第22話  カチェの訓練と処刑



 


 カチェは城外門が見える物見櫓に望遠鏡を設置している。

 望遠鏡は教師カザルスに作らせたものだ。

 それを時々、覗いてみる。


 あいつが帰ってきたら、これで分かる。

 あいつが居ないとダメだ。

 剣の稽古ができない。

 城外の生々しい実態も分からない。

 ときどき言う変な冗談。そういうことを言える者も周りにいない。


 スタルフォンの授業や宮廷作法の教育が毎日隙間なくあって、休む暇もないほどだった。

 だから実際のところ僅かな休憩時間に望遠鏡を覗いたところでアベルを見つけられるほうが珍しい。

 でも、つい時間があると見てしまうのだけれど……。

 カチェが一人で昼食を摂ったあと、お茶を飲んでいると女の使用人が恭しく寄ってきた。


「さきほど、ガトゥ男爵と騎士イース・アークがお戻りになったようです」


 カチェは即座に席を立った。

 本城の門を開けさせる。

 供もなしに走って、騎士団本部の前にいく。

 伯爵家の麗しい令嬢が大股で駆けていく様子を従卒などが驚きながら見てくるが気にしない。


 三頭の馬。狼の顔をした獣人が一匹。

 騎士は女で髪は艶やかな黒。

 こんな異様な組み合わせ、ハイワンドでたった一組。

 くすんだ金髪が陽の光で輝いている少年もいる。

 馬に乗っていた。

 カチェが声をかける。


「アベル!」

「あっ。カチェ様」


 アベルは慌てて下馬する。

 従者という低い立場の者が伯爵家息女であるカチェに乗馬したまま挨拶するのは、あからさま儀礼に反する。

 規律に厳しい者に見つかれば、鉄拳制裁もありえた。

 もっともアベルはハイワンド遠縁の者という、かなり奇妙かつ非公式の「肩書」があるから、そこまでする者はいないかも知れない。


 カチェは爪先から頭部までアベルの全身を見渡す。

 大きな怪我はない。

 安心した。

 大方の任務は危険極まる内容だ。

 凶賊、魔獣の討伐が主な仕事である。

 万が一……、それが有り得る。


 カチェはガトゥ男爵が肩で支えている天秤棒の両端に視線を向けた。

 腐りかけの首が鈴なりになっている。

 そのいずれもが恨めしい表情を張り付かせていた。

 気の弱い者なら卒倒してしまう景色。

 カチェは先天的にこうした物を見ても怖気が出ない。


「お勤めご苦労様。アベル。どんな戦いだったのか、わたくしに教えなさい」

「えーと……。まだ、ちょっと仕事があってですね……」


 察したガトゥが声をかけた。

 彼にはそういう機転や大らかさがあった。


「ロペス様への報告は俺たちがやっておく。馬だけ厩舎に戻しておけ」

「はい」


 アベルはカチェと話しながら馬屋まで移動した。

 団員が乗る馬はハイワンド騎士団が責任を持って世話をしてくれる。

 それから本城に移動。

 まず、やるのはカチェお待ちかねの訓練だった。

 もはや、習慣のようになっている。


 カチェは木刀一振り。いつも同じ。

 片手で扱える盾を使う防迅流は、カチェの好みに合わなかった。

 流派は結果的に攻刀流になっている。

 ただ習っているのがアベルで、そのアベルも半ば我流になりつつあるので、正統な攻刀流ではないかもしれない。


 アベルと対峙するカチェの身長はアベルより高い。

 現在、十四歳。一か月後には十五歳になる。

 本当に美しくなったとアベルは感じていた。

 

