第51話  悪党どもの宴

 


 



 狒狒の魔獣を殺し尽くしたあと、アベルは怪我をしていたガトゥやロペスを治療する。

 魔力も体力も消耗していた。

 ふらつくほど眩暈がする。


 立っているのも怠いが、ザラをこの場で始末できるかもしれない。

 気力を振り絞って機会を窺った。

 あれだけ激しい戦いのあとなら油断が……という期待。


 ところが、数十名の手下に囲まれていてザラに隙はなかった。

 しかし、有利な点がないわけではない。

 賊たちは狒狒との死闘で二十人ほどが殺されている。

 

 何度も観察して判断材料を探しアベルは迷うが、カザルスやモーンケの疲労が激しいのも気になった。

 特にカザルスの切り札、竜尾千斬は先ほど行使してしまった。

 あの魔術は強力であるが一日一回が限度だ。


 アベルは迷いに迷うが、やはり無理だと感じる。

 やって失敗したら、そこで終わりだ。

 イースやロペスは生き残れるだろうが、一人といえども仲間を失うことは出来ない。 

 となれば残るはアベルの潜入作戦しかない。


「……ロペス様。今は待ちましょう。計画通りに」

「いいだろう」


 さっそく仲間割れの一芝居を始めた。

 アベルとロペスは怒鳴り合う。

 すぐにザラや賊たちが注目してきた。


 それからアベルは走って、まずコステロにザラの仲間へ加えてほしいと頼んだ。

 とにかく金が欲しいと訴える。

 コステロは喜色露わにして疑いもせず、これを受けた。


 そして、いよいよアベルがザラに頭を下げる段になってロペスが横槍を入れる。

 この場合、言葉ではなく本物の武器なのだが。


 裏切り者と凄まじい大音量で叫ぶや豪速でハルバートの石突きを繰り出した。

 ロペスが使うハルバートは先端に槍と斧がついている構造上、重心が偏りやすいため、バランスをとるために逆側の石突きが鉄の塊になっていた。

 それがロペスの怪力で突き出されたのだから堪ったものではない。


 とっさにアベルは後方へ跳躍したが、石突きが胸甲に当たった瞬間に体は吹き飛ばされる。

 呼吸困難に苦しんでいるとモーンケが走り寄って、倒れたアベルの顔面を靴でグリグリと踏み潰してきた。


 アベルは本気で唸り声をあげた。

 もう、ほとんど真剣な殺意が湧きだす。

 モーンケの足首を渾身の握力で掴む。


「んがああぁあぁあ!」


 という怒りの大声と共にモーンケの足を引っ張り、逆に引き倒してやった。

 アベルは素早く立ち上がり、モーンケの鎧に蹴りをぶちかました。

 そして、刀の柄に手を掛けた時、ザラの怒鳴り声が響く。


「おい! ロペスとかいったな! その治療魔術師はもう俺の手下だ! 手を出すなら、わしが相手になるぞ!」


 ザラは刺青だらけの顔に暴力と殺意を漲らせて恫喝。

 だが、ロペスはまるで平然としていた。

 張り出した額の下にある青い目は僅かも動揺しない。

 それから、ザラを無視してぶっきらぼうに言った。


「アベル。お前は俺の親戚だ。最後の情けで命だけは助けてやる。だが、どこかで会ったらその時は決闘だ。その首が大事ならば俺の居そうな所には近寄らないことだな……」


 意外にもなかなか役者だった。

 とても演技には見えない。

 勢いに呑まれた賊たちが沈黙しているなかロペスは踵を返す。

 モーンケが慌てて立ち上がり逃げていった。

 そして、そのままイースたちは密林に去って行く。

 アベルは内心、心細いが今更だ。改めてザラに頭を下げる。


「僕、これまで一族の末席という立場で給金などほとんど貰えない日々を送ってきました。でも、ここでザラ様の勢いと砂金を見て考えが変わったのです。ザラ様の下で働いて金も名誉も手に入れたいと決めました。どうか手下にしてください」


