(3)ヴェロキア火山のドワーフ
二人の住む家からヴェロキア火山のふもとまでは、馬に乗って一日と半分ほどの旅程だった。
フランシアは淡い茶色のトラウザに、やはり淡い桜色のブラウスと、日除けのための白いローブ。フェレスは黒のトラウザに白いシャツ、その上に固くなめした革の部分鎧を身につけて、同じく日除けのための白いローブを身にまとっている。
目的地が間近になった今に至るまで、旅に特別に目立ったトラブルはなかった。
最初は森を迂回して火山へと続く道の入り口を目指し、そこで一泊。翌朝、そこから荷物を載せた馬を引きつつ徒歩で森へ分け入って、そろそろ昼に差し掛かろうとしている。
魔物にも、夜盗にも、そして雨どころか曇り空にすら遭わない順調な旅路は、かえって家での出来事にすっかりへそを曲げてしまったフェレスと、曲げさせてしまったフランシアの間に会話を取り戻すきっかけを奪っていた。
困っちゃいましたね、と、もう何度目かわからないその呟きをフランシアは胸中でこぼす。
もちろん、フランシアとて何もしなかったわけではない。
寝袋どころかテントすら別にされながらも、普段は任せてしまう野営や食事の準備には精を出したし、朝は眠い目をこすりながら、少年より早く起きだして朝食も作った。しかし、やったことに短く返事や礼は言ってくれるものの、それ以上の会話が続かない。
やはり自分に〈
もう少しスキンシップをさせてくれればいいのに。
でも反抗期なのかもしれないし。
まあそこが可愛いんですけれど。
そんな風に、温泉の復活よりも世話役の少年とどうやって仲直りするかばかりを考えていたせいで、フランシアは見通しの悪い森の中だというのに、周囲の気配を気にしている少年とは逆に、まるで警戒を怠っていた。
「〈
「!」
「きゃ……!?」
低い声の発動詞が聞こえた瞬間、地面が沈み込んだ。砂時計の砂が下へ落ちるように、二人の足下の土砂が吸い込まれていく。
それを認識した瞬間、フェレスは握っていた手綱を引いて自分の体を後ろへと倒した。まだ崩れていない地面に背中をつけてそのまま回転すると、フェレスは茂みの中に転がり込んで短剣を抜き放ち――そして、見事に胸元まで土に埋まっている主人の姿を見て目を覆った。
彼女の引いていた馬は驚いて逃げ出したのか、どこにも姿が見えない。
「ああん、もう……」
「ああんもうじゃない! 何をやっているこの痴れ者め!」
「ごめんなさい……」
しばらくぶりの会話の情けなさに、フランシアはしょんぼりと頭を垂れるしかなかった。とりあえず脱出しようと、彼女が首から下げているペンダントのような〈
フランシアが顔を上げると、茂みの中から数人の小柄な男たちが現れた。彼らは腕は肘まで、体は胸の半分まで埋まり、まるで胸像のようになっている彼女のそばへやってくると、周りを見回して言う。
「人間か。おい、隠れたやつ出てこい。こいつを痛い目に会わせたくはなかろう」
その言葉が示すように、彼らは人間ではなかった。身長は小柄なフェレスよりまだ低く、だが腕や足、首などは倍するほどに太く逞しい。そして、全員が全員立派な髭を蓄えている彼らは、ドワーフと呼ばれる亜人間の一種だった。
わずかな沈黙の後、フェレスは抜いた短剣を鞘に戻すと、両手を上げて茂みの中から姿を現した。少年のこれ以上ないような、だが顔立ちが幼いせいで可愛げのある仏頂面にフランシアがつい苦笑いすると、彼がぎろりと彼女を睨む。
そんな二人を怪訝そうに睨みながら、おそらくはリーダーなのであろう、大きな斧を担いだドワーフは前に進み出て訊ねた。
「おい。仲間割れは後にして、何しに来たか話せ」
険しい顔のドワーフは黒い髪を短めに刈り込んで、反対に黒い髭をたっぷりと蓄えていた。バランスが心配になるほどの大きな戦斧とは対照的に防具のほうは軽装で、鎧というより作業着のようないでたちである。
若干怪訝に思いながらも先にその事を訊ねるわけにもいかず、フランシアは彼の問いに素直に答えた。
「……カナベル村の方に頼まれて、温泉が枯れた原因を調査に行く途中ですよ」
「カナベル村?」
