動乱の予兆

 佐奈井さないは、頼孝よりたかの家へと向かっていた。

秋はとうに過ぎた。風に冷たいものを感じるし、紅色や黄色に色づいていた山も、落葉が始まっている。雪が降るのはもうすぐだろう。


 佐奈井は園枝そのえから薪集めを頼まれていて、背負子には崩れ落ちそうなほどの薪が積まれている。香菜実や、慶充と一緒に割っておいたから、今すぐ火にくべられる。

 ――園枝さんや理世りせは、喜ぶかな。それとも遠慮するかな。

 薪の重みに耐えながら、佐奈井は口元を緩ませる。園枝に頼まれたのは、一日もつ程度の量の巻だ。だが佐奈井の背には、二日はもつほどの薪がある。しばらく宿と食事を提供し、仕事も紹介してくれた恩を返そうと、あえて多めに集めたのだった。

 そして佐奈井は、頼孝の家の前にさしかかった。声を上げようと息を吸う。


 ふと、家の中から話し声が聞こえた。

「ふざけないで」

 園枝の声だ。鋭くて、佐奈井は身を凍らせた。

「ふざけているつもりはないが」

 今度は頼孝の声だ。落ち着き払っている。

「現状を考えれば、そうするしかない」

 二人は、何を話し合っているのだろう?

「今あんたが言ったことに加担すれば、何が起こるかわかったものじゃない。理世も巻き込まれるし、あの佐奈井や香菜実だって無関係じゃなくなるのよ」

 自分の名が出てきて、佐奈井はますます身が硬直していく。それに香菜実も、どうなるって……?

「俺の一存ではない。ここの連中に不満が溜まりきっているのは、お前にもわかるだろう」

 不満。

 佐奈井にも、何となく頼孝の言うことがわかってきた。

 田の稲刈りの最中や、水汲みで走りまわっている時、大野の人たちがこっそりと話していた。

 ――また多くの収穫を持っていかれるぞ。

 ――冬を越せるほどの食い分は残されるんだろうな。


 実際に、朝倉義景を討ち、ここらを統べる朝倉景鏡によって、収穫の多くが持っていかれた。

 越前より北の加賀における一向一揆勢を警戒して、兵力の強化、及び糧食の確保を図るためらしい。だが領民たちにとって重要なのは自分たちの食い分であって、勢力図などではない。

 佐奈井たちと一緒に稲刈りをした者たちの表情も、変わった。佐奈井に話しかけてはからかったり、一乗谷から逃れざるを得なかった身の上を心配したりしていた人たちは、話しかけてこなくなり、逆に冴えた目を向けてくるようになった。佐奈井たちに働いた見返りとして食料を与えたがために、年貢で持っていかれていた自分たちの食い分がさらに減ったから。

 彼らとすれ違う時に舌打ちされたのは、何度あったことだろう。今や気さくに話せるのは、園枝や理世くらいだ。

 ……戦乱から逃れるためとはいえ、自分たちはよそ者。

 ……よそ者に親切にできるのは、余裕がある時だけ。

 これまで田に入れて仕事をさせてくれただけでも、大きすぎる親切なのだろう。

 戦を続けてきた朝倉義景の治世下で疲弊した民たちは、さらなる疲弊にさらされている。

 当然、佐奈井たちも、あまり多く食べていない。少ない雑穀混じりの米に、野草や川で獲った魚を足し合わせて、何とか食いつなぐ生活を続けている。


「ここらに支配者はいらない。蜂起の噂の件は、お前たちも聞いているだろう」

 佐奈井は、薪を積んだ背負子を降ろし、その場から逃げ出した。薪が散らばって、どうした、という頼孝の声が響く。佐奈井は止まることなく逃げていった。

 また、戦いが起こるというのか。

 

 その時、大野の地に足を踏み入れる者がいた。


 佐奈井は、急いで家に戻っていた。古びていて、佐奈井たちが入る前までは主すらいなかった家は、柱や壁の色がくすみ、葺かれた屋根の茅は古びていて、草が生えている。だが、傾いたりはしておらず、しっかりと建っていた。慶充や香菜実たちと暮らす、なじみ始めた家。

 しかし戻ったからといって、佐奈井は心を落ち着かせることもなかった。息が苦しく、膝に手を載せながら、家を見つめる。

 戸が開いて、中から香菜実が出てきた。

 疲れ果てた様子の佐奈井を見て、足を止める。

「どうかした?」

 頼孝たちの不穏な会話のことを話そうとして、やめた。

「何でもない。ちょっと走ってみたら、疲れてしまっただけだよ」

香菜実に伝えたところで、何になるわけでもない。

 ただ混乱させてしまうだけだ。

「本当に?」

 香菜実かなみは疑ってくる。

「うん。あと園枝さん、喜んでいたよ。俺たちが言われたよりたくさん薪を集めてくれたって」

 香菜実の表情は変わらない。嘘だとばれたら、すぐにでも怒り出しそうだ。

 佐奈井はどう言い繕えばいいのかわからなくて、香菜実から視線を逸らしたまま黙っていた。

 何があったの、と詰問されて、正直にさっき聞いた話を白状しようか、とすら思う。

 その時、

「……嘘」

 香菜実がつぶやいた。

 どうしたのか、と佐奈井は彼女を見つめる。香菜実は、こちらを向いてはいるが、佐奈井を見つめてはいなかった。正確には佐奈井の背後を見つめている。

 そして、瞳が震え、顔を引きつらせていた。

 佐奈井は、香菜実の視線をたどって、後ろを向く。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る