第49話 嘘と交渉
アベルは魔獣との戦いを振り返る。
もう、ほとんど負けていた。
思い出しても怖気の出る、毒々しい面をした大狒狒……。
これまで戦ってきた魔獣とは格が違う。
やはり魔獣界の密林地帯だけあって、予想外の強敵だ。
アベルは賊と魔獣、全てを皆殺しにする手を考えてみる。
やはり賊たちと魔獣をぶつけて双方を消耗させるのがいいかもしれない。
アベルは頷く。
合理的だ。
とはいえ魔獣はこちらの意図などお構い無しなのだから、簡単にはいかないだろう。
アベルは村に帰る道すがら賊に聞かれないように声を抑えて仲間と相談する。
まず皆に統率体である大狒狒との戦いを説明した。
極めて俊敏かつ頑健な肉体。
刃の通りにくい剛毛。
さらに石を投げる、死角を突くなど、知能の高さを感じさせる攻撃手段を用いて来る事。
これまで戦ってきた魔獣の中では最強だった。
なにしろ、あのイースが一撃を与えられた。
「イース様もあの長い尻尾の攻撃を食らいましたよね」
「ああ。自在に動く尾に対応しきれなかった。不覚を取った。人間相手の戦いに慣れてしまった証拠だろう。魔獣には魔獣の特有攻撃がある」
「それで僕はびっくりして、あまり良く考えずに単独で青面の奴と戦ってしまった。まず、それが間違いでした。要するに動揺して下手を打ったんですね……」
イースが繊細に伸びる眉をひそめた。
「アベル。私が敵の攻撃に圧されたぐらいで、いちいち動揺するほどお前は弱くない」
「いや。驚きますよ……」
「それではいけない。心を律しろ」
いつになくイースの声は言い聞かすようなものだった。
アベルはイースの指導を受け入れる。
もっとも動揺したくなくとも予想外の出来事にぶつかれば判断に苦しみ、前後左右のどちらに進むべきなのか定かではなくなるのが並の人間というものだった。
危機を察知し、即座に正しく行動すること自体が困難である。
弛まぬ経験で判断力を磨き、勇気を持って機敏に動く。
これしかない……。
イースはさらに言葉を続けた。
「人は自分が見たくないものを唐突に見せられると、それに驚き、さらには現実の光景ではないと否定すらする」
「はい」
「それは戦場では命取りになる。心を乱して自滅した者を無数に見てきた。アベルはそうならないでほしい。現実を過不足なく受け入れろ。思い込みを消せ」
アベルは頷く。
思い込みを無くす……イースが重要なことを教えているのが伝わってきた。
「まぁ、全く動じないというのはできなくとも、せめてワルトか誰かと協力するべきでした」
「あれほどの魔獣が相手となれば連携攻撃をするしかない」
「そうです。それなのに単独で戦った。その上、慌てた太刀筋も工夫のないものでした。簡単に見切られて刀を掴まれてしまって。もうあれが決定的でしたね。僕は圧倒されて、その後は連続攻撃に揉まれて、あともう一歩で殺されるところ……」
イースは思案げにしてアベルに聞いてくる。
「さて、次に戦う時はどうするか。遠距離攻撃が良いのかもしれないが密林は遮蔽物が多く、身を隠しやすい。どうしても接近戦になるだろうな」
「強力な火魔術、火球熱獄召は一直線にしか飛翔しません。途中にある障害物にぶつかった時点で、魔法は発動してしまいます。速度も炎弾より少し速いぐらい。威力はありますが、あの素早い狒狒どもに命中させることは難しいです」
「やはり地形が不利か。しかし、場を変えることはできないぞ」
「そこで、こういう手を考えました。まず、僕が火炎暴壁で奴の前方か後方を塞ぎます。そこを両脇から挟むように攻撃して、魔法を即座に停止。炎の壁が無くなったら、そこからさらに攻撃する」
「三方から取り囲むわけか」
「はい。でも取り囲んだとしても、不十分だと思います。下手に追い詰めると死に物狂いの反撃を受けるかも……。こっちは犠牲者を出すわけにはいかないです」
「しかし、青面の奴を反撃されることもなく殺すのは私にも無理だ」
