偽りの父親
篤英たちは、峰継や慶充が上手く止めているらしい。香菜実と佐奈井を追いかけてくることはない。何度も刃を交え、甲高い金属音が響いたが、いつしかそれも聞こえなくなった。
ただ香菜実が心配しているのが、戦いに至ってしまって、峰継や慶充が傷つかないかということだ。
――そして、佐奈井のことも。
香菜実は走りながら、佐奈井の手を握っていた。
その手が、こわばっている。離れないようにか、強く握っているのだが、余分なまでに力が入っていた。
佐奈井は、怖かったはずだ。
突如として刀を向けられて、殺されかけたから。この間、賊に襲われた時のように。
走っているうちに、香菜実は佐奈井の足取りがおぼつかないことに気づいた。遅れ始めている。
「止まろう。もう追いかけてきていない」
香菜実が声をかける。佐奈井は足を止めると、両膝に手をついた。はあはあと苦しそうに息を吐いている。
佐奈井も佐奈井で、息が苦しかった。
「ごめん、私の父上が」
香菜実は声を絞り出した。
恥ずべき父親。佐奈井の父親の峰継とは大違いだ。子どもで、武器を持たない佐奈井にすら刀で切りかかった。
だが佐奈井は、色白な顔で笑ってみせた。
「何で香菜実が謝るんだよ」
「だって」
「あいつらは父さんと慶充が食い止めてくれている。俺らはさっさとどこかに隠れれば、それでいいんだよ。……歩こう」
佐奈井は再び歩き始める。香菜実もその隣を歩いた。
「香菜実のほうも、大丈夫なのか?」
佐奈井は前を向いたまま尋ねてくる。
「何が?」
「せっかくまた会ったのに、あんな風に引き離して」
峰継を父親に持つ佐奈井だから、こんな言葉を吐けるのだろう。
「いいよ。襲ってきたのは父上だし」
「それでも父さんだろう、なのに」
「だからって、引き返すこともできない」
今、篤英の元に向かったら、佐奈井は確実に殺される。
怯えながらも心配してくる佐奈井を見ていると、自分がみじめに思えてくる。
きっと佐奈井の父親の峰継が普通なのだろう。
一乗谷にいる時から思っていた。村への放火を命じたと思えば、慶充にだけ暴力をふるう。黙って慶充が殴られる音を聞きながら、父が異常だと思っていた。一乗谷にいられなくなって、峰継や佐奈井と一緒にいる時のほうが、むしろ落ち着けた。血の繋がった家族ではないのに。
「園枝さんのところに行こう? 匿ってくれる」
佐奈井は、とたんに足を止めた。
「どうしたの?」
まるで園枝のところに行きたくないとでも思っているみたいだ。
「……あそこには、行きたくない」
佐奈井がなぜそんなことを言うのか、香菜実はまったく考えなかった。
「そんなこと言っている場合じゃない。早く」
香菜実はそう、無理やり佐奈井の手を引っ張っていく。
二人は頼孝の家の前に着いた。
息を切らしたまま、二人はかつて居候した家へと歩み寄っていく。どう説明しようか、と香菜実は一瞬だけ考えるが、やめた。外でぐずぐずしていたら、篤英に見つかるかもしれない。
ためらうことなく、香菜実は戸を叩いた。
すぐ園枝が出てくる。
「あんたら、いきなりどうしたの?」
園枝は、しかしすぐに口をつぐんだ。佐奈井は、背後を振り返り、いまだ怯えた様子でいる。つないでいる手が震えていた。
――たぶん私も同じだろうけど。
香菜実の手も、汗でぐしょぐしょになっている。
「とにかく入って。話は中で聞く」
二人は言われるまま、中に入った。
戸が閉じられる。
「とにかく上がってちょうだい。温かいものを出すから。飲んだら落ち着くはず」
まるで母上みたいだ。香菜実はおぼろげな記憶の中の母親と、園枝を重ね合わせていた。
香菜実と佐奈井はせかされるまま、土間から上がった。思ったとおり、頼孝や理世がいた。二人は、何か深刻なことでも話していたのかもしれない。佐奈井と香菜実を見ても無表情だ。
理世は会うと、すぐに笑顔を返すはずなのに。
「何があったの?」
理世が尋ねてくる。
「父上が来たの」
香菜実は答える。血が繋がっているはずなのに、そばにいて心落ち着くことのできない、信の置けない父親に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます