第28話 信頼せねば人は実らず
季節は、もうじき冬。
街行く人の服装も冬服に変わっている。
アベルは本城を訪れる。
教師カザルスと会うためだ。
別に仕事というわけではなく、単に様子を見に行くためだった。
扉をノックすると、青白い茄子みたいな顔をした彼が扉を開けた。
茫洋とした笑みを浮かべてきた。
目はやや細目で、やはり学者だけあってどことなく知的な眼差しを宿した雰囲気がある。
ちょっと変人ではあるのだが、彼が決して悪人ではないのをアベルは知っている。
魔道具の製作に、己へ与えられた時間の全てを捧げるような過ごし方をしている。
一途で純粋な生き方といえた。
アベルは彼のやるべき事を見つけ出した人生に少し羨ましい気持ちも湧く。
比べておのれの内面には形をとらない衝動が渦巻くのみだ。
ただ、カザルスも時に脇道に逸れることがある。
おそらく、カザルスはカチェへ好意のようなものを持っていた。
アベルは明確に聞き出したわけではないけれど……。
「アベル君か。どうした」
「あの。飛行魔道具って見せてもらえますか? 面白そうで興味あるんです」
カザルスは唇を広げ、にや~と笑って承諾した。
「ああ、いいよ。ぜひ見て行って。お代はいらないから……」
カザルスの部屋の中は相変わらず乱雑。
フラスコや鍋がいくつも置いてある。
加工道具とか本など、さらに増えた感じだった。
カザルスの背中を追いかけていく。
彼は小型の寝台ぐらいの筐体を指し示した。
「もう、飛ぶだけなら何とでもなるんだよぉ」
筐体の中に魔石を装着すると、なんと空中にふわりと浮いた。
アベルは素直に感心する。
自分に飛行機を作れるかといえば、現実にはかなり難しいだろう。
一生かけて……もしかしたら、というぐらいの気がする。
目の前の飛行魔道具は魔力を利用したもので、全く理屈が理解できない。
アベルはひとつ気が付く。
筐体に人形が二体ほど乗っていた。
手のひらぐらいの、小さいものだ。
一体は男性を模した物。
もう一体は、どうみてもカチェの人形だった。
人形は素晴らしく良く出来ていた。
繊細な部分に至るまで彫刻的に彫り上げあって、瞳のところにアメジストみたいな小さな宝石が嵌っていた。着色はされていないけれど……実に整っている。
男性の人形の方は、美男子に見える。
「あの……カザルス先生。この人形ってカチェ様?」
カザルスが僅かに笑った。
「へへへ……。けっこう良く出来たつもりなんだけどなぁ」
「いや、凄い上手いですよ。これ、もしかして自作ですか」
「ふふ。子供の頃から鉱物魔術で、その手のものを創るのは好きだったのだ。あと、ボクの父親は彫刻家なのさ。親父は魔法が苦手で、粘土や材木から手と鑿で造る人なんだけれど、名の通った作家なのだよ。親父からは影響を受けたねぇ」
「そっか……芸術の世界では魔法はあんまり関係ないですか?」
「ないねぇ。鉱物魔法が巧みでも、上手な塑像が作れるわけではないよぉ……。ボクの母親は魔法機工の研究者。父親とは高性能の自動人形を作るときに出会ったらしいよ」
「ふ~ん……」
それぞれの家族に歴史があるんだな、とアベルは思う。
「カザルス先生。飛行魔道具にカチェ様を乗せてあげたいんだ」
初心なカザルスは顔を赤くさせた。
「そ、そうなんだ。あと、もう一歩なんだ」
好きというのは凄い力になることがあるからカザルスの研究はきっと実を結ぶだろうと思われた。
カチェ人形の隣の美男子は……カザルス本人の像であるのは聞くまでもない。
――カザルス先生なりの愛情なんだよな。
この手の純心はバカにする気にならない……。
やたらと嬉しそうな顔をしていたカザルスは表情を真面目なものに戻して言った。
「この飛行魔道具は実のところボクの成果と呼べるほどのものでもないのだ。正直に言うけれど技術の根本は大帝国時代のものを利用している。複製と言ってもいい」
「あ……そうなんですか」
「大帝国の時代、現在とは比べ物にならないほど多様な魔法技術は高度に発達していたが、分裂戦争の時代に多くの技術は失われている。それに複雑精緻な技術ほど再現性は困難で一度失われてしまうと復活させるのは不可能だった。ボクはその失われた技のごく一部を再現したにすぎないよ」
「こいつを大きく作れば世界中のどこでも行けますよね」
「もう既に大型化を進めている。屋上で製作中だ。しかし、解決できていないことも多い」
カザルスは本当に恥ずかしそうに言った。
「まず、肝心の着陸装置の問題が解決していない。それから大帝国時代の飛行装置は、なぜかこの理球体の赤道を進むように設計されてあって変更ができない」
「へ~。なぜだろう」
「大帝国は赤道下を中心に拠点を建設していったことが記されている。どうもそれと関係があると推測している……分からない事ばかりだけれど」
その後、カザルスは色々と語ってくれたがアベルには難解で理解できなかった。
