第42話 愛を守る男
場所はハイワンド城の会食室。
アベルは手鏡を見て溜め息をついた。
失った左目を隠すようにとイースが作ってくれた黒革の眼帯をつけたのだが、似合っていない。
本当に全然、似合っていないのだ。
「これじゃ学芸会だっつ~の。山賊役のガキみたいな……。やっぱ眼帯なんか四十、五十の渋い歴戦のオジサンがするからカッコいいんだよ」
カチェが泣き笑いの顔をしていた。
「そんなことないわよ。似合っているわ……」
その場にいたカザルスも励ますように言ってくれた。
「眼球の代用になる魔道具もあるぞぉ」
「あっ。そういうのもあるのですか。どっかに売っているのですか」
「いや。製作技術は絶えている。ボクは帝都の魔術学院で一度だけ実物を見たことがあるのだ。形は半透明の……眼球形状をしていて、眼窩に入れると持ち主と一体化して目の代わりとなるらしい」
「ふ~ん……。ま、いま無いんじゃ、意味ないっすねぇ」
決闘を終えた二日後、アベルとイースは休暇を貰っている。
もちろんポルトの街はリキメル軍団に包囲されているから、城の中でゆっくりするぐらいしか出来ることは無い。
するとカチェが決闘を労いたいから御馳走を作らせると提案してくれた。
それなら人の多い方がいい。
アベルはカザルスも呼んで皆と久しぶりにゆっくり食事をしている。
ガトゥとワルトは誘いを断ってポルト市街地でリキメルの部隊と戦っている。
ガイアケロンは約束を守るつもりなのか、実際にポルトへ攻撃を仕掛けてこない。
リキメル軍団がポルトを包囲する直前、城に残っていた女官だとか料理人たちを脱出させたのが昨日の夜の事だった。
別れの際、騎士団食堂の料理人ピエールは号泣していた。
アベルに騎士団を辞めて料理人になれと何度も誘ったぐらいだった。
ピエールは厚ぼったい目蓋をさらに泣き腫らして、犯罪者みたいな凶悪な面相を一層危険なものにさせていたけれど、アベルのことを一心に心配してくれるのだった。
それから愛馬ハヤテも最後まで街に残っていたハイワンド家の御用商人に売ってしまった。
馬は市街戦ではあまり役に立たないし、敵に奪われるのだけは癪だった。
賢いハヤテは何度も何度も振り返りながら逃げる商人に連れられて行った。
昨夜のそんな別れのことを思い出すと、アベルの心も寂しくなって来る。
「カチェ様……」
「なに、アベル」
「地下の脱出路なんですけれど、もうロペス様には伝えましたか」
「ええ。伝えてあります。けれどロペス兄様。逃げることなんか考えていないわ。コンラート皇子の死守命令を貫くつもりよ。気に入らない奴は逃げうせろって言っている」
「やることやったら、みんなで逃げましょうよ」
カチェは眉目を困ったように曇らせ、少し笑った。
「兵士や従者はそれでいいわ。騎士も好きにしたらいい。でも伯爵家については……わたくしも、今度ばかりはロペス兄様に賛成なのよ。わたくしも最後までここで戦うわ」
「え?」
「カ、カチェ君! 本気か!」
「だって伯爵家は皇帝陛下の直臣よ。死守命令を下されたのなら、有難く頂戴するものでしょう。それにお爺様に恥をかかせるわけにもいかない。当主が無事ならハイワンド家は滅びないわ」
カザルスが血相を変えて諭しだす。
「だからって君まで死ぬことはないんだ! 死んじゃだめだ! はっきり言って君が死ぬまで戦うことに意味なんかないぞぉ!」
「そうだよ! カチェ様。死守命令だってコンラート皇子ってやつが時間稼ぎのつもりなのか、適当に出した命令だろう。もし本当に持久戦をやらすつもりなら何時までに援軍を送るからそれまで耐え抜けとか、作戦ってものがあるはずなのに何にも無いじゃないか。
