第50話  力を合わせて

 




 アベルはカチェと共に朝日を眺めた。

 今日から、あの狒狒の魔獣どもと本気で戦わないとならない。

 一寸先は闇だ。


 持ち合わせの物で簡単な朝食を作り、皆で素早く食べる。

 連絡調整役のコステロが来て、出発の時間などを打ち合わせた。

 アベルたちは村人と共に砂金の採掘場へ移動する。

 ザラの手下は四十人ほどがついてきた。

 残りは村の中で休むようだった。


 アベルは緊張しながら、今か今かと魔獣の襲撃を待ち構えていたが採掘場への道中、襲われることはなかった。

 ぼんやりしていても時間の無駄なのでアベルたちは、連携攻撃の練習をする。


 三手に別れて、青面の大狒狒を包囲。

 樹上に追い込むまでの行動は高度な協力が要求される。

 しかも、最大の戦力であるイースを切り札の伏兵としなければならない。

 よって初戦ではイースの援護はなしだ。

 厳しい戦いになるに決まっていた。

 モーンケとカザルスは、やはり接近戦に不安があるために援護に徹してもらうことになる。


 練習を繰り返して人員配置を決めた。

 アベル、ロペス。

 カチェ、ワルト。

 ガトゥ、ライカナ。

 という具合に三班に分けて、追い込み部隊を編制することにした。


 魔法の使えない者だけの班を作るとバランスが悪くなってしまう。

 二人組のうちどちらかは魔法も使える者にしたわけだった。

 そして、本来は伏兵を勤めるイースを仮想敵として、さらに訓練を始める……。


 賊たちは最初こそ物珍しそうに見物していたが、やがて飽きてそこらで昼寝をしたり、あるいはサイコロ賭博を始めたりした。

 村人たちは、黙々と砂金掘りを続ける。

 採れた量が少ないと村に帰ってから折檻されるので、必死に働いているのだった。

 

 結局、狒狒の襲撃はなく、その日は訓練に明け暮れた。

 常に襲撃を恐れながら行動していると疲労も激しい。

 賊たちが麻薬じみた葉を頻繁に咀嚼しているのもそれが原因だと気が付いた。

 まともな神経をしていれば、とっくに磨り減るような環境だ。

 

 翌日、昼ごろ。

 ふたたび砂金の採掘場で襲撃を待つ。

 アベルは森の奥から、例のけたたましい吼え声を耳にした。

 しかし、採掘場は襲われない。


 どうしたのだろうとアベルが不思議に思っていると、血だらけの賊が仲間に支えられて歩いてきた。

 聞けば、採掘場までの道で襲われたという。

 十人以上が密林に引き摺りこまれて行方不明。

 六人の賊が重軽傷だった。

 血相を変えたコステロが走ってきて、アベルに言う。


「なぁ、アベル。お前の治癒魔法で怪我人を治してくれよ」


――俺の魔法はこんな奴らのために使いたくないけれどな……。

  ひとつ利用するか。



「俺、金が欲しいんだ。金を払えよ。ただじゃ、やらない」

「……まぁ、そりゃそうか。いくらだよ」


 アベルはウォルターの診療代金を思い出す。

 皇帝国は治療魔法による代金の上限と下限が法律で決められていた。

 ウォルターの説明では、これは社会秩序のためであった。

 つまり、高すぎては貧乏人に不満が溜まる。

 しかし、無料で治すような行為が横行すると、それはそれで治癒魔術の報酬で暮らしている人が迷惑する……というわけだ。

 ウォルターはその法律の定めるところ、最低料金しか受け取っていなかったし、本当は禁じられているツケ払いも容認していた。

 だが、ここは魔獣界で相手はザラの手下だ。皇帝国の法律も倫理も関係ない。

 ぶんどってやろう。


「軽症でも重傷でも銀貨三十枚だな」

「高いな! いくらなんでも三十は……」


 コステロはさすがに途惑う。


「じゃ、そこで苦しんでいればいい。っていうかさ、あんたらの仲間に治癒魔術師はいないの?」

「初級の使い手しかいねぇんだ。中級の治癒魔術師がいたんだけれど、クソ狒狒に殺されちまったのさ……。怪我人には俺が金の事を説明する。無い奴は仲間に借金させるぜ。今は人手が惜しいからな」


