第41話 死闘
アベルは信じられない思いだった。
戦姫ハーディアとガイアケロン王子が目の前にいる。
王族など初めて見る。
皇帝国の皇子ですら見たことがないというのに。
それが決闘に、のこのこと現れた。
対するガイアケロンが、にっこり笑いながら聞いてきた。
「そちらの騎士の方。亜人とお見受けするが正しいかな」
「その通り。私は魔人氏族の混血だ」
「噂では皇帝国は亜人を雇ってはならない法律を作ったと言う。であるならば貴君が決闘の代表者であるのは、少し不思議に思う」
「ガイアケロン王子の疑問もっともなればここは信じていただく他ない。私は無償でこの決闘に臨んだもの。ハイワンドに恩義があるゆえ」
「なるほど、恩義があると! むしろ得心のいく説明。疑って済まなかった」
王道国の王女ハーディアは決闘の相手、小柄な男の方を見る。
まさかと思ったが、少年であった。
くすんだ金髪。
貴族の子弟を思わせる端正で気品ある顔。
そして、群青色の瞳を見て、氷を体に押し付けられたような気がした。
なんて昏い魂の持ち主だと、うすら寒くなった。
たまに、少年兵士などにいる眼つきだった。
純粋だが、酷烈になりすぎた人格。
抜き身の刃物のような心。
混じり物のない殺意。
危険な瞳だ。
それから警戒心が湧く。
あのような戦士は、死を恐れずに行動することがある。
いわゆる死兵。
相討ちを狙ってこられると厄介だ。
基本的に剣術兵法とは、自分は無事に相手を制圧することを原則としている。
しかし、死を覚悟した戦い方を仕掛けてこられると、その根本原則が通用しない……。
それを狙って送り込んできたのかも。
となればあの少年の相手は兄ではなく、自分だ。
ここは慎重に出方を見ようとハーディアは考えた。
ハーディアの隣にいる兄ガイアケロンが、さらに問うた。
「戦う前に聞きたい。こちらは寛大な条件で降服の要件を伝えた。何が不満だったかな? 今からでも話は聞こう」
イースという名の見慣れない種類の美貌を持った女が答える。
ハーディアは完全な黒髪というものを初めて見たような気がした。
素直に美しいと思った。
「仔細の説明は不要と存ずる。はじめましょうか」
黒髪の持ち主から、素っ気ない拒絶の声。
ハーディアは黙って剣を抜く。
やるからには少年といえども容赦などしていられない。
きちんと戦ってやって、その代りに消えてもらう……。
それだけのことだ。
ハーディアは騎士見習いを名乗る少年の武装を改めて観察した。
鎧と腿当て、脛当て。籠手も付けている。
冑は無し。
騎士の女と似た防具だった。
騎士見習いとは低い身分だが、嘘かもしれないので気にしないことにする。
決闘に出てくるぐらいだから余程の使い手だろう。
ハーディアは声を掛けた。
「準備をします。少しだけ待ちなさい」
アベルはガイアケロンが腰に帯びた大剣を鞘ごと外して、得物を交換するのを見ていた。
代わりに後方の部下に命じて持ってこさせたのは、太く長い棒だった。
アベルの目測、長さ二メートル半はあるだろうか。
先端は尖っていない。平坦である。
素材は無垢の鉄らしい。
さすがのイースも分断はできそうにもない太さだった。
変わっているのは鉄棒の中間ほどに鍔が付いていることだ。
その鉄棒を左手は前に、右手は腰あたりの位置で掴み、構えた。
棍棒の先端はイースの顔面を指している。
自然、ガイアケロンの体勢は正対せずに斜めとなる。
アベルは初めて出会った鍔付き鉄棒という武器を考える。
想像しているより遥かに厄介な武器かもしれない。
ガイアケロンがロペス並みかそれ以上の剛力だったとすれば、あんな鉄棒に殴られたら胸甲や冑など容易に曲がり、骨を砕く。
イースは鎧のみで冑をしていないが、あってもなくても同じかもしれない。
斬れるが反面、折れたり撓ったりする剣を相手に、イースはそうした金属性質を利用した巧妙精緻な技を繰り出す。
