3分間の邂逅
葵月詞菜
第1話 3分間の邂逅
***
小さい頃、誰しも一度は『かくれんぼ』という遊びをしたことがあるのではないだろうか。
もういいかーい? もういいよー!
声を出して応えている時点ですぐに見つかりそうなものだが、当時はただ『隠れる』『探す』『見つかる』が面白かったのだと思う。
その『かくれんぼ』をすると、いつも最後まで見つからない子がいた。
その子はまるで気配そのものを消してしまったように隠れていて、鬼になった子は見つけることができない。
その子はずっと隠れ続け、無邪気な友達たちはやがてその子を探すのを諦めてしまう。
「見つけた」
「!」
しかし一人だけ、見つけてくれる友人がいた。
その子がどこに隠れても、他の友達が探すのを諦めても、なぜか彼だけは最後に必ず見つけてしまう。
「……弥鷹君、何でいつも僕の隠れてるとこが分かるの?」
「さあ? ……勘?」
友人は、あっけらかんと言って笑った。
***
『ミタカ君へ。少し留守にするのでおとなしく待っててね』
あいつどこ行きやがったんだ。
とある私設図書館の地下書庫の作業部屋に、いつもいる小学生・サクラの姿はなかった。
「この前とんでもないモン見せたくせに、いきなり放置かよ」
この地下書庫では不思議な現象が起こる。通路の先が異空間と繋がっていたり、連絡手段として手紙飛行機なるものが飛んでいたり。
つい最近は、ここの棚の本はどこに散らばっても自力で元の場所に戻るという現象を目の当たりにした。
そして、地下書庫の利用者はただの『人』ではないらしい。弥鷹が先日遭遇したうさぎの面をした黒い影は、明らかに『人』ではなかった。
サクラは「自分が傍にいる限りは大丈夫」と言っていたのだが、いきなり留守にして弥鷹を放置するとは何事か。
溜め息を吐きながらソファーに沈み込み、大人しく待つことにした。
弥鷹はぼんやりと事務用デスクの上に目を遣った。そこには古く変色した分厚い本が一冊置いてあった。
「『10分間の物語』?」
題名を読み上げてそっと手を伸ばすと、触れた瞬間にパタンと表紙が開いた。
そこには見たこともない文字が連なっていたが、なぜか弥鷹の脳はそれらを理解していた。頭の中に翻訳辞典があって無意識にそれを通しているような感覚だ。
「『1話につき、あなたに許された時間は10分間です。あなたに素敵な物語を』……?」
首を傾げながら、また変な現象が起こる予感がする。絶対ただの本ではない。
(いやいや、危ないもんには手を出さない。サクラが帰ってからにしよう)
大人しく彼を待つと決めたではないか。変なことに巻き込まれそうだと分かっていて飛び込むなんて、ただの馬鹿だ。
弥鷹は一つ息を吐いて、伸ばした手を引っ込めようとした。
その瞬間、ページがひとりでにパラパラと捲れ始めた。ぎょっとしていると、あるページから細い腕が飛び出した。
その腕は宙に浮いたままになっていた弥鷹の手を捕まえ、すごい力で引っ張った。
「え」
振り解こうとするも虚しく、謎の吸引力も手伝って、弥鷹の身体は簡単に引き込まれた。
(ちょ……)
この腕は誰のものなのか。これからどこへ辿り着くのか。
不安で胸をバクバクさせながら、向かう先からの風圧に耐え切れず弥鷹は目を瞑った。
「……はい、変なとこに来ましたー」
弥鷹は一人虚しく呟いた。手を摑まれた圧迫感と風圧から解放されて目を開くと、明らかに地下書庫の作業部屋とは違う場所にいた。
「何か街っぽいけど……」
そこは、周りを石造りの建物に囲まれた路地だった。そういえばこんな風景をテレビで見たことがある気がする――それは外国の街並みを特集した番組だった。
しかし人の姿はなく、家のような建物も生活感がまるで感じられない。
「どこだよここ……」
げんなりしながらポケットを探ってスマートフォンを取り出し、電源を入れた。
「あ?」
待ち受け画面の表示がおかしい。画面いっぱいにタイマーが表示され、開いた時の『09:28』から刻々と秒刻みのカウントダウンが始まっている。
指で操作してみたが、タイマー表示から画面が遷移することはなかった。
「これもしかして十分間のタイマー?」
あの古い本の題名は『10分間の物語』だった。確か許された時間は十分とあったはずだ。これはその制限時間を示しているのではないか。タイムリミットがくれば強制的に帰還できるかもしれない。
弥鷹はもう一度周りをぐるりと見渡した。相変わらず人も動物もいない。ただただ、辺りにはしんとした静けさが漂うだけだった。
弥鷹はどうにもじっとしていられず、辺りを少し歩き回ってみることにした。
石畳の路地を抜けて、少し広い道に出る。やはり人の姿はない。
ぽつんと忘れ去られたような石造りの街がそこにあった。
「何なんだここは」
ここがあの本の中の世界だとするとこれは一体どういった物語なのか。生き物が存在しない街の物語とは……。
周りの景色に影が落ちたのに気付いて上を向くと、明るかった空が夜を迎えたように暗くなっていた。
その時、一筋向こうの道から笛の音を始めとする楽器の音と、歌を奏でる美しい声が聞こえて来た。
弥鷹は石の壁伝いにそっと近づき、音と歌が聞こえる方を窺った。
「!」
広場らしきそこには、どこからわいて出て来たのか老若男女が集い、歌ったり踊ったり、酒を酌み交わしたりしていた。先程までの静けさが嘘のような光景だ。
「さあ今夜の主役はどこにいる!?」
大柄の男がジョッキを高く掲げて周りを見回した。
壁から顔だけを覗かせていた弥鷹と目が合う。男の口端にニヤリとした笑みが浮かんだ。
「主役がいたぞ! そいつが今日の生贄だ!」
とてつもなく物騒な言葉を聞いたような気がする。いっそ幻聴だと思いたい。
男の声に乗じて、複数の足音が弥鷹に迫って来た。とりあえず逃げなければいけないと思った。
(サクラ!)
