第40話  アベルの奔走

 




 籠城戦の作戦会議が始まった。

 街をぐるりと囲む壁は高さがない。

 しかも、範囲が広いからハイワンド騎士団の手勢だけでは守り切れるものではなかった。

 市街地で抵抗線を作り、できるだけ時間を稼ぎながら戦って、最後には城壁で戦うという方針に纏まりつつある。


 伯爵盟軍から援軍の申し出がいくらかはあったが、ロペスはそれを断る。

 百人に満たない少人数であったことと、たとえ味方でも見ず知らずの人間を城内の入れるのは危険だ、という理由だった。


 同じ理由でポルトの市民によって編成された自警団も城内には入れないことになった。

 自警団には敵が来たら、西へ逃亡させる命令を出す。

 ロペスは武人しか信用しないので、藁鋤などで武装した民間人など戦力として認めないのであった。


 アベルは不思議に思う。

 ロペスは貴族や武人の誇りでガチガチの男だけれど、結果としては民間人を巻き込まない戦術を選択していた。

 本人は民間人のためにやっているつもりはゼロだろうけれども……。



 そんな風に方針を立てていると監督官ラーン・カイトル男爵が従者を伴って、慌てて入室してくる。

 彼は戦場から現在に至るまで、騎士団にずっと付いてきた。

 ハイワンド騎士団が妙な動きをしないか監視しているわけだ。


「総執軍官コンラート皇子様から新たなご命令が届きました!」


 カイトル男爵の表情は誰から見ても異常だった。

 彼は四十歳手前ぐらいの容貌。

 口ひげを生やしていて、やや肥満。垂れ気味の目。

 

 なにか普通ではない苦痛、苦悩が顔全体に現れている。

 茶色の瞳が、忙しくなく四方八方に揺らめく。

 恐怖を感じている人間の態度だった。

 ロペスが鷹揚に頷き促す。


「監督官殿。どのような命令か」

「ハイワンド伯爵家はポルトを断固として死守せよとのこと。降服はこれを裏切りとして断ずる。その場合、当主のバース伯爵は処刑もありうるとのこと……。そして、我ら監督官は籠城に加わりハイワンド伯爵家の最後を見届けよ……と……」