しかし、ガイアケロンの手にした太い鉄棒は撓いもしないし、折れもしない。
――そういや、昔の剣豪があえて木刀を使ったのは剣のように折れないから……。
アベルは、ふとそんな事を考えたがイースに言うまでもない。
するとイースは決闘相手に聞こえない小声で、淡々と告げた。
「私がガイアケロン王子とやる。アベルはハーディア王女を牽制しろ。無理に攻撃しなくていい。先に一人やられた方の負けだ。絶対に殺されるな」
イースが背中からいつもの大剣を手に取り、構える。
上段だった。
柄を握る拳が額の辺りにある。
アベルも腰に差した刀を抜く。
白く輝く、清潔な印象の刀身。
アイラに貰った「白雪」という銘の刀。
なかなかの名刀だったらしく数々の乱戦にも折れずに耐えてくれた。
斬れ味も素晴らしい。
今では体の一部のように馴染んでいる。
アベルはちょっとした隠し技を試みつつ、頭上、掲げるように刀を大上段へ構えた。
対するハーディアは真っ直ぐな両刃の剣を手にしていた。
鍔は柄と一体で作られた棒状のもの。
それを右片手だけで握り、突き出すように構える。
片手でも使えるし、両手握りもできる柄の長さであるのをアベルは一目で確認する。
それから柄も含めた剣の全長を頭に叩き込んだ。
剣界とか間合いと呼ばれる攻撃範囲を一刻も早く掴まなければならない。
ハーディアの剣は先端へ行くに従い細くなっていく。
優美さと実用性を備えていた。
刺突、薙ぎ払いと威力があるはずだった。
もしかすると何らかの予想もしない魔力付加がある武器とも限らない。
相手は王族だ。
希少なその手の武器を持っているかもしれなかった。
ガイアケロンとハーディアが合図する。
決闘の始まりだ。
イースが無造作に足を進める。
アベルは足捌きを意識して、すり足移動。
ぐんぐんと間合いが迫ってくる。
ハーディアから殺気のようなものが、ひりつくように伝わってきた。
頭が熱い。
心臓が暴れる。
イースの歩みは止まらない。
小細工の無い、自然体の足運び。
ガイアケロンの間合いに入った瞬間、体ごと一気にイースは前に出た。
即座にガイアケロンが鉄棒を突く。
イースの回避と出足のほうが一瞬、速かった。
アベルが、ふと気づいたとき、もうイースはガイアケロンを必殺の攻撃範囲におさめていた。
イースの大剣。
ガイアケロンの頭蓋を狙って振り下ろされた……ように見えた。
反応したガイアケロンは鉄棒で剣を払おうとするが、イースの剣は奇妙に軌道を歪める。
狙いは初めから頭ではなく左腕。
アベルは決まったかと息を飲む。
大剣が腕に触れる寸前、ガイアケロンは鉄棒から左手を外して紙一重で避けた。
距離を取る。
「変わった技。凄まじい剣だ」
亜人の騎士イースは何も答えない。
お互いに一つでも間違た方が殺されると理解しつつ、ガイアケロンは再び歩み寄る。
アベルはハーディアを観察。
胸と胴は鎧がある。
下半身も防具がある。
やはり狙うなら顔だ……。
刀の柄を握るときに棒手裏剣を隠し持って、添えておいた。
暗奇術、柄隠し。
棒手裏剣は細長い鉄杭のような形状なので、死角を利用すれば完全に柄の陰に隠せる。
大上段構えの姿勢をとるが、それは欺きだ。
ゆっくりと近づき、右腕を振り下ろすだけの僅かな動きでハーディアの顔に棒手裏剣を投げつけた。
眉間へ正確に飛翔した棒手裏剣。
ところがハーディアは半身だけの動きで躱してみせた。
どうせ避けられると踏んでいた。
体勢が崩れる。それが狙いだ。
アベルはハーディアの間合いを測りながら回り込み、対応し難い肘の外側から鋭く踏み込んだ。
初撃、刀を両刃剣に当てる。
火花が散る。
アベルの手に柔らかい感触が伝わる。
ハーディアは攻撃に対して力ずくで押し返さずに、いなしてきた。
それならとアベルは魔力を活性化させて、あらんかぎり渾身の力で刀を押し付けた。
相手の想像を絶する素早さと力で、一気に片を付ける。
――押斬りにしてやる!
殺してやるぞ!
