第5話 四季
冬が来た。
空から綿埃のような細かい雪が降ってくる。
収穫を終えた畑は畝だけになっていたが、やがて雪に埋まり、見えるものは白い平面ばかりとなった。
アベルは最近、自分の住む国が皇帝国という名称であることを知った。
政治形態は皇帝による封建制度である。
皇帝国のハイワンド伯爵領、テナナ集落。
それがこの地の名称だった。
テナナ集落で魔法治療院を営んでいるのが父親のウォルター・レイ。
その妻がアイラ・レイ。
そして、長男アベル・レイ。
レイ家の一人息子アベル、というわけだ。
アベルはちょっとした有名人になってしまった。
わずか五歳で治癒魔法を発現させた早熟児というわけだった。
注目されるのは苦手なのでアベル自身は嫌でたまらないのだが……。
冬季は比較的、患者の減る時期であった。
季節的に肉体労働である農作業や伐採作業が減るため、怪我人が少なくなる。
風邪や体調不良は薬草治療を試みるのが普通で、わざわざウォルターの魔法までも望む者はいない。
それに魔法による治療は怪我には有効なのだが風邪などに効果が薄いらしい。
アベルは不思議に思って理由を聞いたことがある。
「治癒魔法は喉の痛みや咳にも効くには効くが、完治しない。だから、薬草を飲んで寝ている方がずっと安上がりだ」
そういう答えだった。
アベルは今のところ、こういう仮説を立てていた。
治癒魔法は魔力を使って、傷ついた細胞を再生させることはできる。
しかし、肺や鼻腔で繁殖したウイルスを完全に殺すような効果はないのではないか。
もしくは、風邪の正体は細菌やカビ、ウイルスが原因なのを理解していないため、それら病原菌を殺す魔法を開発できていないのではないか……というものだった。
真相は分からない。免疫とかに関係しているかもしれない。
確かめるにしても、顕微鏡などの設備を自力で開発したうえ、長い研究をしなくてはならないだろう。
そういう想像をしたとき、アベルは思わず首を傾げてしまう。
――俺って、ここで何をするべきなんだ。
ということだった。
前世の知識を利用して、この世界の魔法医学に変革をもたらす……そんなことを考えるだけで虚しくなってくる。
社会改善なんかしたくない。
改革思想など真っ平御免だ、ということに尽きた。
皇帝による専制君主政治と封建社会を変えるような能力が自分に僅かでも備わっているなどとは毛ほども思っていなかった。
郷に入れば郷に従え、という。
この世界なりの合理性や成り立ちがあるのだ。
それを壊すことに情熱など湧きようもない……。
~~~~~~
冬も深まり外は吹雪になってきた。
悪天候のせいか珍しく患者が一人も来ない。
こんなことは滅多にないのだが、ウォルターが昼間から茶を飲んで寛いでいた。
そこでアベルは魔法について聞いてみる。
「父上。今日は魔術について色々、教えてもらいたいのですが」
「よし。いいだろう。ちょっと早い気もするけどな」
「大丈夫よ。アベルは才能があるみたいだから。早い方がいいわ」
アイラは薬草の仕分けをしながら、楽しそうに言うのだった。
だが、自分に才能などあるのかとアベルは疑問に思う。
「ふーむ。まず基本的なことなんだが、魔術には大別して火魔術、水魔術、気象魔術、鉱物魔術、治癒魔術がある。
独学で高度な魔法が使えるようになる者など、稀に現れる天才以外にはいない。普通は親に習うか魔術門閥で教えてもらう」
「門閥……」
ウォルターが頷いた。
「そうだ。おれは治癒魔術ヴェルギウス門閥に属している。それから火魔術はトート門閥で習った。一口に治癒魔術と言っても別の治癒門閥にはそこのやりかたがあるわけだ。門閥の壁は高いぞ。徹底した秘密主義なんだ」
「複雑です……」
「そうなんだよ。これは時間をかけて理解しろ。ちなみにどの魔術も初心者は第一階梯という。第五階梯で上級者。第八階梯は大師。第十階梯で至達者と呼ばれる。それ以上の人もいたらしいが、とても少ないので今は教えない」
アベルは一番、気になっていることを聞いた。
「魔法は誰でも使えますか」
「いいや。魔法は生まれついての才能だ。やればできるってものじゃない。例えばアイラは魔法を使えない。けれど、魔力や魔素を感じ取る感覚は持っているし、体内の魔力を自らの肉体強化に用いることはできる。だが、それは魔法とは呼ばない。武術というのだ」
「えっ。母上、そんなことが出来たのですか」