「それら解決が出来ない問題が多くあってボクは別の方法も研究している。つまり爆発装置がそれというわけさ。伯爵様は爆弾なら戦争に使えると思ったらしいが勘違いだよ。だいたい爆発装置の方こそ解決できない欠陥だらけで製造と管理だけで恐ろしく手間がかかっている。なにしろ絶対に誤爆など許されない」
「爆発で飛行……。つまり筒のようなものに燃料を詰めて、それを一方方向に燃焼噴射することによって物凄い力を生み出す……。カザルス先生は始めから自分の研究を戦争に利用するつもりは無かったんだね。ただ空を飛ぶ方法を発明したかったんだ」
珍しいことにカザルスが絶句し驚愕の顔でアベルを見つめていた。
余計なことを口走ったと後悔する。
アベルは強引に話題を変えることにした。
机に剣が置いてあった。
それも鞘から抜いた剥き出しである。
大人が扱うような、細身の片手剣だった。
刀ではなく、湾曲のない直刀の片刃。
柄には手を防御するように、梨型をした金属の被いがある。
「カザルス先生。どうしたの、その武器?」
「ん? ああ、それ……。ふへへ。ちょっとね。どうしてもボクも剣をやってみたくてねぇ」
「え~?」
「まぁ、やってはいるのだけれどねぇ……。独学では難しいねぇ」
「やるのは自由ですけれど怪我しますよ。転んだ拍子に刃が自分に刺さるなんて事故、けっこうあるんです……。心配だなぁ!」
カザルスの青い茄子みたいな顔に、串焼きのごとく剣が突き刺さっているところをアベルは想像した。
笑えない。
「生徒に心配されるほど、おちぶれていないぞ、ボクは」
「どうせカチェ様が目当てなんでしょう。それで剣で、もっと仲良くなりたいと思って……」
カザルスは返事をしなかったが、目には何やら青い燐の炎のように静かだが確実に燃え盛る気迫があった……。
「ま、男がやるって言うのなら止めません。今日は無理ですけれど今度、基本的な使い方ぐらいは教えます。先生が大怪我するのは見たくないですし」
「本当かい!」
カザルスは青白い顔を嬉しそうにしていた。
~~~~~~
アベルはカザルスの部屋を退散して、カチェの部屋に向かう。
すれ違う女官や使用人たちは、どういうわけか丁寧に挨拶してくれる。
本来なら従者に過ぎないアベルをそこまで扱う必要はないのであるが。
城の二階にあるカチェの部屋の扉をノックして名乗る。
勢い良く扉が開いた。
なぜか満面、笑顔のカチェ。
「やったわ、アベル!」
「なにがですか」
「とうとう、お爺様から領内巡回の許可が下りたわっ。これでお城の外でわたくしも戦うことが出来ます。ついに武門ハイワンドの郎党として一人前になれるのです」
アベルは思い切り眉間に皺を寄せた。
――うへぇ、マジかよ!
「えっ。なにその顔。まさか、嫌なの」
「い、いやぁ。良く許可が出たって思ったので。失礼ですけれど、お手紙は見せていただけますか」
「ふん。いいわよ」
部屋に入り、カチェから手紙を渡される。
間違いなく上級貴族でしか使えないような最上等の紙に書かれた手紙だった。
肌理が細かくて、インクが滲みにくい紙だ。
祐筆に書かせたのではなくて伯爵による直筆の手紙らしい。
男性的な筆致。それでいて流麗。
教養のある貴族の文字だ。
内容は簡潔であった。
かねてから申し出のあった城外活動について許し渡す。
必ず儀典長騎士スタルフォンと従者アベル、他に適当な護衛を付けて、危険の少ない巡回に行くがよい。
領民の安寧のため働くこと。
しかと心得よ。
それだけが書いてあった。
アベルは内心、溜め息だ。
また仕事が増えやがったと途方に暮れる。
それも半端なく厄介な……。
「あ、そうそう。アベル。お爺様から貴方へも手紙があるわよ。ほら」
カチェは一通の手紙を渡してきた。
アベルは驚く。
伯爵から手紙など初めてのことだ。
「なんて書いてあるの? ここで読んでよ」
カチェは興味深々だった。
ちょっと迷ったがアベルは取り合えず封蝋を剥がして手紙を速読する。
その内容にアベルは途惑い、上手く声が出ない。
「ねっ? なんて書いてあるの?」
「う……え~と……。アベル、お前の働きはカチェ、スタルフォン、ケイファードなど方々からの手紙で知っている。近いうちにお前を騎士見習いにするようロペスに命令する……任務に励め。以上です」
カチェは驚きと喜びの混ざった顔をしていた。
「やったわね! 騎士見習いになったら騎士叙勲まであともう一歩よ」
「あ、はい……。カチェ様、手紙で僕のことを書いてくれたんですか?」
「そうよ。任務に頑張っている。賊の首をあげてきたって! だって本当のことだもの」
アベルはカチェの気遣いに感謝した。
我が強くて、訳の分からない要求も激しいし言い出したら聞かない性格だけれど人の気持ちが分からない人間ではないのだ。
むしろ、人の心の動きに機敏なところもある。
