第23話  息抜きも仕事のうち

 



 アベル、イース、カチェが市場へ移動する。

 市場では人間が入り乱れ、様々な物が売り買いされていた。


 小麦や豆といった主食が山のように積まれ、生きたままの豚や鳥などの家禽類が騒々しく鳴いている。

 岩塩の塊やオリーブ油の入った壺も大量に並べられていた。

 また、鍋や農作業に使う鋤などを扱う金物屋まであった。

 値札など、どの商品にも掲げられていないので誰しもが商人と交渉をしている。

 和気あいあいとした交渉もあれば、ほぼ喧嘩というような遣り取りも起こっていた。


 カチェには珍しい光景なので、どれもこれも面白そうに見ていた。

 その辺りは少女らしい。

 アベルとイースが欲していたのは革ベルトとか短剣だとか、あるいは旅で使う布袋などであった。

 可愛げなどどこにもない実用品だ。


「アベル! これはなに?」

「それは革を磨く道具です」

「これは!」

「裁縫道具を纏めた物です。旅先で服が破けたときに使うのです。カチェ様は裁縫しますか」

「針でしょ? しないわっ!」


 ずばっ、と勢いよく断言した。

 裁縫はカチェが嫌いな習い事の筆頭だった気がする。

 ちなみに裁縫は女性だけではなくて冒険者なら必須の技術だった。

 藪だらけの山野で服が枝に引っかかって破れるなど、実にありふれた出来事だからだ。


 その後、人の行き交う大通りを歩いて武器屋へ行く。

 カチェは何だか興奮していた。

 頬を赤くさせて気色ばんでいる。

 男の子なら気持ちも分かるが、うら若きお嬢さんの好む店ではないのだが……。


 さして広くない店内には色々な武器が所狭しと飾られていた。

 短剣、小刀は武人だけでなく商人なども買っていく。

 値段は銀貨五枚ぐらいから。


 特に高価なのは、亜人界の鉱人氏族が作ったという魔鉄製の武器。

 斬れ味が素晴らしく良く、耐久性に優れているという。

 イースが使うような大剣で魔鉄製の物は無かった。

 唯一あった刀で金貨二十枚の値が掲げられている。

 従者風情では絶対に手の出ない価格だった……。


 カチェは店にあった細身の片手剣や片刃の刀などを、とっかえひっかえしている。

 城では滅多に見せることのないような満面の笑みで実に楽しそうだった。

 お金は持っていないから、純粋な冷やかしなのだけれど。

 カチェが欲しいとか言い出す前に武器屋から移動した。


 大通りには露店なども結構あって、色々なものが売られている。

 お守り、護符のようなものから、ちょっとした魔道具が多い。


 魔法のあるこの世界。

 迷信とか占いが、ものすごく盛んだ。

 アベルには、この世界の人々にとっての一種の病理に見えるほどだった。

 例えば、魔力を注ぐと淡く光る護符などがあって、なんだかんだと効能が列挙されている。

 だけれど、あれは単に魔力に反応して光るだけの魔道具だ。

 別に他の効果なんかない。

 でも、ちょっと綺麗で珍しいし、魔力の少ない人でも必死に集中して魔力を注げば光る。

 そうすると、なんか効果があるような気になってしまうのだ。

 それで結果として、そういう物に大金をつぎ込んだりしてしまう……。


 ついついカチェの好奇心に従って市場をぶらぶらとしていうるうちに時間は昼過ぎになったので、アベルたちは屋台の方へ行く。

 羊肉の串焼きとか、中にチーズの入った焼きたてパンなどが売っている。


「なにこれっ。おいしそう!」


 カチェは興味津々である。

 ハーブ入りのお茶も買って、みんなで食べることにする。

 カチェはお金など持ち歩かないから、アベルが支払うのだった……。


 なんで貧しい従者が伯爵家の令嬢に奢ってやらねばならないのかと理不尽な気持ちにもなるが、楽しそうにしているカチェを見ていると文句も湧いてこない。

 三人で立ち食いする。


「立ったまま食べるのね?」

「そうです。庶民や兵士はよくやります」

「こんなお肉、食べたことない!」

「ただの串焼きです」

「熱くて美味しいわっ! 塩辛くて好みよ」


 労働者の食べ物でもあるから、味付けは濃くしてあるのだった。

 カチェは喜色あらわに、物凄く美味しそうに食べた。


 アベルはその様子を浮浪児たちが見つめているのに気が付いた。

 四人いる。

 みな、五歳とか六歳ぐらいに見えた。

 親がいる場合もあるけれど、孤児のこともある。


 アベルの核にいる男は思う。

 全員は助けられなくても、一人だけでも助けるべきなのだろうか。

 いずれにせよ今の自分では一人助けることもできない……。

 どうすればいいか。

 会社でも作って、雇うとかなのだろうか?


 それは一つの目標かもしれない。

 騎士になって、治療院を開いて、やがて企業を興す。

 そういうのも、いいかもしれない……。


 そんなことをぼんやりと考えていた。

 だが、現実を考えるとかなり難しいかもしれない。

 未来は全く不明で、とりあえず今はイースの側で働き続けるしかなかった。

 