「聞いたことがあるのう。ヨルグが塩を売りに行っとる人間の村じゃったか」
ハンマーを持っている老ドワーフ――誰もが髭面なせいで、ドワーフの年齢は人間には判別しづらいが、髪も髭も見事に白いのでおそらく――が村の名前を知っていたことに、フランシアはひとつ安堵の吐息をこぼした。
ドワーフは主に洞窟や地下空洞に住んでいて他種族との交流は薄く、閉鎖的で頑固な者が多いため、打ち解けるのには時間がかかる。初対面ともなれば、何かの幸運がなければ反応は敵対的にすら近いのが常だった。だが、その幸運の気配が、今の一言にあった。
「ヨルグか……。さっきそこらにいた気がしたが、またふらふらしてるのか。ヨルグ!」
「おゥ」
姿が見えなかったのか、あたりを見回して怒鳴るリーダー格のドワーフ。その声に答えたのは、なぜか藪をかき分けて現れたフランシアの馬だった。と、すぐにそれに続いて、手綱を握った、ドワーフにしては髭も薄く若い男が藪の中から現れる。
「ヨルグ、知ってるか」
「おゥ、知ってるぞォ」
幸運への希望がつながるその一言にフランシアの表情が輝く。うまくいけば、このまま穏便に済むかもしれない。そんな期待を胸に、ちらりと彼女は視線をフェレスに向けた。彼もまだ表情は緊張していたが、いくらか期待を込めた視線をフランシアに向けている。そして、ヨルグという名前らしいそのドワーフは、ぐいと馬の手綱を引いて言った。
「この馬の額の星毛、間違いねェ。カナベルの村長んとこの白星号だ」
馬の話か、と、フランシアとフェレスのみならず、あと二人のドワーフたちも次の言葉を失って、微妙な空気の中で顔を見合わせた。そして、誰も何も言わない数秒が過ぎ、ようやくリーダー格のドワーフが、斧の先でフランシアを示しながら再び口を開く。
「……人間のほうの話をしてる」
「あァ? いやァ、こんな女は……おお、この小僧は知ってるぞォ。オレがこの白星号を借りたとき、乗るの手伝ってくれた奴だ。名前は知らねェけど、この顔間違いねェ。あの村じゃこの肌の色の奴ァ他にいなかったしな」
「そうか、その村から来たってのは本当らしいな。なら次は……温泉が枯れてしまった原因てのは何を調べるつもりだ?」
じろりと、リーダー格のドワーフが二人を睨んでまた問うた。埋まったままのフランシアが、度重なる失望に垂らしたままだった頭を少し上げ、困ったような笑みで言葉を返す。
「できたら、先に出して欲しいんですけど……」
「だめだ。まず聞いてることに答えろ」
「うぅ……」
にべもない答えに、フランシアはまたしてもがくりとうなだれるしかなかった。体が七割がた埋まっているせいでどうしても呼吸が浅く息苦しい。抜け出してもきっと泥だらけになってしまっていることを考えると、気分も重く沈んだ。
実際の所、これぐらいの魔法からの脱出は、フランシアにとってはそれほど難しいことではない。先程も彼らが出てこなければ、もう彼女は土に埋もれてはいなかっただろう。
だが、今もしそんなことをすれば、先ほどのヨルグというドワーフのおとぼけのおかげでいくらかましな雰囲気が、一気に悪くなることは明白である。
はぁ、と、ため息をつくと、フランシアはもう一度顔を上げ、ドワーフたちの髭面を眺めながら説明を始めた。
「おとといの夜に、火山からすごい地鳴りがしたのはご存知ですよね?」
「……ああ、あれか」
フランシアがしれっと出した台詞に思わず笑いそうになったフェレスだったが、鼻をひとつ鳴らすだけで彼はそれをなんとかこらえた。お前は寝ていてなんにも聞いてなかったろう、と、口に出さずに呟いたあと、フェレスの脳裏を家での出来事がよぎり、彼はまた唇を不機嫌そうに結ぶ。
そんな彼の想いを察知しないまま、フランシアはゆっくりと言葉を続けた。
「温泉というのは、火山ととても密接な関係があります。きっと、あの地鳴りと温泉の枯渇は無関係じゃないはずです。それで、こちらに伺った次第ですよ」
「おゥ、もしかしてあのバケモンが塞いだ穴……」
「ヨルグ!」
不用意に発されたその言葉に、リーダー格のドワーフが目をむいて怒鳴った。うひぇ、と、奇妙な声をあげて数歩下がる若いドワーフ。
