一乗谷

 変わっている。

 夏以降、久しぶりに一乗谷に戻った佐奈井は、まずそんなことを思った。

 夜通し歩かされて、一乗谷にたどり着き、まず見たのは、炭の山だった。燃えて黒くなった木材が、山を作っている。

 それは、半年近く前まで家だった木材の、なれの果てだった。火の手が広まったせいで、谷の斜面の木々も焼けていて、山腹が黒ずんでいる。

 見慣れた山並みと、谷の中央を流れる川がなければ、佐奈井はここが本当に故郷の一乗谷なのか疑っていただろう。

 一乗谷は本当に、織田信長の軍勢によって焼かれたのだ。

 再建が進んでいて 至る所で新しい家が建っているが、かつての賑わいを見せていた時と比べれば格段に、少ない。

 まだ建てかけで柱と梁だけの家もたくさんあって、人がひたすら柱を組んだりしている様子が、唯一、佐奈井を安心させた。これから町は復興していくのだろう。知り合いや友達は無事だろうか。

「戻ったらまず、報告をせねばな」

 横を歩いている篤英がつぶやいた。

「誰に、だ?」

 慶充が問いかける。

「決まっているだろう。桂田吉継様だ」

 佐奈井も知っている。討ち取られた朝倉義景に代わって、越前国を治めている者だ。

「俺も行かないといけないのか?」

 佐奈井は尋ねた。

「お前は来ることはない。薄汚れたお前を殿の前に引き出すわけにはいかんからな」

「薄汚れたとは、聞き捨てならないな」

 慶充がとっさに口を挟んだ。

「佐奈井を父親から引き離した父上は、卑劣と呼ばれるべきだが」

 脅しに屈しきってはいない、と慶充は暗に告げていた。佐奈井を縛る縄を握っている取り巻き二人が、眉間に皺を寄せた。

「こいつ、この少年がどうなってもいいというのか」

 一人が怒りをあらわにするが、篤英は手で制した。

「口だけは立派になったものだな、慶充よ」

「佐奈井は人を思いやる。立場の弱い者に乱暴はしないし、人に苦痛を強いたりしない。あなたとは大違いだな」

 慶充の言葉が、佐奈井を勇気づけた。慶充は、負けてはいない。峰継が現れるまで、何かあったとしても、守ってくれるだろう。

 篤英の目が、ぎろりとこちらを向いた。

「好かれているな、小僧」

 そして篤英は、すぐそばに落ちている、煤にまみれた木材を拾い上げた。佐奈井にずかずかと寄ってくる。

「慶充、お前が大きな口を叩けば、気に入りのこいつがどうなるか見せてやろう」

 殴りつけるつもりだ、と佐奈井は身を固くした。

「父上、よせ」

 慶充の叫び声がむなしく響く。こう縄に縛られていたら、かわすこともできない。佐奈井は目をぎゅっと閉じて、痛みを覚悟していた。

 だがいつまで待っても、叩かれなかった。うっすらと目を開けると、香菜実が、佐奈井と篤英の間に割って入っていた。佐奈井の前で、手を広げ、半歩もない至近距離で、父と向き合っている。

「これ以上、佐奈井には何もしないで」

 香菜実も同じだ。篤英に屈していなかった。怖いことは変わりないはずで、手足が震えている。だが篤英の暗い視線に至近距離からさらされても、彼女はその場を立ち退こうとしなかった。

「乱暴はしないという約束のはずだ。父上はそれを違えるつもりか」

 慶充も咎めている。

 篤英は慶充を睨むと、掲げていた木材を放り投げた。

「香菜実も同じく、以前よりも大胆になったものだな」

 娘への乱暴はしないらしい。篤英は香菜実に背を向けて歩き続ける。

 しかし佐奈井は、篤英への警戒を緩めなかった。いつか、香菜実に対しても、この男はひどいことをするはずだ。その時には自分が痛めつけられることになってでも……

 香菜実はそっと、縛られている佐奈井の手に触れた。

「大丈夫だった?」

 佐奈井が尋ねてくる。何度、佐奈井は彼女に心配されてきただろう。

「香菜実だって、無茶するなよ。遅かったら、お前が殴られていたんだから」

 香菜実は、

「ごめんね、こんなことに巻き込んで」

 道中、何度も聞いた言葉だ。怖いのは香菜実のほうなのに。

 佐奈井は、笑ってみせた。

「いいや、むしろ連れ去られてよかったのかな。香菜実から離れたくなかったから」

 小声でつぶやくと、香菜実の頬が赤らんでくる。佐奈井の手をとっさに放し、口元を押さえた。

 ――何を言っているの!

 そんな言葉が聞こえてきそうだった。

「おい、お前。勝手なことをしゃべるな」

 佐奈井が勝手なことをしゃべるので、取り巻きがたしなめてきた。

「おとなしくしていて」

 顔を赤らめたまま、香菜実まで哀願してきた。佐奈井は顎を引いて、黙り込む。ついでに慶充を盗み見た。

 慶充は声をかけてこない。父篤英の後ろを黙々と歩いている。だが、ふと後ろを振り返って、佐奈井と目を合わせてきた。慶充も、脅しに屈していない。何かしようものなら、守ってくれるだろう。

 だから大丈夫だ。

 佐奈井から、恐怖が薄らいでいった。

「おい、家に着くぞ」

 篤英が告げた。

 篤英は、向かう先に建つ家に向かっている。織田信長の軍勢が襲撃してきた折に、慶充の家も焼けたようだ。一乗谷を逃れる前の慶充の家よりも、ひとまわり小さくなっていた。新しい。塀や門も焼け落ちたまま作り直してはいないようで、家だけが、ぽつんと建っている。

 佐奈井たちは、その家に通された。佐奈井は立ったまま、土間の柱に縛りつけられる。

「お前たちは佐奈井を見張っておけ。香菜実もこの場にいても構わないが、慶充は儂と来い」

 篤英が告げる。

「何をするつもりだ?」

 慶充が聞く。

「決まっているだろう。桂田長俊様に挨拶をする。今は奴に仕えている身だからな」

 篤英の言葉が奇妙だった。仕えている者を、奴と言い放った。

 何か変な意図があるのではないか?

 佐奈井は、しかし黙っていた。慶充も、聞き流すふりをしている

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