 ザラは鷹揚に頷き言う。


「いいだろう。アベルっていったか……。お前の魔法は役に立ちそうだ。いずれ幹部に取り立ててやる。まぁ、働けよ。

 ああ、それとな。これからは治療のたびに手下どもから金はとるなよ。わしが命じた奴にだけ治癒魔法を使え。そうでないときは、誰のことも治すな」


 これにて潜入成功であるが、さっそくザラの命令と支配が始まってしまう。

 治癒魔法で体を治してもらうにはザラの許可が必要という掟があれば、さらに組織の服従が深まる……というわけだった。

 他人を抑圧したり支配下に置く技術だけは相当なものだった。




 ~~~~~~~




 アベルは賊たちに混じり村へ帰る。

 相変わらず賊たちは欲求不満だった。

 特に女に飢えていた。

 十数人いる年頃の娘たちは、ザラと幹部たちが独占。

 よほどの目立った働きをしないかぎり、それ以外の手下たちは女にありつけなかった。


 ストレスの溜まりきった下っ端の賊たちは喧嘩をするか、罵り合うか、あるいは罪もない村人を虐めるか……。

 そういうことぐらいしか、やらなかった。

 狒狒の魔獣がいなくなり、攻撃される恐れがなくなった途端に集団の規律はさらに悪化したようだ。


 夕暮れ時、アベルが村を歩いていると全裸の男が踊っていた。

 麻薬らしき葉っぱを咀嚼している。

 全身、顔といい背中といい滝のような汗を流していて、口からは涎が垂れていた。

 眼は濡れたように光っていて瞳孔が開いている。

 男のイチモツはギンギンにおっ立っていた。


「おおああぉぉぉおっ!」


 という奇声を発して、男のタコ踊りみたいな動きは、より激しさを増した。

 それを酒で酔っぱらった男たちが笑いながら囃し立てている。


 アベルは顔を顰めて、その脇を通過する。

 そんなアベルの前を塞ぐ人影が二人。

 背後にも気配がある。囲まれた。


「おいっ! 新入り! おめーは何で俺に挨拶しねぇんだ!」


 目の前で叫ぶのは頭と性格の悪そうな、長身でやせ型の男。

 人間族だが、顔が少し爬虫類っぽい。

 年齢は二十五歳ぐらいだろうか。


「はぁ。こんにちは……」

「てめぇ! なめてんのかっ! この野郎!」


 顔を真っ赤にしながら怒声を撒き散らしている。

 その手には棍棒を持っていた。

 脅しのつもりか、本当に使うつもりか……。

 両方だろうと思う。

 挨拶しろと言うからしただけなのに。

 もう会話が成立していない。


「なめていないです。これで普通のつもりですけれど」

「魔法が使えるからって、いい気になってんじゃねぇぞ! 魔法使いなんざ、こうやって近寄って囲めばいくらでも殺せるんだからよ! いいか。まず俺の顔を立てろ。俺の名前は……」


 爬虫類顔は優位に立っていると考えて高圧的な語りを始める。

 アベルは無視して淡々と言う。


「お前さ。凶器を持っているってことは殺し合いになっても構わないってことだな」


 そう言い終わるなりアベルは後方に駆けだす。

 背後にいるのは一人だけなのを気配で感じ取っている。

 後ろにいた男に低い姿勢で体当たりをぶちかました。

 相手は尻もちをつく感じで倒れる。

 アベルは走って逃げだした。


 後ろから叫び声が聞こえる。

 アベルは路地を何度か折れて、角で待ち伏せ。

 手には拾った石の塊を握っていた。


――これでも食らえ!


 追いかけてきた男が飛び出してきたところで、石を握った手を繰り出す。

 爬虫類に似た顔に石の先端がメリ込む。

 グシャ、という潰れた音がした。


 痛みに悶えた男がしゃがんで、うずくまる。

 アベルはその顔を蹴り飛ばす。

 男が持っていた棍棒が落ちたので、それを拾い上げて今しがた追い付いてきた男を殴りつけた。

 棍棒が肩に命中して、肉を叩く湿った音が響く。

 追い打ちで、さらに何回か棍棒を振った。

 アベルは叫ぶ。


「これがお前らの会話だろ! この痛みと暴力がお前らの言語だ!」


 ひとしきり棍棒による話し合いを行ったあと、アベルは立ち去る。

 背後を振り返り、倒れた男たちに言い放つ。


「もう話しかけるなよ!」


 狭い村でのことだ。

 多くの荒くれたちがアベルの反撃を見ていた。

 にやけ笑いの者もいるし、アベルが意外な手練れと見て真剣な視線をしている者もいた。



 アベルは棍棒を返さず、自分の物にした。

 ここは理性とか常識の通用する集団ではなかった。

 掟はたった一つ。

 首領ザラへの絶対忠誠。

 それ以外は何をやっても自由。

 だから賊たちは常に上下、力の優劣を競い合った。

 つまるところ格付けをする他にやることなどなかったのだ。


 そして、そういう集団内闘争の上位に立ち、なおかつザラに認められた者だけが幹部になるのだった。

 アベルは、いくら治癒魔法が使えるといっても新入りであり集団の中でヒエラルキーを決める絶好のターゲットであった……。

 少しでも油断をすれば何をされるか分からない。


 潜入してから二日目。

 魔獣がいなくなったので賊たちは宴会のようなことを続けていたが、ついに作業再開だった。

 アベルはザラから役目を命じられた。

 ヘイグという名の男の補佐役だ。

 

 剣風流という剣術の凄腕。

 年齢は三十歳ぐらい。

 体つきは、がっしりした感じなのに頬は落ち窪むほど痩せている。

 目の下のクマが濃く、眼光の陰湿さは常人ではない。


 老人を木刀で虐待していた様子を思い出すと、人を痛めつけることに快感があるのだろう。

 こんな奴の下で働くのかと思えば暗澹とした気分になる。

 ブラックなどというレベルではないかも……。



 そうして砂金の採掘はますます過酷になっていく。

 魔物がいなくなった分、さらに作業は急がされていたからだ。

 村人たちは全身を泥だらけにして朝から夕方まで働き詰め。

 それでも怒鳴られ、殴られ続けている。


 ヘイグの務める採掘小頭というのは村人を脅しあげて労働をさせたり魔獣を撃退したりするのが役目だった。

 採掘量がザラからの評価に直結するから、分かりやすいと言えば分かりやすい役目と言える。


