仇は討たれど

「いつからそこにいた?」

 峰継が慌てて佐奈井に声をかけている。

「何を話しているの?」

 父の言葉も無視して、佐奈井が尋ねてくる。

 ただ外で大人たちが話しているだけならば、怪しむことはなかったかもしれない。しかしこの場には、敵である駿岳がいる。

「父さん、この男と関わっていたんだな」

 やはり聞かれていた。

「お前には関係ない。早く戻って寝ていろ」

 自慢の息子であるはずの佐奈井に対して、峰継は冷たく言い放つ。

 当然、そこで引き返すほど佐奈井は素直ではない。まして父の足の古傷の原因を聞いたばかりだ。

「関係なくないだろう」

 峰継の足の傷のことは、佐奈井が知ったとしても不都合はない。むしろ佐奈井自身にとって切実なことだった。一乗谷の滝で密かに会っている間、佐奈井は父親の足の傷のことを持ち出しては、心配していた。

 慶充はそれを聞きながら、傷の原因の一つが自分にあることを後ろめたく思ってきたのだ。

「心配する必要はない。お前の父親の傷は、ただ慶充をかばってできたものだ。私がこんなことを話せば、変に思うかもしれないが」

 佐奈井は、黙りこくった。

「慶充はただ、私の家族をかばった。それだけだ」

 慶充の了承もなく、駿岳は話し続ける。

「息子も助けられた。彼には感謝している。日中にお前や香菜実を助けたのは、せめて恩を返そうと思ってのことだよ」


「……ちょっと待った」

 佐奈井が唐突に口を挟んだ。

「三年前のその戦って、確か村を放火しろっていうものだったよな。どうして慶充が、逆にそこの人たちを助けているんだ?」

 やはり、食らいついてきた。

「佐奈井がそう思うのは、もっともだよ。私がしたのは、父への命令違反だ。実際、父に向かって刀を向けたしな。斬り捨てられてもおかしくはなかった」

 佐奈井は拳を握っている。

「その戦の後、慶充はどうなった?」

「お咎めなし、なわけがない。進軍には同行させてもらえなくなった。軍功を立てる機会がなくなってしまえば、家の中で落ちぶれるだけだ。もっとも、もう出世だのを気にする必要はなくなったが」

 軍功を取り立てる朝倉義景は滅んだ。

「……慶充は、よく痣まみれになっていたよな。それは家の連中に乱暴されてできたものなのか?」

 佐奈井は、もう確信しているらしい。慶充はうなずくことも、否定もしなかった。

「どうして隠していたんだよ」

 佐奈井は声を震わせている。

「私のことは、私自身のものだ。お前が抱え込む必要はない」

「俺が頼りにならないから?」

 悲痛ともいえる声に、慶充は、痣があった場所が痛むのを感じた。一月以上も前、北近江に出る前の父に殴られてできたものだ。もう消えたはずなのに。

「つらいことがあったら言えよ。初めから決めつけてないで。ちょっとでも、やれることがあったらさせてくれ」

 慶充は、佐奈井に歩み寄り、そっと頭に手を載せた。

「ありがとう、それと、すまなかったな。そんな風に言ってくれるのは、香菜実以外にお前だけだ。私は本当に平気だ。お前や香菜実がいるし、峰継さんもいる。もう案じる必要はない」

 峰継の息子だから、もっといえば、傷ついた父をそばで守ってきたからこそ、佐奈井はこんな風に人を思いやれるのだろう。


「……亮は助けられたが」

 さっきから黙っていた駿岳が、再び口を開いた。

「かといって、お前たちの都合のいいように考えないことだ」

 駿岳の鋭い視線が、峰継と慶充に注がれた。

「あの襲撃で妻が死んだことに変わりはない。何ら理由もなく村を焼いて、略奪の限りを尽くした所業を覚えている者は多い。もし殺された朝倉義景がこの地で抵抗を続けるのなら、ここらも焼き払っていただろうな」

 駿岳の目に鋭いものがある。

「わずかでも対立する素振りを見せたなら、お前たちでも容赦はしないと思え。こちらも妻の仇を討つ」

「仇は討たれたのにか」

 慶充が言う。兄を含め、駿岳の家族を襲った者たちは、全員が殺された。

駿岳はじろりと睨んできた。

「足りると思うな」

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