 というわけで、アベルは仕方なしに六人の男たちを治してやった。

 素直に感謝する者、守銭奴と罵る男……二種類いた。

 ともかく銀貨百八十枚もの収入があった。

 アベルが手に入れた金を懐にねじこむとカチェが小声で注意してきた。


「アベル。どうしてあんな奴らを助けるの。魔獣にあいつらを減らさせるはずでしょう」

「重傷者を治さないと関係が悪化しすぎます。それから僕が金を欲しがっているというのを印象づけるためです」

「潜入に備えているというわけね……。わたくし、その作戦は嫌い……」



 その日、もう狒狒の襲撃はないかと思われたが、夕方に例の吼え声が森に響く。

 人間の心を本能的に不安にさせる声……。

 総勢七十人ほどの賊たちが騒めき、武器を取る。

 四方どこから攻撃されてもいいように歪な円陣をいくつか組んだ。


 アベルたちも連携攻撃の準備を終える。

 アベルの呼吸が荒くなってきた。

 頭上から攻撃があると予測して備えておく。

 離れたところで襲撃が始まった。

 賊たちの怒声が聞こえる。


 アベルたちの近くでも四匹の狒狒が樹上から飛び降りてきた。

 青面の奴ではない。

 だが、危険極まる魔獣なのは同じだ。

 身長二メートルはあろうかという巨体なのに、並の人間の走力よりも俊敏だ。

 狒狒の狙いは不安げに固まっている村人たちだった。


 急いでアベルは「氷槍」を駆けこむ狒狒に向けて射出。

 胸部の辺りに命中した。

 致命傷にはならないが、充分に驚かせる効果はあった。

 仲間全員で狒狒の群れに突入。

 相手は青面の大狒狒ではないので、流れのまま戦う。


 ライカナは両刃の両手剣を抜いていた。

 やや細身の剣身。

 剣の長さはロングソードとしては平均的な一メートルを僅かに超えるほど。


 ライカナも「氷槍」を使う。

 だが、それは避けられるのを前提とした牽制攻撃だった。

 狒狒の逃げる先を正確に予測して移動、鋭い突きを放った。

 狙い違わず両手剣の切っ先は狒狒の目玉を貫く。


 目を抉られた狒狒は激しい絶叫を立てて仰け反り、ほとんど跳躍するような動作で後退。

 アベルは手負いの狒狒を、わざと賊の方へ逃げるようにする。

 炎弾を逃げ道に爆発させた。

 意図の通り、狒狒は円陣を組んだ賊たちに突撃していった。


 はっきり言って獣の類は手負いが一番危険なのだった。

 野生の本能のまま、決死の攻撃を仕掛けてくるからだ。

 賊たちが必死の攻撃をするが、たちまち狒狒の飛び蹴りで吹き飛ばされ、あるいは殴りつけで圧倒される。


 狒狒の拳で頭を叩かれた男が首の骨を折られて、ぶっ倒れた。

 血の泡を吹いている。

 ライカナとアベルは手負いの狒狒に再度、攻撃。


 ライカナが紙一重で狒狒の爪を回避。

 逆に顔面を斬りつける。

 アベルは横に回り込んで、渾身の突きを繰り出す。

 狙いは肋骨の隙間。

 肋骨をクリアすれば肺か心臓、太い血管に傷を与えられる。

 毛に覆われているから肋骨の配列は読み取れないが……運を信じる。