 モーンケが狼狽して声を上げる。

 普段は狡賢そうな顔は青ざめていた。


「な、なんでだよぉ! 最初は援軍が来るまで持ちこたえろって命令だったぞ! どうしてそれが死守命令なんだ。敵を存分に苦しめれば後退したって卑怯じゃないはずだぜ?」

「それは総執軍官のコンラート皇子様のお考えゆえ、我らは従うだけですな。逆らえば命令違反ですぞ」

「い、いくら執軍官でも出してはならない命令ってのはあるだろうが」

「貴殿は栄えある皇帝国伯爵家の郎党でありながら、し、死ぬのが怖いのですかな」


 モーンケは唇を噛んで黙るが監督官を睨みつけていた。

 アベルは納得した。

 一度は最前線に向かったバース伯爵が呼び戻されたのは、レインハーグ伯爵家のように降服するのを恐れたのだ。

 そして、人質として徹底抗戦の材料にするつもりらしい。

 昔から権力者が配下の家族を手元に置いて、保険とするのは常套手段である。

 この場合は伯爵本人が人質になってしまったけれど……。


 アベルは改めてカイトル男爵を観察する。

 指は無意識にズボンを擦っていた。

 表情は憔悴している。汗が流れていた。

 死守命令に付き合うということは、ここで死ぬまで戦うということだ。

 実際のところ、死にたくないという心理がくっきり見えた。


 カイトル男爵には二名の従者がいる。

 一人は若い女性だった。

 年齢は二十歳ぐらいに見えた。

 栗色の髪をして、柔和そうな瞳をしている。

 皇帝親衛軍の士官服を着込んでいるが、可愛い女の子だ。

 やはり表情は優れない。顔色が青い。

 もう一人の従者は男性。二十五歳ぐらい。

 こちらは石のように、精悍な顔を固まらせている。


 アベルが視線を移すとロペスは死守命令を受けて平然としている。

 こちらも、ここまでくると武人として一本筋が通っているように見えてしまう。

 隣に座っているモーンケなどカイトルと同じように動揺して落ち着きがない。

 カチェは、腕を組んで口を結んでいた。

 どこにも恐れの無い態度だった。


――なんか、どうも行くところまで行きそうだな……。





 ~~~~~~~~





 アベルは考えを巡らせる。

 家令のケイファードと別室に行って、気になっていることを質問した。


「あの、僕の父上が伯爵様に呼び寄せられたという話、何か知っていますか」

「知っていますとも。六日ほど前に奥様と幼い女の子を連れて城に来たのです。しかし、伯爵様が後方に居られると聞いて、命令受領のためそちらへ行くと仰っておりました」

「……ここにいるよりは、ずっといいか」

「失礼ながらウォルター・レイ準騎士はバース伯爵様より私生児というほどの扱いですら受けていません。当然のこと皇帝国貴族院へ相続者として記録されておりませぬから……伯爵家にとっては使用人です。よって、ある意味、安全でございます」


 その言葉にアベルは深く安堵した。

 ウォルターは、どこででもやっていける男だ。

 アイラも半端じゃなく強いし、きっと無事に過ごせる。


「ケイファード様。ちょっと質問です。この城、覗き穴とかで中の様子が分かる部屋はないですか?」


 ケイファードは謹厳実直な顔に、鋭さを増して頷いた。


「あります。客間の多くは上階の使用人室から内部を見聞きできるようになっているのです。監督官一行には、そうした部屋をあてがってあります」


 さすが仕事のできる男だとアベルは強く頷いた。


「あの監督官のカイトル男爵と従者を歓待してもらえませんか。なんとか篭絡したいのです。金か女……酒、食べ物。その全部でもいいや」

「分かりました。このケイファード。手を尽くしてカイトル男爵の好み、欲する物を探ります。家財を売り払って捻出した最後の予備費が金貨で二十枚ほどありますゆえ……」


 その件は任せるとしてアベルとイースは籠城の準備に奔走する。

 事態は切迫していた。

 もう間もなく王道国の英雄ガイアケロン王子と戦姫の異名で讃えられるハーディア王女が攻めてくるのだ。


 煉瓦、石灰、弓矢、木材、金属材料、食料、油などを城に運び込む。

 留守を任されていたモーンケは商人と交渉して物資を手に入れるような仕事は意外と手堅く、混乱した状況のわりにはかなり順調に進んでいた。

 

 城の中庭は広大なので、そこに木柵を立てるような大工仕事もあった。

 ここでもカザルスは大活躍だった。

 戦闘は苦手だが、障害物を建設したり穴を作ったりは得意分野である。

 カザルスはカチェのためと、献身的に昼夜を問わず働いていた。

 そんなことで五日間は、あっという間に過ぎて行った。


 やがてロペスが派遣した偵察隊から情報が入ってきた。

 ガイアケロンとハーディアの軍勢は警戒しているらしく、ゆっくりと東から進軍しているらしい。

 おそらく二日後ぐらいにポルトへ来着するだろうと予測できた。


 もはやしらせというと凶報しかなく、南からはレインハーグ領を占領した王道国第二王子リキメルの軍団が今度はハイワンド領に侵攻してきた。

 小部隊を送り込んでも防げるようなものではないのでロペスは街道の要所に配置した部隊も撤退させてしまった。

 全てをポルトで決する覚悟を固めていた。


 新たに攻め込んできたリキメルの軍団は普通の軍隊だった。

 傭兵団がいて、兵士たちと直参の騎士たちで構成されている。

 傭兵にしても兵士にしても村々では食料を奪い、気に入らなければ住民を殺している。


 特に傭兵隊は凄まじい乱暴狼藉を働いているという。

 奪える物は根こそぎ奪い、家屋に火を放ち、若い男女を捕えては奴隷にしていると逃げてきた農民は訴える。 


 怒りと共に騎士団は、やりたい放題の高い代償をポルトで払わせると決意した。

 血生臭い闘争が、すぐそこに迫ってきた。




 ~~~~~~




 籠城の準備をしながらアベルは思う。

 援軍がなければ、どう考えても勝ち目はない。

 逃げずに落城となればハイワンド一族は、ここで全員死ぬほかない。

 当然、自分もイースと共に死ぬまで戦う。

 

 だが正直、まだ死にたくはない……。

 何かをやりたい気がしている。

 胸の中で形を取らない夢想は現実になったとしたら、どうなるだろうか。

 もしかしたら途方もないほど多くの人間を狂わせることになるかもしれないが……。 

 