「不意を突けたとしたら話は別ですよね?」
「密林では奴ら狒狒にこそ有利だろう。不意打ちを狙うのは難しい」
「あいつらは不利となれば高い可能性として、手ごろな樹木に登ります。囲むように圧迫を加えて、大樹に追い込みます。敵が逃げ込む先に伏兵を配置するのは兵法の常識……ですよね」
イースは端麗な顔貌にうっすらと、凄味のある笑みを浮かべた。
「なるほど。裏をかいて樹上で待ち伏せか。狒狒ども、樹の上で人間から攻撃を受けたことはないだろう。油断しているかもな」
「伏兵はイース様にお願いしたいと思っています」
「いいだろう。再戦が楽しみだ」
横で聞いていたカチェはアベルの立てた対策に納得する。
相手が強力なのだから、高度な連動攻撃を仕掛けるのは理に適っている。
そういえば、邪竜を殺すために勇者や魔法使いが力を合わせて戦う伝説を思い出す。
なんだか自分が憧れた物語りの一人になった気分で、心が燃え立つようだ。
負ければ殺されるはずの死闘だが、カチェはやる気が出てきた。
だいたいアベルがいるのだから、何とかなるだろうという楽観も生まれていた。
ロペスが、ザラの率いる賊どもはどうするつもりだと聞いてくる。
アベルは考えていた案を伝えた。
「今、奴らの総数は百人を超えています。有利な地形ならともかく、村や採掘場で正面から戦うのは下策でしょう。そこで、しばらく協力するふりをして、魔獣に奴らを殺させます。それから奴らの中でも手練れや魔法使いを確認しておきましょう。ばれないように気を使うとは思いますが、それぐらいはしておくべきです」
「それで機会を見て反乱するわけか」
「さらにもう一手、打っておきましょう。通行料の分を稼いだら、僕らが仲間割れをしたと思わせます。具体的に言うと僕が金欲しさにザラの仲間にしてくれと頼みます。ロペス様は裏切り者として僕を罵倒し、叩きのめしてください。もちろん演技ですけれど、演技とばれたら作戦失敗なので、これは結構本気で僕を攻撃してください」
ロペスが面白いというような顔つきで話しの続きを促した。
「それで?」
「まぁ、あともう一歩で殺すってところで、許してあげてください。一応、従兄弟だから命だけはとか適当に言って。そうして僕はザラの仲間になります。ロペス様やイース様はここから去ったと見せかけて、密林に潜んでもらいます。これは見つかったら計画が全てお終いですから、潜伏にはよほど注意してもらわないとなりません」
「なるほど」
「で、僕は数日か十日間、あるいはそれ以上の時間をかけて賊たちに馴染んでおくので、さらに情報収集をしておきます」
「ふむ」
「用意が整ったところで、あとは夜襲するか、分散したところを狙って各個撃破……と」
ロペスが獰猛に笑った。
張り出した額の下にある青い目が、喜色を浮かべた。
逆にカチェは顔色が悪い。
「なかなか良い手だぞ! アベル、さすがだ!」
「良くないわ。アベルが危険すぎる。敵中に一人残るなんて……」
「そこが成功の秘訣ですね。一人だけで潜入とは思わないでしょうから油断するだろうという……想像ですけれど」
ガトゥが顎に生えた無精髭をさすりながら言う。
「連絡の方法はどうする。村は夜間、封鎖されている。当然、見張りもいるだろう」
「特定の場所に印をつける方法でやりましょう。符牒を使って、決行日、時間、方法を伝える、と。僕がよほど信用されれば、隙を見て直接会合するのもいいですけれど」
「ううむ……。やっぱりアベルが心配だぜ。俺はまだハイワンド騎士団の戦士でいるつもりだ。ロペス様や、もちろんアベルも皇帝国に連れて帰る義務があると思っているんだぜ。危険すぎることには賛成できないな」
「じゃあ、ガトゥ様は反対ですか?」
「いや、策の筋は悪くない。アベルじゃなくて、俺がやるべきかなと」
「いえ。これは僕だから成功の可能性が高くなるのです。あいつら、どうも僕の治療魔術に興味があるみたいだから」