 アベルの刀の切っ先に確かな手ごたえ。

 ずるりと、狒狒の体の奥に刃が滑り込んだ。

 狒狒が痛みに震えてアベルを睨む。

 血走った眼が憎しみを湛えていた。


 予感。

 最後の反撃がある。

 アベルが体勢を整えようとした瞬間、ライカナの斬撃が狒狒の頑丈な頭蓋を叩き割った。

 血と脳漿が噴き出る。

 毛に覆われた体が倒れた。

 ライカナの斬撃は並の剣士を遥かに凌駕する冴えだった。


「ひぇ~。ライカナさん。充分凄いですよ。学者って感じじゃないね」

「ふふ。無駄に長生きしていませんから……」


 ライカナはグリーンサファイアのような美しい瞳に知的なだけではなくて、激しい戦闘を乗り越える凄味も湛えていた。

 女らしい魅惑的な肉体と相まって、何だかやたらとアベルは興奮を覚えた。




 戦闘が終わった。

 アベルたちは無傷で四匹の狒狒を仕留めた。

 結局、青面の奴は出てこなかった……。


 コステロがまた、怪我人を連れてきた。

 重軽傷者、あわせて五人。

 聞けば死人や行方不明……必然的に狒狒の餌になった者が八人ほど出たという……。

 アベルは再び銀貨が儲かってしまった。


 ちなみに銀貨といっても皇帝国で流通していた皇国貨幣とは別のものを賊達は持っていた。

 王道国や亜人界の一部で使われている王政銀貨だった。


 帰り道、村の少年がアベルに纏わりついてくる。

 腕を治した子で、名前はラッチ。

 今日、再び村人を守るように戦闘を運んだから、ますます信用されたらしい……。


 気持ちはわかるが村人と親しくなりすぎると、いろいろマズいことになりそうだった。

 よってアベルはわざと無視するような態度をとった。

 ラッチが悲しそうに俯いて離れていく。

 叱られた子犬みたいだった……。


 村に帰り、支配者として振る舞っているザラに狒狒の首を渡す。

 報酬を手にしたので、そのまま立ち去ろうと思ったのだがザラに引き止められた。

 部下たちから報告を聞いて、ザラが頷く。

 それからロペスに傲然と言い放つ。


「お前らがどう戦おうと通行料の分だけ働けば黙っていてやる。ただし、明日は俺たちに付き合ってもらう。狒狒どもの巣に総攻撃を仕掛ける。あんたらには先手を務めてもらうぞ……! 言っておくが、こいつは断らせねぇ」


 ザラの目に狂気に似たギラつきが宿る。

 荒くれを束ねているだけあって、迫力は充分だった。

 アベルの手のひらに冷や汗が滲む。

 言うことを聞かなければ、このまま戦闘になりそうな気配だった。


 周りは完全に賊に囲まれている。

 数は九十人を上回る。

 全員を相手にするのは危険すぎた……。

 ガトゥが気を利かせてロペスの代わりに答える。


「分かった。ただし、俺らも戦士だからな。言いなりにはならねぇ。それとな、先手はやってやるが、ザラさんの手下にキンタマがついていねぇような戦いぶりならよぉ……明日の戦闘が終わったらそのまま、おさらばさせてもらうぜ」