 とりあえず生き延びるにしても一人だけで助かるつもりもない。

 イース、カチェ、ガトゥ、ワルト……あとはカザルスだろうか。

 それにスタルフォンとケイファード。

 ざっと脳裏に浮かんだこの人物たちとは生き延びたい。


 他にもロペスや騎士団の人物たちで顔見知りの人もずいぶんいるが、できることなどたかが知れている。

 全員、助けようなどというのは都合のいい妄想になりかねない……。


 まずは死に物狂いで、籠城をやるしかない。

 けれど、本格的な援軍も来ないまま、いつまでも戦えるものではない。


 最後の手で地下の脱出路がある。

 たとえ包囲されても上手くすれば逃げられる。

 しかし、邪魔なのが監察官ラーン・カイトル男爵と従者二名だ。

 彼らをどうにかして説得か、あるいは脅迫してでもポルトを去らせる。

 去らせるに当たってはハイワンド一族が最後まで戦ったと報告させねばならない。


 そうすれば死守命令を誤魔化して、伯爵一族であるカチェも逃げてしまえる。

 しかし、どうしてもカイトル男爵がポルト本城で死ぬまで戦うと言い張り、カチェたちを降服もさせないというのなら脱出路など無意味だ。

 その場合はどうするか……。

 考えても分からないことばかりだった。




 アベルは昼間、籠城の準備で忙しく働き、夜は本城に行く。

 ケイファードに案内してもらい、覗き穴から中の様子を見る。

 彼は際限なく葡萄酒を飲んでいる。

 昼も夜もなく常にカイトル男爵は酔っ払っているらしい。

 

 しばらくすると、女性の従者を呼びつけた。

 名前はミルゼというようだ。

 カイトル男爵は延々と愚痴を語り続ける。

 主にコンラート皇子の勝手さについてだった。

 死守命令を出したら、あとはハイワンド一族に任せればいいのに、なぜ我らまで死なねばならない指令を出すのだ……というようなことを繰り返し言っている。


 ミルゼは単調な相槌を打っている。

 やがてカイトル男爵はミルゼを寝台に押し倒した。

 服を乱暴に脱がせると……普通に犯っていた。

 ミルゼの反応は悪かった。どう見ても乗り気ではない態度。

 上官なので仕方なく、という感じだった。


 カイトル男爵は事が済むと、いびきをかいて寝てしまう。

 のろのろと服を着るミルゼ。

 アベルは除き穴を塞ぎ、一階に降りる。

 控え目に扉をノックした。

 しばらく待っていると、中からミルゼが出てくる。


「すみません。話があります」


 ミルゼは少し怪訝な顔をした。それに気怠そうだ。


「僕は騎士見習いのアベル・レイと申します。実は良い相談があります。率直に言って、こんな死守命令に付き合って死ぬのは馬鹿らしくないですか?」


 ミルゼは警戒の色も露わで、黙ってしまった。


「なんとかカイトル男爵を説得できませんか。理由をつけてこの城を去らせるのです。貴方まで、こんなところで死ぬことないでしょう。生きていた方がいい」

「無理よ。それは」

「なぜですか」

「カイトル男爵は小心者よ。責任を回避できるだけの根拠がなければ、何もできないわ」

「つまりハイワンド一族が死ぬまで戦うのを確認できればいいのですね」

「それはそうですが、その段になれば城は完全に包囲されています。ハイワンドが降服しないで最後まで戦えば、敵は怒り狂って私たちをズタズタにするでしょう。あるいは火攻めにするかも……逃げ場なんかないから助かりっこないわ」

「あるとすれば、どうですか?」


 ミルゼが驚きの表情を浮かべた。


「貴方がハイワンドに協力してくれるのでしたら、助かる方法を教えます」


 はっきりとミルゼの顔から諦めの気配が消えた。

 興味を持っている。


「実は……抜け道があります」

「どこに」

「詳しいことは、まだ言えません。でも、頼みを聞いてくれたら教えます。例え城がすっかり囲まれても、そこからなら逃げられます。

 上司には最後まで戦ったところを見届けたから、報告のため帰還したと説明すりゃいいでしょう。コンラート皇子ってのは降服しないでハイワンドが戦えば、それでよしとするに決まっている。貴方らは御咎めなしだ。もしかしたら称賛すらされるかも」

「……男爵が、何と言うか」

「その通りです。カイトル男爵が乗らないと、意味がない。だから男爵をその気にさせほしい。なんとしても死にたくないと思わせるのです。それが成功すれば金貨を渡しましょう。