その時、フェレスがわずかに目を細めた。
今までずっとあのドワーフが一人で握っていた会話の主導権。それを奪い取れるチャンスが目の前にある。
その事を感じ取ったフェレスは、上げていた両手をすっと下ろすと、できるだけ低い声でドワーフたちに言った。
「化物か。どうやらお前たちにも困りごとがあるみたいだな」
ぎろり、と、リーダー格のドワーフの視線がフェレスのほうを向いた。
人間のくせにワシとさほど背丈の変わらん、貧弱な女顔の小僧風情が、と、眼光だけで捻り潰さんばかりの険しい顔でドワーフは彼を睨みつけて答える。
「……ワシらは困ってなどおらん。万が一何か困っていたとしても、お前らには関係ない」
「関係はある。今の話だと、その穴は村の温泉の水源に違いない。おそらくは、そこからは湯が出ていたんだろう」
少年の問いかけに、ドワーフたちは互いに視線をかわして黙りこんだ。図星の手応えを感じ取ったフェレスは先ほど下ろした腕をぐっと張った胸の前で組む。
話の主導権を握り、己で流れを作ること。
根拠がたとえなくとも、堂々とした態度でいること。
さまざまな可能性を検討し、備えること。
相手の立場や状況を調べ、読み取ること。
幼いころに父が語った、その時は理解できなかった交渉の技術を思い返しつつ、フェレスは正面からドワーフの強い視線を受け止める。そして、その黒髭の奥の口元が動いた瞬間、フェレスは反論のスキなど与えぬとばかりに次の言葉を繰り出した。
「それに、お前たちはその化物に困っているはずだ。お前達ドワーフの多くは洞窟や地下で閉鎖的な暮らしをしていて、用がなければ外に出てこない。なのに、お前たちは何かの用事があって出てきたような恰好をしていない」
あまりにも堂々とした少年の物言いに、会話上の攻守はほぼ入れ替わっていた。地面に埋まった主とドワーフたちの間にさりげなく、だが堂々と入り込みながら彼は続ける。
「つまり、お前たちはあの火山に住んでいたが、着替える暇もなくその化物に追い出されたんだ」
フェレスの推理に、フランシアはなるほど、と、胸中で呟いた。
どのドワーフも、武器を持って警戒しているにしては、着ているものにそんな雰囲気が感じられないのだ。よっぽど慌てて出てきたんですねえ、と、ひとりで納得する彼女の前で、険しい顔のままドワーフは鼻を鳴らした。
「ふん……どうかな」
「まだある。お前たちは他のどの種族との交流も好まないが、特にエルフとは仲が悪い。ゆえに、お前たちはエルフの好む森や草原にはめったに足を踏み入れない。それなのに、お前たちの他にもたくさんのドワーフの気配がこの森の中にあった。なぜか。理由は簡単だ。お前たちは山から追い出されたが、遠くには離れられない事情があるんだ」
険しい顔のドワーフとフェレスの視線が、正面からぶつかり合う。長いような、短いような沈黙の後、不意に老ドワーフが重い音をさせてハンマーの頭を地面に下ろすと、軽妙に笑って髭の奥からふがふがと言葉を紡いだ。
「ふあっはっは! 諦めろゲオルグ。この小僧、一から十まで儂らの状況を全部見抜いとる。そんな怖い顔で睨んでも、もう言い返せんのは隠せんよ。実際、困っておったんじゃ。儂らだけではなんともできんのじゃから、知恵を借りてみようではないか」
ゲオルグと言う名だったらしいリーダーのドワーフに比べると随分と穏やかなその声に、場の空気がふっと緩んだ。険しい顔を維持できなくなったらしいゲオルグが、不満げに老ドワーフを見やる。
「グンター……」
「見たところ、この娘は魔術師のようじゃし、何か打開策を持っとるかもしれん。まあ、腕前のほうはあまりあてにならなさそうじゃが……」
「馬のほうがよく知られているぐらいだしな」
フェレスが肩をすくめてそう言うと、グンターとヨルグが大きな声で笑った。胸まで埋まったままのフランシアが、体を揺らしながら叫ぶ。
「もう! いいですからいい加減に出してくださいです!」
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