どうしようもない間抜けだよ、コンラート皇子ってのは。部下なんか死ぬまで働くのが当然と思っている愚か者だ。それに比べて……ガイアケロンみたいに部下の損失を抑えるために自分で決闘に出て来るような奴もいるのにさ」
アベルは、ついガイアケロンの名を口にしていた。
どうも時間が経つにつれて心に存在感の増す男だった。
以前、怪我をして戻ってきた幼馴染のリックが王子をベタ褒めしていたけれど今は気持ちが分かる。
いざとなれば、あいつに降服するのも手ではないかという気すらしていた。
カチェは少しだけ悲しそうな顔をして、首を振った。
「カザルス先生。いくら先生がそう言ってくださっても、わたくしは考えを変えません。貴族の義務でございます。アベル。上官の命令をいちいち疑っていたら軍隊は成立しないわ。だから貴族や軍には名誉があるのよ。誇りのため、ときには自分の命を路傍の石ころのように捨てるのが貴族や軍人というものよ」
「カチェ様は純粋すぎるね。確かに軍事にはそういうことも、あるんだろうよ。だけれど今やってるのはそんな立派な戦いじゃない。ただの愚か者が出した、くだらない命令だ」
アベルは説得を続ける。
目論見が全く狂ってしまった。
カチェは助けるつもりだったのに、本人にその気がないのだ。
「……カチェ様。何か勘違いしていない? 死ぬまで働くのは確かに凄いけれど……そりゃ単なる趣味だよ。生き残って辛い思いしても、何か有用なことを成すのが一番大切なことなんじゃないの」
カチェはアベルに笑顔で答えた。
「それはアベルに任せたからね。貴方は法律上まだハイワンド伯爵家の者ではないから、最後は退去して。アベルならきっと、いいことできるよね。わたくしの分まで善行積んでください」
「嘘だろ! 一緒に逃げるんだよ! 死守なんかロペスとモーンケに任せりゃいいだろ!」
「この戦で騎士団の者が何人死んだと思っているの? 領民だって犠牲になっている。今も戦っている。その人たちに、わたくしは生き延びるけれど貴方たちは死ぬまで戦ってご苦労さまって言うの?」
アベルは、ほとんど怒鳴りつけた。
「我儘も、いいかげんにしろよ! 簡単に死ぬなよ!」
「いくらアベルの頼みでも、これだけは聞けないわ……。わたくしに貴族としての人生を全うさせてください」
カチェは透明な表情でそう言うのだった。
言葉での説得はアベルには無理だった。
イースは始めから最後まで何も言わない。
カザルスは顔を真っ青にして脂汗を流している。
やがて出てきた料理は鳥の丸焼きだとか豚の煮物だとか御馳走であったが、アベルは何の味もしなかった。
食事会は沈黙のうちに終わりアベルたちは出ていく。
カチェはアベルの背中を見つめながら、自分の愛情を伝えていなくてよかったと思った。
優しいアベルのことだ。憐れに思って死守命令に付き合ってくれただろう。
アベルまで死ぬことはない。
好きな人が死ななくて良かった……。
アベルとイースは少しも面白くない食事が終わった後、部屋を出たところでカザルスに呼び止められた。
カザルスは憔悴しきっていた。頭を掻きむしっている。
無理もないとアベルは思う。
カザルスはカチェのことを命懸けで守りたい一心なのだ。
そのため合戦にまで参加したのに、肝心のカチェが戦死の覚悟を固めてしまっている……。
「どうしよう! どうしたらいいんだ! カチェ君、死ぬ気だぞ……」
アベルにも何のアイデアもない。
精々、ぶん殴って無理やり連れ出すぐらいの案が浮かんだぐらいだった。
しかし、カチェは相当に強い。
簡単には気絶なんかさせられない。
仮に連れ出したところで、その先は一日中監視するというのか?
