第2話  父の背中

 





 アベルは興味深く景色を見た。

 道は舗装されていない。

 林を抜けると畑がある。

 麦に似た……というより大麦にしか見えない植物が広大な畑で栽培されていた。


 農民が働いている。鋤や鎌を持っていた。

 彼らはアベルたちに気が付くとお辞儀をしてきた。

 途中、三組の似たような人達に出会ったが、彼らは丁重に挨拶をしてくる。


 アベルは父親を見上げた。

 下穿きはズボンのような作りで麻らしき素材で編まれていた。

 薄緑色に染められている。

 上着は絹らしい。


 中指に金属が光る。金で作られた指輪をしていた。

 手首には銀の腕輪が嵌っている。腕時計ではない。

 足は革で作られたサンダルを履いていた。

 靴下はつけていない。

 服装はアベル本人も父親も似たような作りである。

 道すがら考える。


――本当に輪廻転生なんかあるんだな。

  あの傷を治す魔法。

  絶対に幻じゃない。

  それに言葉はほぼ理解不能だ……。


 自分の背格好から年齢は三、四歳ぐらい。

 地球人と同程度の人類なら、簡単な言葉ぐらい話し出す年齢だ。

 言葉が喋れなくなっていたら両親はさぞかし驚くことだろう。

 ましてや、意味の分からない言葉らしきものを連発したらどうなるか。

 間違いなく事態は悪くなる。

 ここは不審がられたとしても黙っていた方がいい。


 アベルの核にいる男はそんな風に考えたが、もっと根本的な問題があった。


――俺は家族や親というやつは大嫌いだ……。



 新しい父と母。家庭。

 まさにこれは自分に与えられた新たな地獄だ。

 そして、この父親らしき男。

 自分は、再び父親を殺すことになるのだろうか……。


 考えれば考えるほど冷たい気持ちになる。

 胃のあたりがグッと重たくなった。

 そうなるとアベルの歩みは疲れも相まって遅くなる。

 

 のろのろ足を動かしていると父親が目の前で背中を向けてしゃがんだ。

 始めは意図が分からなかったが、背負うという意味らしい。

 アベルは途惑いながら背中にしがみ付く。


 父親の背中……。


 アベルは思い出す。

 子供の頃、父親に背負ってもらったことなど一度もなかった。

 あいつは、小男だった。

 いつも酒に酔ってブツブツ文句ばかり言っていた。

 一緒に遊んだ記憶など全くない。


 肩にしがみつくと、父親は立ち上がった。

 突然、開けた視界。

 視線が高くなっただけだが、子供にとっては世界が一変する。

 保護者に体を預けるという味わったことのない感覚……。


 しばらくすると集落らしきところに到着した。

 建物は平屋建て、木造のものが多い。

 屋根は瓦を葺いているものと、藁ぶき屋根のものが大半だった。

 

 道は相変わらず舗装されていない。

 街灯の類もない。家々をよく観察すると文明の状態が見て取れた。

 窓ガラスというものが全くない。

 木戸があって、開けているか閉じているかのどちらか。


 扉には表札のようなものもある。

 見たことのない文字が書いてあった。

 文様のようなものが掲げられている家もあった。


 家は何軒あるだろうか。

 アベルは集落の様子から見当をつける。たぶん百軒ぐらいだ。

 一軒に五人が住んでいるとして人口約五百人。

 集落の周りにも農家が点在していた。

 

 ぐるっと周囲十キロぐらいで数千人ほどが住んでいるかもしれない。

 大都会を知っているアベルからは、とんでもないド田舎としか思えないが、この世界にとってはこれでもけっこう栄えているのかもしれない。


 やがて父親に背負われたまま一棟の家に着く。

 その家は周囲とは違って石造りである。

 屋根は丈夫そうな瓦で出来ていた。

 平屋建てなのは変わらないが、規模は倍ほどありそうだった。


 どうやら自分の家は裕福なのかもしれないと感じる。

 家に入ると靴は脱がずに奥へ進む。

 下駄箱がないから靴を脱ぐ文化ではないらしい。


 誰かが出てきた。若く美しい女だ。

 流れるような金髪は腰まである。

 瞳は青空色。

 目鼻が素晴らしく整っていた。

 肌は健康的な小麦色。

 張りがあって、瑞々しい。

 