アイラが自信ありげに笑顔で頷く。
「そうよ。お母さん、強いんだから」
「そもそも、魔力や魔素を感覚的に捉えられる人間は百人中四十人程度と言われている。そして、体内から湧く魔力があったとしても、第一階梯か第二階梯ぐらいの初級魔術を扱えるっていうのが大多数だ。どの魔術分野でも第六階梯まで操れるのは僅かになる。特に治癒魔術は使い手が少ない」
「治癒魔術を使えるのはそんなに僅かなのですか?」
「そうだなぁ。おれの人生経験でいえば、多少なりとも魔法が使える人間だけを集めて、十人に一人ぐらいかな」
「貴重な使い手なんですね」
「まあ、そういうことだ。それに実用的な魔法だから。戦争とかでも重宝するからな……。それがいいってわけじゃねぇけど」
「そうなんですか?」
「ああ。その内にわかるさ……」
ウォルターは眉を動かして憂いのある表情をした。
アベルは何か言い難いことを父親が抱えているのを察したが、黙っていることにした。
まだ、しばらくは子供で通さなくてはならない。
大人の世界の機微を知り尽くしたような会話をすると、変に思われそうだというのが理由だ。
もっとも、すでに両親はアベルを難解な言葉でも直ぐに理解した賢い子と認識して、子供扱いせずに難しいことを教えていく方針を持っているようだが。
冬の間は、そうして両親と多くの時間を過ごしながら魔法の習得を進め、母親アイラからも剣術を習った。
火魔術や水魔術の第一階梯は簡単に身についた。
アイラは言う。
「アベル。私はアララト山脈に住む狩猟民族の生まれなのさ。五歳の頃には狩りの手伝いをしたものよ。私の実家は動物や魔獣を狩り、山で薬草を採取して生計を立てていた。薬師の知識はだいたいそのとき身につけたわね」
「辛そうな生活です。獣なんて怖くて嫌いだ」
「そうだねぇ。動物も魔獣も、あれで下手な人間より賢いときがあるからね。逆にこっちが狩られることもあるさ。だけど、それが楽しいんじゃないか」
「ぼくには分かりません」
「そっか……。来年はアベルも六歳になるからね。そうしたらみんなで、狩りにいこうっ!! やってみりゃ、面白さも分かるわよっ」
アイラはそう言い、瞳を輝かせて明るく笑った。
そして、魔獣に負けないために鍛錬は欠かさず毎日やるようにと言う。
剣の稽古といっても、まだ五歳のアベルに出来ることなど限られている。
身の丈に合った木剣を渡されて、それを藁束にひたすら叩きつけるのだ。
面白くもない単調な運動である。
しかし、アベルの体は軽い。
疲労はするが、むしろ心地よい感覚がある。
身体の能力も生まれついて良いのかもしれない。
それに手にマメが出来て、やがて皮がペロッと剥けて嫌な痛みがジクジクと広がるようなことがあっても、治癒魔法を自らに施せば一瞬で再生してしまう。
「これで充分に凄いだろ」
すっかり傷が治った手を見て、そんな呟きをアベルは漏らした。
日々は過ぎていく。
ときどきドロテアがやってきては、アイラと一緒に薬を石臼で挽いたり煎じたりの作業をこなしていった。
天気が悪ければ、アベルはひたすら家の中でじっとしていることになる。
それはそれで字の練習をするのにはもってこいであった。
今日は隣にシャーレがいる。
シャーレは怪我の件以来、アベルにべったりの状態だった。
今も本を読んでいるアベルに体を寄せていた。
読んでほしいとせがまれたので一日中、一緒に朗読していたこともあった。
シャーレは昼寝の習慣があって共に昼食を摂ると、たいていは寝てしまう。
アベルの肩に寄りかかって眠るシャーレは、なんだか子犬のようで可愛かった。
そういえばと、アベルは思う。
前世では大人になってから子供と接する機会なんかゼロだった。
親戚は皆無、もちろん実子などいなかった。
つくづく妙な気分だが、悪い感じはしなかった……。
やがて積雪はアベルの身長と同じぐらいにまでなった。
こうなると屋根の雪下ろしが必要となる。
アベルは両親と一緒に作業をする。
「父上。あの水をお湯にする魔法で雪は溶かせられないのですか」
「できるがやらない。理由は二つ。加熱の魔法で屋根の雪を全て溶かそうとすれば、おれは魔力を無駄に消耗してしまう。もし急患が来たら対処できなくなってしまう。第二に、加熱の魔法を使うと時間がかかってしまう。手でやった方が早い」
「もっと強力な魔法ではどうですか?」
「ふふっ。魔法にこだわるな。雪も溶けるが家も燃えてしまうよ。魔法は強力だが、使いどころが難しいものだ」