 次の日も朝から老人や子供ばかりの村人たちが泥水に漬かって砂金の採掘を始める。

 ヘイグは部下に持ってこさせた酒を飲み始めた。


 アベルは情報収集のため、なんとか話しの通じる荒くれを見つけ出して強い奴や魔法使いの特徴を聞き出そうとした。

 ところが、ほとんどの賊は聞いてもいないのに自分の事を喋りまくる……。

 今まで犯した女のこととか仕出かした犯罪の自慢話だった。

 有益な情報はまるで集まらなかった。


 アベルはくだらない会話に嫌気が出て、やがて集団から離れて観察に徹する。

 身のこなしや歩き方でも、ある程度は技量を見抜ける自信があった。

 今この場にいる賊達の中で、際立った者は僅かだ。

 ヘイグの他は名前を知らない槍を持った人物が気になるぐらいだった。


 そのヘイグという男なのだが、座り込んで酒ばかり飲んでいる。

 そんな光景を昼頃まで見ていると、さすがに飽きてきた。


――いきなり上手く行くはずないけれど。

  潜入なんか初めてだし。

  それにしても色々と酷いな……。


 アベルは採掘場の隅の方で一人になり剣術修行を始めた。

 木の棒を握り、頭にイースの姿を思い浮かべる。


 イースの構えや姿勢を再現しようと試みる。

 体勢は、やや低め。

 相手に向かって踏み込むような攻撃をするならば、踵は付けないほうが弾みはつく。

 だが、踵をしっかりと地面に付けておけば腰から上半身に力が入るので、そこは使い分けないとならない。

 イースは足捌きと体の軸が身のこなしの基本だと教えてくれた。


 剣の構えは上段か下段が多い。

 バランスの良い中段、正眼の構えは意外にもイースはほとんど用いない。

 アベルがその理由を聞いたところ、攻撃には上段か突きが適切だからだというのが答えだった……。

 下段を用いるのは、頭をわざと晒して相手を誘う時である。


 イースの剣術の凄味は素早さ、力で飛び抜けているだけではなく詐術とも思えるような奇妙な動きにあるとアベルは確信している。

 剣の機動は変幻自在に蠢く。

 あれは血の繋がらないイースの父親、ヨルグの影響なのではないか。

 夢幻流という、あまり名の知られていない流派の技。


 イースの言葉を思い出しながら棒を振り下ろし、上段、打突、八双の構えと連続して体勢を変える。


 それと同時に体内の魔力を活性化するイメージを強く持つ。

 今、自分の弱点は左目を失ったことによる視界の減少だろうとアベルは考える。

 その分は五感を研ぎ澄まして補うしかない。


 左目と言えば、この癒しえない重傷を負わせたハーディアという王道国の王女。

 あの人物も自分より遥かに強大であった。

 剣とダガーの二刀使いで、激しい魔法を行使してくる。

 あのような敵に勝つには、どこまで鍛えれば良いものなのか……。

 全く想像の及ぶところではなかった。


 訓練をしているアベルは、ふと背後に視線を感じる。

 振り向くと木の陰からヘイグが見ていた。

 不気味な、探るような視線。

 そうとう酒を飲んだにも関わらず、顔は僅かも上気していない。

 むしろ土気色に淀んでいた。

 アベルは背筋に冷たいものを当てられたような怖気を得た。


「ヘイグ様。見世物ではありませんよ」

「ふふ……。お前、なかなか剣術が練れているじゃねぇか。落ちぶれても貴族様ってわけかい」

「……」

「なぁ、お前、何流だ? 攻刀流の雰囲気はあるが、それだけじゃねぇな」

「見て覚えた技術が多いので……いちいち何流とか知っているわけじゃないですから」

「俺がひとつ稽古をつけてやるか」


 アベルは怪訝に思う。

 稽古は自分に僅かでも害意を持ち得る人物とは、絶対にやってはならないという考えが広く常識としてある。

 稽古の誤りで相手を殺したとなれば、それは無罪になるからだ。

 合法的に憎い人間を殺すことのできる手段というわけだった。


 ヘイグは村人を殴るために持っていた木刀を構えて、アベルの前に出てくる。

 木刀には血や脂が浸み込んでいるらしく、黒々と変色していた。

 実におぞましい得物だった。


 アベルは激しい身の危険を感じる。

 ヘイグは剣士の勘で怪しさを感じているのかもしれない。

 あるいはザラが意図を見抜いて、ヘイグに始末を命じたのかもしれない。

 そんな悪い想像ばかり湧く。


 いっそのこと、ここで魔法を併用して全力で戦って逃げるべきなのだろうか。

 判断に迷う。

 木の棒を構えて相対する気にならない。


「どうした。構えなしってわけか? 達人気取りの鼻っ柱を折ってやるぜ!」


 ヘイグは言うや否や、猛然と踏み込んで来た。

 頭一つ分ほどアベルより高い身長。

 おそらく175センチ程度の体が敏捷に駆けてきた。


 アベルは反射的に迎撃。

 木の棒を振って木刀を打ち返す。

 想像より遥かに重たい打撃だった。

 手が痺れる。


 ヘイグは木刀を押し付けてきて、鎬を削るような競り合いに持ち込んでくる。

 アベルはヘイグより身長が低いから上を押さえつけられてしまう。

 不利だった。

 歯を食い縛ってアベルは踏ん張る。


 すると尽かさずヘイグが足元を蹴ってきた。

 稽古というレベルではない強い攻撃だった。

 脛に激しい痛みが走る。

 アベルは窮地に立たたされたこの態勢を解きたい。

 しかし、ヘイグの木刀は粘りついたように離れなかった。


 アベルは本気で抵抗しようか決断しなくてはならなかった。

 ヘイグの眼には殺害を楽しむ倒錯者の気配が濃厚にある。

 とはいえ、ここで手の内を晒したくはない。


 いちかばちか、アベルは全力で押し返したのち一気にしゃがみ込んでヘイグの圧迫から逃れようとした。

 しかし、ヘイグの剣先は絡んだ紐のように離れず、アベルの木の棒は脇に払われる。

 ヘイグは木刀を素早く返してアベルの腹に突き込む。


 みぞおちに強い圧迫。

 前のめりに倒れる。息ができないほどの衝撃。

 全身が鉛のように重たい。油汗が滲んでくる。

 見上げるとヘイグの嘲りに満ちた顔がある。


「もう少しやれると思ったが、所詮は魔法使いの半端な剣術だな」


――こっちは本気を出して無いんだよ!