 話しは終わったとばかりにアベルたちは立ち去る。

 ずるずると戦いを続け、ザラの手下を一人でも多く減らしておくつもりだったのだが、奴は魔獣と決戦をすることに賭けてしまった。

 アベルは、やっぱり計画通りにはいかないなと思う。

 明日はどう転ぶか……。




 ~~~~~~~~~




 翌朝、入念に装備を整えてアベルたちは村から出る。

 ザラも少人数を村に残して、ほぼ総兵力の陣容。その数、約百人……。

 凶相を浮かべた賊たちが、隠しきれない緊張や苛立ちを見せている。

 とてつもなく危険な戦いになるのを感じさせた。

 アベルはコステロを見つけたので聞く。


「なぁ、狒狒の巣ってどんなところだ?」

「俺らが狒狒に襲われ始めた頃にな、反撃しようってことになった」

「ああ、やり返したわけね」

「血の跡をたどってクソ狒狒どもの巣を見つけ出した。それで総攻撃を仕掛けたんだけれどな……損害の割には攻めきれねぇし、治療魔術師は殺されるしで以後は攻撃をしなくなった」

「で、俺たちがいる間に決戦しようってことかな?」

「そういうことだ……。まぁなんだ。頼むぜ。助っ人さんよ」


 コステロは確実に多くの犠牲を払うことになる攻撃を前に、怯えたような顔つきをしていた。

 砂金の採掘場からさらに北へ歩いていく。


 アベルたちは相談を昨夜、済ませてある。

 基本的には魔獣を退治する。

 特に青面の大狒狒。

 あの桁外れに強い統率体だけは、なんとしても殺しておく。

 そうしておけば村人の犠牲者も減るはずだった。


 アベルは決意を固める。

 魔獣だけでなく、もしザラに隙があるようならば計画は中止して、そこに乗じて攻撃を仕掛ける。

 ぎりぎりの殺し合いの始まりだった。 

 いつも以上に兇悪な表情をしたザラがロペスに叫んだ。


「わしらは頃合いを見計らって左右から攻撃をする。まずはお前らが巣に飛び込め。いってこい!」


 ロペスは唇を引き結び、無言のまま密林の中へ入っていく。

 アベルは樹間に狒狒がいるのを見つけた。

 警告の咆え声を頻りに上げている。

 森のさらに奥に草地のような空間がある。


 目の良いアベルは、そこにいる狒狒が幼体らしき子を抱えているのを発見した。

 子育てをしているような場らしい。

 メスの狒狒が二十匹はいるような気配だ。

 アベルはイースに聞く。


「あいつら逃げないのはどうしてなんだろう?」

「おそらく付近で最強の種族だから襲われた経験がほとんどないに違いない。あの場で戦って勝てると考えている。カザルス。お前の魔法の出番だぞ」


 先頭を進むロペスは黒鉄の鎧に身を包んだ巨体を、迷いなく一直線に巣へと運ぶ。

 直上で音。

 葉が何十枚も落ちてくる。

 狒狒の群れが飛び降りてきた。

 しかし、もう何度も食らっている頭上攻撃だ。

 さすがにアベルたちは、これを読んでいる。


 ロペスが雄叫びを咆え、冴えた突き上げを繰り出す。 

 愛用のハルバードが空中の狒狒に突き刺さった。

 そのままロペスは怪力で狒狒を放り投げる。

 青面の大狒狒はまだ現れないのでイースも戦闘に参加。

 たちまち一匹の頭蓋を両断した。


 アベルとカチェは「炎弾」を狒狒の隠れていそうな藪や巨木に射出。

 派手に牽制をしておく。

 獰猛に襲ってきた狒狒をイースとロペスが完璧に打ち返す。


 やがて巣に到達。

 子育てをしているメスの狒狒が数十匹といた。

 奴らは樹上ではなく地上に草や葉でベッド状の巣を作っていて、そこで子を養っているようだった。


 メスと言えども襲ってきた狒狒と大差なく、極めて凶暴な様相をしている。

 巣には人間の肉体の残り滓が、大量に落ちていた。

 腐肉のこびりついた大腿骨や髑髏が散らばっている。

 狒狒によって藪に引き込まれた賊や村人の成れの果てだった。


 アベルはその凄惨さに思わず顔を顰める。

 臭いも酷いものだった。

 その時、カザルスが強力な第六階梯鉱物魔術「竜尾千斬」を発動。

 地面が蠢き、巨大な牙のごとき石の刃が数百と現れる。

 まるで破砕機のように牙は大きく円に回転して、子を抱いたメスの狒狒たちを引き裂いた。


 剛毛に覆われた強靭な体も高威力の魔法は防げない。

 手足を引き千切られて、幼体やメスの狒狒は体を完全に粉砕されていく。

