四人という家族

 日がたった。大野の地も暑さが薄らいできて、稲も黄金色を帯びていた。収穫期を迎えて、佐奈井は稲刈りに駆り出されていた。

 今、佐奈井たちは大野郡に残っている。皆、一乗谷に戻りたいというのが本音だ。だが一乗谷は火が放たれ、すべてが灰の山になった。賊の襲撃を警戒しながら一乗谷に戻っても、家を建て直すことから始めなければならない。佐奈井と峰継が育てていた稲も、燃やされただろう。

 幸い、空き家があって、頼孝に勧められるまま、佐奈井と慶充の親子と、慶充と香菜実の兄妹はそこに住んでいる。

 佐奈井は、大野郡の人たちに混じって、稲刈りに出されていた。稲を刈り取っては、鎌を帯に挟み、運んでいく。抱えられるだけ抱えているから、前が見えにくい。

「無理すんな、小僧」

 ここの人から冷やかし混じりに声をかけられる。

「はーい」

 佐奈井は稲を抱えながら、大きな声で応じた。


 田の脇に置かれた筵の上に、刈り取った稲を置く。だいぶ、この田も収穫を終えた。黄金色に輝いていた田だが、今は半分ほど、どす黒い地面をあらわにしている。

「佐奈井」

 香菜実が畦道を走ってきている。肩から竹の水筒を提げていた。

「ひと段落ついた?」

 走ってきて、香菜実の呼吸が荒くなっていた。

「うん、皆も休んでいるし」

 香菜実は、肩から提げている水筒を佐奈井に手渡した。

「ありがとう、ちょうど喉が渇いていたんだ」

 急いで水筒の栓を抜いた。

「稲まみれになってる」

 香菜実は笑って、佐奈井の肩についた稲の葉を払い落とす。水筒の水に口をつけようとしていた佐奈井は、手を止めた。

 香菜実の仕草が、母を思い起こしたからだ。死んだ母も、こうして収穫の時期になると、田から出た佐奈井の着物に付いた稲の葉を払い、水を飲ませていた。

「どうしたの?」

「何でもない」

 佐奈井はそのまま、水筒の水を飲み始める。汲んだばかりで冷たい水が、佐奈井の体を満たしていく。

 慶充も香菜実も、今は家族も同然だった。古びていて、冬場が不安になるほど隙間風の多い家だが、それでも同じ屋根の下で暮らしている。一乗谷にいる頃は会うこと自体、人目をはばからなければならなかったが、今は違う。

 慶充も香菜実も、いつでもそばにいるし、たくさんのことを話せる。

 嬉しいけど、佐奈井も香菜実も多くを失った。互いの家がそうだし、香菜実にとっては父や兄は生死不明だ。佐奈井も佐奈井で、知人の行方がわからなくなっている。……だけど。

 佐奈井は、水筒の水を飲み干した。

「おいしかったー」

 佐奈井はあえて、周囲に聞こえるほどの大きな声を出す。

「大げさだね。いつも汲んでいる水だよ」

 香菜実ははにかんだ笑顔を浮かべている。

 自分も香菜実も、これからも、何かを失うかもしれない。だから佐奈井は、せめて香菜実の前だけは、たくさん笑顔でいられるように心掛けていた。 


 峰継は、木陰で腰を降ろしていた。すぐそばには慶充がいる。収穫の合間の、わずかな休憩時間だった。

「一乗谷を発つまでは、こうもゆっくりと話せるとは思えなかったのだがな」

 峰継は慶充に話しかけた。

「息子の佐奈井とは、隠れてよく話をさせてもらったし、鍛えてやった。峰継さんも、薄々と気づいていたんじゃないのか」

 慶充はいたずらっぽく言ってみせる。

「息子が泥まみれで戻ってきたと思えば、手に豆を作っている。しかも刀を振ってできる類のものだった」

 やっぱりだ。

「剣術に達した者と密かに会っている、というのは気づいていたが、まさかお前だったとはな」

 峰継も皮肉に笑ってみせた。

「鍛える甲斐ならあったよ。厳しくしても食らいついてくるし。気がついたら私は、あいつに入れ込み過ぎていた」

「構わない。どのみち今は、同じ屋根の下で暮らしている身だ」

 慶充は、そこで笑みを消した。

 佐奈井は落ち着いてきた。今後のことで不安を口にすることはあるけれど、元気にすごしているし、香菜実とも仲良くしている。ならばそれでいい。おまけに自分も、こうして峰継と話ができている。一乗谷にいた頃は、互いに気楽に話すなど、まったくあり得なかった。