「イース様。カチェ様をどうしよう。何とかしないと」
「何とかとは?」
「いや、だから逃がさないと」
「例え殴っても、決意した人間の行動を変えるのは無理だ。殴った程度でカチェ様、お考えを変えるか。私はそうは思わない」
「イース様。僕とイース様でカチェ様を引っ張って逃げよう!」
「アベルよ。らしくもない下策だ。カチェ様ならすぐに戦場へ引き返す」
「ぐっ……!」
隣のカザルスは何か小さな声でブツブツと口にしてる。
アベルが耳を澄まして聞くと、カチェ君はボクが守る……と繰り返し呟いているのだった。
その目は思い詰めた人間特有の執念が渦巻いていた。
――うっ! カザルス先生、ちょっとヤバいかも……。
その日の夕方からアベル、イース、それにカザルスは市街戦に加わった。
敵は傭兵団とリキメル配下の兵士が半々ぐらいの状況だった。
傭兵団は略奪に忙しく、攻撃が手薄になるほどである。
無人の家々に乗り込み、金目の物を漁って、衣服や布、家具類を持ち出す。
そうして奪った物を従軍商人という、闇の商売人のような者たちに売りつけるのである。
それを見て刺激されたリキメルの兵士や将官までもが、やはり強奪に加わり、戦場は混乱状態の極みだった。
カザルスは完全にキレた人間が発揮する馬鹿力の状態だった。
「土槍屹立」など高威力な鉱物魔術を連発して、敵と戦い始める。
アベルはカザルスが乏しい実戦経験で危なっかしいため、張り付いて援護することになった。
しかし、それを差し引いてもカザルスの魔術は強烈で、夜までに数十人の敵兵を殺していた。
カザルスは、それでも戦い足りないと言い張る。
「夜襲をかけるぞ。逆に攻撃してやるんだ!」
「落ち着いてよ。カザルス先生。だいぶ魔力を使ってしまっているから、普通に夜は休もう。あいつらだって夜間は危険なのを知っているから街の外の軍陣に戻っているし」
「……明日だ。明日は、今日の倍を殺すぞ。……いや、三倍だ」
カザルスは本気でそう言っている。
アベルは背筋が冷たくなった。
やっぱり人間は追い詰めたら何を仕出かすか分からない。
特に魔法を使う人間は……。
リキメルの軍団はガイアケロン部隊の前に割り込む形で、ポルトの全周に展開した。
そして、その部隊があちこちからバラバラに攻撃を仕掛けてくる。
ハイワンド騎士団の手勢は市街地の各地で戦うことを続けた。
しかし、十日間も経った頃に敵は粗方の略奪を終えて、いよいよ城の攻略を本格的に始める気配を見せ出した。
どのように戦うべきか作戦会議が開かれることになった。
騎士団でも一目置かれた騎士や幹部に混ざってアベルも出席する。
常に最前線で怒号を上げて指揮を続けているロペスが、どっしりと椅子に座って言う。
「誰か案はあるか。何でもいいぞ」
アベルは考えていた策を提案してみることにした。
たかが騎士見習いの身分ではあるけれども……。
「城壁に拠って戦うだけでは敵の意表は突けません。そこであえて城門を開けたまま戦い、わざと敗退したように見せて一度は敵を城内に招き込みます。城内の庭は堀と柵で容易には突破できないようになっていますから敵は進めなくなります。同時に市街地に伏兵部隊を隠れさせておいて、敵の背後から攻撃をする」
「なるほど。閉じ込められているほうが逆に挟撃を仕掛けるか」
ロペスが獰猛な笑いを浮かべている。
強面の騎士たちもどうしたわけか賛同してきた。
「乗ろうじゃないか。いま、アベルはついている男だからな」
「ただ守っているだけじゃつまらねぇ。やってやろうぜ」
死に番、決闘と戦い抜いたアベルに対して扱いが変わった感じがする。
荒々しい腕っ節の世界にすっかり認められたようであった。
リキメル軍団が間もなく全面攻勢を仕掛ける様子が見て取れる。
もたもたしている時間はなかった。
作戦に従い、アベルやイース、ワルト、ガトゥら百人ほどの伏兵が城外門から数百メートル離れた商家の地下室に隠れる。
カチェは城壁内で迎え撃つ部隊だった。
障害物で歩きにくい市街地を進み、たどり着いた商家は既に略奪を受けていて、目ぼしいものは何もない有様だった。
扉は破壊され、見事なほど家具から食料まで、何もかもが奪われている。
アベルは商家の屋根裏部屋から城壁の方を注意深く観察する。
手筈が整ったら昼なら旗が、夜間なら松明の合図があるはずだった。
アベルの隣にはイースとカザルスもいた。
カザルスはこの短期間で戦士に変貌している。