 こちらの条件は一つ。ハイワンド一族でどうしても助けてほしい人が一人だけいます。カチェ・ハイワンドという貴方より若い女性……。頼みを聞いて欲しい。損な取引じゃないはずだ」


 ミルゼは頷いた。

 死にたくないと、目が語っていた。




 ~~~~~~~~



 

 まだ頭上には深い青藍の空が広がり、星も輝いている。

 遥か東の向こうから朝焼けの光が、ほんのりと夜空を溶かしていた。

 黎明だ。

 

 アベルとイースは馬を駆ってポルトの街を出た。

 偵察任務だった。


 街道から直ぐに支道へ入り、それから畑を横断する。

 小高い丘に登ると……いた。

 ガイアケロン王子とハーディア王女の軍旗が並んでいる。


 歩兵、槍兵、弓兵、騎兵。

 それらが隊列を組みながら歩んでいた。

 向こうの斥候騎兵が気づいた。

 アベルたちの方へ数騎が全力で騎行してくる。

 馬が優れているのか騎手がよいのか、かなり速い。


「戻るぞ」


 素早く判断したイースは馬首を返した。

 アベルもそれに続く。

 偵察が任務なので戦う必要はない。


「今日の内に、奴ら来ますね」

「ああ。昼頃にはポルトだ」

「イース様は、いつ脱出するのですか」


 しばらく間を置いてから返事がある。


「さて……戦士として働き切ったら、かな」

「カチェ様から報酬、貰うつもり無いんでしょう。名誉もいらず、金もいらず……不器用ですね」

「……。アベルも、なかなか不器用だぞ」

「イース様ほどではないですよ」



 ガイアケロンとハーディアの軍団は、およそ一万数千人ほどの規模であるらしかった。

 ポルトの街の東側と南側に展開していく。

 その日の午後、早くも降服を促す書状がガイアケロンの軍使から送られてきた。


 ロペスやカチェが読み終わったあと、アベルも書状を読ませて貰った。

 内容はかなり寛大だった。

 疑いたくなるほど。

 まず、民衆はもちろん騎士や従者の生命財産は守ると書いてある。

 それからハイワンドの家格も保つとあった。

 つまり貴族として扱うということらしい。


 破格の好条件であるけれども、死守命令のあるハイワンドに降服は呑めない。

 儀典長騎士スタルフォンが丁重な謝絶の文を書いて、送り返す。


 アベルは城外門のすぐ内側にある軍陣で休んでいた。

 降服を断られたガイアケロンが夜襲を仕掛けて来る危険があった。

 おちおち寝台で眠ることもできなくなったわけだ。


 障害物が街中に設置されているが本格的に攻められたら、どれほど持ちこたえられるだろうか……。

 仮に城下街を占領されたら、いよいよ城に拠って戦う。

 城壁は高いが地形的にポルトの城は平城で、しかも堀は部分的にしかない。

 堅城とは言えない城であった。


 だいたい兵数が違いすぎる。

 ポルトを守備するのは騎士が三百人ぐらい。

 従者が四百人ほど。残りは雑多な兵士が三百人程度だった。

 年齢の低い従者は、その多くが戦死確実とあって既に後方の他家に送り出している。


 自主的に逃亡した者もいる。

 逃げ出す者はこれからもっと増えるだろう。

 ロペスは逃亡者に関して、軽蔑こそしても追及はしなかった。

 むしろ、やる気のない者がいると邪魔だから逃げてもいいと思っている節がある。


 それは個人戦士としては豪胆な姿勢であっても、将としては器の知れる部分だった。

 だが、アベルはそういうロペスの態度が嫌いではなかった。

 ある種の潔さ……。

 父親のベルルとは違っている点である。


 アベルは行方不明になったベルルを思い出す。

 厳しい人格だった。いかにも軍人という感じか。

 人に騙される訳にはいかない立場が、あれほど険阻な態度をさせていたのだろうか。

 最後は認めてくれたけれども……。


――そういえば伯父さん、やっぱり戦死してしまったのかな。

  何の情報も無い……。



 万を超える敵が押し迫っているにしては静かな夜であった。

 カチェはアベルの横に座って、じっとしている。

 何も喋らずに焚火を見ていた。

 ただ、仲間と一緒に居たいらしい。

 その夜、攻撃は結局なかった。