感性、感覚が豊かなのだろう。
だから、相手の喜ぶことにも想像が及ぶ……というわけだ。
「もしアベルが騎士になったら、私の側仕えになってもらうからね」
「え……」
アベルの顔は喜びから一転、引き攣ったまま強張る。
側仕えというと、日がな一日絶え間なく侍って何かにつけて用事を命じられるやつだ。
要するに何でもやる家来が欲しかったのか……。
アベルは色々なことをスタルフォンと相談しようと思う。
即座に急用ですと言い切って部屋を出た。
本城内にあるスタルフォンの自室を訪ねれば、彼の方もアベルと同じ悩みを感じていた。
「スタルフォン様。見ました? あの手紙」
「ああ、読んだ。まいったぞ……。とうとう伯爵様が折れた。城外活動をお認めになられてしまった」
「どうするのですか……?」
「ガトゥ男爵も交えて相談したい。奴の小屋へいこう……」
スタルフォンは疲れ切った顔をしている。
錆びた茶色の頭髪はストレスのせいか、さらに抜け毛が進んでいる気もする。
スタルフォンは頭頂部が剥げた五十歳ぐらいの男だけれど、もう、まるっきり中間管理職の悲哀の塊だった。
アベルとスタルフォンはガトゥ男爵の小屋に入る。
中にはイースもいる。
事情を話すと彼も驚いたが続けて言うのだった。
「たぶん、この前のカチェ様の縁談の件が原因の一つじゃねぇか。ロペス様が戦費欲しさに、ちょっと強引にやったらしいんだよなぁ。伯爵様はそれでカチェ様の面倒をアベルとかスタルフォン様に任せようという気になったのだろう。ロペス様は武人としては見込みありだけれど家の差配は下手だ」
「それもあろう。それにカチェ様。本当に熱心に城の外で活動したがっておる。その気持ちを汲まれたのだ。孫娘の頼み、伯爵様も苦慮したとは思うが……」
アベル、ガトゥ、スタルフォンが顔を突き合わせて陰気な溜め息をついた。
会社で言えば手の付けられない案件の処理を任された営業チームみたいだとアベルは思う。
――スタルフォン課長、ガトゥ主任、契約社員アベル……。
イース一人だけ、いつも通りの態度だった。
「イース様。厄介と思いませんか?」
「カチェ様は筋の良い御方だ。本格的に鍛えるのが遅すぎるぐらいだ。アベルと同じようにもっと早くから実戦で磨くべきだった。今日にも命の研磨をするべきだ」
スタルフォンが実に困り果てた顔でイースを見た。
「イースに任せていたら竜の口に放りこまれるな」
「そんなことはしません。共に戦います」
スタルフォンが歯ぎしりして首を振った。
「そもそも、そんな危険な場所に連れ出すな……。ガトゥ。危険の低い任務で当分はカチェ様に満足してもらう。そこで相談だ。何かいい任務はないか」
「いや実は、あるにはあるのですが」
ガトゥは机に山積みの書類を指し示した。
「ほら。俺らは他の騎士がやらないような変な任務が多いんですよ。ちょうどいいのが二件あって、これなんかどうですか」
ガトゥが出してきたのはハイワンド特別森林でのゴブリン討伐だった。
特別森林は伯爵一族の狩場なので勝手に鹿や兎を獲ってはならないと定められた地域だ。
それに木材資源や自生する薬草の保護も定められている。
ところが肝心の伯爵一族が狩りどころではなくなって、結果的に獲物が間引かれずに繁殖。
すると、どこからともなくゴブリンがその動物などを目当てに湧き出した、ということらしい。
森の管理人はいたのだが現在は人材の配置転換などで、たった一人だけという。
ガトゥがさらにもう一枚、依頼書を取り出した。
「それから重複する依頼があります。お抱え薬師のエリック・ダンヒルからなのですが雪の降る前に特別森林で薬草を採取したいが、魔獣がいるので行けずに困っているというものですなぁ。警護役と共に薬草採取に赴きたいと……。俺らは人手がないですから、こうやって一石二鳥を狙って仕事を消化したいですなぁ」
スタルフォンは頷いた。
「適当だろう。下手に我慢させているとお怒りになるであろうし、もっと危険な任務へ行きたがるやもしれん。カチェ様、気が逸っておるから急ぎたい。明日でどうだ」
「そりゃいいんですけれど特別森林って広いですよ。野営込みですなぁ」
「知っておるわ。隈なく歩けば数日はかかる。カチェ様、露営に興味があるようだから調度よい。そちらの支度はわしがやる」
「それじゃ、俺らは薬師ダンヒルに明日の予定を伝えます。明日の朝、二番の鐘の刻に城外門で落ち合えばいいですか」
「うむ。お前らに加えて、わしもおればゴブリンなど取るに足らん。それより猪や毒蛇の方が怖いわい」
アベルとイースは必要物資の買い出しなどをして、明日に備えた。
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翌日、アベルが城外門でハヤテに跨って待つ。
するとカチェと儀典長騎士スタルフォンがやって来た。