「がああぁぁぁぁ!」
アベルの叫び。
刀身を体全体で押す。
切っ先をハーディアの顔へ、じりじりと寄せていく。
アベルの瞳に殺気が宿る。
ハーディアの琥珀よりも美しい瞳が戦闘的な色を湛えてアベルの相貌を睨み返してきた。
ハーディアは空いている左手で草摺りの裏から何かを取り出した。
アベルはそれが刃物なのを察知する。
狙いは顔面。
間一髪、しゃがんで避ける。
――しまった! この女、二刀使い!
ハーディアは理由もなく片手構えをしていたわけではなかったのだ。
アベルは魔力を猛烈に加速させる。
さらにハーディアが両刃剣を突き出してきた。
アベルはしゃがんだ姿勢のまま、辛うじて刀で斬撃を払う。
ハーディアは体を入れて、さらに接近。
もう一方の手にある細身両刃のダガーをアベルの顔面に目がけて突き刺してきた。
咄嗟に回避。アベルは溜めの動作無しで直上に跳躍。
細身のダガーは首のすぐそば、胸甲を削った。
完全に押し込まれる寸前。
着地して体幹を正す。
神経を焼かれるようなチリチリした感覚。
死の気配だ。
アベルは強烈に氷槍をイメージ。
かつてないほど瞬時に氷柱が形成される。
「氷槍!」
絶叫のような詠唱。
至近距離のハーディアに向かって鋭利な氷柱が、すっ飛んでいく。
避けられるとも思えない速度だが、ハーディアは軽々と剣で氷槍の軌道を逸らせた。
氷柱は背後に飛んでいった。
アベルは必死にバックステップで距離を取る。
ぞっとした。
強すぎる。
接近戦を続けていれば確実に殺される。
今は辛うじて凌いだが、そうそう続かない。
視線を動かしイースを探す。
そのイースは激しい連撃をガイアケロンに加えている最中。
鉄棒と大剣が衝突するたび、火花が煌めいた。
イースは「拍子撃ち転調」を試みる。
わざと規則的に音節を意識して斬撃を与える。
すると敵は無意識に拍子に乗り、次はこの時に攻撃があると思い込み、体が勝手に動く。
そこで突如、転調を組み込む。
巧緻な罠。
イースは軽く触れるような斬撃を与えた。
一定のリズムに合わせ、鉄棒に斬撃を仕掛ける。
まるで楽器のように調子が一致していく。
罠が完成した。
イースは転調を仕掛ける。
振りかけた大剣を強引に止めて、体ごと投げ出すようにして地面すれすれに移動。
左手を地面について、右片手だけで大剣を突く。
間隙を許したガイアケロンの脛に大剣が豪速で接近。
ところが鉄棒を軸にしてガイアケロンは高跳びをする。
鎧を着こんだ巨体が軽やかに宙を舞う。
恐るべき威力を秘めた大剣が鉄の脛当てを削っていく。
だが、掠っただけ。
ガイアケロンは着地して、すかさず鉄棒をイースに繰り出す。
頭蓋骨など卵のように砕く一撃。
自信があった。
ところが鉄棒は大剣で弾かれた。
隙を与えずにガイアケロンは力を込めた連続攻撃を仕掛けた。
一撃で骨を折り、内臓を破壊する猛打。
だが、鉄棒は届いているようで何の手ごたえも無い。
まるで空気を殴っている錯覚が生まれた。
要は当たる直前の瞬間で躱されているらしい。
ガイアケロンは柄を掴む位置を、その都度変えて射程を悟られない攻撃を与えた。
しかし、イースという亜人の女騎士は、どの攻撃も見切って紙一重で避けてみせた。
最小限の回避。それゆえ次の瞬間には反撃がある。
イースの表情は、まるで変化がない。
頬は美しい曲線を描き、引き攣ることもない。
赤い瞳が紅玉のように輝いていた。
冷静さだけがあって、必死さも余裕も何もない。
無表情。
そして、視線はどこへ注目しているか分からないのに、それでいて全てを視界に納めているかのような不思議なものだった。
棒術の精妙に達しているはずの攻撃は全て通用しなかった。
イースが身軽に後退していく。
ガイアケロンは畏れの混じった感嘆を抱いた。
イースの技もそうだが、完全なまでに恐怖を律した精神。
こいつはどんな奴なんだと、ますます興味が湧いて来る。
アベルは再び、イースの隣に位置した。
息が荒い。
吐く息に血の臭いが混じっていた。鉄の生臭さ。
足が、ぶるぶると震えている。
ハーディアは、とんでもなく強い。
間違いなく、これまで戦った中で最強。
野盗なんか比較の対象にならない。
咄嗟に魔法まで使ってしまったから、これで手の内が一つバレてしまった。
しかも、まだ向こうは実力を出し切っていないのが明確に感じ取れた。
勝つどころか殺されないようにするのが精一杯。
恐怖感が嵐のように湧いてきた。
――いや。弱気になるな!