 ~~~~~~~~




 翌朝、再びガイアケロンの軍使が来た。

 また書状を持ってくる。

 そこには意外な要求。

 決闘の申し込みが書いてあった。


 ハイワンドが勝った場合について、破格の好条件が記されている。

 直ぐに城内で主だった者が集められて、会議が始まる。

 アベルやイースも呼ばれた。


 アベルは手紙を読む。

 決闘に王道国側が負ければ、ガイアケロンとハーディアの軍団はハイワンド領から撤退すると明記されていた。

 それに決闘の当日と翌日は停戦するとある。


 形式は二対二の歩兵戦。

 殺すか、戦闘不能にさせるか、降参させた側が勝利。

 決闘に出るのは騎士でも魔法使いでもよし。

 武器は何でもあり。

 身分にも制限なし……。


 その代り、負けたらハイワンドは全兵力を即日ポルトから退去させる、という条件だ。

 要求は降服ではなく、退去である。

 思わず食指が動いてしまうような話だ。


「出るなら誰だ」


 モーンケが焦って聞く。

 助かるかもしれないという期待で眼がギラついていた。

 ロペスが答える。


「まずは、イースだろう。この際、混血だとかは無視だ。それに皇帝国の騎士であることには違いない。ここで勝たねば何もかも失う」


 そして、もう一人は俺自身だ、と言い切った。

 だが、イースは素っ気なく断りを入れる。


「ロペス様。貴方の強さは知っております。ですが、私と一緒に戦った経験があまりに少なくあります。申し訳ありませんがロペス様とは二対二の決闘には臨めません。私が共に戦うのはアベルだけです」


 イースの口振りにはアベルへの揺るぎない信頼が込められていた。


「イース様……」


 ガトゥが皆の疑問を口にする。


「二対二ってことだが、向こうは誰が出てくる? まさかガイアケロン王子とハーディア王女かぁ」

「いや、まさか」

「さすがにそれは無いのでは……」


 会議の場にいる誰にも分からないことであった。

 アベルはガトゥに聞いた。


「それにしてもガイアケロンは、そこまでして兵を損ないたくないと考えているのですかね」

「兵を養うは三年、損じるのは一朝という言葉があってだなぁ……。やつらの軍団には傭兵がいないから、捨て駒がないってわけだ。城攻めは大被害を出す。戦争では人死を避けるためだとか名誉の問題で、ときどき一騎打ちにより決着をつけるもんだ。珍しいことじゃねぇ。あとは、あちらさん自信があるのだろうぜ。舐めやがって。ぶち殺してやろうぜ」


 決闘を受けるべきかどうか協議している最中に、今度は悪い報せ。

 リキメルの軍団が、ついにポルトに迫ってきたという報告がある。

 二つの軍団に攻められたら、ますます窮地である。

 皇帝国の援軍を待つまでもなく、攻め落とされてしまう。

 不機嫌そうなロペスが、ぶっきらぼうにアベルへ聞いてきた。


「やってくれるか?」

「分かりました」


 負けた場合は……、などとは言ってこなかった。

 ロペスらしいなとアベルは思う。


 決闘受諾の軍使を送る。

 急がねばならない。

 時間は正午を指定した。

 場所はポルトの街を出たところ、東側の平野を提案してある。


 アベルとイースは準備に入る。

 しかし、もう武装しているので、あまりやることはない。

 アベルは空腹で戦いに臨むのも嫌なので、何か腹に入れておきたくなる。

 とはいえ戦闘の前、満腹にするのは避けなくてはならない。

 動きが鈍くなるし、内臓を負傷すると死亡率が高くなる。


「こういう時は塩を入れた麦粥を少しだけ食べるのがいい」


 そうイースが教えてくれた。

 アベルは言われた通り、大麦の粥を少量作った。

 まこと慎ましいそれを二人で分けて食べる。

 

 下手をすれば人生最後の食事……などという思わず湧き出た想像をアベルは消す。

 イースがいるのだ。

 負けるはずがない。

 もっとも自分が死なないという保証は無いが。

 

「アベル。私はお前にいちいち剣の使い方など細かく教えはしなかった。力も違う、得物も別だ。私の模造品を目指しても意味がない。お前はお前の戦い方を見つけ出してほしかった。邪魔をしたくなかった」