 女優のような美しさだが、化粧っ気はない。

 木綿らしい白いワンピース風の服を着ていた。

 襟は開いたデザインで胸元から豊かな乳房の谷間が見えていた。


 その女性は一目で異常を感じ取ったらしい。

 小走りに寄ってきてアベルの破れた服を調べ、血が付いているのを認めると小さな悲鳴を上げた。

 それから慌てて背負われたアベルに話しかけて来る。


「זו היתה פגיעה איפשהו?」


 もちろん意味は分からないが、心配しているのは伝わってくる。

 おそらく母親だろう。

 父親はアベルを椅子に座らせると、何か相談をはじめた。

 黙ったままアベルは静かに座り続ける。


 することもないないので部屋を観察する。

 広さは八畳ぐらいか。

 木のテーブル。椅子が六脚。棚が一つ。

 食器などが収納されていた。


 当然、電気はないから電化製品など一つもない。

 皿一枚を見ても文化が伝わる。

 木の皿と、武骨な焼き締めのコップ。

 備前焼の風合いに似ていた。白磁の類は一つもない。

 これは父母の趣味なのか、それとも釉薬を掛けるような陶製技術がないのか……。


 その後、母親に服を脱がされる。

 崖から転落したとあって、服はそれなりに汚れていたし、裂けてもいた。

 父親が水を貯めた桶を持ってくると、なにやら呪文を唱える。


 目に見えない、しかし、それでいて何らかの存在感が蠢く気配を感じ取った。

 すると水から湯気が立ち始めた。


――魔法だ。すげえ! 

  どういう理論だろう? 

  俺もあれを使えるのだろうか……。


 母親は湯に白い清潔そうな布を浸すと、それを絞りアベルの体を拭き清める。全身を丁寧に手入れする様子には母親の愛情が籠っていた。


 アベルは困惑する。

 家族ってのは苦手だ……。

 こいつらだって、すぐに態度を変えるはずだ……。

 油断するな。

 俺の正体を知られてはならない。


 そんなことばかり考えた。


 服を着せ替えると、寝室らしい部屋に連れていかれる。

 清潔な布が敷かれたベッドがある。

 促されるままアベルは横になった。

 酷い疲労だった。

 あっという間に眠りに落下していく。


 体を揺さぶられて朝が来たことを理解した。

 笑顔を浮かべる母親がいた。

 アベルは寝床から身を起こして寝室を出る。居間のテーブルの上に器がいくつか置いてある。

 

 湯気を立てたスープが鍋に入れられていた。

 平べったいナンのようなものがある。

 別の木皿の上に何かの肉がのっている。芋と野菜もあった。

 アベルは料理が少なく盛られた席に座る。

 席に着いた両親が同じ発音の言葉を発した。


――たぶん今のが、いただきますってやつだろうな。


 アベルは、たどだとしく真似をする。

 両親が顔を見合わせて、にっこり笑った。

 それから色々とアベルに話しかけてきたが、意味が分からないので答えようもなく、とりあえず食事に集中する。


 金属製のナイフとフォーク、それに匙がある。

 手掴みじゃなくてよかった、と思う。


 肉は羊肉に味が似ていた。というより、羊肉そのものだ。

 芋は里芋に、野菜はキャベツとほとんど同じ味。

 スープはミルクがベースで、鶏肉、カブか大根のような野菜が入っている。


 味は好みだった。

 胡椒のような香辛料は感じない。

 塩とハーブの風味が主である。

 なんというか自然な手作りそのものだった。


――あれ? 

  ……人に手料理を作ってもらったことなんか何十年ぶりだろう? 