 鋭いほどの紫の瞳。

 眉は気の強さを反映して、柳枝のように伸びている。

 藍色の髪の毛は、瞳と同じく紫の色彩も淡く感じさせる。

 前髪は額のところで、きっちりパッツンに整えられていた。

 後ろ髪は肩の位置で丁寧に切ってある。

 カチェは実に大人びていて、見た目は実年齢より年上に見えた。

 あまりにも端麗で少し怖いぐらいだ。


 カチェの服装は、足に革ブーツ。

 太腿まで見えたミニスカート。

 上着は光沢の美しい黒の天鵞絨てんがじゅう

 その下に白シャツ。

 首元にひらひらとしたフリルスカーフが巻いてあって、貴族の子弟の気品と可愛さが詰まったようなファッションだった。


 相対するカチェは中段に木刀を構える。

 正眼の構え、とも言う。

 バランスのいい、攻撃しやすい形だった。

 向かい合うアベルは八双の構え。


「でやあぁぁぁ!」


 気合の声も高らかにカチェが走り寄って、一気に距離を詰めてきた。

 アベルは八双から剣を繰り出す。


 間一髪、カチェが切っ先を見てよけた。

 偶然ではない。

 確かに間合いを読んで、ぎりぎりで回避した。

 アベルが体勢を整える前にカチェが中段から突きを繰り出してくる。

 それをアベルは木刀で払って防御。しかし、さらにカチェは連続攻撃。


「えいっ!」


 カチェは気合と共に魔力で身体強化させた蹴りを遠慮なしに繰り出す。

 回避できないのでアベルは手の平で受け止める。

 バンッ、という大きな衝撃と音が手に伝わった。


 アベルはその威力に驚き、体は後方によろめく。

 そこを逃さずカチェの片手上段斬りがアベルの肩口を狙って振り下ろされた。

 アベルは魔力を加速させて、下段から木刀を跳ね上げる。

 木刀と木刀が激しくぶつかる。

 威力に押されたカチェは握った柄を離さないまでも、操作を逸した。


 アベルは横薙ぎに木刀を振る。

 後ろ飛びでカチェが逃げた。

 さらに追撃。木刀を狙って斬撃を繰り出す。

 威力のある打撃でカチェの腕ごとが引っ張られる。

 アベルは手加減をした一振りを剥き出しの太腿に入れる。


「勝負ありですね」


 カチェが、紫の瞳でキッと睨み返してきた。

 そのまま相手に噛みつきそうな気迫が篭っているが、さすがにそこまではしてこない。


「アベル。痛い。治して」


 いつものことだ。

 木刀なんかで打たれれば痛いに決まっている。

 だから木刀は寸止めで訓練を行う者も多い。

 でも、カチェはそれでは訓練にならないから打ち込んで来いと言う。

 スパルタなお嬢様だった……。


 みっしりと肉付きの良い太腿だった。

 一点のシミもない健康的な肌。

 赤く腫れた部分に治癒魔法を施した。

 鍛えてあるせいで、ぶよぶよした感じはない。

 しなやかだった。

 汗ばんでいる。

 どういうわけか欲情を刺激する色気があった。

 腫れは、治癒魔法の淡い光に照らされると消えていた。


――なんか変な気分になるなぁ。もう女の体だな。


 アベルは内心の動揺を隠そうとしたが、顔が赤くなっていた。

 申し訳程度に目を逸らした。


「じゃあ今日の訓練はお終いです」

「ねえ。今日はこのあとどうするの?」

「装備の手入れ、イース様の手伝い、ですかね」

「今日はこのままお城にいて。午後は算術と歴史の勉強だから、一緒にやろう。それから夕食を一緒に食べましょう」


 言い出したら聞かないので、アベルは黙って従う。

 算術はカザルスから習った。

 今日は兵士の数から必要な食糧の量を導き出す計算の授業。

 食糧を運ぶためにいる馬とか人員の計算法も教えてくれた。

 結構、実戦的な内容でアベルも楽しんで授業を受けられる。

 実際のところ、ミカンより高いリンゴとか、わざわざ時間をずらして出発する兄弟のことなんか計算しているとイライラしてくるというものだ……。


 カザルスの容姿は二年前とほとんど変わっていない。

 普段は部屋に篭って魔道具の作製をしている。

 日にあまり当たらないせいで青白いナスビみたいな顔だ。

 その彼が、カチェを恍惚とした表情で見ているときがある。


――やっぱホンモノか……。

  たしかに凄い美少女だけれどさ。


 アベルは苦笑い。

 それから次は儀典長騎士スタルフォンから歴史の授業を受ける。

 スタルフォンは今となってはアベルに深い信頼を寄せている。

 それというのもアベルの精勤のためだった。