「そういえば、父上は火魔術や水魔術を使えるのに、家ではあまり使わないです。魔力を消耗しないためだったんですか」
「そうさ。治癒魔術を売り物にしているのだ。表芸に徹するべきだろう」
体内の魔力は食べて寝れば、だいたい回復しているものだが、強力な魔法を連発していると魔力の枯渇を起こす。
そうすると魔法は発動しないし、術者は精神的にも肉体的にも疲労しきった状態となる。
身動きがとれないほど消耗するわけにはいかないので、ウォルターは常に魔力の分配に注意を払っているわけだった。
「雪はまだまだ降るのかなぁ?」
「いや、この辺りにしては大雪だ。たぶんこれが峠だろう。あと一月もしたら春が来るさ」
「私の村があったアララト山脈の雪に比べれば、こんな積雪は薄絹のベールみたいなものね。さっさと雪下ろしなんか終わらせて食事にしましょう」
家族三人でやれば、屋根の雪かきもさほど苦労なく終えられた。
その日の午後。アベルが魔力を体内で蠢かす、いつもの自己流の鍛錬を終えて、次は木剣の修行をしていたときのことだ。
「おまえ、なにやってんだよ」
やって来るなり言うのは、六歳ぐらいの男の子だ。
茶色の髪の毛。瞳も同じ色をしている。顔は、可愛いとは言い難い。
ジャガイモを少し整えた程度の、ふてぶてしい顔をしていた。
「剣の修行だよ」
「けぇん? おまえみたいなガキがなんでそんなのやってんだよ!」
随分、生意気な口調だ。
さすがにアベルはちょっと腹が立つ。
「お前もガキだろ。笑わせるなよ」
「……なんかおまえ、おとなみたいなしゃべりかたするのな。へんだぜ」
「お前、どこの子だ?」
ジャガイモが、意地悪そうな顔つきになった。
「おれはそんちょうのこなんだぞ。おやじはえらいんだぞ」
「ああ、そうかい。おれの親も偉いんだよ。治癒魔術って知っているか? それで怪我をした人を治している」
「おれのほうがえらいんだっ」
「今から親の七光りが頼りかよ。ろくな大人にならないな」
馬鹿にされているのは分かっているらしく、怒りの顔になった。
「うるせぇ」
ジャガイモが走ってきて足蹴りを仕掛けて来た。
アベルは横っ飛びで避けると、水魔法の結晶化で雪を硬化させて気象魔法の初歩、突風で撃ち出す。威力は最弱にしてある。
しかし、それでも石と変わらないぐらい硬くなった雪玉が少年の額に命中すると、ぶっ倒れた。
それから「ぶええぇぇぇえんん」と泣きだすや、雪まみれになりながら悶えだした。
「……あーあ。悪かった悪かった。泣くなよ。威力は落としたぞ」
「なにしだんだよおぉぉ、おまえ゛えぇぇ」
「魔法だよ。馬鹿ガキ」
「あやまるからゆるじでよおぉぉぉ」
呆気ない降服にアベルは思わず笑ってしまった。
――そうだ。子供なんかこんなものだっけ……。
「やりすぎたか。悪かったな。魔法で治してやるよ。で、お前、名前はなんて言うんだ」
「リックだよぉ。そんちょうのごなんだよぉ」
「五男かぁ……。村長は分かったから。治ったら帰んな、ぼくちゃん」
その日はそれで姿を消したリックだったが、次の日も来た。
どういうつもりか木の棒を持っていて、アベルと同じように素振りの真似をしていく。
邪魔だったが、追い払うのも可哀そうだったので放っておいた。
~~~~~~~~~
四季は移り変わっていく。
春、休耕地には色鮮やかな花が咲き乱れた。
いまだ身長の低いアベルの視野から、花畑は果てしなく続いているように見えた。
濃密に漂う香りと相まって、まるで現実とは思えない光景だった。
戯れに、シャーレのための花冠を作ってやるとする。
繊細な色彩をした黄や青の花々を摘み、ちょうどよい輪に編み上げていく。
ただそれだけの事をシャーレは感動の面持ちで見詰めている。
やがて出来上がった花冠を頭に被せてやると、飛びっきりの笑顔になってくれた。
そうした幼な子の純真な姿はアベルの核にいる男を、むしろ怯ませた。
劣等感や敗北、人生の苦痛を知らない魂がそこにある。
いずれ多くの者が取り返しのつかない目に遭い、あるいは自分のようなバラバラに引き裂かれた人生を這いずるように送ることになる。
知らないということの幸福。
無知の美しさは、やたらと心に焼け付くものだった。
「アベル、つらそうな顔してる」
「何でもないよ……」
「うそ。おなかいたいの?」
「胸の奥が痛いんだ。もう治らない。……たぶんね」