  こんなこと初めてかもしれない。


 アベルはものすごく奇妙な感じがした。

 居てはいけないのに、ここに居るような……。

 こういうのを闖入者と言うべきか。


 父と母は会話している。仲が悪い感じはしない。

 むしろ親密なのが分かる。

 両親は、しきりにアベルにも話しかけて来る。

 アベルは曖昧に笑ったり、首を振ったり……そんなことしかできない。


 仕方がないと覚悟を決めた。

 匙でも肉でも、いちいち指をさして名称を聞き出すことにした。

 両親はすぐに息子アベルの異常を理解した。

 

 父親は自らを指さして「ダーダ、ウォルター」と言葉にする。

 次に妻を指さして「マァー、アイラ」と発音する。


 アベルは名前だと思った。ウォルターなんて、いかにも男性的な感じがする。

 マァーは母という意味合いを連想させた。

 それにアイラは女性の名前としてはぴったりだった。


 ウォルターは、たどたどしく言葉を発する息子アベルを気遣う。

 息子の頭蓋骨が砕けて、脳が変形しているところをその眼で見ている。激しい怪我が原因で記憶障害のようなものが残っていると考えた。


 実は、我が子を救うために自分が知っている最大級の治癒魔術を使用した。

 それほどまでに我が子の傷は深かった。

 間違いなく致命傷で、死に至る寸前だった。

 行使した治癒魔法とは「自己生命抽出」である。

 それは禁じ手ともいえる秘術であった。

  