もう、カチェは凄かった。
まず、僅かの斑点も見当たらない完全な白馬に乗っている。
出だしの一手からセレブは違う。
それから装備。
もの凄く高そうな鎧を装着している。
白鋼に金の縁取りがしてある全身鎧。
胸甲だけでなくて腕、手、下半身と覆い尽くしていて、おまけに冑は顔まで防御してあるフルフェイスタイプ。
アベルは日光を反射した輝く鎧から顔を逸らせた。
「うっ! 眩しっ!」
カチェの冑は、こめかみの辺りから優美な羽飾りが芸術品の香りを漂わせて広がっている。
面頬の隙間から紫の瞳が見えていた。
それに対してアベルは上半身に胸甲と手甲のみ。
足は動きやすく耐久性のあるブーツと革ズボンという姿だった。
冑はなし。
さらに今日は考えあって弓を持っている。
弓と言っても色々な種類がある。
持っているのは扱いやすい小型の弓だった。矢筒は背負っている。
弓はアイラに習った。
先生が良かったせいか目が良いせいか、実はなかなかの腕前だ。
「それでは参りましょう!」
冑の中からカチェの溌溂とした声がした。
高級な鎧は動きも滑らかであり、カチェなどは魔力で身体強化できるから極めて俊敏に動けるだろう。
でも、ゴブリン退治や薬草採りの装備ではなかった。絶対に。
ガトゥなんか、にやけた笑いに諦念と嘲笑が混ざった複雑な顔をしている。
熟練者から見れば笑ってしまうような光景なのだった。
中央にカチェ。左右をアベルとスタルフォン。
先頭にガトゥ。背後にイース。それとワルトが走りながら付いてくる。
たぶんワルトは散歩感覚だろう。
これにて完璧なガード体制。
アベルもこの防御なら大丈夫だと感じつつ、早朝のポルトの街を騎行する。
向かうはお抱え薬師エリック・ダンヒルの店舗兼住居である。
エリック・ダンヒルは準備に抜かりなく馬車を仕立てていた。
ダンヒルが御者も務める。荷台に四人の女性。
一人はダンヒルの妻エリーザ。
それからシャーレがいた。
残りも薬師の女性たち。
「シャーレ! やっぱりいたんだ」
「アベル!」
幼馴染の元気一杯の笑顔。
馬車から身を乗り出してきた。
アベルに抱き付く。
一か月ぶりぐらいだろうか。
結局、シャーレを送り届けてから、あちらこちらと任務で忙しく会いに行く暇がなかった。
「薬草採りだって?」
「そうなの。山に生えている薬草の見分けが出来る人って、あんまり居ないんだって。あたしは六歳ぐらいからアイラさんと一緒に探していたから簡単に分かるけれど」
「そういえば、そうだったよなぁ。遊びみたいなもんだったのに職業になるんだな。自然と……」
アベルは何か感慨深い。
こうやって幼馴染が成長していく。
仕事を始め、人付き合いを増やして、やがて大人になる……。
どうしてもシャーレには血生臭い世界とは無縁でいて欲しかった。
優しい穏やかな人生を送って欲しいなどと思ってしまう。
アベルは、びしっと肩を叩かれた。
誰かと思えばカチェ。
金属で出来た面頬は跳ね上げられていて、麗しい尊顔が上半分ほど覗いていた。
「アベル! この子、だれっ?」
声に針で刺すような勢いがある。
「え……。あの、幼馴染。故郷のテナナの。シャーレ・ミルという名です。薬師見習いです」
アメジストのような瞳が複雑な色を湛えてシャーレを捉える。
もうシャーレは完全に困惑していた……というよりも怖がっていた。
当たり前である。
全身を輝く白鋼で武装コーディネイトした少女から、ただでさえも強い眼光が閃いている。
アベルは苦笑しつつ思う。
これは俺でも逃げますわ……。
「貴方、どちらさま?」
カチェは名前を聞いていたのに、あえて本人に問いかけた。
「うっ……、あたし、シャーレ・ミルですけれど。ダンヒル様の元で薬師の修行中です」
エメラルドグリーンの瞳が怯えていた。
カチェは思う。
なかなか可愛い娘だ。
お城にいない感じの子。
たまに会うポルトの大商家の子女などとも印象が異なる。
もっと素直な感じで純朴な雰囲気。別の言い方をすれば庶民丸出しだ。
だがアベルと気心の通じているのが一瞬で理解できた。
「わたくしは領主バース・ハイワンド伯爵様の孫。カチェ・ハイワンドです。アベルの主です」
「えっ!」
シャーレは唖然としている。
普通ならば一生会わないかもしれない支配者層が突然現れた。
そういう反応になるだろう。
「シャーレ。カチェ様は弱い者虐めとかはしない人だから、安心していいよ」
「はい……」
はいと返事はしたけれど、シャーレは警戒を全然解いていなかった。
武装とか異常に立派な格好には、人の心を閉ざさせる効果がある。
アベルはどうしたものか考えてみた。
――仲良くしたければ素っ裸の方がいいってことかね……?
裸の付き合いとくればイース……。
あれ?
じゃあ、イースってそういうつもりで湯浴みしているのか。
いや、それは深読みしすぎ……だよな?