 カチェのストレスを出しておく機会かと思い、ついでに街を巡る。

 お城の周りは有力な商家とか、大きな邸宅が多い。

 それから処刑場にもなった広場。その周辺は雑多な商店街。

 商店街よりさらに外れの方が住宅地や職人の工房。あるいは倉庫など。

 やがて、街をぐるりと囲む低い壁に行きつく。


 街を守る壁は城壁と違って、梯子などを使えば乗り越えられる程度のものだ。

 それでも無いよりはあった方が治安に、かなりの差があるはずだった。


 大通りでは色々な人間が歩いている。

 商人、兵士、傭兵、市民、労働者風、浮浪者、それから何をしているのか分からない風体の人……。

 まだちょっと暑い季節だから、薄着の者が多い。

 皇帝国は広いので、ずっと遠いところから来た人もいるだろうし、亜人界に住んでいる人間族の者も中にはいるはずだ。


 辻で演説をしている男がいた。

 アベルが耳を傾けると、内容は経済に関することらしい。


「……それゆえ、税を領主が取り立て、自由に使うというのは、非貴族階級にとって不公平なのであります! 今こそ求められるのは税金の使い道を非貴族階級であっても議論できる予算議会なのであります!」


 まだ若い、二十五歳ぐらいの痩せた青年が訴えているのは、税金に関することだった。

 貴族が徴税して、貴族のために金を使う。

 端的にいえば、これがこの世界の人間族の社会制度だ。

 税金を納める側にとって現在の制度は不満であろうし、当然、反感を持っている人たちも多い。


 公然と現在の貴族制度を批判すると、激しい弾圧を受けるため、あんな風に堂々と主張するのはさすがに珍しい。

 だが、反貴族の考えを持つ人々は確実に存在していた。

 街ゆく者の多くは青年の主張を無視しているが、数人は足を止めて聞き入っていた。


 カチェは鸚鵡おうむのような美しい羽根を持つ鳥を数十羽と売っている店に夢中で、演説は全く聞いていない。

 おそらく、聞いたとしても意味を理解しないだろう。

 大部分の貴族は皇帝国を成り立たせるために戦争をしたり行政を担っているという誇りや自負がある。

 よって貴族に特権があるのは、ごく当然であると疑問すら持っていない。

 アベルの核にいる男は思う。


――資本主義や自由競争で人間社会がユートピアになるわけじゃない。

  ところが……別の凄い解決法があるでもなし。

  世の中から苦痛を取り去る理想は、現実にならない。

  たとえば労働時間ならば、この世界のほうがよほど短い。

  夜は暗くて作業どころじゃないから寝るしかない。

  とてもじゃないが技術革新や社会改革などやる気にならない。

  今は、この世界の枠内で暮らしてみよう……。



 さすがに戻りが遅くなると問題になるので、アベルたちは城に帰る。

 カチェはすっかり上機嫌だった。

 帰り道も、串焼きが美味かったとか、露店の安物の耳飾りが綺麗だったとか、そういうことを楽しそうに話してくる。


 ちなみにカチェはイースと武器屋以外ではほとんど会話をしなかった。

 イースは武器ぐらいしか話題の種が無かったからだ。

 一度、装身具についてカチェが質問したけれど、イースは知識がなくて何のことか理解できなかった。


 城外門から中に入り、本城の前で別れようとした時だ。

 カチェが聞いて来た。


「アベル。そういえば貴方はどんな所に住んでいるの?」

「城の西側の壁の谷間です」

「た、谷間?」


 カチェはその説明で興味を持ってしまったらしい。

 紫の瞳が興味で輝かんばかりだ。


「なにそれっ! 見てみたい!」


 この際だから良い機会かとアベルは考える。

 イースがどれほど不当に低く扱われているのか分からせたい……。


 外壁の近く、日当たりの悪い陰気な建物に案内した。

 痛みが見て取れる石造りの住処。

 二階建てなのだが、使えるのは一室のみ。

 まったく下等な倉庫と言ってもよく、仮にも騎士の住処とは思えない。

 カチェは黙って見ている。

 入り口では、ワルトが毛布の上に寝そべっていた。

 こちらに気が付き、嬉しそうに起きた。


「おかえりなさいだっち!」


 ギシギシと音を立てる廊下の先。

 扉の鍵を開ける。


「ここですよ……」

「狭い! アベル、こんなところに住んでいるの?」

「僕とイース様、ですよ」

「えっ? イースと二人でこの部屋に!?」


 カチェは目を見開いた。

 首を振って、信じられないという顔をする。


「だって、その。イースだって仮にも女でしょう?」

「騎士と従者の関係です。清い主従関係なのです。疚しいことはないです」


 無いはずだ、アベルは自分を強引に納得させる。

 ちょっと裸を見るだけだ。

 触ってないから、セーフなんだ……。


「ちょっとイース。あなた平気なの?」

「何も問題はありません」

「アベルに襲われたらどうするの」

「アベルは私を襲ったりしないでしょう」

「分からないわよ?」


 イースは表情を変えずに言った。


「その襲うというのは、性交のことですか」


 カチェが顔を赤くさせて黙った。

 恥ずかしいのだったら聞くなよとアベルは内心思うが口にはしない。


「アベルは体も大きくて性格も大人ですが、そうしたことはしないはずです。それに下手に触ってきたら殴ります」

「あ……そ、そうね。考えてみればイースのほうが、ずっと強いのでした。わたくし、忘れていましたわ」


 アベルは思わず拳を握りしめる。

 強い調子で力説してしまった。


「それが大事なことなんです。それを忘れて触ると大変なことになるのです! 恐ろしいのですっ!」


 アベルの気迫でカチェは何か納得したらしく、ひとしきり狭い部屋を見物すると、気が済んで本城に帰ってくれる運びとなった。

 一応、本城門のところまで見送った。

 カチェが普段は鋭い紫の瞳を、いつになく柔和にさせて言った。


「アベル。今日はなかなか楽しかったです。わたくし、こういう日が好きだわ。また、外を見物しましょう」


 朝から拷問、処刑、商店の冷やかし、立ち食い、見物などなど……そりゃあ、さぞかし楽しかっただろうとアベルは思う。

 言わないで黙っていたけれど……。




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