  クソ野郎……。



「治癒魔術師が居ないからザラ様はお前を取り立てたが、いい気になるなよ。ザラ様の右腕は俺だ。出しゃばって目障りになるようなら、殺すぞ」

「……わ、わがりましだ……。ヘイグ様がこれほど強くては、僕などお零れにあずかるのが精一杯です……」


 ヘイグは満足げに頷いて、踵を返した。

 単なる序列争い……。


 アベルは痛む腹部に治癒魔法を施す。

 しばらく休んで心を落ち着けた。

 本気を出していなかったとはいえ、あの粘り強く絡みつくような木刀の扱いは本物だった。

 自分の知らない流派の一端を見た実感が、痛みによって刻み込まれた。

 ヘイグと鍔迫り合いを行うのは、かなり危険とみるべきだった。

 何か対抗策を考えないとならない。


 アベルがヘイグの様子を伺うと、再び飲酒に耽りだしていた。

 こういう傭兵団とか山賊らしき荒くれどもの流儀を嫌というほど思い知らされる。

 あるのは力の優劣だけ。

 まさしく獣のやり方だった。




 夕方まで砂金掘りは続き、村に帰る。

 その日、ザラや幹部たちは沸き立った。

 なぜなら砂金掘りの成果が非常に良かったからだ。


 アベルが腕を治してやったラッチという名の少年が、拳ほどもある金塊を掘り出していた。

 それだけでなく、手のひらに余りあるほどの砂金を採取した者も数人いる。

 もしかすると金脈を掘り当てたのかもしれないと、賊たちは躍り上がった。

 コステロが喜びに任せてアベルに言う。


「この分なら、もうすぐ帰途につけるぜ。いくら金があったってよ、密林じゃ買う物もねぇんだ。さっさと中央平原に帰って一生分遊ぶぞ。美味い酒に極上の娼婦。

 ズマ様に上納金を納めればザラ様は将に取り立てられる。そしたら今度はデッカイ戦働きで皇帝国の都市を占領すんだ!

 目も眩むほどの略奪品が手に入る……ひへへへ。俺の人生も上げ潮だ。こんな糞みてぇな毎日も終わるんだ」


 コステロは火傷の跡が残る顔面を、欲に塗れさせながら薄汚く歪ませる。

 アベルは追随の愛想笑いを浮かべるが、ポルトでおきた悲惨な略奪の様子を思い浮かべると内心穏やかではなかった。

 こんな奴らが戦線に参入すれば、どんなことになるか想像するまでもない。

 しかし、一つ思い至る。


――あれ……?

  待てよ。このまま賊どもが村を立ち去れば、それはそれでいいのか。

  身内を殺された村の人たちは恨みがあるだろうけれど。

  危険な勝負はやりたくないしな……。

  あとは隙を見て逃げ出せばいいだけだし。


 ただ、金塊の行方だけは知りたいので、それとなく様子を見張ることにした。

 時間はすでに夜なので、村の中は暗い。

 ところどころ焚き火があるだけだった。

 監視に向いている場所にボロボロの小屋を見つけたので、そこを使っている賊たちをいきなり棍棒でぶん殴る。


「な、何しやがんだ!」

「うるせぇ! ここは僕が使うと決めたんだよ!」

「はぁ? こんな小屋をどうして……!」


 アベルは腹の底から罵声を叫び、三人の賊を蹴り飛ばす。


「出て行かないと本当に殺すぞ! 僕がザラ様に目をかけられているのは知っているはずだ! そんなことも分からねぇクソ頭なら、ぶっ潰してやるか!」


 賊たちが必死に逃げていく。

 喧嘩なんか日常茶飯事なので誰もあまり注目しなかった。

 アベルは自己嫌悪で首を振る。

 ここのやり方に早くも慣れつつある……。


 ザラと幹部たちは深夜まで酒を飲んで、娘たちを犯しまくっているみたいだった。

 アベルは夜通し、眠気を押さえて監視を続ける。


 そうしていると夜が明ける前にザラが一人で元酋長の家から出て行く。

 小便かと思ったら、そうではない。

 手に袋を持っていた。

 供も連れないで村の出入り口の方へ歩いていく。

 どうやら外に出たらしい。


 だが、それほど長い時間の経たない内に戻ってくる。

 たぶん、袋の中身は砂金で、それを隠したのだろう。

 村外のほど近い所に埋めてあるとアベルは想像する。


 これは重要な発見だった。

 一人で出歩いているところをイースたちと襲えば、ザラがどれほどの手練れだろうと殺せるはずだ。

 アベルは、にやりと笑う。

 所詮は悪党。

 金を盗られるのが怖くて誰も信用できない人間の末路に相応しい。


 一つ問題なのが、ザラは次も同じように行動するかどうか分からないことだ。

 もしかすると定期的に行動を変えているかもしれない。

 もう少し観察を続けようと思う。

 あと僅かで勝利できる……。



 アベルは採掘小頭であるヘイグの補佐なので、徹夜明けのまま採掘場に向かう。

 ただし補佐と言ってもヘイグは酒を飲むばかりなので特にやることは無い。


 今日は採掘のため、ほとんどの村人が集められた。

 金が多量に出たあたりを村人だけでなく下っ端の賊も手伝って大々的に掘っている。


 アベルは採掘場で少し仮眠をとった。

 それからイースたちに連絡をするため、申し合わせていた場所に石を二つ置く。

 片隅にある何の変哲もない切り株の上だ。


 進展なしなら石一つ。

 進展ありなら石二つ。

 緊急につき当日夜間に攻撃決行なら三つ。

 という具合だった。

 土石変形硬化で粘土板のようなものに文字を書いて連絡するという方法もあるのだが、それだと見つかった場合に言い逃れができないので、よほど安全が確認された場合のみに限るとしていた。


 アベルは寝不足気味で、昼間はやや気怠いまま過ごしてしまった。

 そして、昨日に続き砂金掘りは大幅な成果がある。

 昨日の倍ほど金が見つかった。

 これは本当にコステロの言う通り、ザラたちが帰る日も近づいている。


 アベルは今日、またザラを監視して夜明け前に金を隠しに行くか確かめようと思う。

 もし今日も同じように金を隠したら、その行動をイースたちに伝えて、明日か明後日に襲撃を決行する。

 そして、ザラを殺す。

 作戦成功だ。


 ワルトに臭いを追跡させれば、金の隠し場所も分かるかもしれない。

 最悪、金は見つからなくても構わないと決めた。


――悪党どもめ。

  やったことの代償は払わせてやる……。