 イースと危険な地域へ巡回に出かけては、ときおり賊の首を上げてきた。

 出陣式のときには料理人の手伝いまでしていたのが噂にもなった。

 いくら伯爵から認知されていない私生児の子とはいえ、あまりにも低い待遇と……。


 アベルが実はバース・ハイワンド伯爵の孫にあたるということを本城で知らない者はいない。

 その奇妙な生まれのアベルの態度が謙虚であればあるほどアベルの評判は上昇していった。

 人は口々に噂する。


「あの御顔。バース様のご幼少の頃にそっくりではないのか」

「まだ子供であろうに心根がしっかりとされていて武芸抜群。治癒魔術まで使えて、まこと惜しい……」

「全くだ。伯爵家を支える人材であったのに、家門衆に加えていただけないとは……哀れなり」

「それはアベルの目つきも暗くなるというものだろうて」

「にしても奇童としか言いようがないな……」


 そんな評価だった。

 アベルは、目つきは余計だろ、と思うのだが……。



 窓から夕焼けが差し込んできた。

 暮れゆく空は夜の気配を湛え、雲に紅の残照が漂っている。

 使用人によって晩餐室の燭台に火が灯される。

 蝋燭の本数から種類まで規則というものがあった。

 アベルもカチェも魔光が使えるので本当はいらないのだけれども。

 こういうのは決められた事なので放っておく。


 重厚な木材で造られた広い食卓だった。

 二十人は座れるだろう。

 だが、普段はカチェ一人で使うのだという。

 ロペスとモーンケ、二人の兄はほとんどここでは食事を摂らないらしい。

 騎士団本部か、あるいは街の店で騎士団の戦士などを引き連れて飲み食いしているという。

 出てきた料理は牛肉の煮込み、野菜盛り、小鳥肉のゼラチン詰め、白パン、林檎の蜂蜜煮。


 この世界の感覚で言えば、凄い御馳走である。

 カチェは煮込みの肉を、次々に口へ詰め込んでいる。

 はっきり言って作法が悪い。

 本当は食事の所作などきっちりと仕込まれているから、わざとだ。

 これは抑圧の反動だった。


 アベルもカチェも、かなり食べる。

 体と魔力を使う者は大抵、大食らいだ。

 けれど本城の料理長、ジャック・ドルイドが腕を振るって大盛りを作ってくれるので足りないということにはならない。


 カチェが普段は一人でご飯を食べるのをアベルは知っている。

 前世の自分みたいだ。

 やはり同情心が湧く。

 一人飯は案外、慣れると何とも思わないのだが、むしろ楽に思うのだが、しかし一緒に食べる癖がつくと寂しく感じるものだった。

 それを思えばカチェから誘われて断れない。


「明日、捕まえた賊の取り調べです。裁判もあるかな」

「最近、多いわね」

「ますます治安が悪くなっています。騎士が全然、足りていません。いくらか人材を採り立てているようですが誰でも騎士にできるかというとそうもいかず……。打つ手がないのです」

「わたくしも治安維持に参加したいって、お爺様にお願いしているのです」

「えっ! カチェ様が?」


 カチェは、じろっと視線を向けた。

 何か不満があるのかと言いたげだった。


「そうよ。アベルばかり十日も任務で外出できるなんてズルい。わたくしも遠くに行きたい!」


 城外門の外に出る許可は滅多に出ない。

 儀典長騎士スタルフォンが容易に許さないからである。


 カチェはよほど悔しいのか、ブルブルと手を震わせてスプーンを握り締める。

 銀製のスプーンが、グニャリと曲がった。

 アベルは目を見張り、そろそろ潮時だと理解する。

 慌てて時間だからなどと口実を言うや席を立った。

 カチェの不満爆発に巻き込まれたくない……。


「明日。裁判とか取り調べとか、わたくしも行くからっ! 必ず行きますからねっ」


 背中からそんな声がするものの適当な返事をして立ち去る。

 こういう時はスピードが一番だ。

 アベルが廊下を歩いていると家令のケイファードと出会った。

 一礼する。


「アベルよ。お前が帰ってくると正直、ほっとします。最近のカチェ様はアベルが居ないと荒れるのです」

「えっ。そうなのですか?」


 日頃、神経を使う仕事をこなしているケイファードが困ったように首を振った。

 眉間に皺が寄り、表情は憂いを感じさせる。


「欲求不満ですな。ハイワンド家は武門の誉れ高い御家。カチェ様にも武人の血が強く受け継がれたのでございましょう。もしかすると武人の道を歩まれた方が良いのか……いや、すまない。今のは聞かなかったことにしておくれ」