血で血を洗う戦場で、流れた血を呑み尽くすような鬼になっていた。
人間、ここまで変わるものかとアベルは驚嘆したものであった。
かつて夜空の星座を指さして、惑星運行について語るロマンチストの気配は彼から消失していた。
今はどうやって敵を斬り裂き、効率よく殺すかについて追い求める、殺人学者になってしまった。
一晩潜み、予想通り朝方から始まったリキメル軍団の攻撃は、まもなく絶頂に達した。
城外門の方から異様な歓声が上がる。
アベルは城壁に緑色の合図の旗が上がったのを見た。
今の歓声は、わざと弱い抵抗により城外門が破られたことで興奮した敵が上げたものだったようだ。
「よし。いくか……」
アベルは地下室の味方を呼んで、部隊は商家を出た。
路地は狭いので、百人の伏兵部隊はさらに細かく十人ずつ分かれる。
ポルトの住民たちは残虐凶暴な傭兵団が押し寄せてくると聞いて、ほとんどは逃げ出している。
無人の商店、民家は全てが略奪の嵐にあった。
通りには投げ捨てられた衣類や壊れた家具、壺などが散乱している。
富める者や貧しい者、多彩な人々が混じり合い、懸命な生活の舞台として繁栄していたポルトの街は、もはや見る影もない。
アベルが先行して一人で走る。
路地から無造作に姿を現すと、目の前の傭兵らしき男たちは、まさか敵と思わずにジロッと睨みつけただけだった。
威圧するように話しかけてくる。
「おめぇ、どこの団だよ」
「……あっちに、まだ奪えそうなもんがあるって聞いたからさ。行ったら、一人じゃ運び出せないもんがあってよ……。手伝わないか? 山分けだ」
傭兵たちが目の色を変える。
「どこだよ!」
「物は何だ!」
アベルは無言のまま、付いて来いと言う仕種だけをして路地に戻る。
傭兵たちが十人ほどゾロゾロと後を追ってくる。
どいつもこいつも傷跡だらけの荒れ果てた面相をしていた。
村を恐喝して食い物や女を奪い取り、気に入らなければ殺して放火するなど当たり前の奴ら。
アベル一人なので油断しているのだろう。
突然、路地の家々からイースやガトゥが退路を塞ぐ形で飛び出してくる。
「なんだ! てめぇら!」
そう叫んだ男の喉に、アベルが投げた棒手裏剣が突き刺さった。
悶え、倒れる。喉を掻きむしる。
イースは手にした剣で素早く二人の頭をカチ割っている。
路地に鮮血が流れた。
ワルトが二階の窓から跳躍。
傭兵の冑に激しい飛び蹴りを食らわせる。
丈夫な何かが折れる大きい音。
首の骨が圧し曲がっていた。
ガトゥが手槍で敵を圧倒していく。
一人、顔面を突いて殺した。
カザルスは「土石変形硬化」で傭兵の足首を拘束、背中に回り込んでから片手剣を巧みに使って首に致命傷を与えた。
残った敵は剣戟らしいものにもならず、一気に倒す。
路地に屍の山が出来あがった。ほんの僅かの間だった。
周囲の街々から悲鳴や罵声が轟く。
アベルたちは駆け出す。
大通りに完全武装の王道国の騎士や兵士が犇めいていた。
アベルは「炎弾」を複数発生させて、それを連発した。
どこも敵だらけで狙う必要もない。
爆発。
飛び散る肉と血。
興奮した馬が棹立ちになり、物凄い勢いで暴走する。
兵士たちが悲鳴を上げて逃げ出す。
「がああぁああぁあ!」
アベルやガトゥが雄叫びを上げて敵中に突っ込む。
敵のほとんどは奇襲に驚いて、逃げ出した。
少数の肝の座った奴が立ちはだかる。
カザルスが鉱物魔術第四階梯「土槍屹立」を行使。
抵抗してきた騎士風の男を、土中から突き出した石槍で串刺しにした。
重たい鎧などを着て落馬したり、転んだりすると動けなくなってしまう者もいた。
あるいは密集しているものだから転倒して味方や馬に踏みつけられる兵士もいる。
アベルはそういった、地面で倒れている者から攻撃する。
簡単に致命傷を与えられるからだった。
鎧の隙間に刀の切っ先を突っ込むだけ……。
混乱というのは爆発的に広がるものだった。
リキメルの兵士たちが、もう勝手に崩れていった。
アベルは「炎弾」ばかり使ったし、カザルスは火薬を詰めた壺を敵中に放り投げて爆発させる。
爆破の音は、なおのこと敵を動揺させた。
城外門の前にある広場は、さらに大混乱だった。
城内からの激しい抵抗と、アベルたち伏兵部隊による奇襲で慌てた敵が結果的に逃げ場を失い一団になっている。
統制が取れているわけでなく、ただ固まっていた。
カザルスが叫ぶ。
「あいつらはボクが殺す! 見てろ!」
アベルはカザルスの体内で魔力が激しく律動するのを感じた。