アベルの疑問は他所に、時間は無駄にできないので一行は出発。
森の入り口までは、昼前までに着くはずだ。
問題は森に着いてからで、そこからが広いのである。
カチェは騎行しながら馬車のシャーレに質問を繰り返していた。
「アベルとは何時から知り合いなのですか」
「え~。たぶん、生まれたときからです」
「生まれたときっ?」
カチェが素っ頓狂な声を出した。
「アベルの子供のころってどんなだったの?」
「あたしの傷を治そうとして治癒魔法に目覚めたのが四歳のころだったかと。それから、ずっと一人で修行ばかりしていました。あたしには本を読んでくれたけれど周りの子供とはほとんど遊んでいませんでしたね」
「他にはどういうことしていたの?」
「あたしの家族とアベルの家族でご飯食べたり、薬草を採りに行ったりです」
「なにそれっ。面白そう! わたくしもやりたい!」
「これからやることじゃないのですか?」
カチェが冑の下で驚きの顔をしていた。
暫し考えて、にっこり笑った。
眩い金属で覆われていたから誰も見ることができなかったけれど……。
距離にして三十メルテほどであっただろうか。
特別森林の入り口に着いた。森の周りは原野や畑になっている。
伯爵一族の狩場ということもあり本城のあるポルトから遠いと不便なのでほどほどに近い。
入り口の直ぐのところに、丸太で作られた家がある。
結構、大きい。手入れの行き届いた雰囲気がある。
平屋作りなのだが、二十人ぐらいが中に入っても余裕な規模だ。
扉が開いて、中から誰かが出て来る。
小柄な人物だった。
性別は女性。
髪の色が濃緑色だった。長く伸ばしている。
その髪から、人間族にしてはやや尖った耳が可愛らしく出ていた。
小作りな顔。
ちょっと切れ長で知的な印象のある瞳。
その色は髪と同じ深い緑色をしていた。
人間族の十六歳ぐらいの容姿。
アベルは思う。
――あれ? 珍しい感じの人だな……。
まぁ、あれだな。エルフっぽいというか……。
「イース様。あの方って……亜人」
「たぶん森人族だ。森人は主に森を住処にしている亜人だ。森林の管理人として雇っているのだろう」
「少女に見えますけれど」
「おそらく、十分に大人だ」
カチェが物怖じせず進んで、森人らしき亜人に声をかけた。
「わたくしは、カチェ・ハイワンドです。貴方は誰ですか」
「はっ。ハイワンド伯爵家にお雇い頂いている、ディーナ・リンドと申します。お初にお目にかかります」
「亜人とは珍しいわね」
「森の管理に長けております。それゆえ、お雇いして頂いております」
「なるほど。じゃあ、さっそくゴブリン退治ね! どこにいるのっ」
「奴らは森を徘徊しております。正確な位置はわかりません。先日、見つけた足跡を調べたところ十匹程度の集団です」
儀典長騎士スタルフォンが声をかけた。
「カチェ様。ゴブリンも重要ですが薬草の方もお忘れなく。中央平原の出征兵士たちに送る大切なものですぞ」
「わかっております!」
アベルたちはディーナに案内されて、森の奥へと進む。
森の深部へは馬では行けないので、全員徒歩である。
馬は馬小屋があるので、そこへ繋いでおく。
徒歩になるのは分かっていたことなので装備は歩きやすいものにしなくてはならない。
だけれどカチェは完全武装などしていて、歩くたびに金属がカシャカシャと音をさせている。
儀典長騎士スタルフォンが止めたのに、どうしてもというので彼も好きなようにさせたという。
しばらく森を進んでいたら、カチェがとうとう羽の付いた冑を外そうとした。
だけれど顎の下にある蝶番が取れないみたいで、何やら甲高い調子で言い出した。
「アベル! ちょっと来てっ! これを取りなさい!」
「はいはい」
アベルが冑を外してやると、汗をかいたカチェの見目麗しい美貌が飛び出て来る。
藍色の髪がさらりと流れた。
シャーレが吃驚して思わず声を上げた。
「こんな美人さんだったの……!」
カチェは慣れた反応なのか、いちいちシャーレに答えなかった。
華麗な冑をアベルに渡してくる。
「これ持ってて」
「え~? 超邪魔ですよ、これ。羽とか付いているから、かさばるしさ。ってかこの羽は何の意味があるの。飛ぶの?」
「うるさいわねっ! 持ってて!」
カチェは、ずんずん進んでいった。
基本的にアベルはこの面子の中で最下底である。
これより下は家畜ぐらいの立場だ。
こういう理不尽の吸収剤は自分の仕事だと思い決める。
薬草の群生地に到着した。
ダンヒルたちが一心不乱に草を摘む。
血止めに使う薬草であった。
アベルはアイラから薬草の知識を教えられたので、消毒や熱冷ましの効果がある薬草ぐらいなら見分けがついた。
だが、今日の仕事は薬草摘みではない。
アベルは皆を守れる位置で周りを見渡す。
森だから視界は悪い。
唐突に、ゴブリンでなくとも熊とか猪などの野獣に出会う可能性があった。
強さで言えば、ゴブリンよりも熊の方が上だ。
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警戒という、単調な仕事が続く。
