第3話  家族

 



 翌日、アベルは日の出と共に目が醒める。

 初めての朝。

 すべて夢でした……なんてことはなかった。

 右にウォルター。左にアイラが寝ていた。


 小鳥の囀りが賑やかに聞こえる。

 アベルが起き上がると両親も同時に目覚めた。

 両親が素早く木戸を開け放つ。

 外はまだ薄暗かった。


 柔らかい曙光が薄絹のように空を染めていた。

 この家は周囲より一段、小高い地形に建っているから眺めがいい。


 二つの大きな月が、朝と夜の境界的な様相を呈している空で幻想的に輝いていた。


 異世界だなぁ……。

 アベルの核にいる男はそう思うほかなかった。


 朝食は昨晩の残りのスープを温め直して、すでに捏ねてあるパンを焼くことから始まる。

 どこからともなく鶏の鳴く声が聞こえてきた。

 スープが湯気を立て、竈からは香ばしい小麦粉の焼ける匂いが漂ってきた。


 アベルは何となく食器の準備を手伝う。

 食卓は高いのでアベルの身長では椅子の上に乗らないと並べられなかったけれども。

 ウォルターがその様子を嬉しそうに見ている。


 ちょうど食事を済ましたころ、来客がある。

 やや慌てたような声が複数あった。

 ウォルターとアイラがほのぼのした雰囲気を、がらりと変えて対応する。

 緊迫感が漂った。


 アベルが木戸から外を見ると足や腕に酷い傷を負った男が担架のようなもので運ばれている。

 ウォルターが同じ敷地の中にある別棟に怪我人一行を案内する。

 アベルも付いていくと、その別棟には木の台があって、そこに怪我人を寝かせた。アイラが服を脱がしていく。


 傷はおそらく、動物とかにつけられたもののように見えた。

 ウォルターが例の魔法で傷を治す……が、全ての傷が治るわけではない。


 魔法によって小さい傷はある程度治るが、脛の一番大きな傷は水で洗って、そのままにしている。

 脛の傷は酷く、齧られたかのように欠損していた。

 アベルは、もしかすると猛獣によるものかもと想像した。


 やがて怪我人の四肢は革のベルトで固定された。

 ノコギリや鑿といった、およそ人の体を治すのに必要とは思えないような大工道具を取り出すと、素早く足の切断作業を開始した。


 ゴリゴリという骨の削られる音、叫び声。

 ベルトで拘束された男が血も凍るような呻きを上げる。

 拘束されていても激痛に悶えた患者が大暴れする。

 同伴者の大人たちが押さえつけた。


 アベルは気分が悪くなった。

 食べたばかりの朝食を吐きそうだ。

 仕事小屋を出て、庭で気持ちを落ち着ける。

 アベルはいくつか発見した。


 まず、父親ウォルターの職業は医者である。

 間違いない。

 ただし、魔法も使う医者だ。

 治療魔術家という言葉があるかは知らないが、とにかくそういうものだ。


 そして、治療魔術なんてすげえと思っていたが、程度が酷いと治せないらしい。

 あるいは複雑なローカルルールがありそうな気がする。

 例えば払える金の多寡によって魔法の種類が変わるとか。

 そうだとしたら相当、えげつない父親ということになるのだが。


 それから、わざわざ怪我人を何処からか運んできたということは、ウォルターのような魔法使いは、きっと少数なのだ。

 でなければ自分で自分を治したり、そこらの農夫に魔法を頼むことで済む。


 アベルはもっと気になることがある。

 父親が治療魔法を使ったとき、その体内から何か形容しがたい熱気というか、力の気配を感じた。 

 あれが魔力というものではないのか。


――自分でも使ってみたいな。


 アベルの単純な欲求。

 もし使えれば便利なこと、この上もない。

 アベルは腰掛けるのにちょうど良い石を見つけた。

 そこにちょこんと座る。


 魔力の使い方など分かろうはずもない。

 とりあえず自分の掌に意識を集中させた。

 すると自分の体内に前世、決して感じることない感覚を早くも掴んだ。


 必然ともいえた。

 前世で何十年もの時間、決して知りえなかった第六感というべき感覚が既に体の中に備わっている。

 それこそが魔力というべき力なのが嫌でも意識できる。


 腹のあたりに、うねる熱源的なものを感じた。

 それを意識して熱を加速するようなイメージを強く持った。


 熱はやがて全身に行きわたる。

 汗が玉のように浮いてくる。マラソンをした直後のように額から垂れてきた。