アベルは無理やり笑顔を作った。
花の環を頭に乗せたシャーレは困った表情を浮かべる。
「アベルは、わたしをなおせるのに、じぶんでじぶんをなおせないの?」
「誰にも治せない傷があるんだよ」
多くの者がそういう傷を持つことになるんだ……と密かに付け加えておく。
するとシャーレが小さな掌でアベルの胸を撫でてくる。
「いたいのなおった?」
あどけない瞳が心の中を覗き込んでくるようだった。
何か答えようとして、だが何も答えられず沈黙していると不意に春風が吹き、野に咲く花々が飛び散る。
アベルの視界は花吹雪に覆われた。
夏、アベルは六歳になった。
誕生日にはお祝いをしてもらった。
いつもより豪華な料理。
香ばしい匂いを立てる鳥の丸焼き。分厚い豚の煮物もある。
それから苺のジャムが入ったパイ。
アベルが驚いて砂糖なんてあるのかと問えば、苦すぎる薬に混ぜて使う高級品として少々の備蓄があると教えてもらった。
高価なのでウォルターのような余裕のある者でもそうそう買えるものではないらしい。
夏が終わり秋も深まってきた、ある日のことだった。
仕事を終えたウォルターが家族と食事をしていると、来客がある。
馬に乗ってやってきた男は軽装ながら鎧を装着し、腰には帯剣までしていた。
アベルはその見慣れない、まさに戦うための装備に驚く。
「
使者の男は聞き届けよと言いつつも、蜜蝋で封印してある命令書を渡してきた。
読み上げることはないようだ。前口上は形式的なものらしい。
それよりもアベルは唖然とする。
――準騎士ってなんだ? ウォルターはナイト様だったの?
「使者殿。任務、ご苦労様です。命令書、確かに受け取りました」
ウォルターは封蝋を手で剥いた。
素早く文面に目を通したうえで声に出して読んだ。
「準騎士ウォルター・レイ殿においては速やかに騎士イース・アーク殿と合流し、我が領地はモンドーア地域において出没する魔獣を討伐せよ」
「ご下命、了解したか?」
「謹んで拝命いたします」
「では、急ぎの件にて明日の朝より出立されたい。イース・アーク殿はモンドーア地域のカイザンという町に住んでおられる。なお、任務の進捗は拙者、騎士フォレス・ウッドが見届ける」
「心得た。ちなみに魔獣の種類などはご存知か」
「詳しい状況は分からない。聞いた話しではゴブリンが二十匹以上はいるとか。現地に近いイース・アーク殿に仔細、聞くがよろしかろう」
「その程度なら騎士二人で対処できることでしょう」
納得の表情でフォレスは頷いた。
「むろん拙者も援護する」
「取り合えず私は患者の治療がありますので、出来るだけ急ぎ準備をします。フォレス殿。今宵の宿はいかがするか。テナナ集落に宿屋はありません。こうした場合、村長の家か、この私の家か、どちらかに宿泊する慣例にて」
「どちらでもよいのだが、ここのほうが便利そうだな」
「わかりました。客間があるので、そちらでお休みください。明日、日の出と同時に出発しましょう」
「そうしよう。それと、すまないが飼葉や馬の手入れ道具も用意してもらえないだろうか」
ウォルターが診療所の方へフォレスを導いていった。
客間というのは気分が悪くなった患者を寝かすベッドのある部屋のことらしかった。
アイラが手早くスープとパン、塩漬け肉を用意した。
気を利かせてフォレスに食事を渡すのだろう。
医者としての仕事を手早く終えたウォルターは村長から馬二頭を借り受けると自宅に戻ってきた。
それから自室の大箱から旅に使う道具一式を取り出して、居間に持ってくる。
「父上。こんなものが家にあったのですか」
「おれは治療院をやる前は冒険者をやっていた」
アベルの知らない新事実だった。
「冒険者……冒険をする人ってことですか?」
「ああ。洞穴や古代遺跡から宝石や遺物を獲ってきたり、魔獣や山賊と戦ったりな。冒険者ってのは中には良い奴もいるが概ねは一癖ある食えない奴らさ。要はあっちこっちを放浪して何でもやるわけだ。
まぁ、自分で言うのも何だが山師、詐欺師、騎士崩れの吹き溜まりかな」
アイラもまた、どこからか鎧、弓矢、それに刀を持ってきた。
「ええっ。母上も行くんですか」
「当たり前だよ。というかアベルも行くんだよ」
「僕も?!」
アイラはにっこり笑って言った。
「楽しい狩りの時間だよぉ」
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