 戦果は大きかったがカザルスは魔力の大半を失い、肩で大きく息をしていた。


 密林に狒狒の絶叫が響く。

 ザラの手下たちが巣の左右から攻撃を始めた。

 魔法使いが爆発系の火魔術を何発か発生させる。


 混乱した幼体の狒狒が、狼狽しながらロペスの前方に飛び出してきた。

 ロペスはわざと急所を外して、ハルバートの穂先を太腿に突き刺した。

 それを持ち上げて、意図的にぶらぶらと振り子のように揺さぶる。

 痛みで幼体が叫んだ。

 しばらく、それを続けた。


――ロペスのやつ、さすがにエグい手を使うなぁ……! 


 アベルは樹上を凄まじい速さで飛び抜ける個体を見つけた。

 毛が赤い。

 あいつだ。

 不気味な、毒々しい青面をした統率体。


「イース様! 来ました。作戦通りに機を見て攻撃してください」

「分かった。これからその大木に登る。青面を追い込め。……アベル。何かあって、どうしても私の助けが欲しくなったら名を叫べ。作戦は中止して援護に向かう」

「は、はい。分かりました」

 

 イースは余計なことを口にしたかと考える。

 ついアベルへ言った直後、これは保護欲だと自覚する。

 アベルに傷ついてほしくないという気持ちと、戦いの中でしか戦士は育たないという観念が衝突していた。

 甘すぎると後悔したが、もう今更だった。


 ロペスの幼体への攻撃が効いたのか狒狒たちが明らかに注目してくる。

 アベルは、さらに目立つように叫んだ。

 狒狒たちが、答えるように威圧の吼え声を返してくる。


 するとついに現れた。

 赤毛の巨体。

 青面の大狒狒。

 手には賊の死体が握られていた。

 顔が歯型に削られていて血が溢れている。


 アベルたちから十メートルぐらいの距離で対峙する。

 ロペスが大剣を片手で抜いて、ハルバートの穂先を寄せると容赦なく幼体の胴を両断する。

 赤黒い臓物が流れ出た。


「ぐっははははっ!」


 ロペスが実に愉快そうに笑う。

 それが合図のように青面の大狒狒が突撃してきた。

 獣と言えども感情が分かるから不思議だ。

 顔面に猛烈な怒りが湧いている。


 カチェが炎弾、アベルが氷槍を青面に向かって射出。

 奴は素早く避けるが、それでも正面突撃の勢いを殺せた。

 ロペスが物凄い雄叫びを上げて、穂先を繰り出す。


 信じがたいが、青面の大狒狒はロペスの槍を腕で払いのけた。

 そのままハルバートの内側に入り込んでロペスの鎧をぶん殴る。

 鎧から鐘を衝くような音がした。

 だが、一歩も退かないロペスはハルバートから手を離すと大狒狒を殴り返す。


 ガトゥとライカナ。カチェとワルトがペアになり背後に回ろうとするが、別の狒狒が現れた。

 やはり、かなり頭のいい魔獣だ。

 連携が出来ている。

 仕方なく彼らは新手の狒狒への攻撃に回るしかない。


 アベルは舌打ち。

 これでは三方から囲む作戦が不可能だ。

 とにかくロペスと協力して、青面の大狒狒を引き受けないとならない。

 その大狒狒がロペスへ嵐のような連撃を開始する。


 蹴り、殴り、そして体当たり。

 剛力自慢のロペスが体ごと後退に追い込まれる。

 黒鉄の鎧が打撃で轟音を響かせる。

 とうとうロペスが片膝を付いた。

 気合を入れたアベルは刀を大上段に構えて、全力で駆けよりざま渾身の斬撃を与える。


 前の戦いでやってしまったような中途半端な攻撃ではない。

 後の一撃は無いとばかりの決死の斬りつけだった。

 刀の切っ先が鉄線もかくやというほどの剛毛を切り裂いていく。

 青面の大狒狒の肩に傷を与えた。


「グアアアアァァア!!」


 青面の大狒狒が激しく吼える。

 アベルの鼓膜がビリビリと震える。

 反撃の蹴りがアベルの頭を狙ってきた。

 しゃがんで紙一重で回避。


 アベルはあえて再度、攻撃に出る。

 後退したら押し込まれて、一瞬で潰される。

 狙い澄まして、突きを繰り出した。


 突きが入る直前、青面の大狒狒が大きな動きで後方に跳躍。

 攻撃は避けられた。


 アベルはライカナとカチェが新手の狒狒を殺したのを見た。

 これで包囲作戦が実施できる。

 体内の魔力を加速させて、炎の壁を強くイメージする。


「火炎暴壁」