 時間にして二十分ぐらいだった気がする。

 集中力が切れて、もう限界という状態になってアベルは訓練を止めた。


 この訓練方法が正しいか分からない。しかし、続けなければならない確信があった。

 心地よい疲労感があったので、庭にあったベンチに横になる。

 時間帯としては、まだ朝だった。


 日の出とともに目覚めて、夜になればさっさと寝るというスタイルは、単純で分かりやすい。

 前世では夜明けとともに起床して出勤、部屋に帰って来られるのは真夜中なんて普通だった。


 この世界の文明レベルは低く見えるが、夜は休息が許されるのならこちらの方がよほど文化的ではないだろうか。


 もともと電灯だって、夜を有意義に過ごせるための発明でもあったはずだ。

 それが、寛ぐことも許されず真夜中まで働いてなければ生活できないとは奴隷以下だ。


 奴隷と言えば、この世界にも身分制度はあるだろうか?

 たぶんあるだろう。


 そうした社会制度を熟知しなくてはならない。

 そして、できるだけ早期に両親から離れよう。

 どうせ自分に家族など邪魔なだけである。

 できれば特技や手に職を持っておかないといけない。

 そう思えば、あの治療魔法など身に付けば素晴らしい。


 それから庭の散歩をしてみる。

 やたらと広く見えるが、自分の体が小さくなっていることも作用しているはずだった。


 青い菫に似た花が咲いている。

 菫の開花期は春なので、今はそういう時期なのだろうか。

 そもそも、この地域に四季はあるのだろうか……。


 アベルが可憐な紫の菫を見ていると、背後に気配を感じる。

 二十歳ぐらいの女性が一人の子供を連れている。

 患者だろうかと思っていると、女性が手を振って笑顔になった。

 知り合いのようだ。


 連れられていた子供はアベルと似たような年齢の女の子だった。

 大人の女性はずいぶん若く見えたが、直感的には女の子のお母さんにしか見えない。

 おそらく、この世界の女性の初婚年齢は二十歳ぐらいか、あるいはそれよりも低いのではと想像してみる。


「נעים להכיר、シャーレ、אנא אם אתה ילד טוב」


 女性は何事か喋るが、相変わらずアベルには意味が分からない。

 そういう事情を知る由もない女性はウォルターの仕事場へ歩いていく。

 少し時間をおいてから仕事場の扉を僅かに開けると、両親と先ほどの女性が忙しく働いていた。

 従業員かお手伝いさんといった雰囲気だ。


 アベルは自分の後をついてきた女の子に視線を合わせる。

 緑色のエメラルドを連想させる美しい瞳だった。

 目鼻も可愛らしく整っていた。

 髪は色素の薄い金髪のような感じ。


「綺麗な瞳だ……」


 女の子は首をかしげる。

 アベルは女の子を指さして「シャーレ?」と発音する。

 女の子は不思議そうにした後、頷いた。


 シャーレという名の女の子は言語学習に役立った。

 不審がることもなく、指さした物の名前を口にしてくれる。

 どうやら遊びの一環として理解してくれたらしい。


 昼ぐらいになっただろうか。

 アベルが、やや空腹を感じた頃。アイラが手招きをしている。シャーレと共に家の中に入ると料理が用意されてあった。

 平べったいパンの上に挽肉のようなものと野菜がのっている。

 サンドイッチみたいな料理だった。

 口にすると、やはり滋味豊かで美味かった。


 シャーレが笑顔で、ある言葉を口にする。

 アベルは顔を合わせて同じ言葉を口にした。


――美味しいって意味なんだな…。


 アベルは食事が楽しかった。

 味もいいが、そもそも誰かと共に食べることが、前世でほとんどなかった。

 食卓ってこういうものだったのか、と気づく。


 昼食にウォルターは姿を現さなかった。

 アイラも急いで食事を摂ると慌てて仕事に戻っていく。

 それもそのはずで診療所には早朝の急患を皮切りに、たくさんの人々がやってきた。

 しかし、最初の脛の大手術が大事だったらしく患者の処理が追い付かない。

 ついには行列ができてしまった。


 アベルは、こりゃ大変な家だなと感心半分、呆れ半分だった。

 とはいえ子供の自分に手伝えることなどない。

 午後もシャーレと言葉遊びに興じた。


 それから再度、魔力の訓練らしきこともやってみた。

 やはり体内に尋常ではないパワーの漲りを感じる。

 しかし、今はそれを具体的にどう形や現象にするか分からない。

 

