敵同士で

 慶充よしみつにとって、眠れぬ夜を過ごすのは、久しぶりだ。囲炉裏の火が落とされ、家の中が暗闇に包まれてから、何刻がたっただろうか。

 落ち着けないのは、同じ屋根の下に駿岳がいるからだ。

 隣で横になっている佐奈井さないは、すでに寝息を立てている。頼孝よりたかもしかり。襖を隔てた向こう側では、園枝そのえ理世りせ香菜実かなみが川の字になって寝ている。

 峰継みねつぐは、寝入っただろうか。それから駿岳も……。


 隣の佐奈井が、唐突にうなった。苦しそうで、慶充は思わず身を起こす。

 同時に、峰継も起き上がった。

「また悪い夢を見ているな」

 峰継がつぶやきながら、息子の背に手を当てる。

「仕方がない。こんな状況が続いて、神経をすり減らしているんだ」

 慶充は言って、佐奈井の手を取った。刀の稽古でよく豆をこしらえた手が、弱々しく震えている。

「ああ。日中は、元気そうにしているんだがな。何かと無理をする子だから」

 峰継は佐奈井の頭を撫でる。父の大きく優しい手に、佐奈井の震えがおさまり、寝息が落ち着いてきた。

 峰継は、立派な父だ。

 佐奈井の手を取ったまま、慶充は笑みを浮かべる。


「……まだ起きているのか」

 駿岳しゅんがくの声がした。暗闇の中で、身動きする音が聞こえる。

「何か用か?」

 慶充が駿岳に応じる。

「慶充と話がしたい、と思っただけだ。できれば峰継とも。他の者に聞かれたくないから、外に出てだ」

 三年前のこと、だろう。

「わかった」

 慶充は佐奈井の手を放し、立ち上がった。

「俺は、しばらくここにいていいか。息子の様子を見たい」

「構わない」


 月明かりの中で、慶充と駿岳は外に出た。兵たちは、宿を見つけて落ち着いたのだろう。出歩く者は一人もいない。

「……三年前の礼は、まだ言っていなかったな」

 駿岳は話し始めた。

 慶充は、呼吸が苦しくなるのを感じた。

「……礼を言われる筋合いはないはずだ」

 三年前、家族を助けると約束しておいて、駿岳の妻が殺された。

「だが息子は助かった。お前が作ったあの一瞬で」

「その息子、りょうは健在か?」

 不躾だ、と慶充は思う。気軽に尋ねていいことではない。だが駿岳は気にしていないらしかった。

「もちろんだ。そして初陣を迎えている。別行動をとっているがな。若すぎるゆえに、敵地の奥深くへの同行は許されなかった」

 当時の亮は、今の佐奈井くらいの年頃だった。兵になっていてもおかしくない。

「息子の名を覚えているということは、妻の名も覚えているのか」

「ああ」

 彩愛あやめ、と呼ばれていた。口にその名を出そうとして、憚られる。

 顔も、今でも思い出すことができる。

 三年前、慶充の目の前で殺された兄の死に顔はよく覚えている。刃を向けた自分を咎め、顔を歪めた父の様子も同じだ。だがそれよりも、彩愛の顔を夢に見ることが多かった。彼女の短い悲鳴を思い出しては、苦しい夜を過ごし、香菜実に心配されながら目を覚ましてきた。


「妻を覚えているだけでも充分に、報われるというものだ。……では本題に入るか。なぜ、私を殺そうとしない?」

「殺す?」

「三年前のあの時、私が手をかけた者の中には、お前の兄がいたんだろう」

 ――兄上、やめてくれ。

 確かに慶充は、あの場でそう叫んでいた。

「仇を討つ機会ではないのか」

「仇討ちなどしている場合ではない。そんなことをすれば、佐奈井や園枝さんたちの立場も危うくなる」

「兄の恨みはまったくないというのか」

「兄の行動はとても許されないものだった」

 同じ釜の飯を食べ、共にすごした兄を失ったのは惜しいし、兄の死に泣く香菜実を見るのもつらかった。

 だがその兄は、咎められるいわれもない民に手をかけようとした。

 恐らく兄は、彩愛だけではなく駿岳も、さらには子どもの亮も殺めようとしたはずだ。息子を守ろうとした駿岳の行動は理にかなっているのに、どうして仇とみなすことができよう。それは、身勝手だ。


 戸が開いた。中から峰継が現れる。

「佐奈井は?」

 慶充は尋ねる。

「落ち着いてきた。で、何を話していた?」

「過去のことだ。峰継さん、この人を覚えているか」

 峰継は、じっと駿岳を見つめていた。

「覚えている。三年前のあの時、あの場にいた」

 やはりだ。

「佐奈井という少年は、お前の息子だな」

 駿岳の問いかけに、ああ、と峰継はうなずいた。

「私の目の前で慶充をかばってできた足の傷は、相当に深かったはずだ。足の動きが不自然なのは、あの時の傷によるものだろう。よく息子を守れたな」

「息子に助けられてきた、と言ってもいい。戦場には立てなくなったが、佐奈井がいたがために、田を耕すことができた」

「自慢の息子というわけか」

「そういうことになるな」

 峰継は淡々と話している。

 駿岳の目には、穏やかならぬものがある。落ち着き払った顔の皮一枚下に、憎悪が潜んでいた。頼孝の家に立ち入った時からずっとそうだ。

 峰継は駿岳の内に潜む悪意に気づいていて、動じるつもりはないと態度で示していた。

 物音が聞こえて、峰継と慶充は振り返った。閉めたはずの戸がかすかに開いていた。戸の裏に潜んでいる誰かが開けたのだ。

「誰だ」

 峰継が声をかける。戸を開けた者は、観念したのかもしれない。戸を大きく開いた。

 佐奈井だった。

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