~~~~~~~~~




 密林に潜むイースとカチェの意見は一致していた。

 やはりアベルが心配だ。

 アベルの発案ではあったが賊の動向を掴み、さらに砂金のありかを知るために潜入というのは危険が大きすぎる。


 苛立った様子のカチェをカザルスは静かに見守る。

 アベルに何かあればカチェがどれだけ苦しむことになるか、容易に想像がつくのだった。

 カザルスはアベルのことも命に代えて助けなくてはならないと思う。

 なんといってもカチェの大切な想い人なのだから……。


 カチェは武器の手入れをしながら自分にできることはないか、あれこれと考えてみる。

 しかし、具体的にできることは少なかった。

 とにかく異常が起きていないか、素早く察知しなくてはならない。


 予定では密林の奥に隠れて、明け方と日暮れの時間だけ村を偵察するはずだった。

 しかし、アベルが気になるあまり、昼間から村を監視するようになってしまった。

 感覚に鋭敏なワルトがいつも上手に接近して偵察を成功させてくれた。

 ワルトによるとアベルは賊の中に居ながらも、誰とも慣れ合わないで行動しているようであった。


 イースはアベルが直ぐ傍にいないことに違和感を持つ。

 考えてみればアベルが従者になって以来、毎日顔を合わせていたのだった。

 どのような日であろうと、なにかしら話をして、共に食べ物を口にした。

 そんなアベルが身近に居ないと奇妙な欠損感が生まれるのだった。


 こういう心を持つのは、あまり良いことではないのかもしれないとイースは感じる。

 しかし、止めようもない。


 カチェとイースは密林の合間からアベルの姿を遠くに見つけて、思わず安堵する。

 いつまでこんな落ち着かない日々が続くのか……。




~~~~~~~~


 


 賊達から獣じみた歓声が上がる。

 泥中から姿を現し、陽光に照らされて眩く輝いた黄金の塊。

 大人の頭ほどもあるそれが、二つ、三つと出てきたのだ。 

 かつてない最高の採掘成果だった。


 賊たちがギラついた熱い視線を黄金に浴びせる。

 金貨にして数千枚の価値がありそうだった。

 人生を、がらりと変える富。

 荒くれどもはお祭り騒ぎ。

 これで帰れると喜んでいる。


 金塊を村に持ち帰り、ザラは手下たちを集めて宣言した。

 数日後にここを発つと。

 それから村人たちに命じて畑から洗いざらいの作物を採ってこさせる。

 どうやら女性たちや子供は連れ去られるようだ。

 ザラたちに道中も弄ばれて、必要がなくなったら奴隷として売り払うのだろうとアベルは想像する。

 子供や女性がいなくなれば村は滅びるしかない……。


 事態が急激に動きつつある。

 最初、計画していたようには進んでくれない。

 賊の戦力を詳しく調べるはずが、肝心のそこが上手くいかない。

 それにザラの動き、金の在処も核心まであともう一歩だったのに詰め切れなかった。

 焦りを感じるが、もはやどうしようもなかった。


 夜が更け、アベルはザラが元酋長の家から出てくるのを待っていたが、なかなか出てこない。

 眠気を抑えて徹夜するが、とうとう夜明けになってしまった。

 採掘した黄金の塊を隠しにいくかと考えていたのだが、予測は外れてしまった。


 朝方、大勢の村人とザラの率いる賊たちが全員で砂金の採掘場に行く。

 これほど纏まって行動することはこれまでなかったのでアベルは不審に思う。

 どことなく雰囲気が悪い。

 特に幹部たちに隠しようのない殺気があった。


 昼ぐらいまで村人や下っ端の賊に砂金掘りをやらせていたが、さすがに金塊のような成果はなかった。


 ザラが村人たちに砂金掘りを止めるように命じる。

 泥水の中から人々が上がってきた。

 ヘイグが指図して村人たちを囲むように手下を差配していく。

 アベルはその異様な動きに緊張する。


――何かする気だ。

  どうするつもりだ?


 ザラが背筋の寒くなるような低音の大声で言った。


「おい、子分ども。つまらねぇ砂金探しも今日で終わりだ。だが、ここで金が見つかったことを知る者は少ないほうがいい。

 村の奴らはここで、死んでもらう。一人も逃がすな」


 それは虐殺の命令だった。

 手下たちは槍を構え、剣を抜く。

 ザラの命令に逆らう者は一人も居ない。

 アベルは唇を噛む。


――失敗した!

  こいつらの残忍さを甘く見ていた。

  用済みになったら即殺す、そういう奴らなんだ。


 こんなことならロペスのように計略もないまま成り行きで攻撃した方が良かったのかもしれない。

 もう後悔しても遅かった。


 村の老人が怯える子供を抱きしめる。

 最後の抵抗をしようと石を拾っているのはラッチという名の少年だった。


 アベルは自問する。

 こういう奴らに負けていいのか。

 こんな理不尽と非道を見過ごして、へらへらと適当に生きるのが自分の人生なのか。

 もし、これを見過ごせば……どうなるだろう。

 別に望んで生まれてきたわけではないが、前世よりもっとくだらない時間を過ごすだけになってしまうかもしれない。


 アベルの脳裏に現れるのは、どうしたわけかイースの怜悧な顔だった。

 イースならどうする?

 迷う事もなく攻撃して状況を変えるだろう。

 心の中のイースはやってみろとアベルを励ました。


 アベルは体内で猛烈に魔力を滾らせる。

 騒ぎを聞きつけて仲間たちが助けに来てくれるのを、ほんの僅かだけ期待した。

 心臓が太鼓のように激しく律動する。


 それから、ざっと見渡して包囲の薄いところを見つける。

 魔力を振り絞って、炎弾を出せるだけ出す。

 アベルの魔力の動きを感じ取った魔法使いが、何をしていると叫んだ。


 アベルは五発ほどの炎弾を放射状に射出した。

 狙いも何もない。

 混乱を起こすための攻撃。

 激しい連続爆発。

 七、八人の賊の身体がバラバラに千切れ飛ぶ。

 アベルは、あらんかぎりの声で叫ぶ。


「森へ逃げろっ!」


 それから棒手裏剣を懐から取り出して賊の魔法使いに向かって投擲。

 狙い違わず眉間に命中。


 アベルは濃霧を発生させる第二階梯気象魔法「迷霧」を強くイメージする。

 これまで煙幕で目眩ましをする必要がある戦いなど無かったから、知ってはいてもほとんど行使することのない魔法だった。

 しかし、今こそ使うべき時だ。


 アベルの体の周辺から、濃密な霧が爆発的に拡散していく。

 賊たちの怒鳴り声が四周すべてから響く。