「はい」


 アベルには思い当たる節がいくらでもある。

 だけれど、どうしても不味い動きをした時は、しっかり道理で教えてくれた。


「いつも通りやればいい」

「はい。イース様」

「それとアベルの治癒魔法はできるだけ隠しておけ。切り札になる。掠り傷なら治すな」

「……分かりました。イース様がそういうなら、なるべく隠します」


 相談はそれだけで終わり、作戦などは特に練らない。

 そして、迎えた正午。


 アベルとイース。それに騎士団の主だった者、監察官カイトル男爵らを加えた二十人ほどはポルトの街を出る。

 ガイアケロンとハーディアの軍団からも小集団が分離してきた。

 だいたい三十人ほどだろうか。

 姿は様々だが、みな、武装している。


 両者が顔の見える距離まで近づく。

 アベルが見ていると向こう側から、二人の人間が歩いてきた。

 あれが代表者だ。

 

 隣のカチェは爛々として輝く瞳でアベルを見てきた。

 アベルが、うっと思わず怯むほど強い眼光だった。


「カチェ様。なんで睨むの」

「睨んでないわよ。まったく……いつもいつもアベルとイースね。情けないわ」

「成り行きです。誰が悪いってわけでもないですから」

「アベルが勝ったら……何でも欲しいものあげる。けれど、もし負けたら、わたくしも決闘を挑みます」


 カチェの顔には大げさでなく決意が現れていた。

 性格を考えると、やりもしないことを口にはしないのでカチェは実際にそうするだろう。

 決闘の勝敗に不満だという理由で決闘を挑むのは際限のないことなので、戦士の不文律で禁止されているらしいが……。


「僕、カチェ様や皆に死んで欲しくなくて、それで戦っているんですよ。カチェ様だけでも逃げて生き延びてください。何でも欲しいものってのは先払いでお願いします。欲しいものはカチェ様の安全。いいですね」



 返事を待たず、アベルは歩み出した。

 息が荒くなる。

 恐怖と興奮が入り混じる。

 心臓が激しく動き、音が伝わってくるほどだった。


 やっぱり自分は強者でも勇者でもないと実感する。

 隣のイースはいつも通り。

 平静とした態度。呼吸も全く乱れていない。


 アベルは近づいてくる相手を観察する。

 男と女だった。


 男の背は高い。

 ウォルターよりも高身長で190センチぐらいに見えた。

 実用的で簡素な鎧を装着している。素材は黒鉄。冑なし。


 男の髪は艶のある灰色。光の加減で藍色も混ざる。

 年齢は……二十歳より上か。

 目元には優しさに似た余裕がある。

 悔しいほど、少しも緊張していない。


 その瞳は鈍色に、淡く青の彩りが加わっていた。

 凶暴な感じはなく、むしろ穏やか。

 例えるなら大樹のような気配があった。


 若いのに演技ではない貫禄が、じわじわと見る者に浸透してくる。

 精悍かつ美しいとも思えるほどの引き締まった男だった。 


 隣にいる女性の方は十八歳……それぐらいに見える。

 背丈はアイラと同じぐらい。

 鎧は艶消しの白鋼。こちらも冑は無し。

 下半身は草摺りと佩楯で防御してある。

 足元は鉄の脛当て、鉄の覆いがついた靴。


 豪奢な、赤味を帯びた金髪が豊かに流れている。

 瞳は深い琥珀色をしていた。

 やや厳しさを含んだ視線をしているが、まるで恐怖の気配はない。

 おそろしく端正な頬、可愛らしい小さな唇。

 思わず心を打つような美貌、それ以上に高貴な雰囲気を持つ女性だった。


 なにやら二人とも別格の位を感じさせる。

 しかし、アベルは心に戦意を満たしていく。

 こいつらを殺せば、みんな助かる。


――自分はイースとは違う。

  水のような澄んだ感情は持てない。

  こんなときには怒りと憎悪をエネルギーにして戦うほかない。

  美人だからって関係ねぇ。

  イースの方が比べものにならないぐらい大切だ。

  生き延びるのは俺たちだ。

  殺してやる……。



 互いが充分に歩み寄った。

 イースが名乗りを上げる。


「私は皇帝国ハイワンド伯爵の騎士イース・アーク。決闘の代表者である」

「僕は騎士見習い。アベル・レイ」


 やってきた男性は、凛とした張りのある声で答えた。


「此度、決闘に応じた勇気を讃える。我の名はガイアケロン・ミッドロープ・アレキア。王道国の王子である。王道国イズファヤート王に代わり、謹んで勝負を挑ませてもらおう」

「同じく、王女。ハーディア・ミッドロープ・アレキアです」


 アベルの背筋が、ざわついた。

 あらゆる人間が噂する王道国の英雄と姫。

 やんごとなき王族など、かつて見たこともないが間違いなく本物だと直感が告げていた。


 





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