「そりゃそうだろう。アベルぐらいの治療魔術師がいるのといないのとでは……丸っきり事情が変わるさ」
「だから、仲間になったとみせかければ僕はすぐに信用されていくでしょう」
カチェは思わぬ話の流れに驚き、唇を噛む。
とてもではないが賛成できなかった。
どうしていつもいつもアベルばかり危険な役目をやるのか。
戦争の時だって、死に番なんかやらされて……。
生き残ったからいいものの普通だったら戦死確実だ。
カチェはアベルと皆に言った。
「ねぇ。危険すぎる。アベルが……もし、捕らえられてしまったらどうするの? 私たち、アベル無しでは長旅なんかできないわ」
ロペスが厳めしい顔を崩さず、事も無げに言う。
「ここでやられるぐらいなら、この先に行ったところで直ぐに潰れるだろうよ」
カチェは、今さらだが兄の力でしか物事を見ない態度に呆れる。
「ロペス兄様。それならアベルにやらせないで、ご自分でおやりになられては?」
「……。ふん。では、これから一つ決戦といくか。まず、あのザラとかいう男の首、狙うとするか」
ロペスは本気でそう言っているのがアベルにもカチェにも理解できた。
愛用のハルバートをしごきだす。
眼に煮えたぎるような殺気が漂う。
――やべっ! ロペスの奴、やる気だ。
アベルは慌てて、ロペスを宥める。
いくらなんでも行き当たりばったり過ぎる。
案外、あまりにも突然だから不意打ちになるかもしれないが、そうだとしても、もっと有利な状況で戦いたい。
さらにモーンケが口を出してきた。
「カチェよぉ、心配しすぎだって。アベルなら出来るって。こいつ、ハイワンドの端くれだけあって、強さは本物だぜ……。ここで砂金を手に入れておけば、これからの旅が楽になるだろうしよ。アベル。ザラがどこにどれだけの砂金を貯め込んでいるか、調べておけよ」
ガトゥが渋い顔をしつつ言う。
「奴らが溜め込んだ砂金の在りかですがねぇ。それこそ一番、厄介だと思いますぜ。誰でも知っているような所に置いておくはずもねぇだろうし。欲張らないで、例えばザラを殺したら俺らで砂金を採掘して当座の旅費を確保するとかはどうですか」
モーンケが実にウンザリした表情でいった。
「ええ! 俺はあんな泥水に浸かって働く気はないぞ」
「モーンケ坊ちゃん。砂金は後回しにしましょうや! 俺たちが皇帝国の人間だとバレたら、それはそれでヤバいことになるんです。慎重に行きましょう」
「ふん。まぁ、アベルに期待してる。頼むぜ!」
モーンケは無責任にアベルへ丸投げして、後はヘラヘラ笑っていた。
アベルは黙っている。
この手の性格の歪んだ奴は、なにを言っても無駄だ……。
アベルはモーンケを無視して、ライカナに問うた。
「すみません。このようなことで話しが纏まりました。争いごとに係わらないということでしたら、ライカナさんは離れたところで待っていてください」
ライカナは真剣な眼つきでアベルを見る。
普段、柔和なほど穏やかな目が少し怖いぐらいだった。
ライトグリーンの美しい瞳がライカナの知性と誇りを感じさせる。
そんな瞳で見つめられると、アベルは訳も分からず恥ずかしくなった。
「この村を案内したのはわたしです。それに、この村の住民たちは友人でもありました。戦いに参加しないのは、わたしの誇りを傷つけます」
ライカナは戦闘に加わる決意を固めてくれた。
アベルは皆に言う。
「僕らの素性のことなんですけれど、王道国の貴族だってことにしませんか。ちょっとした教養や知識で貴族階級なのは隠し通せないと思います。字の読み書きができるとか、後は持ち物とか、そういうことで。だから……王道国の没落貴族だってことにして、詳しいことは一族の不名誉だから教えられない、この一点張りでいきましょう。もちろんハイワンドの名は決して口にしないこと」
ロペスがアベルを不審げに見て言うのだった。
「アベル。お前はやっぱり不気味なところがあるな。俺より十歳ぐらい若いくせに、妙なほど狡賢い」