 霧を出しつつ移動しながら「轟爆娑」をイメージする。


 だが、どこからか強い風が吹いて来た。

 おそらく気象魔法「旋風招来」だった。

 予想外というわけでもない。

 この濃霧を散らせるには都合のいい魔法だ。

 実際、自分自身がそうして敵の発生させた霧を吹き飛ばした事もある。


 アベルは「轟爆娑」の発動を急ぐ。

 霧を発生させながらなので、魔術の二重行使となる。

 高度な魔法運用なので、多量の魔力を消耗するうえ精神的疲労も強くなる。

 だが、手数が尽きれば殺されるのみ。


 強風が吹いてくる方向は霧が失われていた。

 そこにいるのは賊の魔法使い。

 霧が激しい風で飛ばされ、いよいよアベルの姿が丸見えになっていく。

 それを発見した賊たちが怒りの形相で駆けてきた。


 アベルの掌の上に火球が現れる。

 魔法使いの上空に向かって「轟爆娑」を射出。

 アベルは耳を塞いで伏せた。

 直後に至近距離で大爆音が発生する。

 聴覚を守っていても、鼓膜と頭は激しく揺さぶられる。


 一呼吸置いてアベルは立ち上がる。

 大勢の賊たちが炸裂音で麻痺状態になっていた。

「旋風招来」で風を発生させていた魔法使いも片膝をついている。

 集中を失って魔法が途切れたらしく風が止んでいる。


 再び霧を発生させようとしたとき、ヘイグが凄まじい殺気を湛えてアベルの方へ走ってきた。

 ヘイグはやや離れた所にいたせいか、あるいは咄嗟に耳を塞いだのか爆音の影響が少なかったらしい。


 霧を出しながらアベルは抜刀。

 囲まれたら終わりだった。

 たちまち背後から攻撃を受ける事になる。

 せめて視界を潰さなくてはならない。

 ヘイグが勢いを殺さずに駆け込みざま、上段の斬撃を仕掛けてくる。

 

「てめぇ! 裏切りやがったな!」


 やつの鍔迫り合いは危険だ。

 引きずり込まれたら殺されてしまう。

 アベルは誘いに乗ると見せかけ、切っ先を軽く当て、即座に退いた。

 

 ヘイグは失われた眼球側の死角を狙おうと、常に左へ左へと回り込んできた。

 さすがに実戦慣れした陰湿な手口だ。

 そうはさせないとアベルも足捌きを意識して移動を続ける。

 依然として霧は出し続けている。


 至近距離から離れないヘイグ以外はアベルの姿を見つけ出せていないらしい。

 逃げ出した村人を探す賊たちが混乱した声を上げていた。

 どうやら同士討ちになっている気配もある。


 ヘイグが横薙ぎの斬撃を仕掛けてきたが、これを後方飛びで避けた。

 しかし、ヘイグは執拗に離れない。

 逃げられそうもなかった。

 追い詰められる寸前。


 賭けるしかなかった。

 アベルはイースの剣の使い方を真似た一撃を試みる。

 相手の頭部を狙ったと見せかけて、腕を落としにかかる上段斬り。


 アベルは、わざと分かりやすい上段斬りを仕掛けるや突然、切っ先を変化させる。

 ヘイグは慌てて腕を引っ込めたが、革製の篭手をアベルの刀が破った。

 左腕の半ばまで刃が通った感触があった。

 血が滴る。

 ヘイグの顔に驚愕。


――今なら殺せる!


 アベルが止めを刺そうとしたとき、体ごと暴風で吹き飛ばされた。

 体は数メートルほど地面を転がる。

 気象魔法「極暴風」だと気が付く。

「旋風招来」よりも効果範囲は狭いものの、局所に猛烈な暴風は発生させる魔術。


 アベルが立ち上がったとき、霧はほとんど飛ばされていた。

 隙を見つけて密林に逃げ込まないと殺される。

 アベルは姿勢を低くして、賊の間隙を目指して駆け出そうとした。


 その直後、地面に強烈な魔力の気配。

「土石変形硬化」だった。

 魔力の源を辿ると、そこに怒りの形相を漲らせるザラがいた。


――あいつ魔法が使えたのか!


 アベルは足を取られないように地面の変形を魔力で抑えつつ走ろうとしたが、ザラの魔法は意外なほど強力だった。

 アベルの歩幅を正確に読み取り、行く先に穴を形成していく。

 逃げ道が閉ざされていく。

 片腕を斬られたヘイグが鬼の形相で近寄ってきた。


 アベルの脳裏に死がチラつく。

 歯を食いしばって戦う意欲を湧かせる。

 イースだったら絶対に諦めないはずだと己の心を叱咤した。


 アベルは踊るような足捌きを休めない。

 動くのを止めた瞬間、足は土石変形硬化で拘束されてしまう。


 アベルは棒手裏剣を片手に持ち、追って来るヘイグにむしろ近づいた。

 ヘイグはアベルの実力を知って、迂闊な攻撃をしてこない。

 無傷の右腕だけで剣を持ち、じわじわと接近してくる。


――時間がない……!


 咄嗟に棒手裏剣をヘイグの顔面に投げつける。

 だが、上体を捻って躱された。

 しかし、体幹を崩す効果はある。

 すなわち好機だ。


 アベルは間髪入れずに踏み込み、渾身の突きを繰り出す。

 相手は胸甲をしているので狙いは顔か喉。

 切っ先がヘイグの顔に届く……寸前、相手の横払いで突きが逸らされてしまった。


 攻撃は失敗。

 アベルは横っ飛びで距離を取る。

 そこへザラが十文字槍を突いてきた。


 アベルは左籠手で槍を弾こうとするが、猛烈な突きだった。

 防ぎきれずに左腕が刃に引っかかって強引に持っていかれる。


 アベルの脳裏で恐怖と本能が爆発するように膨らむ。

 駆り立てられながら、氷槍をイメージ。

 いつもの数倍の大きさと速さで氷柱が形を取り、ザラの分厚い胸に向かって射出。


 ところが、ザラの足元から土の柱のようなものが一気に伸びて防御の壁となった。

 氷槍が衝突して、氷柱と土の柱が同時に粉々になった。

 アベルは左籠手に食い込んだ槍の刃を振り払って、立ち上がる。

 もう反撃の機会は、あったとして一回だけだった。


 瞬間、覚悟を決めてヘイグに猛進した。

 大上段。

 狙うは急所のみ。

 躊躇わず、ヘイグの頭頂部へ振り下ろす。


 決死の攻撃。

 無策。

 だが、小細工や受け流しを不可能にする。 

 アベルの異常に速い斬撃。

 対抗するべくヘイグは刀を防御的に繰り出してきたが、渾身の一撃を振り切る。


 刃と刃がぶつかり、火花が飛び散った。

 アベルの刀は軌道を逸らされつつも、強引にヘイグの側頭部を斬りつける。

 切っ先が硬いものに衝突する手ごたえ。


 頭蓋が割れた音。脳漿が撒き散らされる。

 致命傷。

 倒れたヘイグは泥の中で痙攣していた。


 アベルはザラに向き直る。

 だが、どこからか弓矢が飛んできて左太腿に突き刺さった。