一見したところ、豊かな晩秋の森だった。
木の実がたくさん落ちている。
茸も生えていた。
別に異常はない。
小鳥などが澄んだ声で鳴いていて、むしろ平和そのもの。
だいたいの仕事がそうなのだけれど、ほとんどは地味な、同じことの連続だ。
カチェは最初、緊張感や警戒心を最大にさせていたのに今では早くもダレてきている。
「カチェ様」
「なに?」
「ずっと緊張しているからダメなんですよ。力を抜いて自然体で、感覚だけ研ぎ澄ますような感じにするんです」
「良く分からない」
「いつまでも固くなっていると疲労するし、とっさに判断できないって意味です。たとえば……」
アベルは冑を足元に置いて、背負っていた弓を手にする。
実はさっきから、離れた茂みに雉が隠れているのに気が付いていた。
矢を番えて放つ。
狙い違わず、命中。
雉が暴れて鳴いたが、すぐに静かになった。
「狩りや弓は母上に習いました。母の方が上手いです」
カチェは本当に驚いた顔をした。
「アベル。何でもできるのね……!」
「いや、何でもやらされているから結果的に……やっているだけで。何でもできるわけではないですよ」
雉は動脈を切って血抜きをして、丁寧かつ手早く毛を毟る。
それから内臓を出しておく。
内臓は使い道があるので袋に入れておいた。
カチェは一連の流れを興味深く見ていた。
「狩り、やってみたいですか?」
「やってみたいわっ!」
そんなことをやっていたら森だから、早くも薄暗くなってきた。
ガトゥ男爵がバカでかい大声で集合を叫ぶ。
「今日はもうここで野営としたい。異存ないな」
合意の合唱がある。
ダンヒルたちは薬草採取に伴う野営に慣れていて、手早く薪などを集めていく。
アベルたちはさらに熟練者である。
流れるように準備を進める。
手伝う暇もなくカチェは、ぼーっと突っ立っているだけで野営の準備が終わった。
カチェは、そろそろ自分の間違いに気づきだしていた。
知識もないし、技術もないし、準備も悪い。
要するにダメな奴……。
そこへ急激に意識が及ぶ。
黙っていたが、恥ずかしかった。
気負いが大きかっただけに、居た堪れない気持ちだった。
アベルは野営の準備ができたので、さらに仕込みに入る。
方角を見定める。
イースにも意見を聞いてみる。
「イース様。勘で魔獣がいそうな方角を示してください」
イースは、しばし森の闇を紅玉のような瞳で見透かすようにしていたが、やがて一点を白く長い指で示した。
こういう時のイースの感覚は頼りに値するものだった。
アベルはそちらの方角へ進む。
急激に夕闇が濃くなってきたので「魔光」を頭上に出した。
後ろからカチェがついてきた。
「なにしにいくの?」
「ちょっと罠を……」
野営陣から程好く離れたところで、よさそうな地形を見つけた。
木の枝に、雉の内臓が詰まった袋を吊るす。
その直下に「土石変形」で足が落ちる程度の穴を作る。
さらに内部に、時間をかけて硬化で土を固めて槍を作った。
ギサギサのついたノコギリみたいなやつだ。
それを枯れ枝などで隠蔽した。
カチェは感心していた。
「なるほど。穴の罠。でも、どうしてもっと大きく作らないの? それじゃ殺せないわよ」
「ゴブリンは通常群れます。一匹だけ殺すよりは、怪我をさせて追跡したほうがいいです。足だけ傷つければいいのです。ちなみに、これは相手が人間でも同じことです。去年、賊を始末したときも、こうした方法を使いました……。もっとも肉では釣れないから、敵が歩きそうなところを見極めて罠を作るのですけれど」
「その時は通用したの?」
「はい。しましたよ。血をワルトに追跡させてアジトを見つけ出しました」
「見つけた後はどうしたの」
「洞窟だったんですけれど、もしかしたら誘拐された人がいるかもしれないから、内部に入って戦いました」
「それで」
「人質はいませんでした。賊は何人か捕まえて、抵抗したのは始末しました」
カチェは勉強になるなぁ、という風に何度も頷いた。
もう、冬直前という季節でもあり夜はかなり寒い。
集められた薪に着火して、炎を作る。
そうしてみんなで料理をする。
茸など火で炙って塩を振っただけでもかなり美味しい。
ここでも、やはりカチェは何もできない。
何かしようと手を出そうとしても、結局は流れに乗れず支度は済んでしまった。
アベルは雉肉を細かく切り分けて、持ってきた串に刺す。
それから鍋に水魔法で水を注いで食材をぶちこむ。
ダンヒルたちも別の鍋で色々と作り出した。
特にシャーレはこういうことに慣れているから機敏に働いていた。
実はカチェはその様子を観察していた。
いい働きなのが誰でも分かる……。
シャーレに及んでいないという、変な敗北感があった。
食事が始まった。
雑穀の入ったシチューに、肉やチーズなどを焼いたものだ。
炎を中心にして、車座になる。
なぜか人は焚火を前にすると、気持ちが安らぐ。
アベルの雉肉は好評だった。
シャーレの同僚たちは滅多にありつけない御馳走だと喜んでくれる。
食事が始まるとガトゥは持ってきた火酒を飲みまくる。