「……」
――あんたとは人生経験が違うんだよ。ロペス坊ちゃん……。
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秘密の相談が終わったとき村が見えてきた。
コステロがアベルの元にやってくる。
「ザラ様があんたらに家を貸してくださるとよ。俺が上手く頼んでやったんだからな。感謝しろよ」
コステロが恩着せがましく言ってくる。
チンピラ風情によくある態度。
ちょっとしたことで、つけこんできて優位に立ったつもりの馬鹿。
「助っ人をさせているんだから、住むところぐらい用意するの当たり前じゃないか」
アベルの反論にコステロは嫌そうな顔をしたが、何も言わずに手でついてこいと仕草をした。
アベルたちは狭い入り口から村の中に入っていく。
賊たちが掘らせた砂金を村人たちから回収していく様子が見えた。
「なんだ、てめぇ! こんなカスしかないのか!」
「怠け野郎が!」
少量の砂金しか採取できなかった者を賊たちが怒鳴りあげ、さらに殴っている。
木刀を持ったザラの手下。砂金掘りの成果が悪かった老人を蹴飛ばす。
地面に突き倒された老人が、這い蹲りながら許しを請う。
「ゆ、許してくれ! お頼みします!」
賊は懇願を無視して、木刀で殴る。
肉を打ち据える鈍い音が何度も響いた。
アベルが見たところ容赦のない力の籠った振りだった。
頭蓋に命中した一撃は、乾いた音がする。
額から流血が滴る。
村人たちは無残な処置に黙って耐えていた。
抵抗すれば、もっと酷いことになるからだろう。
コステロが聞いてもいないのに、アベルへ教えてくる。
「あの木刀を振っているのが、ザラ様の腹心の一人。剣風流っていう流派の使い手で、まぁ恐ろしい凄腕なんだぜ。単独で、あの狒狒を仕留めているぐらいだからな。第七階梯ぐらいの実力だろうな」
「名前は……」
「ヘイグって名だ。採掘小頭の立場だな」
「……大事な労働力なのに、いいのか。あんなに叩きまくって。あれじゃ、しばらく体が動かないよ」
「ふっ。俺ら、早いところ砂金を目標まで掘り出して、そしたらこんな糞みてぇな所からおさらばだ。それでなくとも狒狒の魔獣に襲われて、どんどん仲間が殺されている。
このままじゃ本当にやばい。急いで砂金を手に入れなくちゃならねぇ。あいつらなんか使い捨てさ……。こんなところで、くたばってたまるかよ!」
コステロが狡猾そうでありながら、怯え笑いともとれる顔つきをした。
「欲張らないほうがいいんじゃないか。あんたの話しじゃ、もうかなり砂金が集まっているんでしょ?」
「今の量だとディド・ズマ様に上納したら粗方なくなっちまうのさ。これからは俺らの取り分だ。ここで退いたら何のために魔獣界まで来たのか分からねえ……!」
――無駄死にするか。大金を手に入れるか。
こいつらも焦っているのか……。
ザラが刺青だらけの面相に酷薄な嘲りを表していた。
それから村人たちを怒鳴りあげ、砂金の成果が低くなっているから気合いを入れて採掘しろと脅す。
恐怖を村人に刻み込んで、やっと一日が終わる……ということらしい。
村の中を進み、コステロに案内されたのは小さな土壁の家だった。
狭いが雨風の防げるマシな作りである。
しかし、さすがに全員が入れる広さではないのでカチェとライカナ、イースが主に使うことになった。
残りは傍に簡単な天幕を作って、そこを寝床とする。
一応、ロペスが血族序列のトップなので彼こそ家を使う立場なのだが、ライカナを尊重してのことだった。
ロペスのライカナに対する一定の敬意の現れに、ちょっとだけ感心する。
彼の気風は武人そのものだから同時に実力主義者でもある。
ライカナの経験をそれだけ認めている態度とも思われた。
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マラガ村の住人たちは自分たちの家を追い出されて粗末な掘立小屋に寝起きしていた。
