背信の領主
慶充は、新しい家の柱に縛りつけられた佐奈井を見ていた。
「出かけている間に佐奈井に乱暴しないといえるのか?」
慶充は篤英に尋ねる。かつて毎日、殴り、蹴りつけてきた相手だが、今の慶充に遠慮はなかった。弱みを見せたら、佐奈井がひどい目に遭う。隙あらばいつでも返り討ちにできると、慶充は暗に示していた。
「おとなしくするならば、な。抵抗するそぶりを見せれば、斬る」
佐奈井が顎を引いている。
慶充は縛られている佐奈井に近寄った。取り巻きの一人が、とっさに刀に手をかけた。近寄れば佐奈井を斬るという合図だ。この脅しのせいで、一乗谷に戻っている間は佐奈井を解き放つことができなかった。
「せめて佐奈井の縄をほどくか、それができないならば座らせてやらないか」
慶充は取り巻きに頼んだ。
「移動を続けて、佐奈井は疲れ果てている。これくらいはいいだろう?」
取り巻きは、篤英のほうを見ていた。いいのかどうか、無言で意向をうかがっている。
慶充は間を入れなかった。
「佐奈井の父親は、今も私たちを追いかけているはずだ。追いつかれたとして、もしも傷ついたり弱ったりした佐奈井を見れば、怒りに油を注ぐことになる。手強いことは、一度刃を交えているならばわかるだろう」
篤英は考え込むように、無言を保っていた。
「父上は、木材で佐奈井を殴ろうとしたな。案外、思いとどまってよかったのかもしれない」
含みを持たせる。
佐奈井に乱暴を働いたことは、ただでは見過ごせない。いつか必ず見返りを受けてもらう。峰継の目の前で。
「……少年の縄を緩めろ。座らせるくらいならいいだろう」
取り巻きが刀から手を離した。佐奈井の縄を緩めにかかる。ある程度の身動きがとれるようになると、佐奈井はすぐさま腰を下ろした。柱にもたれかかり、はあ、と一つ大きな息を吐く。
「ありがとう」
慶充を見上げて、礼を言ってきた。
「すぐ父親にも会える。それまで辛抱できるな」
「うん」
佐奈井はうなずいてくる。自分に対していまだ素直に振舞っているのが、慶充には痛々しかった。
――恩人の息子を、こんな目に遭わせてしまうとは。
「では慶充、行くぞ」
篤英がせかしてきた。家を出ていく。
「佐奈井への乱暴は許さないからな」
取り巻き二人に含みを持たせて、慶充もまた、父に続いた。
ほとんどの家屋が焼け落ち、新しい家が再建されている。慶充は、その間を歩いていった。織田信長の軍勢による襲撃から半年近くたってもなお、道は煤にまみれている。慶充の履物も黒ずんできた。
「仕えているのは、
あえて呼び捨てにしてみた。その名の者を奴と呼んだ父の腹の内を確かめるために。
「ああ、もう間もなく着く」
呼び捨てにしたことなど、気にしていない様子だった。そのまま歩き続けている。
どうやら父と父の新しい君主とやらは、穏やかならぬ関係らしい。
通りの奥に、再建された家々の中でひときわ大きな家が見えてきた。衛兵らしき男たちが囲い、不審な者がいないか見張っている。
「あの館だ。あそこに桂田様がいる」
篤英はそう、大きな家を指さした。
「わかった」
慶充はそのまま先へ進む。
「お前のさっきの呼び方だが……一応は、今の君主だからな」
今さらになって、篤英は言いつけてきた。
「くれぐれも忠義を誓う態度でいろ。お前は先の戦の折、一乗谷を守ろうと戦って負傷した。大野郡に身を隠して傷が癒えるのを待っていたのだ」
篤英がそう、慶充の長きにわたる不在の理由をでっち上げていく。
「今までどうしていたのか問われたら、このように答えろ。いいな」
慶充は、うなずいた。
篤英は衛兵に声をかけ、そのまま家の中に通された。
中に通され、座敷に上がって、奥で控えている者を見た時、慶充は動きが止まりそうになった。
桂田長俊には、慶充も面識がある。一軍を率いていた男。保身に走る傾向があると聞いていたし、実際、朝倉義景の面前から突如逃亡し、織田信長の軍に投降したという。
その男の容貌が、かつて見た時と異なっていた。瞳が濁っていて、入ってきたこちらに焦点が合っていない。体は痩せ細り、顔がたるんだその様子は、さながら老人のようだった。
――まさか、目が見えないのでは?
「篤英、ただ今戻りました」
篤英が桂田長俊の面前で平伏する。あっけに捕らわれていた慶充も、父に倣う。
「息子の慶充は戻ってきたのか」
当の慶充は目の前にいるのにこの問いかけ。桂田長俊の目が見えないことの証左だった。
このような男が、朝倉義景に代わって今の越前国を治めているというのか。
もし軍事行動をとらねばならない時に、適度に動けるのか。ただでさえ、反乱の噂が絶えないというのに。
「はい。ここに」
慶充は同様をひた隠して、答える。
「長きにわたって一乗谷を不在にしておったようだが、理由は?」
「先の織田信長との戦で負傷し、傷を癒すのに務めていました」
桂田長俊のたるんだ顔に皺が走った。
「織田信長様をそのように呼ぶな。今、この地を支配しておいでなのだぞ」
あっけなく朝倉義景を見捨てて寝返った男らしい発言だった。
「大変、失礼しました」
慶充はそう、頭を下げる。
「……不安か?」
長俊が尋ねてくる。
「はい?」
「この様を見て不安かと聞いている」
「いえ、再びお会いできて嬉しく思いますが」
冷静なまま、慶充は答える。嬉しがる声ではないな、と慶充は自らに呆れた。
「違うな。目が見えない様になって、貴様は不安を抱いている。この先、越前国を治めていけるのかと」
「……その、なぜそのような御目に」
話しづらくて、声が小さくなった。武士として振舞うのは、久しぶりだ。佐奈井たちと暮らしている間は、遠慮も何もなくのびのびと過ごせてきた。
「京に上洛している間に、病に冒されてな。まったく見えない」
盲目の領主長俊はそう打ち明けた。
「慶充よ、このような領主を支える気概はあるか」
長俊の言葉には、今の立場に対する執着があった。恐らく病を理由にしては、領主という立場から降りるつもりなどないのだろう。
「はい。お仕えできること、喜び申し上げます」
嘘をついた。偽りの忠義を誓った。
この男は、間もなく起こる動乱で命を落とすだろう。慶充には、最後まで守るつもりはない。朝倉義景の時と同じだ。
今の慶充にとって重要なのはこの男ではない。佐奈井や、香菜実だ。この男は望んで戦を引き起こし、多くの人々を殺めるがあの二人は違う。絶たれてはならない未来がある。
優しく、誰かが傷つくのをよしとしない二人が、戦に巻き込まれていいはずがない。
今後の動乱で二人が生き延びるためならば、自分はどんなことでもする。最悪、この男を殺めることになっても、それで誰かに罵られても構わない。
「その言葉を聞けてよかった。人手の足りぬ状況だ。頼むぞ、慶充」
長俊はその場を動こうともせず、口だけを動かしている。
濁ったその目では、慶充の心の内も見通せないらしかった。
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