 大狒狒の至近距離で炎の壁がそびえ立つ。

 熱波がアベルの顔を炙る。

 一度は追い込まれたロペスが立ち上がり、ハルバートを拾う。

 呼吸を整えてアベルに合図した。


 アベルは火炎暴壁を解除。

 まさにライカナが青面の大狒狒と渡り合っている真っ最中だった。

 大狒狒の攻撃をかわしながら、鋭い斬撃を加えている。

 ライカナの動きは素晴らしいが、しかし、剛毛に阻まれて決定打に欠けていた。


 ロペスが炎の壁が無くなった瞬間、踏み込み出している。

 ハルバートの穂先が大狒狒の背中に吸い込まれて、深く突き刺さる。


「ギャアアアァアァ」


 大狒狒の絶叫。

 反撃に長大な尻尾がロペスを横殴りに叩きつけた。

 ロペスの巨体が数メートルは吹き飛ぶ。

 黒鉄の鎧が派手な音を立てて地面に叩きつけられた。


 ガトゥが手斧を至近距離、外すはずのない距離で投擲。

 青面の頭に激しく突き刺さった。

 毒々しい青いツラに、鮮血が流れる。


 大狒狒は手斧を抜きとり、仕返しとばかりにガトゥへ豪速で投げつけた。

 ガトゥは慌てて回避したが、大狒狒はその隙につけこんで体当たりを仕掛けてくる。

 よけきれずにガトゥが跳ね飛ばされる。


 倒れたガトゥの右腕が、関節の所から変な方向に曲がっていた。

 脱臼か骨折したのが一目で理解できた。

 カチェはガトゥの援護に走る。

 班分けを乱すことになるが仕方ない。

 一気に押し込まれたらガトゥが殺されかねない。


 ライカナとワルトが同時に攻撃。

 しかし、ライカナは尻尾の反撃で失敗。

 ワルトは張り手で跳ね返される。

 アベルは叫ぶ。


「みんな、魔法を使う! 離れろ!」


 アベルは猛烈に体内の魔力を加速させて、青面の大狒狒への殺意を高める。

 対象物を激しい冷気で凍らせる「魔凍氷結波」を短い詠唱の後、発動させた。


 白い冷気があたりに吹き荒ぶ。

 大狒狒の赤毛が見る見るうちに白く凍っていく。

 氷結系の魔法を受けるのは初めてだったのか、青面の大狒狒が傍目にも明らかなほど狼狽した。


「グワオアアァァア!!!」


 絶叫と共にアベルに向かって来ようとしたが、負けじと魔力をありったけ注いでやる。

 青面の大狒狒の剛毛に氷の塊が結晶していった。

 ロペスがこれに乗じて、ハルバートを渾身の力で投擲。

 青面の大狒狒の首に突き刺さった。


 そのハルバートを尻尾で抜くと、大狒狒が跳ね上がる。

 三メートルほど直上ジャンプして、着地と同時にライカナの方へ突撃していった。

 その勢いのまま大狒狒は岩石のような拳をぶつけにかかる。

 一撃で体が圧し折れそうな、重たく速い攻撃。

 アベルは怖気を感じつつも見ているしかない。


 ライカナは逃げるでもなく迎撃するでもなく巨大な拳を柔らかく、いなした。

 アベルは力に対して力で対抗するのではなく、受け流す技なのを理解する。


 青面の大狒狒はライカナの横を通過して、その先にある大樹にしがみ付く。

 物凄い速さで幹を登っていった。

 アベルは固唾を飲む。

 作戦通りだ。

 ついに追い込みに成功した。


 しかし、アベルはここで見守る気にならなかった。

 刀を口に咥えて、大狒狒の登った後を攀じ登る。

 幹はかなり太く、樹長は分からないほど高い。

 登攀を続ける。

 二十メートルは登った。

 太い枝の先に青面の大狒狒を見つけた。


 アベルは考える。

 自分はまともじゃない。

 イースに任せておけばいいのにそれができない。

 死にたくないのに、わざわざ囮になって命を投げ出そうとしている。

 何の得にもならない。

 糞猿に糞な賊ども。

 好き好んで犬死にを選ぶ自分。

 でも、やめられない。

 

 イースは幹の陰で気配を殺し、ひたすら機会を待つ。

 焦ってはならない……。


 大狒狒の動きを読み、どこに移動するか決して逃さないように見張る。

 そして、激しい戦闘の後、とうとう青面の大狒狒が樹上に逃げ込んで来た。


 血走った眼を眼下に注いでいる。

 まだ遠くに逃げる気はないらしい。

 しつこく復讐の機会を伺っていた。

 好機だ。

 まさか樹上に人間が潜んでいるとは気づいてもいなかった。


 しかし、イースは攻撃の隙をまだ見出せない。

 成功するのは不意打ち、たった一回だけだ。

