一乗谷の峰継

 峰継は、川辺の道を歩いていた。夜通しの移動だったので、疲労で体がだるい。

 一乗谷までは、もう少しだ。園枝や理世も変わらずについてきている。

 楽ではない移動だった。賊の類が道の脇に潜んでいたのは、一乗谷から逃れていた時と変わらなかった。襲われたのが一回。三人で襲いかかってきて、峰継は刀を抜いて応戦した。

 退けることはできたが、一人だったのが苦だった。前は慶充が背中を守っていたので、ただ目の前の敵に集中すればよかったのが、背後への警戒を切らせば簡単に切り伏せられる。反転して背後の敵に切りかかるたびに、足に負担がかかり、右足の古傷が痛んだ。

 だが、ここまで来ることができた。一乗谷は、もう間もなく見えてくる。

「峰継さん、足は平気なの?」

 一乗谷を目の前にして、園枝が尋ねてくる。

「もちろんだ」

「一睡もせずに歩いて、本当に大丈夫?」

「一睡している間に佐奈井の身に何が起こるかわからない」

 園枝は、ため息をついた。

 すぐそばの理世は、あからさまに顔色を悪くしていた。目を伏せている。だいぶ無理をさせてしまったようだな、と峰継は申し訳なく思った。

「理世は、どこかで休んでいたほうがいいな。篤英の家に踏み込む前に、身を隠す場所でも探すか」

 言ったとたん、理世の目が見開かれた。首を大きく横に振る。

「いや、そこまでしなくていいって。香菜実が心配なわけだし」

「篤英は香菜実にとっての父親。再会できたのなら、それでいいんじゃないか」

 理世は拳を握った。目にあからさまな怒りを浮かべていく。

「あんな父親だからよ、峰継さん変なことを言わないで」

 吐き捨てるように言った。

「人の家にずかずか踏み込むし、佐奈井に乱暴して連れ去るし、そもそも、慶充に対してずっと乱暴を働いていたっていうでしょう。香菜実も怯えているみたいだし。再会してどこがいいんだか」

「香菜実を、篤英から引き離すのか? 彼女にとっては唯一の肉親なのに」

 自身が父親だから、こんなことを言うのかもしれない。

「理世の言っていることは、私から佐奈井を引き離すと言っているのと変わらないが」

 峰継にとって佐奈井と引き離されるのは、片腕が引きちぎられるよりもつらい。

「一緒にいたら、彼女のためにならないでしょう」

 理世には迷いがなかった。

「篤英を前にした香菜実、ずっと怖がっていた。あなたと篤英は違う」

「憤るのはもっともだけど、理世」

 園枝が口を挟んだ。

「香菜実まで連れ出すのは難しい。むしろ、連れ出したのを口実にして、篤英は私たちを殺すかもしれない。香菜実のことを思いやるなら、もっと別の手段を考えるべきだよね」

 それで理世は、冷静さを取り戻したらしい。黙り込んだ。

「とにかく今は、佐奈井を取り戻す。きっと慶充や香菜実も手助けしてくれるはずだ」

「戦うことになるかもしれないけど、あなたは用意がいいの?」

 右足の古傷がうずく。相手も、万が一戦うことになれば、こちらの弱点を突いてくるだろう。

 ――だが

「いつでもいける」

 本気なの?と園枝はつぶやいたが、峰継は気にしなかった。

 踏み込めば、慶充や香菜実が隙を作ってくれるだろう。


 谷の合間から、一乗谷が見えてきた。黒焦げになった谷を見て、峰継はやはりか、と思う。

「本当に、織田信長は谷に放火を命じたみたいね」

 園枝が皮肉げにつぶやく。

 峰継や佐奈井にとっての故郷の変わりように、峰継はたじろぐが、しかし遅れたのは一歩分だけだった。

 あそこには佐奈井がいて、今も篤英たちに怯えている。ひるんでいられる暇はない。

 歩いているうちに、町だった場所に入る。かつて多くの家や寺が並んでいた一帯は、炭の山と化しており、手狭だが華やかだった町の面影はない。恐らく自分と佐奈井の家も、同じく焼けただろう。町は跡形もなく消された。

 せめてもの救いは、ところどころで家が再建されていることだった。町の人たちが柱や梁に使うらしい木材を運んでいて、復興が進んでいる。

「ひどい町の変わり具合だけど、あてはあるの?」

「ある」

 建物は焼け落ちても、道は残されているから、移動に困ることはない。慶充の家には何度も通りがかったことがあるから、焼け落ちているとしても位置はわかる。

いや、あの篤英は、すでに家を同じ位置に建て直しているだろう。

 峰継の読みは、当たった。慶充の家があった場所に、新しい家が建っている。急ごしらえ故か、かつてあった塀や門はなく、代わりに警備の兵が立っていた。あそこに佐奈井がいるはずだ。

「あの家に、心当たりがあるの?」

 園枝が口を出してくる。

「篤英の家だ。厳密には、建て直されたものらしいがな」

「そう、なら、そこまでよ」

 園枝が峰継の手を掴んできた。峰継の足が止まる。

 ――何?

 峰継は園枝を見つめた。

「やっぱり、まずは様子をうかがうべきじゃないかしら? 相手にする数が多すぎる」

「そうよ、峰継さん。真正面から切り込んでいったら、佐奈井がどうなるかわからないでしょう」

 理世も峰継を引き止めるようなことを言う。

 だが二人に言われて、峰継は冷静さを取り戻した。急ぐ気持ちが失せていく。

「ああ、そうだな」

 どのみち慶充がいる限り、佐奈井の身は安全だ。慶充は、佐奈井が乱暴されるのを見逃さないはず。

 佐奈井と慶充の絆は、強い。

「……そうね、ちょっと距離をとったほうがいいかも。私たち、篤英に顔を見られているわけだし」

 篤英の家の周りにいる兵たちは、遠くにいるこちらを気にしていない。篤英や慶充らしき男も見当たらなかった。彼らは、家の中にいるのか、それとも……

「ん? どうしたのかな、あれ」

 理世が、谷の奥のほうを指さした。

 篤英の家より向こうに、より大きな屋敷がある。そこに数名の男が、慌てた様子で駆け込むところだった。

「何かあったのかもしれない」

 理世はつぶやいている。どこか不安げだった。

「何かって、何が?」

 園枝は娘に尋ねている。

 だが峰継は確信していた。この谷に、何かが起きようとしている。

「園枝、本当はわかっているのではないか? あの男たちが何を伝えようとしているのか」

 頼孝のそばにいたのだ。恐らく、理世も察しているだろう。越前国に異変が起きると示唆した、頼孝のそばなら。

「まさか、もう」

 園枝が息を飲んでいる。

 だが、峰継は冷静なままだった。

 頼孝の言うような反乱が起きたという知らせなら、むしろ好機だ。対応するために、谷は混乱に陥る。当然、篤英も佐奈井に構ってはいられなくなるはずだ。

 その隙に、息子を助けられる。


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