 ケイファードの顔に苦悶が浮かんだ。

 重責を担う男の悲哀があった。

 ロペスやモーンケは軍事にばかり熱中していて、家中の事柄は放置していた。

 ほったらかしにされた様々な件は全てケイファードが処理している。

 さぞかし大変な苦労だろう。

 アベルは内心、かなり同情した……。



 イースの部屋に戻ると、もう武装の手入れまで終わっていた。

 本当はそういうのも従者の仕事である。


「イース様。すみません」

「気にするな。カチェ様のお相手も仕事のうちだ」


 六畳間ぐらいの狭い部屋。

 床に、干した藁を詰めた袋が置いてある。

 アベルはその上で寝る。

 やはりいつまでも同じ寝床というわけにはいかない。

 根本的にはこんな狭い部屋で男女二人というのも、どうかと思うのだが。


 なるべく見ないようにはしているけれど、イースのふとした時に見せる色気みたいなのには動悸がするほど驚かされる。

 下着の隙間から、形の良い小ぶりな乳房が見えて桜色をした乳首などが一瞬だけ見えたりして……。それから、無毛の綺麗なわきの下が見えてしまったり……。

 アベルの肉体が成長してくるにつれて、身悶えするような衝動が湧き上がる。


――もう別の部屋にしてもらおうかなぁ……。


 最近はそんなことを考えている。

 だが、従者ごときに個室など許可がでないかもしれない。

 悩ましい思いを断ち切って、さっさと寝ることにした。





 ~~~~~





 翌日の朝。

 アベルとイースは食堂に向かう。

 ワルトは裏口でピエールから朝食というか残飯が貰える。

 くず肉なんかも用意してくれて、ワルトは二人目のご主人様としてピエールを崇めていた。


 食堂には知らない顔も多い。

 三年前の出陣以来、ハイワンド領内は慢性的な人材不足となり、雇ったばかりの者がたくさんいた。


 アベルは騎士団でも陰ながら有名であった。

 従者とは思えない実力の持ち主で、実際は伯爵家の血縁者だからだ。

 もう、皆がいつのまにか知っていることだった……。


 アベルは硬すぎてそのままでは食べられない黒パンをスープに沈める。

 ぐりぐりと掻き混ぜて、粥のように半ば溶けたところで口に運んだ。

 黙々と食事をしていると食堂が少し、ざわついた。

 何かと思い周囲を見渡すとカチェが歩ていた。

 向こうもアベルを見つけると寄ってくる。


 革長靴に、太腿まで見える短いキュロットスカート。黒の上着。

 背筋が伸びて、姿勢がいい。

 紫の瞳、美しく整った鼻筋が涼やかだ。

 まだ少女であるのに累代貴族の証しともいえる気品と威圧感がある。


――格好いいな……。


 アベルは見慣れているつもりでも、やっぱりそう思ってしまう。

 騎士団の者も同じように感じるらしく、年若い従者たちなど憧れの視線。

 顔を赤くして見つめていた。


「アベル。騎士団本部まで来て」


 カチェはそれだけ言うと踵を返した。

 慌てて後を追う。

 本城の隣にある騎士団本部の地下室に連れていかれた。


 そこには犯罪者たちの牢獄がある。

 それから尋問室。

 カチェは迷うことなく尋問室へ入っていった。


 中ではロペス、モーンケ、ガトゥ、それに騎士団の幹部が二人いた。

 幹部は騎馬隊長の騎士スティング・ガモンと犯罪捜索隊長の騎士ポアレット・ワイズ。

 二人は騎士団の主力が出陣で不在なところを支える人材だった。


 騎士スティング・ガモンは三十五歳の小柄だが精悍な男。

 髪が赤毛で、馬をこよなく愛する人物だった。

 馬術では騎士団でも抜きん出た技量がある。


 騎士ポアレット・ワイズは四十五歳。

 犯罪の対策にかけては老練の男だ。

 皺が深く、目線は用心深さを感じさせる。

