 やがて拍手喝采。


――なんか照れるな……。

  だが、ちょっと複雑だ。

  狙ったところに落雷しないから威嚇ぐらいにしか使えないぞ。


 それからロペスやイースが氏族の者と槍対決や模擬戦、あるいは格闘戦をやってみせる。

 二人に勝てる者は誰もいなかった。

 そうして、彼らもまたウルラウに協力を惜しまないと明言してくれた。


 かつて戦ったガイアケロンとハーディアも、こんな風にして草原氏族を仲間にしていったのではとアベルは想像する。


 前世の世界でも大陸を席巻した騎馬民族があったらしい。

 それだけ騎馬を自在に操れる集団の潜在能力は、凄まじいのだと感じる。

 ただし、草原氏族は強い者にしか従わない……。

 統率するには英雄的な人物でないと無理だ。


 ウルラウは晩秋の間、草原を巡り続ける。

 アベルたちは行く先々で、魔術を実践してみせたり、模擬戦を挑まれれば必ず受けて立った。


 力を見せれば従わない氏族はない。

 義があり、さらに連帯を頼んできたウルラウらに能力もあるとなれば戦いに参加するのは彼らの風習ともいえ常識でもあるのを知った。


 


 結局、冬が到来するぎりぎりまで、約三十日間ほども氏族を尋ね続けた。

 最後は、恐ろしいほどの寒波から逃げるようにしてユーリアンの宿営地に戻る。


 アベルにとって実に面白い旅だった。

 魔術を披露してみせれば、誰しも驚きで手を叩く。

 たまに怪我人などがいれば手間を惜しまず、治療してやったりもした。

 これは友好関係を作るのに、かなり効果があった。


 それにイースは模擬戦で敵なし。

 次々と出てくる腕自慢の騎馬戦士を薙ぎ倒したものだ。

 ウルラウやルゴジンは、ますますアベルたちを深く尊敬して信頼を寄せてくる。

 まさに実りある旅だ。


――仲間が増えるって、こういうことなんだな。

  いいものだ……。



 ユーリアン氏族の宿営地。

 湖が近くにあり、その傍には小規模な森がある地形だ。

 その森の影に七十ほどの天幕が張ってある。

 大叔父ナフタの率いる彼らは、敵から攻撃されることもなく無事に移動と設営を終えていた。


 百人近い元兵士の奴隷たちは、冬越しに伴う労働をさせられている。

 彼らの内、魔法が使えるとか特技があるほんの僅かな者は、働き次第で奴隷頭に昇格させてもらえるようだ。

 そうなると待遇が少し良くなる。

 もしかしたら、いつかは解放されるのかもしれない……。


 これから数か月間、冬季をここで過ごして、春にはディド・ズマの手下たちと決戦になる。

 アベルは大規模な戦いになるだろうと感じる。


 草原を数千の騎馬が駆ける、勇壮な戦闘。

 むろん、ちょっとした不運で命を落とす破目もあり得る。

 ところが草原氏族と共に敵を倒すという目的は、たしかに一瞬の激情が湧き上がってくる。


 アベルは目指している故郷、皇帝国を想う。

 もともとウェルス皇帝への忠義など少しもない。

 国など、どうでもよかった。


 カチェをハイワンド家に届けて、アイラとウォルターに再会できたら旅は終わりだ。

 ただそれだけ……。


 王道国との苦しい戦争の最中、強く死を意識した時、まだ何かをやりたいと感じた。

 本当に手に入れたいもの。


 心の奥底にある衝動や欲望のまま生きたとしたら、どうなるか。

 魔女アスの言葉が蘇る。

 欲するまま行うのは人間の喜びであると。


 もし、自分が求めるまま怒りや憎悪に任せて行動したら……。

 殺したい者を殺し、破壊したいものを破壊し、神に唾棄し、好き勝手の挙句……必然的な破滅を迎える。

 間違いない。 


 そうなったとして……だとしても、やりたいこともやれないまま死ぬぐらいなら、それで充分ではないか?


 ふと、アベルは隣にいるイースを見る。

 今のところイースの傍で戦う日々は悪い気分ではなかった。

 むしろ、放っておくと際限なく深まる飢えのような感覚が和らぐ気すらしてくる。

 あるいは……この先ずっとイースの従者だったとしても、それで不満はないはずだった。

 



 そして、本当の冬が来た。

 忍び寄るような雪が降って草原は色彩を一変させ、雪原となる。

 ウルラウいわく、まるで撫でるような優しい降雪だったらしい。

 これが起伏のない平野で氷雪が吹き荒ぶと、歩くことすら出来ないという。


 凍死するほど厳しい気候になるかもしれないならば、遠出もできない。 

 そういうわけで客であるアベルたちは何もできることなどなく、それでいて食べ物をいくらでも貰えた。

 ただ、羊肉か馬肉、チーズ、馬乳酒などが食の全てであるけれども……。


 数十日をそのように過ごした後、さすがに同じものを食べ飽きたので、アベルは凍った湖に魔法で穴を空けて魚釣りを試みる。

 釣り糸は女性の髪を撚ったもの。餌は木屑の中にいた虫の幼虫だ。

 釣れるかどうか分からなかったが、やがて二の腕ほどもある鱒に似た魚が次々と釣れた。

 さっそくその場で塩を振り、こんがり焼いてイースに渡す。


「イース様。どうぞ食べてください」

「うん……。美味しいぞ」


 仲睦まじい二人をウルラウが離れたところから見ていた。

 その姿は主従というより……もっと別なものに見えた。


 アベルには、ずっと氏族にいてもらいたいほど好意を感じていたが、その姿を見て考えを改める。

 人のものを盗るのは良くないことだ。


 やがてカチェとワルトもやってきて、皆で楽しそうに釣りや食事となる。

 ウルラウはその場に混ぜてもらい、つかの間、族長の苦労を忘れることができた。

 春には血塗れの、激しい戦争が始まる。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る