 文字通り、自分の肉体や生命力自体を利用した、緊急事態のときのみに使われる魔術。

 この魔術は最高位の治癒魔術でなければ治せないような瀕死の者を蘇生させるほど強力なものだった。

 しかし、行使者と血の繋がりのない者が相手だと成功率は極端に低下する欠点がある。

 逆に血縁者間では、高い効果が望めた。


 自己生命抽出には、一つ巨大な負担があった。

 使った術者は例外なく老化が早まり寿命を削ると言われていた。

 行使が許される回数は人生で二回まで。

 一回目は体が怠くなる程度の症状だが二回目を使えば直後、若者でも老人になると言われていた。


 禁断の魔術を使ったことは妻のアイラにも話していない。

 誰にも言うつもりはなかった。

 後悔もない。

 我が子のためなら命も擦り減らす。それは当然だった。


「無事に育ってくれれば、他の何も望まない」


 父ウォルターが自分に向かって語りかけて来るものの、やはり意味は理解はできなかった。

 アベルは不思議な気分になる。

 父の瞳には、これまで決して知ることの無かった何かの気配が湛えられている気がする。

 それが何なのかは分からなかったが……。



 夜は大きなベットで家族三人、川の字になって寝る。

 アベルには違和感ばかりだった。

 前世、家族と一緒に寝たことなんか憶えている限り、一度たりともなかった。


 アパートの小さな部屋に一人。

 そうして、一人のまま死んでしまった。

 思い出すのは殺してしまった父親のこと。

 ウォルターとアイラは安らかな寝息を立てていた。

 アベルの核にいる男は前世を反芻する。





 ~~~~~~~~~~~~





 おれの親は最低の親だった。

 誰がなんて言おうと、最低だった。


 人殺し、親殺しを罪深いというやつはいるだろう。

 人殺しを肯定するなとも言うだろう。

 でも、そんな御託は、まともな親がいた者だけが言えるものだ……。


 幼いころから、酒に酔っぱらってはブツブツと小言を連ね、些細なことで殴ってきた。たとえば小さな紙ゴミが落ちているとか、そういう理由だった。

 だから、あるときレシートが落ちていたから捨てておいたことがあった。そうしたら、必要なレシートを捨てたといって殴られ、説教をされた。二、三時間だったろうか。

 母親は無関心に黙っているか、父親の味方だった。そんなことが毎日毎日と繰り返された。

 おれの腕や頬には痣がよく付いていた。


 夫婦仲も最悪だった。会話自体が少なかったし、笑いあっていたことなど一度だって見たことがない。母はおれを妊娠したから仕方なく産んだと公言していた。


 おれは頭が悪かった。暗記なんて特に苦手だ。

 運動も上手くなかった。身長だって高くない。

 顔は、なんというか、もっさりしていた。成績はいつも下の中ぐらい。いつの頃からか父親は東大に行けと言い出した。授業料と生活費を出しているのだから、東大でなければならないと主張していた。父親も母親も高卒なのにな……。

 自分の事は棚に上げて、子供には最高の結果を要求する。

 まったく異常な男だった。


 地方の底辺高校を目立たない虫のように過ごして卒業した。バイトしながら予備校に行った。成績は上がらなかった。上がるはずがない。勉強して、せっかく記憶しても、数か月後には忘れているからだ。何回繰り返しても、憶えられないものは憶えられない。

 父親の暴力と異常な説教は、ずっと続いていた。

 本当にどうでもいいような些細なことで、長時間の説教が続く。

 気に入らなければ殴る蹴るは当たり前。


 やがて三浪してから、黙って試験を受けた三流大学の補欠に引っかかった。

 一生に一度の幸運だと思った。実力じゃない。

 たまたま運で選んだマークシートが当たっていた。


 ところが、父親は入学を許さなかった。入学金も授業料もない。奨学金は父親が保証人になるのを拒否した。父親は性格の歪んだ男だったから親戚とも絶縁していて、頼れるような縁者は一人もいなかった。

 おれは逃げ道を塞がれてしまった。

 そして、その夜も始まった。

 いつもの説教。



 お前はどうしてそんなに頭が悪いんだ。


 お前は何で体が弱いんだ。


 何をやらしても人並み以下。


 ゴミクズ人生を送る馬鹿だ。


 なんでお前なんかが、おれの子供なんだ……。



 一言一言が魂を削っていった。

 理性は消えいく。

 キレてしまった。

 そのまま逃げてどこかで働けば良かったのだが、その時は怒りで思考力が無くなっていた。


 一升瓶を父親の頭に叩きつけていた。

 倒れた父親の頭を蹴っ飛ばした。


 本当に心の底からすっきりした。

 そのまま家出をした。

 貯金は二十万程度の金だったが、とりあえずバイトすればなんとでもなると思った。


 おれは、うきうきしていた。

 かつてないほど気分は明るかった。

 これまで辛かったけれど、ここから始められると思った。

 真面目に働いて、いつか性格のいい彼女が出来て……あいつと違って良い家庭を作って……。


 そんな、ぼんやりした未来は翌日、駅で唐突に終わりになった。

 警官が現れて、おれは捕まった。

 パトカーのなかで、父親が死んだと説明された。


 おれは殺人犯。父親殺しになった。


 取り調べや裁判のことはあまり憶えていない。

 殺すつもりはなかったと説明したところで嘘くさいものにしかならなかった。

 自分でも自分に殺意が無かったか分からない。

 いつもいつも死ねと思っていた。

 殺すつもりは無かったけれど殺意はあった……そんな訳の分からない話になる。

 

 おれは弁護士と裁判官に、ただ人生のことを淡々と説明した。

 判決は情状酌量というやつがあったらしい。

 懲役十年。

 おれは初犯で模範囚だから、三十歳手前で出所できた。


 色々なところで働いた。

 様々な職業を知った。

 もっとも、前科者の働ける場所なんてブラックな所が多かった。

 擦り切れそうになったところで辞めたし、馴染んでいても父親殺しがばれて逃げるように辞めたこともあった。


 そういえば血を吐いて死ぬ二年ぐらい前から、胃がやたら痛むことがあった。胃薬を飲んだり、冷たい水を飲むとジクジクとした痛みが少し引いた。

 病院なんか行きたくもなかったし、仕事が忙しくて行く暇もなかった。


 そうやって不調を乗り切っていたが、あの日の夜、いつにない痛みがあって大量に吐血した。


 最低の人生……。


 つくづく分かったことは、人生にやり直しなんか無いってことだ。


 失ったら取り戻しなどできないものばかりだった。


 そして、そもそも初めから手に入らないものばかりだった。


 苦しいことを糧にして前に進むなんて美談は、程度の知れた苦しさしか知らない者の戯言だ。


 恨みも憎しみも喜びも、本当は忘却しなければならない。

 忘れられなければ、生きている限り焼けつくような想いを抱えて、そいつを引き摺るように生きていく破目となる。

 つまり、それがトラウマだ。


 ここは地獄に決まっている。


 油断するな。


 疑え。


 信じるということは、騙されることだ。


 これは都合のいい輪廻転生なんかじゃない。


 やり直しなんかじゃない。


 人生はやり直しなんかできないんだ。


 たとえ生まれ変わっても、だ。




 アベルの核にいる男は眠りについた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る