怯えた攻撃なんか仕掛けたら一発でやられるぞ……。
「イース様……」
「さすがに強い」
「次で」
「そうだ。次で決めるぞ」
「ハーディアは僕が抑えます。イース様はガイアケロンの首を獲ってください」
ハーディアは隣の兄に語り掛けた。
「その鉄棒を使う時は可能なら相手を生け捕りにしたいとのお考え。けれど、あの二人は無理です。それを許すほど弱くありません」
「うん。確かに強い」
「手加減していると怪我します。殺してください」
「いや、とっくに手加減はしていない。……来るぞ」
アベルとイースは同時に歩みを進める。
アベルはハーディアの剣先、足捌き、魔力の動静を察知しようと必死に感覚を働かせる。
イースがガイアケロンを倒して自分が無事なら、ほぼ勝ったと同じ。
しかし、自分が戦闘不能になって兄妹が二人とも無事なら……イースが殺される。
それだけは絶対に許されない。
アベルは歯を食い縛って、体を前に運ぶ。
イースは大剣を構えなかった。
だらりと、ぶらさげている。
下段の構えというにも、あまりに野放図な剣の下げ方だった。
垂らした、と言ったほうが的確な剣のありさま。
ガイアケロンもハーディアも、どういうつもりだろうと
アベルは炎弾を出す。
兄妹の中央、足元付近を狙って撃ち放つ。
向こうは左右に分かれて避けた。
地面で爆発。
何のダメージも与えられない。
アベルは氷槍を連射しつつ、ハーディアに近づく。
これは相手に望みの姿勢、足捌きをさせないための予防措置だった。
ハーディアほどの達人に何の工夫もしないで接近すれば、火に飛び込む虫だ。
この時、アベルにも何故なのか理由は分からなかったが、イースは何らかの異様な技を使う予感を得た。
事前に申し合わせたわけでもないのに……。
ハーディアにガイアケロンの援護をさせてはならない。
派手にやろう。
「がああぁあぁぁぁ!」
アベルは恐怖を消そうと雄叫びを挙げて、刀を頭上に掲げて突撃。
ハーディアと斬り結ぶ、死線すれすれの間合いにしか生き残る道はないのだと思い切る。
無駄と分かってハーディアの足元に「土石変形硬化」を仕掛けた。
ハーディアは難なく、魔力を読みきって足を外した。
――この女、魔法を使わないな?
使えないのか、それとも隠している?
ハーディアが攻勢に出る。
軽やかな足運び。左右に跳ね飛んだ。
剣を右手で持ち、額の位置で上段構え。
左手でダガ―を脇構えにする。
アベルはハーディアの左右に振ってくる動きに吊られないよう、あえて正面に突き進んだ。
ハーディアがそれを予期していたのか、アベルの右側から踏み込んで来た。
間合いに入ると、両刃剣を振り下ろす。
アベルの顔面が狙いだった。
速く怜悧な斬撃。
アベルは頭に目がけて振り下ろされる両刃剣を刀で弾く。
ほぼ同時にハーディアの細いダガーは首、頸動脈を狙って突いてくる。
アベルは柄から右手を離す。
ダガーの軌道を読んで、体を退かせず逆に突っ込んで接近。
小さな鍔と刃の根元あたりを掴む。
ハーディアは魔力による身体強化が強烈だった。
物凄い力で押される。
ダガーの先端が、アベルの頬や首に触れる。
アベルは歯軋りさせながら、刀を全力で押し返す。
刃をハーディアの麗らかな美貌へ、じわじわと接近させていく。
お互いが刃物を競り合わせる。
金属が噛み合い、耳障りな音がした。
ガイアケロンは自分の見たものが、信じられなかった。
イースという女騎士の足捌きが理解できない。
見ているのに、動きが読み取れない。
重心が掴めないというか、どれだけの歩速で移動しているか上手く追えない。
次にどの位置にいるだろう、という正確な予測ができないのだった。
ある種の舞踊に通ずるような不思議な足運び……。
ふと気が付くとイースという女騎士は、だらりと垂らしていたはずの剣先を後方へ送っていた。
妙だなと思ったが、何をするのかは分からない。
とにかく相手の攻撃範囲には入っていない。
魔法の気配もない。
自分の鉄棒の方が間合いは広い。
落ち着けと、自分に言い聞かせる。
あの妙な足捌きに集中する。
次の瞬間、イースが大剣を掬い上げる動作。
大剣が飛ぶ。
――投げてきた?!