ダンヒルも葡萄酒を飲んでいた。
ガトゥは森林管理人のディーナの隣に座ると色々と話しかけていた。
「俺はよ、若いころに亜人界を旅していたから森人族の女性とも旅隊を組んだことがあるんだぜ。楽しかったなぁ」
「あら。どんな風にお楽しみになったの?」
「そりゃあ……ふへへ。お嬢様の前ではおいそれと話せないことさぁ。へっへっへっ」
ガトゥは顔をにやけさせる。
何となくカチェは意味を理解して、少し顔を赤くさせた。
森人族ディーナは少女らしい容姿なのにガトゥの会話を受け流す態度などは完全に大人のそれであった。
ガトゥは酒が入って陽気になり十代の頃の話をする。
男爵家の次男坊だったこと。
暗奇術にのめり込んで、とうとう親を説き伏せて十四歳の時に修行の旅に出たこと。
亜人界に高名な達人がいるので、そこまで行って弟子入りした話し……。
そういうことを下品な冗談や大げさな身振りを交えてデカイ声で話す。
アベルは時々、聞いているような会話なのだが、やっぱり面白い。
カチェも興味津々で聞いていた。
スタルフォンは下品な内容に困り顔をしていたが……。
しかし、話題はいつしか戦争や国政のことになっていった。
アベルはカチェに聞いた。
「皇帝陛下のこと、僕は何も知らないです。お歳はいくつなんですか」
「ウェルス皇帝陛下は、たしか……御年六十歳ぐらいではなかったかしら」
「あ……。ご高齢なのですね」
「ご健康が心配ね。あまり良くないと噂を聞きました」
ダンヒルが言う。
「わしら薬師の間では有名な話しだが、陛下は心臓が弱いらしい。良い薬を長年、お探しになっておられる。帝室の侍医にわしの親友がおるのじゃ。たまに相談の手紙がくるわい」
良い機会なのでアベルはこの場で一番年配のダンヒルに聞いた。
「皇帝陛下はなんで亜人を差別するのでしょうか。ディーナさんだって良い人なのに。それに戦争は少しも治まる気配がない」
「うむ……。ウェルス陛下は人の好い方らしい。亜人が越境して作物を荒らすと家臣から進言されれば、それは怪しからんと亜人たちを排除するお触れを出す。王道国があくまで対等な国同士の関係を求めてくれば、これ怪しからんと王道国の撃滅をお命じになる……」
なるほどとアベルは思う。
――政治家としては暗愚な人物だ……。
たぶん、ウェルス皇帝は指導者に向いていない。
「戦争もこれからどうなるんだろう」
戦乱はさらに巨大なものへと成長していくことだけは誰にも感じられる。
あまりも大きな状況なので、誰であろうと場当たり的な対処しか出来ないのだった。
沈黙を破ってダンヒルが言う。
「王道国のイズファヤート王には複数の子供がいる。まぁ、皇帝国はやつらを纏めて僭称王族と呼んでおるが。長男のイエルリング、次男リキメル。
それから戦姫の異名で呼ばれるハーディア王女。その兄のガイ。本名はガイアケロンと言ったかな。
我々にとっては今や恐ろしい敵だが、ガイアケロン王子は……どうしようもない愚か者という噂をわしは五年ぐらい前に聞いたもんじゃがのう。その……脳が腐った白痴ではないかと、なにせ王宮の廊下でもどこでも小便を粗相するとな。
ところが今となっては悪鬼ガイなどと呼ぶ者もいるほどに手強い敵じゃ」
ダンヒルは職業柄、様々な人間に会う上に薬の調合にあたっては患者の心身の状況を聞き取るため、結果的に人が知りえないようなことまでも聞き出していることがある。
実は独自の情報網を持つ人物でもあった。
いずれにしてもアベルには実感の湧かない話だった。
王族だとか皇帝だとか……。
下請け子会社から見た親会社の会長など、どんな人物か全く分からないし会うはずもないという感覚に近いかもしれないと思う。
やがて夜が深まる。
梟の鳴く声が森に響いていた。
寝ずの番を交代で置く。
最初はスタルフォン。次にガトゥ。それからイース、最後にアベルという順番だった。
例えばワルトならば感覚が鋭いから、寝ていても忍び寄られれば気が付く。しかし、それでも部隊の野営に不寝番を定めるのは常識であった。
明け方。
アベルが徐々に光に満たされていく森林を眺めていると、背後から気配がある。
カチェだった。
手に湯気の立つ器を持っている。
「お茶を煎れたわ。飲んで」
「あ、カチェ様。ありがとうございます」
「わたくし……あんまり役に立ってないわ。恥ずかしい」
「気が付いたのなら、それでいいじゃないですか」
カチェが、ぎこちなく頷いた。
「わたくしも役に立ちたい」
「じゃあ、みんなの朝食を作るので手伝ってもらえますか」
カチェは嬉しそうな顔をした。
手早く大麦のお粥を作って、軽く朝食とする。
それからアベルたちは昨日の罠を調べに行く。
手ごたえがあった。
罠の穴が乱れていて、血痕がある。
アベルが杭を調べると、毛が付着していた。
ワルトに嗅がせるとゴブリンの臭いだと断言する。
薬草採りの方はガトゥに警護を任せて、残りはゴブリンの追跡を始める。
管理人のディーナは森を知り尽くしていて、さらに足跡の追跡にも能力を発揮する。
障害物の多い森をワルトと共に素早く駆けて行った。