 この状態では仕掛けても察知されて、むしろ反撃すらされるだろう。

 無駄には出来ない。


 その時だった。大狒狒の視線が一点に注がれる。

 アベルが大樹を登ってきて、枝に立ち上がった。

 足場のない樹木の上。

 しかも、相手はあの青面である。

 自殺行為だった。

 イースはアベルが囮になったのを理解した。


――愚かなことを!


 イースの衝撃をよそに、事態は動いていく。

 青面の大狒狒が体を揺さぶり、反動で飛びかかる意図を持っていた。


 アベルは歯を食い縛る。

 怖いという気持ちをねじ伏せる。


 刀を打突の構えにとる。

 刃を上に向け、柄は顔の横。鎬を左の指先で軽く保持する。

 アベルは叫んだ。


「さぁ! クソ猿! てめーの頭をカチ割って脳みそをほじくり出してやっからよ! こいっ!」


 絶叫に答えて青面の大狒狒が幹から跳躍してきた。

 巨体を生かした飛び蹴り。

 回避不能の攻撃。


 巨大な足裏がよく見えた。

 アベルは笑った。


 打突は大狒狒ではなくて、すぐ横の幹に与えられる。

 深々と突き刺さった。

 アベルは刀の柄にぶら下がる。

 体ごと空中に逃れる。


 大狒狒の、丸太みたいな太い足が紙一重を通過していった。

 飛び蹴りが樹幹に衝突する

 大樹が激しく揺れる。


 イースは大剣を振りかぶる。

 全身をバネのように弾ませて跳躍。

 体が空中を飛ぶ。


 急速に近づく大狒狒の巨体。

 大剣を振り下ろす。


 青面の後頭部。狙い違わず吸い込まれる剣先。

 確かな手ごたえ。

 頑丈な頭蓋骨が割れる。

 脳漿が噴き出た。

 急所を破壊した確信を持つ。


 青面の大狒狒。

 その血走った眼がアベルを睨みつけていた。

 激しい傷にも関わらず即死しない。

 最後の力を振り絞ってアベルの頭蓋を掴んできた。


 ぎりぎりと頭が、万力で締め付けられるような圧迫を受ける。

 爪が皮膚を突き破ってきた。


――殺される!


 夢中で「氷槍」をイメージ。

 あらん限りの魔力を込めて打ち出した。

 命の危険に晒されて発動した氷槍は火事場の馬鹿力なのか、いつもの数倍の破壊力があった。


 青面の頬に氷の槍が食い込み、めりめりと回転しながら突き刺さり、終いには頭の内部で氷柱が爆発するように拡大した。


 青面の頭部が弾け飛ぶ。

 毒々しいまでの鮮やかな青い顔面が、腐った果実のようにグチャグチャに砕けた。

 赤毛に覆われた巨体が大樹から離れ、凄まじい落下音を立てる。


「本当に脳みそ、ほじくりだしてやったぜ……」


 柄に掴まったままのアベルをイースが引っ張り上げた。

 目の前にイースの美しい顔がある。

 わずかに上気しているのか、ほんのりと頬が赤くなっていた。


「イース様……」

「囮になるなど、狂ったか」


 イースの視線が責めるような色を帯びていた。


「そうなのかも……。自分でも良く分かりません。もともと狂っているのかな」

「なんで私に任せない」

「う~ん。二つかな。僕が囮になったほうが、さらに成功率が上がると思ったのと……イース様なら最後は助けてくれるだろうと……そう思ったから」


 イースは首を振る。


「私はお前を失いたくない。囮なんかやめろ」


 イースの必死な表情にアベルは驚く。

 いつもの冷然とした顔つきではなかった。

 イースはたまに感情を露わにするけれど、今日は一段と分かりやすかった。

 ひどく心配してくれていた。


「ちょっと危な過ぎでしたか」


 イースは何も答えない。

 幹から飛び降りて、地上に降りてしまった。



 イースは残った狒狒を簡単に討ち取る。

 狒狒の魔獣は壊滅した。

 だが、心は波打っていた。

 アベルの自己犠牲、あるいは暴勇とも見える戦いを目の当たりにして、完全に平常を失っていた。


 アベルへ過剰な思い入れが湧き出ているのを自覚する。

 これほど乱れた感情を持つのは生まれて初めてだ……。


 こんなことではアベルと二人、純粋な強さを追求することはできないと自分を叱咤する。

 また、知らない心を見つけた自分に困惑していた。


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