 死角になっている左側からだった。 

 激しい痛みで混乱寸前になるのを抑え込む。


 ザラから目を離せば即、攻撃されてしまう。

 刺青だらけのザラの顔が獲物の命を狙う獣のようだった。

 アベルは狂気に近い破壊衝動を持つ。

 

――この刺青野郎……! 

  おめぇだけは絶対殺す。

 

 殺意は無限に膨張していく。

 ところが心の内にイースの美しい顔貌が浮かんできた。

 それからカチェの悲しそうな表情。

 ウォルター……アイラ……。


 ザラを道ずれにしようと炎弾を発生させた。

 十文字槍で突いてきたら骨で受け止める。

 そして、ザラに炎弾をぶちこむ。

 相討ちになる。 


 何故だか分からないがアベルの全身に痺れるような恍惚感が湧き上がってきた。

 野犬みたいな死にざま。

 予感はあった。

 だが、泥と血に塗れていても自分で選んだ破滅だった。

 

 さぁ、来いとアベルは念じる。

 意外にもザラが怯んでいた。

 攻撃を仕掛けてこない。


 その時、そう遠くない所で爆発がある。

 アベルと名を呼ばれた気がした。


 幻ではない証拠にザラの視線が一瞬だけ逸れる。

 アベルは足元の泥を爪先で蹴ってザラの顔に飛ばした。

 命中。

 ザラが一瞬、怯む。


 アベルが左側を見ると、弩を構えつつある男が至近距離にいた。

 炎弾を射出。

 吸い込まれるように男へ飛んでいく。

 炎の弾が胸元に命中して男の上半身が砕け、火炎が暴れ、骨と内臓が剥き出しになっていく様子がスローモーションのように見えた。


 アベルは痛みを擂り潰すように無視して、無理やり足を動かす。

 位置を移動する。

 間一髪、ザラの十文字槍が胸甲を削り取っていった。


 アベルは渾身の力でザラの槍の柄に刀を叩きつける。

 硬い樫の柄が両断された。 

 穂先が切れ飛ぶ。

 入れ墨だらけの顔が歪む。


 アベルの五感に空気の流れが伝わってくる。

 明らかに賊たちが動揺していた。

 悲鳴と罵声が飛び交っている。

 ザラが雄叫びを上げて突っ込んでくる。


「ぐおおぉおおぉおお!」


 アベルも負けじと怒鳴り返す。


「があああぁああ!」


 咄嗟に思い出したのはライカナの得意技。力に力で対抗するのではなく受け流す技だった。

 ザラの突きを見切り、鎬で逸らしつつアベルは前方に踏み込む。

 長物の弱点である至近距離に詰め寄る。


 ザラはそれをさせまいと素早く後ろへ下がっていく。

 さらに樫の柄を横薙ぎにしてアベルの体を打ってきた。

 距離を詰め切れない。

 アベルは焦る。

 背中から攻撃を受けたら殺されてしまう。


 しかし、その時だった。

 背後、直ぐ傍からイースの声がする。


「アベル!」


 イースの大剣がアベルに迫る賊へ振り下ろされる。

 肩から胸にかけて、本当に真っ二つになってしまった。

 続いて駆け付けたカチェの攻撃も激しさを極めた。

 次々に炎弾を繰り出し、刀を四方八方に振り回しながら血路を切り開いていく。


 アベルは、よろけながらイースの方へ後退していく。

 ザラは警戒して追い込みの攻撃を仕掛けない。

 その場に止まり、手下たちを怒鳴りつけた。


「おめぇら、戦えっ! 黄金が欲しくねぇのか!」


 賊が二十人ほど纏まっているところへ強力な魔力が発生していた。

 見知った気配だった。

 カザルスの第六階梯鉱物魔術「竜尾千斬」だった。


 地面から夥しい無数の石の牙が現れ、ミキサーのように回転していく。

 内側に閉じ込められた賊達が恐怖の絶叫を上げるが抵抗しようもなく、すぐに血飛沫と共に消えていった。

 魔術の発動が終わった後には、悲惨などという言葉ではまるで言い足りない人体の挽肉が大量に残されている。


 形勢は完全に変わっていた。

 アベルの大暴れが絶好の牽制となり、完全な奇襲となっていた。


 アベルの両隣にイースとカチェが到達した。

 二人とも髪といい頬といい、返り血が滴るほどだ。

 イースの白い肌には赤い血の筋が模様のようについている。

 その様子が鬼気迫る艶めかしさだった。


 二人の瞳には、どんな障害も破壊してしまいそうな殺気が爛々と宿っていた。

 カチェが堪らず聞く。


「アベル! 大丈夫なの!」


 それはもう、ほとんど絶叫だった。


「な、なんとか……。ちょっと矢が刺さってますけれど」 

「それは無事とは言わないでしょう!」


 カチェの吊り上がり気味の目が、いつも以上に鋭くアベルに注がれる。

 なんだか叱られているみたいだった。


 イースが無言のままザラと距離を詰めていく。

 ザラは魔法を発動させようと「土槍屹立」の詠唱を始めるが、カチェが無表情のまま手斧を投擲。

 ザラの顔面にすっ飛んでいく。

 慌ててザラは回避するが、詠唱は中断されてしまった。

 同時にイースが踏み込む。


 穂先の無い槍の柄を振り回して、ザラが必死の抵抗をする。

 アベルは周りを見渡す。

 ライカナ、ガトゥ、ロペスが近い位置で賊と戦っていた。

 ワルトはカザルスとモーンケを守るように離れたところにいるのが見える。


 もはや敵を圧倒している。

 ロペスが凄まじいばかりの勢い。

 旋回するハルバートの斧は容易たやすく防御を粉砕してしまう。

 冑を割り、鎧を貫く威力。

 

 今も一人の傭兵が臑を叩き折られて倒れる。

 悲鳴。

 決死の突撃をしてきた別の男をロペスが巨大な拳で殴ると、割れた卵のように頭蓋骨が変形。鼻血を流して昏倒する。

 致命傷だ。


 この戦いは王道国との戦争の続きと信じているロペスの形相は憤怒のそれだった。

 怒るだけの理由があった。

 大切な領地は完全に略奪し尽くされた。

 仲間であり家来である騎士を大勢失い、父親ベルルまでも行方不明。

 

 復讐に駆られた巨漢を止められる敵は皆無だった。

 ハルバートの斧で片腕を切断された賊が引っ繰り返る。

 ロペスが腹に響くような雄叫びを上げると怯えた賊が逃走を始めた。

 

 それからライカナは、まだ生き残っている賊の魔法使いを上手に牽制していた。

 中和や干渉を駆使して魔法を無効化していく。

 そして、ガトゥが攻撃を担当。

 いいコンビだった。


 ザラは相手をしている黒髪の女が想像を絶する強敵であるのを理解させられる。

 どの攻撃も見切られ、完全に防がれた。

 それならばと魔法を行使しようとするが、魔力干渉によって発動を邪魔されていく。

 ザラは恐怖と共に叫んだ。