「なんて速さなの! 追い付けない!」
カチェが感嘆していた。
しばらくして追跡をしていたワルトが戻ってきて言う。
「ご主人様。ゴブリンを捉えたっちよ。おらっちが追い込むから、待ち構えていて欲しいずら。囲んで一匹残らず倒すっちよ」
スタルフォン、カチェ、イース、アベルが間隔を保ち横に並ぶ。
ディーナとワルトが威嚇の声を上げている。特にワルトの狼人特有の遠吠えと怒声は迫力がある。
カチェが少し緊張しながら待っていると、前の茂みからゴブリンが現れた。
四匹だ。
背丈はカチェの半分より少し大きいぐらい。
初めて見る魔獣に緊張した。
なんて醜くて邪悪な姿だろうと驚く。
話には聞いていたがこれほどとは思わなかった。
歪な頭部に毛が生えていて、視線は狡猾な印象で辺りを警戒していた。
四肢に筋肉が張り付いている。
やや前屈みで歩いてきた。
粗末なナイフや棍棒らしきものを手にしている。
カチェは藪に隠れていたが自分の装備を悔やんでいた。
あまりにも眩く光っていて、隠れられないかもしれない。
幸い、ゴブリンは気づかずに近づいてくる。
皆、カチェに戦わせるためまずは見守る態勢。
アベルはそっと耳打ちする。
「そろそろいいでしょう。攻撃してください」
カチェは頷いて抜刀した。
やや駆け足気味で茂みから出ると、狼狽えたゴブリンに上段から刀を振り下ろした。
間合いを誤ったらしく肩口を深く傷つけた程度。
手負いのゴブリンが狂ったように暴れる。
カチェは唇を噛む。
普段なら絶対にしないような失敗だ。
「カチェ様。落ち着いて。変わったことはしなくていいんです。いつものように」
アベルの声。不思議と気持ちが和らぐ。
気持ちを落ち着かせてカチェは脇構えに刀を掲げ、斜め上段から白刃を振るう。
今度は踏み込みも十分にでき、刃筋の通った一撃となった。
群れで一番体の大きいゴブリンの首筋から胸に至るまで、薪でも割るように斬れる。
あまりにも深い傷だったので悲鳴も上げずに即死した。
あとはカチェにとって普段から積んだ稽古と同じだった。
薙ぎ払えば、胴をほぼ両断するような傷を与えたし、試しに頭へ刀を振り下ろせば頭蓋骨はバキッという枯れ木の割れるものに似た音を立てて、あっさりと切断された。
ゴブリンの群れは家族だったらしい。
雌が子連れだった。幼体が一匹。
カチェは多少、気後れしつつも決意して攻撃する。
共存のできない相手だ。
ゴブリンにしてみれば人間の子供など格好の餌。
こちらの一方的な憐れみなど意味がない。
カチェは刺突を子を抱いた雌ゴブリンに与える。
切っ先が首筋に滑り込む。
ほとんど何の抵抗もなかった。
熟れ切った果実にナイフを差し込むようであった。
雌ゴブリンが呆気なく倒れる。
残った幼体のゴブリンが右往左往した。
それを薙ぎ払う。
首が飛んだ。
ビシャ、という水を撒いたような音がする。
最後に残った若いゴブリンがカチェに明確な殺意と憎しみを向けていた。
牙を剥き、物凄い顔だ。
棍棒を振りかざして突撃してくる。
ゴブリンの必至だが粗雑な攻撃を見切って躱し、刀を振り下ろした。
肩から腹まで割る、素晴らしい斬撃。
ゴブリンを殲滅した。
あとからディーナとワルトも合流して、皆でカチェを褒め称える。
「お見事!」
儀典長騎士スタルフォンなど感動のあまり涙ぐんでいる。
「おおっ。カチェ様……。アベルや拙者ぐらいしか教える者も居ないなか、よくぞここまでの腕前になられましたな。やはりカチェ様は武門の御家ハイワンドの血を持つお方」
それからゴブリンの死体を埋めて、ダンヒルたちと合流した。
薬草は採り尽すと来年以降、困ることになるので繁殖の分はとっておく。
薬草採りも上手くいったので、昼下がりに小屋へ戻って帰り支度をはじめた。
森人族ディーナがカチェに礼を言う。
「カチェ様。森を平穏にしていただき感謝申し上げます」
「気にしなくていいわ。もともと伯爵家の森なんだから、当然よ……。そのう、貴方も亜人というだけで不便もあるでしょう。何かあれば、わたくしに相談しても良くってよ」
カチェは爽やかな笑みを残して森を去った。
アベルは彼女が何らかの成長をしてくれたと察することができた。
ポルトの街では短期間のうちに職能を身に付けつつあるシャーレと別れる。
「シャーレ。非番なんかたまにしかないけれど、なるべく会いに行くよ」
「アベル……!」
少し離れたところからカチェがその様子を見ていた。
本城に着くまでの間、いろいろと聞かれる。
「あのシャーレ・ミルって子。凄く可愛いわね」
「はぁ」
「アベル。ああいうのが好きなの?」
「ああいうのって言われても、よく分からんっすねぇ」
「だから優しい感じ? っていうのかしら。若いのにしっかりしている感じかしら」
「それならカチェ様もしっかりなさっていますよ」
カチェは可愛らしい口を尖がらせて、照れているのか嬉しそうな顔をした。
いつにも増して
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