邪魔な敵の魔術師は随伴している騎士団の弓兵や弩兵にアベルが指示をして、狙い撃ちにさせた。
魔術師が着込んでいた胸甲を貫いて、弩の矢が突き刺さる。
ふらふらと泳ぐように揺れてから倒れた。
これで干渉は不可能だ。
すぐに鉱物魔術第六階梯「竜尾千斬」は完成した。
石畳の地面が隆起して、無数の刃が現れた。
それが直径十メートルほどの円軌道を描き、激しく運動する。
刃物で切るというよりは、巨大な牙で破砕し、擂り潰すと言うべき魔法攻撃であった。
ミキサーのように内部の人間を強引に砕き、バラバラに千切っていく。
もう鎧も盾も全く意味をなさない。
将官も下級兵士も無関係に、ごちゃまぜの挽肉になって死んだ。
まとめて四、五十人ぐらいは殺したはずだった。
アベルは場違いかもしれないが、あれでは誰の死体か分からないから葬式も苦労するだろうと思った。
「は、ははっ……。カチェ君を襲おうとするやつは、みんなこうしてやるぞ……皆殺しだ」
カザルスは目をギラつかせて言うのであった。
笑みまで浮いている。
かつて面長の顔に湛えていた茫洋として優しげな笑顔とは別物の、凄味のある微笑だった。
伏兵部隊は城外門で合流、門を確保して、再び門扉を閉じようとする。
手柄目当てで城内に侵入していたリキメルの将兵や傭兵を挟み撃ちにするまで、あともう一歩。
ところがアベルの方に閉じ込められたら絶体絶命の相手が殺到してくる。
敵たちは退路を断たれた恐怖と怒りで狂ったようだ。
だが、ここで退いたら成功半ばとなってしまう。
アベルは自身に叱咤するように叫んだ。
「一人も逃すな!」
イースが大剣を振り回して敵を二人、三人と斬り捨てていく。
いずれも防具ごと胴や太腿を切断する凄まじい有様。
ガトゥや騎士団の手練れたちが斧や槍などを手に、暴勇を発揮してぶつかっていく。
叫び声。
悲鳴と罵声。
たちまち取っ組み合いとなり、お互いを引きずり倒す肉弾戦となる。
そこへ、ひときわ巨体を誇る黒鉄鎧の男が姿を現した。
手には大きな斧付き槍。愛用のハルバードだ。
ロペスだった。
「ぐはははっ。楽しそうだな、俺も混ぜろ」
ハルバードを剛力で振るうと敵の頭が熟れた果実のように割れる。
そのまま槍として突けば兵士が串刺しになり、槍玉に上げたかと思えば死体を敵に放りなげた。
ロペスは悠然と進み、次から次へと敵を潰していく。
そうした激しい殺し合いとなるが、やがて門に隠されていた落とし格子が轟音を立てて落下した。
「もう逃げ場はないぞ。抵抗をやめろ!」
恫喝の声が響き、戦意を失った敵の突入部隊は命乞いを始めた。
ロペスは降服を受け入れて捕虜とする。
将官は賊とは違うので、それなりに丁重に扱って情報を引き出すはずだ。
だが、捕虜にする価値のない傭兵は縛り首にして城壁から吊るしたり、物見櫓から突き落としたりして見せしめに殺していく。
窮地にあって勝利した騎士団は意気軒昂。
武装解除させた敵を跪かせて、笑いと歓声を上げる。
「アベル。お前のおかげで勝てたぜ」
「おおよ。やっぱり、ついている男だ」
騎士団の男たちは素直にアベルを称賛してくる。
とりあえず応えておいたが結局は閉じ込められていることに違いはない。
そして、カチェは城から逃げないと言い切っていた……。
少しも喜べない。
アベルがカチェを探すとロペスの後ろから歩いてくるところだった。
弾けるような、爽やかな笑顔。
抱き合うほど近寄ってカチェは腕を握ってきた。
「またアベルがいてくれたから勝てたわ。まるで……わたくしの騎士様ね」
カチェに喜び以上の艶やかさが匂い立つように現れて、さらに美貌を彩った。
追い詰められた血塗れの凄惨な戦場にあって、異常なほど美しいとアベルは痺れるように感じる。
カチェは憂鬱と精悍さが溶けあったアベルの顔に口づけをしそうになって、やめた。
好きなのだが、だからこそ清潔でいたい。
きっと援軍は来ない。
自分は貴族として勇敢に戦い、散るのだ。
アベルへの想いを心の結晶にして、永遠に仕舞っておこう。
アベルには死んでほしくない。
死なせてはならない。
だから、綺麗なままでいよう……。
抱き合うほど寄り添っていたが、カチェは自分から離れる。
もうすぐ戦いも極まるだろう。
巨大な運命が、全てを真っ白な灰にするまで、あと僅かだった。
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