 いかにもベテラン刑事みたいな雰囲気。

 もとは金髪だったのだろうけれど、今ではほとんど白髪になっている。

 騎士ポアレットは荒っぽい戦闘よりは、どこでどういう犯罪があるのか、凶悪な人間が領内に入り込んでいないかなどを調べるのが仕事の人物。

 どちらかと言えば裏方の人間だ。


 獣脂蝋燭の灯りだけがある薄暗い尋問室でモーンケが汗を掻きながら嬉々として金槌を振っている。

 捕えた魔法使いの足に振り下ろした。

 湿った音。

 悲鳴。

 捕らえた魔術師の爪先を叩き潰していた。

 よく見ると、剥された爪が床に転がっている。

 他の足指の爪の間には釘が打ち込まれたりしている。

 そこを金槌で叩いているみたいだ。


 モーンケは拷問が好きなようで、率先して拷問官の役目を勤めていた。

 張り出した額の下に輝く目つきは、なんとも陰湿かつ残忍で、暗い熱意が燃えていた。

 ニタニタと笑いながら、楽しみながら、暴力を振るっていた。


――これじゃどっちが悪者か分からねぇな。


 アベルは思う。

 自分だって人を殺すけれど、別に楽しいわけじゃない。

 賊との戦いは害獣の駆除と思い込むことにしている。

 モーンケの屈折した心の有様など知ろうとは考えなかった。


 以前は嫌がらせを仕掛けてきたモーンケは最近、全くちょっかいを出してこない。

 ボロ雑巾のようになりながら危険な任務を実行しているアベルを見て満足しているみたいだった。


「ガトゥ様」

「おう、アベルか。こいつ、やっぱり王道国の魔法使いだった。もともと軍団にいたけれど、地元の女を何人も強姦して、それで片腕斬りの刑になったんだと。で、釈放の条件として賊を率いて皇帝国を荒らすように命令されたみたいだ。それから捕まっていた村人の証言で、襲った村にいた女を何人も強姦して殺している。まぁ、常習犯ってわけだ」

「こいつもクズだけれど、罪人を釈放して民衆を襲わせるとかさぁ……手段を選ばないな」

「街の広場で公開処刑することになりそうだ。斬首役、おめぇやるか?」


 ガトゥの唐突な提案に、アベルは少し驚く。

 確かに許せない男で、死刑は当然とも思うのだが……自分が大勢の人の前で斬首したいかといえば断りたくなってしまう。


「僕は、ちょっと止めておきます。そういうの」

「俺がやる」


 代わりに低い声で言ったのは強面のロペスだ。

 彼は筋骨隆々。

 分厚い胸板に、野太い腕をしている。

 ここ数年でさらに成長したから、背の高さはこの場にいる誰よりも高い。

 アベルなどは見上げるような感じになってしまう。


 前世的に言うと身長二メートル以上はあるかなとアベルは想像する。

 やや金壺眼、青い瞳の奥に怒りと残忍さが宿っていた。

 ロペスは憤怒しているのだった。

 激しい怒りと不機嫌さが全身に纏わりついていて、それはほとんど殺意である。


 それというのも現在、ハイワンド伯爵領内の治安維持は彼の役目だからだ。

 当主のバース伯爵本人は帝都で政治中枢に参画している。

 父親のベルルは軍陣を率いて中央平原にて王道国と戦闘中。

 長男の彼は、領地を守る。


 一角として崩れてはならない分業なのであった。

 しかし、現在、ハイワンドの治安は最悪。

 増税と相まって民衆の雰囲気は、はっきり言って落ち込んでいた。


 ロペス自身、それを理解している。

 だからこその憤りだった。

 とはいっても打つ手は少ない。

 年若いロペスには、もはや怒ることしかできないのであった。


 魔法使いが慌てて、木簡に何かを書いた。

 アベルは読む。


「約束を守れ。北部山脈の侵入路や作戦を喋れば助ける約束だった……か」

「げははは! おめぇ憶えてねぇのか。約束は人間としかしねぇんだよ」

「ふん。たまにはガトゥと意見が合うな」