剣先が、もう己の眉間に吸い込まれつつある。
当たれば、死ぬ。
首と全身を反らせる。
こめかみを大剣が掠っていった。
片膝を付いて転倒を避ける。
イースが目の前にいた。
拳を繰り出してきた。
左の頬骨、激しい打撃、潰れた鈍い音がした。
目が眩む。反撃。
もう鉄棒が役に立たない間合いだ。
ガイアケロンは鉄棒を手放して、掴みかかる。
頬骨が砕けたせいか、視界が歪む。
小柄なイースを組み手で制圧しようと腕を伸ばす。
ところが、その腕を逆に掴まれた。
イースは両手でガイアケロンの左上腕を掴むと、そのまま反転。
自分の肩の上にガイアケロンの肘を乗せて渾身の力で関節を逆方向に引っ張った。
バキリッ、という枯れ木が折れたような音がした。
ガイアケロンの左腕が奇妙な方向へ曲がっていた。
「お兄さまぁ!」
ハーディアが絶叫。
次いでアベルを睨みつけてきた。
琥珀色の瞳に、燃えるような殺気が宿っていた。
膨大な魔力が渦巻くのをアベルは感じ取る。
アベルの眼前に氷の塊が形成されていく。
それは氷柱どころの大きさではない。
一瞬、瞬きの間で増強され、今はもう人間の体ほどの大きさ。
さらに膨れていく。
しかも先端は鋭利な突起が、絢爛豪華な花弁のように乱れている。
それがハーディアの頭上に完成しつつある。
華麗かつ禍々しい氷塊の先端はアベルを狙っていた。
まだデカくなる。
アベルは自分も氷槍を創り、衝突させて防ごうと考えたがハーディアの氷塊は巨大で対抗できそうにもない。
死が迫っているのだけは分かる。
――やべぇ、逃げられん!
炎で防御!
アベルはハーディアと刀を咬み合わせたまま火魔術「火炎暴壁」の魔法名を詠唱。
ハーディアが猛烈な力で押しながら、前蹴りを入れてきた。
足に衝撃。
体と体が離れる。
大火傷を覚悟して、至近距離に火炎暴壁を発生させる寸前。
ハーディアは後方へ跳躍した。
同時に魔法名を詠唱。
「氷華繚乱隗」
巨大な氷の華が高速で放出された。
アベルの「火炎暴壁」が完成。
至近距離に炎の壁が立ち昇る。
猛烈な熱波。
アベルの髪が高熱で焦げた。
噴煙のような水蒸気。
炎の壁を突き破って、氷の塊がアベルの顔面に迫ってきた。
アベルは顔を反らせた。顔に激しい打撃。
ゴリゴリと骨を削られるような衝撃がある。
体が地面に叩きつけられた。
慌てて立ち上がる。
頭がくらくらした。
視界がやけに狭い。
左側が全然、見えない。
手を当ててみると、ぬるぬる滑った。
かなり深い傷を負ってしまった。
しかし、痛みはない。
治療は後回しと決めた。
火炎暴壁で発生した炎を気象魔法「突風」で吹き飛ばす。
炎の塊が放射状に飛んでいく。
ハーディアがいない。
――どこだ?