ザラたちに奴隷扱いされているので逃亡しないように監視されている。
村を囲む柵は魔獣の侵入を防ぐとともに、逃亡者を阻止するためでもあった。
アベルが見ていて哀れになるほど悲惨な状況……。
荷物を置いて少しばかり寛いでいるとコステロが再びやってくる。
もうすっかり連絡役という感じだ。
これから宴会をやるから来いという。
「嫌ですよ。わたくしは行きません。あんな下劣な賊たちと祝宴などしませんから」
カチェは、きっぱりと参加拒否。
そりゃそうだろうとアベルは、むしろ納得。
カチェが参加しなければカザルスが行くはずもない。
体を売れとセクハラというレベルではない要求をされたライカナも当然拒絶。
さらにアベルはイースとワルトにも出席して欲しくなかったので、留守を頼んだ。
結局、ザラの招きに応じるのはアベル、ロペス、モーンケ、ガトゥだけになる。
すでに村の中ではザラの手下たちが酒を飲んだり、麻薬らしき木の葉を口にしたりで乱痴気騒ぎを起こしていた。
そこらじゅうで奇声を上げたり、狂ったような笑い声を響かせている。
歩くアベルたちを険のある視線で睨みつけるような男たちが、うようよしていた。
新参者に対しては相手が弱ければ威圧する、逆に強ければへりくだるの単純な二択しかない。
そういう力だけの粗野な世界に入ってしまったのだ。
酋長の家に着く。
中に入るとザラを上座にして、側近的な賊たちが十人ほどいた。
宴といっても手下の全員が集まるのではなく、幹部だけでやるらしい。
料理が湯気を立てていた。
アベルは思わず我が目を疑う。
室内には女性がいた。
ただの女ではない。
そこにいたのは、なんと猫耳の女性だった。
どうやら雰囲気から見て村の女らしい。
肌は浅黒くて、やっぱりちょっとだけ毛深い。
瞳は猫目みたいになっている娘と、普通の人間族と変わらない娘と二種類いる。
どちらも充分可愛らしい。
髪は栗毛色や茶褐色が多かった。
革製のビキニみたいな露出の多い服装である。
ものすごく肉感的な、むちむちした感じの二十代から、ちょっとおっぱいの小さい十代ほどの年代まで色々いる。
――とうとう見つけたぜ!
狼男がいて猫耳娘がいないわけがないんだよな……。
彼女たちはおそらく酒の入った壺などを持っているから酌をやらされるのだろう。
「なんだ! あんたらだけか! あの女達はいねぇんか!」
ザラが大声で言う。
怒気の混じった不満を露わにした。
酒壺を持った猫耳娘が、びくりと震えた。
顔色が悪くなっていく。
ザラがどのぐらい本気で怒っているのかアベルには図りかねた。
元から凶悪すぎる面相なので感情が読み切れない……。
あるいは顔面に入れまくった刺青は、そういう効果を狙っての事かもしれない。
とりあえず落ち着いてもらわねばならない。
こういう男は面子を守ってやれば、だいたい何とかなる……はずだ。
アベルはなるべく丁寧に言う。
「せっかく招いてもらって悪いのですけれど魔獣と戦った疲れが出ていまして。女は疲れると急に不機嫌になるでしょう。僕らの仲間の女たち、機嫌が悪くなると手が付けられないんです。なにしろ魔人氏族だから……もう迷惑なんてもんじゃなくて。
殴って顔の骨を折るぐらいは普通にやるんです。実は僕のこの眼帯の下にあったはずの目玉も黒髪の女にやられたんですよ。まぁ、そんなわけなので、ごめんなさい……」
アベルが頭を下げると、ザラは鷹揚に頷いた。
場が治まったみたいだ。
アベルは心でイースとライカナに謝る。
特にイースには念入りに詫びておく。
とんでもない暴力女に仕立ててしまった。
ロペスを中央にして右がモーンケ、左がアベル。アベルの隣にガトゥが座る。
杯が配られて、猫耳の娘たちが酒を注ぐ。
アベルは杯をそっちのけで猫耳を観察する。
人間の耳の位置より、ちょっと上の方についていた。
ふかふかで、触ってみたくなる……。