「誰かっ! わしを助けろ!」


 しかし、既に逃走している者ばかり。

 数名の命知らずがザラの援護に回ろうとするが、アベルとカチェがそれをさせない。

 近づく者を氷槍で攻撃する。


 イースは下段に大剣を構えて、単純に歩む。

 これは誘いだった。

 身の丈の高いザラにとってイースの無防備な上半身は格好の的だ。

 追い詰められている相手ほど吸い寄せられる。


 そして、その誘いに導かれ、ザラが刺青だらけの顔を歪ませて樫の柄を横薙ぎに振るう。

 イースの体が沈んだ。


 地を這うような低姿勢でザラに接近する。

 咄嗟に反応したザラが蹴りで迎撃するが、イースは大剣の柄でその攻撃を受け止める。

 同時にイースが跳躍。


 空中に浮いたまま上段斬りをザラの顔面に与えた。

 ザラは首を捻るが、刺青だらけの頬と右耳が削ぎ落される。

 耳朶が泥の上に落ちた。


 勢い余ったイースの大剣はザラの肩に食い込む。

 ザラは絶叫して、ついに槍の柄を捨てると肩に減り込んだ大剣の刃を素手で掴む。


「やめろぉ! わしを殺すなっ!」


 しかし、イースは沈黙している。

 冷たいほどの殺気だけがある。


「わしはディド・ズマの弟分だぞっ! 逆らって亜人界や魔獣界で生きていけるつもりか!」


 アベルが代わりに答える。


「僕ら、そいつのこと良く知らないんだ。だから脅しになってない」


 眼を血走らせ、汗を流すザラが歯噛みする。

 いつも人を見下し、残忍な笑みを浮かべていた顔には焦りを超えた動揺がある。


「よ、よし! じゃあ金をくれてやる! 集めた砂金の半分をやるぞ。金貨にすりゃ何千枚になる! 隠し場所はわしだけしか知らぬ!」

「いらない」

「バカな! 黄金だぞ! 何でもできるだけの砂金だ! 俺を殺したら絶対に見つからない!」

「欲に付け込んで隙を作るつもりだろう。まず、欲しいのはお前の首だ」


 ザラの表情。はっきりと恐怖が浮かぶ。

 それから周りを見渡したが、もう戦う気のある手下は一人もいなかった。

 遠くから様子を見ている者が数名。

 残りは死んだか、あるいは重傷で倒れて呻いている。

 アベルは無感動のまま淡々と言う。


「これまで殺し続けて来たんだろう? でも、今日はお前が殺される番だぜ。それだけのことだ」


 ザラが最後の反撃とばかりに腰から剣を抜き打ちにした。

 しかし、イースの斬撃の方が速い。

 剣を握った手首が宙を飛ぶ。


 無残な、切断された自分の腕をザラが絶望の表情で注視する。

 信じられないものを見たという顔。

 己がこれから殺されることを認められない。

 だが、確実な死がすぐそこにあった。


「し、死にたくねぇ! やめてくれよぉ!」


 無様な命乞い。

 無視したイースの斬撃が、あっさりザラの首を落とした。

 地面に落下したザラの頭部。


 血走った眼だけキョロキョロと動いている。

 その口が酸欠の魚のようにパクパクと開閉していたが、すぐに動きをやめた。


 強敵こそ死に様は呆気なく感じる。

 アベルは大きな溜め息をつく。

 終わった。


 イースとカチェが目の前にいた。

 二人とも良く似た表情をしている。

 安心しているような、責めるような……。


「やっぱり潜入作戦なんて、そうそう上手く行くものじゃないね。全然、思った通りにならなかった。最後は行き当たりばったり。ロペス様を馬鹿にできないや」


 イースは言う。


「アベル。お前と別行動をしていたら感じたことのない気持ちになった」

「どんな気持ちですか?」

「行き過ぎた心配。保護者の気分だ」


 そんなことないわよ、とカチェが言葉を繋ぐ。


「行き過ぎてなんかいなかったわ。アベルを一人で敵の中に残すなんて……そんなことをしてはいけなかった」


 それからカチェはアベルの頭を抱きかかえて、自分に引き寄せた。

 鎧があるからアベルの顔は痛いばかりだが。


「アベル。もう二度とこんな戦い方はしないからね」


 カチェの紫の瞳には深い安堵が現れていた。

 アベルにもそれが伝わってくる。

 息詰まるほど気恥ずかしい。


「こうしていると姉と弟みたいですね」

「……」


 カチェは、本当は恋人同士みたいだと言って欲しかった。

 不満だが、そのことを口に出しては言えない。

 どうしても自分の方からは一直線に好意を伝えられないのだった。

 やはりアベルによって愛を伝えられたかった……。

 

 アベルは周りを見渡す。

 戦う様子の賊は一人もいない。

 仲間は全員無事。


 モーンケなど、おそらくほとんど戦ってはいないだろうが邪魔にならなかっただけでも良しとしよう……。

 そうしてやっと笑みを浮かべる余裕を取り戻す。


「悪党どもは死んで仲間はみんないる……。まぁ、上出来かな」


 アベルは太腿に突き刺さった弓矢をイースに抜いてもらう。

 冷や汗が流れるほどメチャクチャに痛い。

 それから治癒魔法で傷を治した。


 次にアベルたちは賊の生き残りに止めを刺して回る。

 なにしろ数が多いし、死んだふりをしている可能性もあるので、そう簡単な仕事でもなかった。


 モーンケが意気揚々とそれは楽しそうに嬉しそうに死にかけの男たちへ攻撃を加えていた。

 掛け声こそ勇ましいが、死にかけた敵が最後の気力を振り絞って立ち上がり叫ぶと、狼狽して逃げ出した。腰を抜かしそうになりながら……。


 逃げた賊もいる。

 アベルはコステロの死体を見つけることができなかった。

 あいつも逃げたのだろうか……。


 そうしていると森へ散り散りになって逃げていた村人が戻ってきた。

 助けられた村人たちは泣いて感謝している。

 特にアベルは特別な尊敬を受けた。


 だが、アベルはどこか素直に感謝を受け取れない。

 やはり、単に人助けをしたという気になれないのだった。

 誰のためでもなく、自分のために自分を投げ打ったという感覚がある……。


 百人に届こうかという死体の山を見たところで、どこまでも満たされない心を再確認したような気分を味わっていた。



 そうしてアベルたちは村へと歩んでいく。

 刺青だらけのザラの首は、ロペスがハルバートの穂先に突き刺した。

 今や滑稽で醜悪な置物のような首。


 大将首をイースに獲られたとロペスは残念そうにしているが、それでも上機嫌で先頭を歩いていた。







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