ハーディアが水壁を連続発生させて、しかも、ガイアケロンとイースの方へ凄まじい勢いで駆けていた。
「イース様ぁ!」
イースに左腕をへし折られたガイアケロンは、自由になる右手でイースの右頬のあたりを殴りつけた。
ガイアケロンの拳にしっかりとした手ごたえがある。
やっと与えた初撃は原始的な素手による殴りだった。
するとイースは固めを解いてガイアケロンに蹴りを食らわせる。
ガイアケロンの胸甲に大きな鎚がぶつかったような強い衝撃。
折られた腕の痛みと衝撃でのけぞる。
歯を食い縛り、戦おうとするがイースは身を翻し、逃げていた。
理由はハーディアだ。
魔力を集中させながら駆け戻って来る。
ハーディアがイースへ激怒と共に渾身の攻撃魔法を仕掛けようしている。
アベルは炎弾を発生させて射出。
狙いは痛んでいるガイアケロン。
あり得ないほどの好機。
炎弾が飛翔していく。
アベルは顔面から大出血しながらも叫ぶ。
「死ねっ!」
ハーディアは即座に攻撃から防御に切り替える。
ふたたび水壁を創り、兄の前に水壁を発動。
命中直前で防御した。
アベルと合流したイースは酷い怪我を見ることになった。
顔面の左側は、原形を失うほどズタズタに切り裂かれていた。
頬骨まで見えている。
出血は激しく血が滴り落ちている。
「怪我を治せ! 今すぐだ!」
アベルはそう言うイースの顔を見た。
信じられない。
イースこそ怪我をしていた。
口の端が切れて、赤い鮮血が白い肌に一筋流れている。
手傷を負ったイースなど、出会ってからこっち初めて見た。
「イース様こそ怪我している……」
「私は掠り傷だ。早く治せ!」
「だめだよ。イース様。治すならイース様の方が先です」
アベルは治癒のイメージを強く持って、イースの頬に触れた。
淡い光が、イースの唇の傷を綺麗に回復させた。
アベルは、ほっとした。
「良かった。イース様の顔に傷なんか、あっちゃいけない」
やけに体が重い。
左側が見えない。
首を大きく捻じ曲げると、肩や胸甲が血でビシャビシャになっているのが、やっと見えた。
――あれ? いつの間にこんなに出血した?
痛くないのに……。
「アベル! 頼む、早くしろ!」
イースが怒鳴る。
あり得ないことに顔に動揺を浮かべている。
眉根を寄せて必死に訴えていた。
頭にモヤがあるみたいだ。
眠気に似ている。
動作が鈍い。
アベルは途切れそうになる意識をやっとのことで繋ぎ留め、傷を治すイメージを持ち、掌を左顔面に押し当てた。
麻痺しているのか感覚がない。
むしろ、治している途中に激痛が走る。
「あれ……? なんか……視界が狭い?」
「アベル。残念だが左の眼球が、そっくり抉られたらしい。再生していない」
「え? 眼球が無い……」
「ああ。他の傷は治っている。さぁ、あいつらを殺すぞ。左側に死角が多いから、その分は五感で補え」
アベルに左目失明の実感は無かった。
部分ごと欠損してしまうと、自分程度の治癒魔法では治せない。
左眼球は魔法攻撃で引き裂かれ、さらに千切り飛ばされたのだろう。
再生不可能……。
考えても仕方ないのでアベルは気を取り直して兄妹に向き直る。
ハーディアが、こちらを見て驚愕の表情を浮かべていた。
分かりやすい反応で、ちょっと笑える。
まさか治癒魔法が使えると思わなかったって感じ。
こういう時はイースのように無表情、冷然としていないといけない。
動揺したのがバレてしまう。
――まぁ、そりゃ普通むりだよな。
でも、今日に限ってはイースも感情が現れていたけれど……。
「アベル。私は剣を失っている。すまないが、その刀を貸してくれ。いいか。できるだけ早く、私がガイアケロンを獲る。アベルはそれまでハーディアを凌いでくれ。それが出来れば勝ちだ。出来なければ我らがここで死ぬだけのこと」
イースの投げつけた大剣はガイアケロンを通り越し、彼の部下たちが居並ぶ中へ飛び込んでいった。
剣はどこにいったか分からない。
いま返してもらえるはずが無かった。
アベルは何も言わず刀を渡した。
その代わりとして腰から小刀を抜く。
他に残った武器は棒手裏剣が四本。
それから奥の手、ウォルターから貰った魔力付加ナイフ「心臓縛り」がある。
しかし、「心臓縛り」は達人相手に使うのは難しい。
例えばハーディアは魔法が使えるから心臓縛りで数秒間、強制的に心臓を止めても魔法を使ってくるだろう。
だいたい、掠り傷を負わせるのも苦労する相手だ。
現に今だってハーディアに一太刀すら入っていない。
さらに、こちらの意図を察知する鋭敏な感覚を持っているはずだった。
見抜かれかねない……。
――使うんだったら、投げナイフとして。
不意打ち……。
いや、苦し紛れの技なんか通用しない。
適当な攻撃なんかしたら見切られて反撃されるだけだ。
命、捨てるつもりで攻撃……これしかないか。
隣のイースは刀を構える。
アベルが見たことのない変形的な上段構え。
右手だけで刀を持ち、切っ先は天を突くように真上を向いている。
空の左手は前に向かって伸ばされていた。
摺り足で寄っていく。
まるで獲物を仕留めにいく猛獣の動作だった。
静かだが、殺気に満ち満ちていた。
ハーディアは悔しさのあまり唇を噛んだ。
まさか、あの少年が強力な治癒魔法を使うとは思わなかった。
戦闘力を奪ったつもりでいたが、騙された間抜けだったわけだ。
今さらだが、攻撃の方法を組み立て直さなければならない。
中途半端な攻撃は無駄だ。
絶命させる一撃。
これでないとならない。
しかし、兄が危機だ。
左腕が全く使えない。
頬にも酷い傷を負っている。
失敗した!