ザラが音頭を取って乾杯した。
アベルも酒を口にする。
度数が高い。
たぶん蒸留酒だ。
口や喉が熱くなる。
ここまで強い酒は好みではないため一口でやめておく。
料理の方を見た。
猪か野豚らしき獣の丸焼き。
拳ぐらいある大きな鳥の卵を茹でたもの。
魚のスープ。
色とりどりの果物が小山のように積まれている。
助っ人を毒殺する意味はないはずだからアベルは躊躇わずに料理を口にした。
それでも一応変な味がしないかは注意したけれども。
数種類の香辛料が効いていて、なかなか美味しい。
皇帝国では胡椒のような香辛料は高級品だったから、あちらではほとんど口にしたことはなかった。
使われる調味料はハーブ類が主だったが、逆にここらでは香辛料が多く採れるらしく豊富に使用されている。
ロペスやガトゥは酒に強いから、がぶがぶと遠慮なく飲んでいる。
酒は久しぶりだから実に美味そう。
アベルたちが飲み食いを堪能していると黙っていたザラが口を開いた。
「お前ら、どこから来たんだ? 正統の武術を習った気配があったな。傭兵か?」
アベルがロペスに代わって答える。
「王道国です」
「王道国のどこからだ?」
ザラは探るような鋭い視線。
アベルは気構えせずに、ことさら嘘を言うという意識も持たずに答えた。
「ちょっとわけがあって、詳しいことは言えません……」
賊たちのなかには今の答えを聞いて薄ら笑いを浮かべた者もいた。
ヘイグという名の、村人に酷い虐待を加えていた幹部の一人が陰湿に笑う。
剣風流という剣術の達人らしい。
年齢は三十歳ぐらいに見える。
かなりの殺人をしてきた者に特有の粘つくような殺気を持っている。
アベルたちを見下したような残忍な光を眼に帯びていた。
そして、アベルを嘲りながら聞いてくる。
「なんだ。お尋ね者かよ。なにやらかしたんだよ? 教えろ。一人、二人を殺したぐらいの小便みてぇな凶状じゃねぇだろうな!」
「……。実は僕らは、もと王道国の貴族です。しかし、不名誉なことがあり故郷を離れています。恥なので詳しいことは誰にも話せません。しかし、お尋ね者ではないので、それだけは憶えておいてください」
「なんだ! おめぇら貴族様かよ。ああ、そういや、装備が良いものなぁ。うん。冒険者にしては良すぎると思ってはいたぜ」
ヘイグを始めとして賊たちが素直に嘘を信じてアベルは内心驚く。
上手く信じ込ませることができたと安心した。
ザラだけは口元に歪んだ笑みを浮かべているが、目はどこか底冷えするような気配を漂わせている。
――まぁ、嘘ってやつは全部が作り話だとバレやすいからな。
貴族ってのは本当のことだし……。
アベルはコステロに問いかけた。
「貴方たちのことも教えてください。どういう筋の方なんですか」
「俺らはザラ様の元で亜人界と中央平原を股にかける傭兵団だったのさ。そいでよ、ザラ様の活躍が目覚ましく、三年前の夏にディド・ズマ様から直々に兄弟分の契りを結んでいただいたってわけよ」
「ここまでの旅は大変だったのではないですか」
「おおよ。最初は二百人近くで出発したんだけれどよ。病気になって死ぬ奴、長旅に疲れて逃げる奴もいてな。二年ほど前、密林地帯に入った頃には百五十人になっていた。で、この村に来てからはクソ魔獣に狙われている」
そこでザラが口を開いた。
「だが、人が減れば取り分は増えるぞ。俺は手下にも砂金を惜しむつもりはねぇ。亜人界に帰り、ディド・ズマ様に上納金を渡して残った分は山分けする。一人当たり数十枚の金貨を手にすることができる。俺の手下には鉱山で働いていたやつもいてな。ここらの土にはでかい金があると見立てた」
幹部たちが、いつか来るはずの欲望成就の日を夢見て下品に笑った……。
宴会も進み、それなりに場がほぐれたところでガトゥが切り出した。
賊との交渉はロペスよりも経験と年齢からガトゥの方が向いているだろうとアベルは感じる。