「懐かしいな、三年前が」

 慶充はつぶやいた。初陣を迎えたばかりだった頃、垂井での出来事は、苦い記憶だ。

 暴漢から自分をかばった峰継を背負って逃げていた。

 ――息子がいるんだろう、お前。なぜ俺をかばった。

 足から血を流す峰継に、慶充はそう罵った。

 ――その傷でもしものことがあったらどうする?

 慶充は取り乱していた。息子の佐奈井とは、当時は会ったことがなかったけれど、峰継がよく話していた。もちろん、母親がいないことも。

 自分のために、峰継が犠牲になり、佐奈井までつらい思いをするかもしれない。それが怖かった。

「あなたは、平気だ、何とかなるの一点張りだったっけな」

「今も生きているし、どうということもないだろう。お前が引きずるほどのことでもない」

 峰継は真顔で言い、右足の古傷をたたいてみせる。

 峰継の態度に、慶充は腹を立てた。

「佐奈井はずっと心配しているがな」

 苛立つままそう告げる。

「あいつとは会うたびに、あなたの足のことを話していたぞ」

 いつまで平気なふりをしているんだ、という言葉を、慶充は吐き出したくて、我慢していた。

「起こったことをいつまでも気にしていて、何になる?」

 峰継はただ、淡々としていた。こちらが苛立っているのには気づいていて、あえて受け流しているという具合だ。

「息子には迷惑をかけてきたが、あいつは元気にしている。私には充分だ」

 それで、慶充の苛立ちは途絶えた。ここで腹を立てたところで、慶充の古傷が消えるわけではない。

「私の傷のことよりは、今後のことだな」

 もう充分だろう、と言いたそうに、峰継はその話を切り出した。

「ああ」

 峰継と佐奈井の親子と、自分と香菜実が一緒に、今は穏やかに暮らしている。

 だが周囲の状況は、この暮らしをいつまで許してくれるのか。

「慶充、また難しい顔になったな。もっと大きな懸念がありそうだ」

「今後のことだ。……雰囲気が怪しい」

 慶充は声を小さくした。

「……私も思っていた」

 峰継は、周囲を見渡す。大野郡の広い盆地は、もう見慣れた。豊富な湧水に、肥沃な土地。獲れる米の量も、はるかに多いだろう。

 だが人々の様子がおかしいのを、峰継も慶充も見逃してはいなかった。どことなく不安に満ちている。今後のことが見通せない、という顔だった。それに、不満を抱えている。

「朝倉義景が織田信長に戦を続けたために、今は誰もが疲弊している。おまけに、残されて越前を取り仕切っているのは、裏切りで織田信長に寝返った者ばかりだ。朝倉義景に続いて越前を統治することになったのは、あの前波長俊だ」

 前波長俊、かつて朝倉義景の家臣だった者だ。近江で織田信長と対峙していた際、突如として織田側の陣に脱走したという。そして先日の織田信長の越前侵攻で道案内役を務めたらしい。

 さらに、もっと不穏な噂もあった。朝倉義景の旧家臣の不仲だ。大した功績もなく、織田信長によって取り立てられ、越前の統治を任されるに至った前波長俊を煙たく思う旧家臣が多いらしい。

 今や越前の地では、何が起こってもおかしくない。

 幸い先日の織田信長による越前侵攻では、香菜実や佐奈井を戦火に巻き込むことはなかった。だがこんな幸運がいつまでも続くと考えないほうがいい。

 ぱんっ、と慶充は背を叩かれた。

「お前だけがすべてを抱えていると思うな」

 慶充の不安を見透かしたように、峰継は励ましてくる。

「私がいる」

 慶充は、峰継の言葉がありがたかった。

 家の者はいない。峰継や佐奈井がいなければ、自分は一人で香菜実を守らなければならなかった。正直、ここまで来ることができたかどうかも怪しい。

「頼りにしている」

 慶充の言葉に応じるかのように、峰継は拳を差し出してきた。無言で促されるまま、慶充も拳を握り、そして互いに軽く叩き合う。

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