最初の攻撃で何としてでも少年を殺しておくべきだったのだ。
隣に立つ兄はこんな状況であるのに余裕のある声で語り掛けてくる。
「ハーディア、俺のことは気にするな。あの女の亜人、あいつをこれから俺が止めてみせる。そこを突け。少年のほうは……たぶん捨て身で来るぞ。厄介だな」
あれこれと思うところはあったが、ハーディアは黙って頷いた。
ゆっくり相談している暇を相手は与えてくれない。
イースという騎士が接近してきた。
ガイアケロンは迷いなく面白さを感じていた。
初手、鉄棒という選択がそもそも間違っていた。
長物はどうしても動作が大きくなる。
あれほどの達人には僅かな遅さが命取りになる。
使うべき武器は剣、あるいはもっと短い棒。
相手より素早く動けるもの。
これだった……。
軍陣から引き連れてきた仲間たちから異様な気配が立ち昇っている。
約定を無視して決闘を中止させようという意図を感じる。
それを制止しようとしたときだった。
ポルトの街に無数の煙が発生していた。
アベルやイース。
それから随行したハイワンド騎士団の面々も異変に気が付いた。
するとポルトの守備部隊から早馬が駆けこんで来る。
ロペスに大声で報告する。
「約定違反でございます! リキメル軍団の先鋒、到着するなりポルトの街に激しい攻撃を開始しました。停戦は破られました! しかも、こちらにも手勢が向かってくる様子があります」
ロペスは叫ぶ。
「ガイアケロン王子! これはどういうことか!」
ガイアケロンはリキメルが停戦の依頼を無視したのを知った。
あくまで自分がポルトを攻め落とし、手柄を奪おうという野心らしい。
「……すまない。こちらの配慮不足である。責任は我にあろう」
「違反となれば、決闘はそちらの敗北」
「ふむ。しかし、我はまだ余力を残しているつもりだ。完全な敗北は認め難いな。では、こうしよう。我々はポルトに攻撃を仕掛けない。事態を静観いたす。それで許してもらいたい」
モーンケが叫んで、言い募る。
「そ、それでは足りないぞ! 責任を取れっ!」
「我としては出来る限り譲歩しているつもりである。不満であるなら、やはり我々に降ってはもらえまいか? 貴族として遇するし、それを望まぬのなら逃げても追わないと約束しよう。失礼ながら落城は免れないのだから悪い条件ではあるまい」
「しかし……!」
モーンケのさらなる追求をロペスが遮った。
「ガイアケロンとハーディアの軍団が攻撃に加わらないとは好条件である。リキメルだけを相手にすればよいのだからな。ここはこれで退くぞ。ポルトが囲まれると我々が帰れなくなる。急ぎ、撤収!」
アベルは大きく息を吐き出す。
成り行きで決闘は終わってしまった。
それで良かった。
命があっただけでも拾い物の戦いだ。
ハーディアといえば兄に駆け寄り、心配げにしている。
もう決闘の相手など眼中にない態度だった。
ガイアケロンの部下が大慌てで治療魔術を主に施す。
見る見るうちに頬の傷が治る。
奇妙な方向に捻じ折れた腕は、関節を元の位置に戻してから治療魔術をかけた。
高階梯の治癒魔術師らしく、見事に修復されていった。
儀典長騎士スタルフォンが決闘の成り行きをその場で書面にしてガイアケロンに署名を求めた。
迷うことなくガイアケロンは名を書き記した。
イースはガイアケロンの配下たちへ歩んでいった。
だいたい三十人ぐらいいる。
騎士、戦士もいれば魔法使いもいた。
人間族だけではなくて亜人の混血という感じの者もいる。
「私の剣を返してくれ!」
人垣の中から、イースの大剣を持った女が現れた。
腕に一筋の怪我をしている。
飛来した大剣で傷を負ったらしい。