「あの狒狒の値段ですがねぇ。普通の奴は金貨五枚でいいとしても、群の統率体。ありゃあ別格に過ぎますぜ。十枚は少ないと思いやす。ザラさん。やつは金貨二十枚にしてもらえませんかね。そうなりゃ、こっちは命の危険を冒してもやる気になるんですがね」
「……ふむ。あの青面にはこっちも煮え湯飲まされておるからの。いいだろう! あんたらが確かな腕なのは分かっている。きっちり働くのを期待して特別に二十枚払ってやろう」
交渉は纏まった。
だいたい通過するだけで一人金貨十枚などという要求が法外なのである。
ザラは実質、出費なしで厄介な魔獣を始末できるわけだから奴にとっては得しかない取引だ。
大物ぶって偉そうにしやがって、とアベルは内心で思う。
――せいぜい今は良い取り引きができたと思ってればいいさ。
気が付いた時には首と胴を泣き別れにしてやる……。
酔いの回ったザラの幹部たちは、色々と話しをしてくる。
砂金は始め、村のすぐ傍で採れていたのだという。
しかし、そこを掘り尽くした後に村人から危険だと言われていた北の方で大量の砂金を見つけたのでそちらで採掘を再開した。
ところが、その場所こそが狒狒の魔獣の縄張りで、すぐに襲撃されるようになったという。
以来、狒狒の魔獣は執拗に人間を襲うようになった。
それは縄張りを荒らされた復讐心かもしれないし、単に人肉の味を覚えてしまったからかもしれない。
いずれにせよ、その日から狒狒どもとの因業な死闘が始まったわけだった。
夜も更け、すっかり酔いが回り、料理もほとんど無くなって宴会が終わりに近づく。
ザラに狒狒の首代を支払わせて、アベルたちは退きあげる準備を始めた。
ザラが村の娘の何人かに命令をした。
選ばれた男と一緒に娘たちが家を出ていく。
男女の組み合わせになって、どこかへ去っていった。
コステロがいやらしい笑みを浮かべて言うのだった。
「ザラ様の専属の女が二人いるんだけれどよぉ。それ以外の女は、働きが良いと犯らせてもらえるんだぜ。ひひっ」
ガトゥが興味津々で聞いた。
「女目当てで、やる気を出す奴もいるだろう?」
「ああ。こんな地獄みてぇなところ。遊びっていったら、それぐらいしかねぇよ」
「許可がいるのか。黙ってやったらどうなる?」
コステロは顔色を変えた。
「やめとけ! 変な考えは捨てろよ。女はザラ様の財産だ。勝手に手を出したら殺されるぞ。何人も処刑されてんだ」
「ふ~ん。怖いねぇ」
「だいたい、あんたら仲間にあんな美人がいるじゃねぇかよ。必要ないだろ」
モーンケが忌々しく吐き捨てるように言う。
「あの女ども、やらせはしねぇよ。魔人族だぞ。嫌々しているのも一興なんて思って手を出してみろ。イチモツ、もぎり取られるぞ!」
それはモーンケの溜まりきった憤懣の叫びであり、演技ではなかったので真実味が籠っていた。
コステロを始めとして賊の男たちに苦笑いが浮かぶ……。
宴が終わり、あてがわれた土壁の家へ戻る。
すると家の入り口ではカザルスとワルトが仁王立ちしていた。
特にカザルスは眼つきが尋常ではない。
ぎらぎらと濡れたように光っていた。
アベルは何事かあったのかと思い慌てて駆け寄る。
カザルスは殴られたらしく顔が腫れていた。
「カザルス先生。何かあったのですか!」
「アベル君! いや……、酔っぱらったチンピラどもがカチェ様たちに話があるとか言って、ひっきりなしに来るのだ。もう、何十人が来たのか分からない」
「そ、それで?」
「ボクとワルトで追い返していたんだけれどね。口じゃ治まりのつく連中じゃなくて参ったよ。ボクは授業でも体罰なんかしたことないんだが、ここは行儀の悪いやつばかりさ。ははは……」
妙な凄惨さを含んだ笑顔のカザルス。拳は血だらけだった。
まさか何人か殺したんじゃないだろうなとアベルは不安になる。
カチェのことになると見境がなくなるから……。
「カザルス先生。拳闘が強かったの? 殺してないよね?」