 シャーレという女の子と他愛もない遊びを続けている内に時間が経過していく。

 アベルはいつしか空が黄金色や茜色に変化していくのを見て取った。

 夕焼けが実に美しい……。


 夕方になると仕事は終わりらしい。

 シャーレが母親と共に帰っていく。

 今日、アベルは仕事場を時々、覗き見たところ、お手伝いのおばさんらしき人がさらに二人も増えていた。


 両親の働きを見ていると、どうやらアイラは看護婦というよりも薬師のような役割をメインにしているらしかった。

 様々な薬草をその場で調合していた。


 治療の様子を観察していると、やはり父親は刃物で深めに切ったような傷は魔法で治療していたが、必要のないところについては薬草を塗りつけたりするのみだった。

 魔法はとっておき、というわけらしい。

 そして、魔法でも治せない傷があり、そういう場合は切断となる。


 仕事が終わると、まずウォルターは桶の水をお湯に変える。

 何か呪文の詠唱のようなことをしていた。

 お湯ができると、浸した布で自分の体を拭く。

 背中はアイラが丁寧に拭っていた。

 その深い情交を感じさせる様子は愛し合う夫婦、あるいは恋人そのものであった。


 アベルは本能的にひるむ。


 こんな一組の夫婦が持つ、心からの絆は前世、自分の家族で決して見ることができないものだった。

 その光景が美しければ美しいほど、もしかしたら偽物なのではと思い至るのである。

 汚泥のような感情が止めどもなく這い上がってきた。


 そんな葛藤を知る由もないアイラは息子を呼んだ。

 我が子の服を脱がすと、全身を拭う。

 アベルが夕方、ざっと調べたところこの家には風呂の設備がなかった。

 集落ではかなり別格に裕福そうなこの家屋ですら風呂がないとすれば、これは入浴など王様ぐらいの特権かと思う。


 夕食は卵と鶏肉の炒め物。

 麦粥。チーズ。

 肉と野菜の入った塩味のスープだった。

 アベルは両親が思いのほか多忙であるのを知ったので、この限られた団欒を学習の場として利用した。


 真面目に言葉や単語を習う。

 それから、物置のような部屋に二十冊ほどの本があったのも見つけたので、文字を教えるように仕種で伝えた。


 両親はそんなアベルを不思議そうに見るものの、すぐに木簡とインク、羽ペンを持ってきた。紙は希少なのかもしれない。


 木簡には全部で五十一の文字がすでに刻まれていた。

 母親が指さし、発音する。

 案外、するすると理解できた。

 それ以上、分解できない最少発音一つに対して一つの文字が割り当てられていた。濁音に対しては日本語と同じように点が付属することで字を構成していた。


 つまり、これは多少なりともこれまで使って来た前世の言葉の成り立ちに近いものがあるようだ。

 そういえば、日本語も五十音で成り立っている。

 数がほとんど同じだった。

 

 木簡には母音らしきものが五つ、別枠で刻まれていた。

 日本語で言うとアイウエオにあたる部分が、ア・ウ・イ・エ・オという順番と発音になっている。順番こそ違えども発音自体は近いのだ。


 それから数字も十進法が採用されている。

 これは予想通りだった。

 なにしろ両手指でちょうど十本なのだから、数字すら発明されていなかった時代にも十個という区切りは重要な意味を自然に持ったであろう。


 こちらの世界では一日の時間も十に区切られていた。

 日の出が1で夜明け前が10となる。

 一日の時間が前世の二十四時間とどれぐらい違うのかは不明だが、そう大差ない気がした。そして、一年は三百七十日と定められている。


 アベルは、こんな毎日が続いていき、一年、二年と時が過ぎていくのかなと想像してみる。

 独り立ちできる日は、いつになるだろうか。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る