「こいつは返してやれないね! あたいの肌に傷をつけやがって!」
敵愾心を剥き出しにして、イースの頼みを跳ね除けた女をアベルは見た。
なんというか、もう分かりやすいとしか形容できない女戦士。
ビキニアーマーのような、やたら露出の多い格好だった。
極限まで身の軽さを目指してのことだろうけれど、発達のいい体を惜しげもなく晒していた。
日焼けした小麦色の肌。
胸も大きくて、腰はくびれている。
鍛えられた腹筋が、しなやかな存在感を持っていた。
へそも丸出し……。
巻き癖のある赤毛を長く伸ばした十八か二十歳ぐらいの女で、気の強そうな美人だった。
濃い青の瞳。やや吊り目で眼光が鋭い。
女戦士はイースを睨み付けて言うのだった。
「ガイ様がお優しさゆえ手加減していたというのに、いい気になって手傷を負わせるとは無礼にも程がある奴! あたいが殺してやりてぇぐらいだよ。クソ女……。でも、命拾いしたね。その片目になった相棒なんかハーディア様だったら、あっという間に殺していたさ。そうしたら、あんたも首を刎ねられて終いだったのにねぇ」
「……その剣は大事なものだ。返してくれ」
女戦士はイースを睨み付ける。
口元に嘲笑。
「い・や・だ! お前が放り投げたものを腕を傷付けても受け止めて、先に拾った。だからこれはあたいの戦利品だ!」
それを見たガイアケロンが咎める。
「スターシャ! 返してやれ!」
「ガイ様のご命令でも戦士が自分自身ばかりか主まで傷つけられて黙っていることはできません。このスターシャ、この女と決闘を所望します! おい! クソ女ぁ! あたしに勝ったらこの剣、返してやるよ!」
ガイアケロンの部下たちから賛同の大声が上がる。
わっと拍手や囃し立てる声がした。
彼らは主人を傷付けられて、抑えてはいるが激怒しているのであった。
アベルは強烈な殺気をじんじんと感じる。
剣の柄に手をかけている者も大勢いた。
そういう態度の者が特に女の部下に多く、一様に恐ろしいほど冷たい視線をしていた。
アベルは冷や汗が垂れてきた。
この数の差ではイースも無事には済まない。
どうにかして止めなければと考えていると、そこへ恐れを知らないロペスがやってきた。
「イース。すまないが新たに決闘をしている時間はない。リキメルの軍団が街を攻撃している。代わりの剣なら俺がやるから諦めてくれ」
「………」
無表情のイースは無言で踵を返し、馬に乗った。
だが、アベルはイースから不機嫌の気配を感じた。
珍しい事だった。
しかし、愛用の大剣。
それも業物となれば愛着もあろう。
何とか取り戻したいとアベルも思ったが良い手がない。
騎乗して去ろうとした時、ガイアケロンの大声が聞こえた。
「お前たち! イースとアベルと言ったな。俺の仲間にならないか? 欲しい! 報酬は俺に出来る限り、望むままだ!」
イースが答える。
「すまないが裏切りは流儀ではありません」
「戦い切った後に降服するのは裏切りというほど、汚いことではないと思うが! お前らみたいな者が必要だ。頼む!」
「王子。貴方は強かった。剣は預けておきます。再び戦いましょう」
アベルは馬を歩ませるイースの後に続く。
背後から無駄に死ぬな、いつでも来い、というガイアケロン王子の良く透る声が聞こえた。
演技ではなく本気で心配している声に感じた。
――変な奴だな。
さっきまで殺し合いをしてたのに。
でも、どこか憎めない。あんな奴もいるんだな。
アベルたちは、リキメル軍団の騎兵部隊がやって来る寸前、ポルトの街に駆け込んだ。
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