心の中で小学生の彼に助けを求めるも、何も起こりそうになく舌打ちする。
来た道を引き返しながら、弥鷹はスマートフォンの表示を見た。
残りの時間はきっかり三分だった。この三分間を逃げ切れば、どうにかなるかもしれない。
(――って、この状況で三分!?)
恐怖の鬼ごっこだ。
追っ手はどんどんと数を増し、分散して弥鷹を追い詰めにかかる。完全にこちらが不利だ。
時間はまだ後二分ちょっともある。
(もう嫌だ――)
わけの分からない場所に放り込まれて、「生贄だ!」とたくさんの鬼に追いかけ回され、いい加減恐怖に足が止まりそうになる。
すぐ前の路地から短髪の男が飛び出して来た。横の道に入るも、先に別の人影が見える。このままでは捕まるのも時間の問題だ。
「弥鷹君! こっち!」
「!?」
聞き覚えのある声に腕を強く引かれて、すぐ側の建物の中に引きずり込まれた。
「静かにしててね」
(この声……)
弥鷹は口を塞がれ、腕は強く掴まれたまま、ただ呆然と従うしかなかった。
近付いていた足音と人の気配がなくなった所で、その人物は小さく息を吐いた。弥鷹の口と腕もようやく解放される。
「乱暴にしてごめんね。大丈夫?」
声の主を改めて見て、弥鷹は思わず目を見開いた。
聞き覚えのある声はサクラで、きっと彼が助けに来てくれたのだろうと思っていたら違った。
目の前にいる少年は弥鷹と同じ年くらいで、何より驚いたのはその容姿だった。似ている。まるで、あの小学生のサクラが高校生に成長して目の前に現れたようだった。
「お前、サクラ……じゃないのか?」
「君と一緒にいる小学生のサクラではないね」
彼は何と言ったものかと逡巡するように視線を外した。
弥鷹が眉を顰める前で、結局彼は問いには答えずに弥鷹が手に持ったままのスマートフォンを指差した。
「もう一分を切ったね。この鬼ごっこは君の勝ちだよ、弥鷹君」
「……何で俺は鬼ごっこなんかしてるんだ」
一気に疲れて脱力した弥鷹に、彼はくすくすと小さく笑った。
「それにしても本当に弥鷹君はすごいね」
そういえば彼は弥鷹のことを名前で呼ぶ。自分のことを以前から知っているような口振りだ。
「こんなに簡単に、僕を見つけちゃうんだから」
なぜか嬉しそうに笑う彼は、いつもの小学生のサクラが見せるのと同じ顔をしていた。
弥鷹は首を傾げる。先程弥鷹を見つけて助けてくれたのは彼の方だ。
「お前は……」
スマートフォンの表示が、三十秒を切る。
彼がやっと真っ直ぐに弥鷹を見た。
「……僕は『
小学生のサクラと同じ音の名前。
「弥鷹君、また僕を見つけてね」
咲来がそう言って微笑んだところで、ピ――ッという電子音がした。
「弥鷹君!!」
目を開くと、真上に泣きそうな幼い顔があった。小学生の、いつものサクラだ。
ソファーの上に身を起こした弥鷹に、心から安堵した表情を見せた。
「無事で良かった。弥鷹君はこの本の中に入ってたんだよ」
サクラが示したのは、あの古く分厚い本だった。
「十分間だけ、この本の中で主人公のように物語を進めることができるんだ。だけど、その間に起こったことは現実と一緒だから、下手をすると怪我もする」
「……そんな怖い本そこに置いとくなよ! 物騒だな!」
「でもこれは本来読める人が限られてるんだけど……でもとりあえずごめん!」
サクラはぶつぶつ言いつつも弥鷹に頭を下げた。また泣きそうな顔を見ていたら、弥鷹もそれ以上は怒れない。
「本当勘弁してくれよ」
「ごめん。でも……本当に無事に帰って来てくれて良かった」
「ああ、助けてもらったんだ。えっと……お前と同じ名前のやつに」
サクラの目が丸く見開かれた。
そして、いつかのように眉を下げて微笑んだ。
「……そっか。さすが弥鷹君。見つける天才だね」
「? どういう意味だ」
弥鷹が訊くが、サクラはそれには答えてくれない。ただただ微笑んでいるだけだった。
とある恐ろしい本の中での、三分間の邂逅だった。
3分間の邂逅 葵月詞菜 @kotosa3
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