 ロペスが言って、巨大な拳骨で魔法使いをぶん殴った。

 重たい樽をぶつけたような音。

 早くも死ぬのではないかとアベルは戦慄したが、これでも手加減したらしく魔法使いは気を失って倒れる。ぎりぎり生きていた。


「アベル! 縛り上げて広場の処刑台まで運べ!」


 ここの最高司令官からの命令ではやらないわけにはいかない。

 アベルは縄を借りて縛り上げる。

 イースが手伝ってくれた。

 二人で持ち上げて、騎士団本部から表に出す。

 それから馬車に乗せた。


 昨日の首が台の上で野ざらしになっていた。

 カラスが群がっている。早くもあちこち啄まれていて、二度と見たくもない風情を醸し出していた。

 信じ難いことに、あれも持っていくらしい。

 ロペスとモーンケに命令された従者たちが運び出そうとしていた。


 ロペスが騎馬隊長や犯罪捜索隊長などを引き連れて城外門を出ていく。

 ところがカチェまで騎乗して付いて来た。

 アベルは怪訝に思い問う。


「カチェ様。スタルフォン様の許可はとりましたか?」

「領内の一大事よ。わたくしにも見届ける義務があります」


 なんとなく理屈が通っている気がするのでアベルは黙るしかなかった。

 城外門からほど近いところに広場がある。

 ポルトの市街地の中心と言ってもいい。

 そこに特設の処刑台が据えられている。


 とにかく死刑に相当する凶悪犯罪者が多いので、一年前にモーンケの発案で作られた。

 見せしめと、民衆の不満の捌け口である。


 檀上に討ち取った賊の首が整然と並べられた。

 魔法使いだけではなくて、領内で捕えられた重犯罪者が他にも三名ほど引っ立てられてきた。

 ロペスが壇上に上がると、ラッパが鳴り響く。

 ポルトの住民や旅人が集まって来るのを待つ。

 もともと商店街などが近く、人通りの多いところだから直ぐに広場は群衆で埋まった。


 ロペスが額に青筋を立てて叫ぶ。

 武人らしい、太くて良く透る声だった。


「この者! 王道国に命じられて領内の村を襲い、人を殺し、若者を攫った! 十回殺しても足りぬ罪人であるが、ロペス・ハイワンドが慈悲と怒りを持って斬首刑に処す!」


 ロペスが、イースの使うような大剣を直上に掲げる。

 剣術でいうところの「屋根」の構えだった。

 もっともロペス本人は激怒しているため、特に構えを意識している風はない。

 自然とそうなったようだ。


 大剣を力任せに振った。

 少し狙いがずれて顎から後頭部に命中した。

 頭蓋骨は硬いため、下手すると刃が通らないような部位だが、ロペスが魔力で身体強化させた一撃だったので無理やり潰れるような感じで頭が吹っ飛ぶ。


 首というか、頭の一部が広場に落っこちた。

 民衆から歓声が上がる。

 一瞬の不満の蒸発。

 しかし、根本的な解決ではないから、また繰り返されるだけの光景。


 その後、さらに処刑は続く。

 アベルは見る気が失せてきた。

 というか、もともと処刑なんかどうでもいい。

 カチェは騎乗したまま、処刑を見据えている。

 少しも動揺している様子はない。


――若いのに立派なことだ。

  カチェってこういうの見ても平気なんだよなぁ……。


 アベルは処刑を抜け出して、イースと一緒に買い物へ行こうとしたところカチェに目敏く見つけられてしまった。


「わたくしも行くわ!」


 顔には絶対に退かないぞという意思が漲っている。

 アベルは渋々と頷いた。断っても無駄であろう。

 ガトゥ男爵に一言報告してから、さらに盛り上がる処刑場を後にした。

 そして、粗野なほど賑やかなポルトの市街地へと歩いていく。





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