第4話  修行の成果

 





 この世界にも四季はあった。 

 夏は畑に野菜や果物が余るほど実った。

 母親アイラは、そうした作物を美味しく料理して食べさせてくれた。

 様々な季節の味を知った。


 秋は冬が来るまでに収穫を終えなくてはならない農繁期だ。

 穀物の収穫と脱穀で農民たちは毎日、朝から夕方まで働く。

 住民だけでは手が足りないので季節労働者がどこからともなく集められてくる。


 収穫物は税を払った後、自分たちが食べる分は残して他は生活雑貨や貨幣に換えるらしい。

 アベルは農家の細かい内情までは知らない。


 冬が来ると一転、農家にとっては閑散期となる。

 貧しい小作の家では出稼ぎに行くこともあるらしい。

 余裕のあるアベルの家では、もちろんそういうことはない。


 アベルは家で辞書を読んでいた。

 意味の分からない所、知らない単語は後回しにして、とりあえず読み進めていく。

 もう言葉も上達して、日常会話に難はない。


 ここのところアベルは自らの記憶力の良さに酔いしれていた。

 ざっと読み流しても、だいたいのことは頭に入る。

 しかも、忘れない。

 これは子供の脳だからというわけではないと思う。

 血筋だ。


 もうこれだけで十分に恵まれていると、幸福な気持ちになる。

 頭の良い人間はどこまでも優秀になっていく理屈が分かった。


 手早く理解が進むと、次の段階をも習得しやすくなるのだ。

 加速感に似ている。これが記憶力や理解力が低いと憶えても忘れてしまうし、消化不良のまま次の工程に進んで、なお意味不明に迷い込む……というわけだ。




 今日、ウォルターとアイラは出かけていて不在だった。

 身動きがとれないほどの重症者へ往診に出かけている。

 アベルは家でお留守番だった。

 朝から昼までぶっ続けで読書と書き取りをやったので、午後はさすがに気怠くなった。


 なんとなくウォルターの部屋に入ってみる。

 父親の部屋は、なかば物置のような状態だった。

 荷物は鍵のついた大箱がいくつか並んでいるだけ。

 それから夏服、冬服が数着ずつ。

 父親は医者だけあって医学書のようなものも十数冊ほどある。


 次にアイラの部屋。

 こちらも似たり寄ったりだが、夫婦用の大きな寝台と女性の必需品である化粧台がある。

 普段、アイラは化粧などしないけれども。

 化粧台に鏡が嵌め込まれている。この家で唯一の鏡だ。


 アベルは鏡に映った自らの面相を見る。

 くすんだ金髪は軽やかだった。

 初々しい唇、かわいらしい鼻、柔らかい頬。

 ウォルターもアイラも美男美女だけあって幼いながら、かなり整った顔をしていた。


 しかし、群青色をした瞳の奥には疑り深い、用心に満ち満ちた、子供らしからぬ異様な気配が宿っていた。

 気のせいなどではない。


 アベルの核にいる男。

 無残な、失われていくだけの人生を送った男。

 何も創れず、誰からも愛されず、誰も愛せなかった男……。

 眼だけ見ていると、アベルは子供などではなかった。


 破れて餓えた畜生がそこにいた。




~~~~~~~~~




 アベルは突然、鳴り響いた音に驚く。

 扉を乱雑に叩く音がする。

 来客だろうか。

 

 椅子を引き摺るようにして扉へ行く。

 その上に乗って、覗き窓を開いた。

 そこにはシャーレの母親ドロテアがいた。

 何か酷く憔悴した表情。

 他にも誰かの気配がある。


「アベルお坊ちゃん! ウォルター様は?!」


 慌てた声に急かされてアベルは鍵を外して扉を開けた。


「ドロテアさん。父上と母上は診療に出かけています」

「診療ですって! どこに!」

「知りません」


 そこには見慣れない髭面の男もいる。シャーレの父親アンガスだ。

 彼は娘を抱きかかえている。

 シャーレの手首に布が巻かれているが、その布が血で真っ赤になっていた。

 全身から力が抜けて目も虚ろだった。


「シャーレ、怪我したのか!」


 呼びかけても反応はない。

 美しいエメラルド色の瞳は何も見ていなかった。

 アベルは本気で心配になった。


 誰に対しても本能的に心を閉ざすアベルの核にいる男だが、シャーレの無垢な愛らしさに、やや親しみのようなものを感じていた。

 ドロテアが説明してくれた。


「大鎌を乗せて走っていた馬車がいたの。でも、鎌の刃が外に飛び出していて、それがシャーレの腕に引っかかったのよ」

「顔色が真っ青だよ。意識がない……」

「そうなの。出血は止まらないし、傷は深いし、すぐに治癒魔法で塞がないと危ないの! このままじゃ……」