「まさか。ただ、相手のことを力任せに殴りつけるだけさ。骨ぐらいは折れているかもしらんがね」
口ではそう言ってもアベルはカザルスの魔力が強力で、身体強化自体はかなりのものなのを知っている。
打撃は半端なく強いだろう。
きっとカチェを守るために奮闘していたのだ……。
必要以上に力が入っていたかもしれないけれど。
アベルは家の中を覗いて声をかける。
「三人とも、大丈夫?」
座っていたカチェが慌てて立ち上がった。
アベルの至近距離に詰め寄る。
カチェの機嫌が悪いのは、一目瞭然だった。
「アベル! 遅いよ! なにしてたの!?」
「いやぁ。いろいろと交渉していたら手間取りました」
話し合いだけではなく飲み食いもかなりしたのは黙っていた。
ついでに猫耳娘の耳とかオッパイとか、ずいぶん楽しませてもらったのも秘密にしておく。
言えばタダじゃすまない……。
カチェは訴えてくる。
「もう変な連中が、ずっと家の周りをウロウロしているし……。腰帯もしてなくて裸みたいな恰好で大声あげているし……最低! なんなの、あいつら!」
汚くて臭い麻薬中毒者の男たちが裸同然の姿で言い寄ってくる……。
たしかに最低と言っても言い足りない状況だった。
「あはは……。そりゃ酷いね」
「怖かったわよ」
「怖い? カチェ様だったら喧嘩しても負けないでしょう。イース様だっているし」
イースは壁を背に座ったまま冷たく言った。
「私とて、あんな下品な男たちは相手にしたくない。斬り合いというならまだしも、どうして裸の男と組手をせねばならん」
「ええ、ほんとに。イースの言うとおりだわ!」
そうしてカチェは非難の面持ちをしてから紫水晶のような瞳をアベルに向けるのだった。
どうして守ってくれなかったんだ、という無言の抗議に居たたまれずアベルは小さな声で謝罪して家を出た。
家の入り口で門番というか、護衛をしなければならない。
村の中でも不寝番である……。
夜中を過ぎてもアベルは魔光を出して警戒を続ける。
カザルスとワルトは疲れて寝てしまっていた。
時間は真夜中だが麻薬と不意に訪れた美女に興奮した男たちは眠気などないらしく、ふらふらと小屋の周りを歩いている。
ぬめった視線がアベルの方へ投げられる。
村の娘たちはザラが管理しているから、よっぽどの働きをしないと抱かせてもらえない。
特に下っ端の賊は女に激しく飢えていた。
そんなところにカチェやイース、ライカナのような美しい女達が入り込んだのだから、もう狙うに決まっていた。
やがて十人ほどの集団が狂相を浮かべて真っ直ぐに歩いてきたからアベルは迷わず「氷槍」を足元にぶちこんでやった。
そうしたら男達は慌てて逃げ散っていった。
アベルは溜め息をついて首を振る。
音で起きたカチェが家から出てきた。
刀を手にしていて、数人ぐらいぶった斬ってやろうという気迫に満ちている。
怯えている様子がないところ本当に荒事に慣れているなとアベルは半ば感心した。
「アベル。大丈夫?」
「追い払ってやりました」
「わたくし……、島に着いてからここまで楽しい旅でした。釣りをしたり果物を採ったりして……。不便なこともありましたけれどこれほど面白いことはなかったかも」
カチェは内心で、アベルと一緒にやると何でも楽しかったよ、と付け加える。
「それなのに、ここに来て賊の悪さに巻き込まれて……嫌な奴ら」
「もう少しの辛抱です……。僕が、あいつらを始末します」
そういうアベルからは本物の異様なまでの殺気が漂っていた。
カチェはアベルの優しさを知っているだけに、こんな様子を見ると不安になる。
アベルが、ふと何も顧みず、いとも自然に遠くへ行ってしまうのではと感じるのだった。
それはカチェの理屈を超えた勘だった。
思わずアベルの手を強く握る。
「一緒に帰るんだよ。アベル……」
もうじき夜が明ける。
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