 ドロテアは普段から看護婦として働いているぐらいだから、傷の見立ては確かなはずだった。

 アンガスとドロテアが相談を始めるが、どこに行ったのか分からないではやりようがない。取りあえず待とうという結論になる。

 とりあえず一行を家に招く。

 シャーレは長椅子の上に寝かせた。


 心配になったアベルはシャーレの脈を診てみる。

 弱くて速い脈だった。

 冷や汗が額に浮かんでいた。

 何か譫言を口にしている。


 大量出血で内臓から血が失われている症状だった。

 アベルは手段を考えてみる。

 とにかく出血だけは止めたい。

 だが、これより強く腕を縛ってしまうと手首より上にダメージを及ぼすことになる。

 状況は非常に悪かった。


――このままではシャーレが死んでしまう?  

  それなら、いちかばちか、やってみるか。 

  どうせ失うものは何もないぞ!

 

 アベルは深呼吸をして精神を統一する。

 体内の魔力を高める。

 力の渦が回転しながら高まっていく感覚があった。


 たしかウォルターは手に魔力を集中させていた。

 アベルもそれに倣う。掌に魔力が集中していく。

 ジリジリと熱くなっていく。


 治癒の場合、相手の体に作用を及ぼすようイメージしなくてはならない。

 誰かに教わったわけではないが、直感がそう告げていた。

 シャーレの呼吸は浅くなっていく。

 このままでは死ぬかもしれない。

 心からの願い。

 助けてやりたいという激しい欲求。


 掌が、ぼわっと淡く光った。


「ドロテアさん、止血を解いて」


 ドロテアは驚きつつも手首の布を外した。

 運悪く動脈が縦に裂けるような傷だった。それで一気に大量出血したのだろう。

 傷口に靄のような光を翳す。

 まずはDNAや細胞をイメージする。

 それから血管が形をとり、傷が塞がる工程を強く念じた。


 裂けた血管が、まるでミミズのようなピンク色の管状に戻っていく。

 血管の上を覆う肉と皮下脂肪が再生していき、見る見るうちに皮膚が傷を覆い尽くした。

 

 アベルは全身に大量の汗を掻く。

 激しい運動をした直後のように呼吸が荒く乱れる。

 興奮と手ごたえ。


「成功したのかな……」

「信じられない。本当に治癒魔法なの!」


 ドロテアとアンガスが驚愕の声を上げた。


「どうかな? 傷は塞がっているけれど出血が酷すぎるかも。もう一回やっておこう」


――血液ってどこで作られるのだっけ? 


 アベルは前世の知識を思い出す。

 たしか、骨髄とかに造血細胞とかいうのがあったはずだ。腎臓は血液をキレイにする臓器だったような気がする。

 良く分からないから内臓全体に活力が行き渡るようなイメージを持ってみる。


 シャーレの服を、はだけさせた。

 白いお腹が剥き出しになる。

 まだ、ほんの子供なのに、それでも妙な艶めかしさがあった。


 掌に魔力を集めると、再び白い光が発生する。

 そのまま、お腹に当てた。

 それがどれだけ効果があったのか明確ではないが、シャーレの脈や呼吸が落ち着いてきた。

 顔色がはっきり良くなっている。


「アベルお坊ちゃん! ありがとうございますっ」


 アンガスとドロテアは泣くほど感謝していた。

 アベルは妙な気分になる。

 人を助けるのも悪い気はしないもんだな。そんな感想だけがある。


 それなりの疲労感があるアベルは椅子に座って休んでいると、しばらくしてウォルターとアイラが帰って来た。


「ウォルター様!」


 ドロテアが興奮気味に事情を話す。

 ウォルターが信じられないという顔でアベルを見ていた。


「アベル。本当に治癒魔法を使えたのか?」

「そうみたいです。父上」

「詠唱はどうした。しなかったのか」

「あれ、なに言っているのか良くわからないから、していません」

「そりゃそうだよ。詠唱というのは、それぞれの魔術門閥が秘密にしている隠語なのだから、分からないようにやっているんだ。おれも八歳の時、偶然で自分に治癒魔術の才能があるのを発見した。でも、アベルはまだ四歳だぞ」

「父上の魔法を近くで見ていたから、自分でも使いたいとずっと思っていました」


 アイラが嬉しそうにアベルを抱きしめた。

 大きくて柔らかい胸が顔を圧迫する。


「わっぷっ」

「さすがは私とウォルターの息子だよっ。きっと世の役に立つ立派な人になるね」





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