森の中で

 佐奈井は、慶充に連れられて森の中にいた。

 慶充が近くの木から切った枝を刀に見立てて、構えている。木の棒の先は、同じく刀に見立てた木の棒を構える慶充がいた。

 二人がいるのは、人気のない森の奥深くだった。滝がないことを除けば、一乗谷に戻ったみたいだ。

 佐奈井もすでに、着物が土や草のくずにまみれている。一乗谷で平和に暮らしていた時みたいに。


 佐奈井が先に動いた。

 木の棒は太さも重さも充分にあって、一乗谷で振った木刀と大差ない。慶充が佐奈井の刀を受け止めると、乾いた音が響いた。

 手に痺れが走りながらも、佐奈井はもう一度縦斬りを仕掛けた。慶充が受け流し、袈裟斬りを仕掛けてくる。佐奈井はとっさに刀を振り上げて防いだ。鍔迫り合いになる。

 体格に差があるのだが、慶充は躊躇なく押し込んできた。佐奈井は必死に抵抗するが、後ずさりを始める。

 背が木にぶつかった。急な衝撃に思わず目を閉じて、開けた時には、慶充が自分の首筋目がけて木の棒を振り下ろすところだった。佐奈井の体に当たる直前で止める。

「力で押し切ろうとするからこうなるんだ。受け流すことも考えろ」

 予想どおり叱りつけてくる。

 ここのところ慶充は、厳しい。一乗谷で密かに会っていた時と比べて、ぴりぴりした雰囲気を放っている。だがそれは、単純に先行きの見えない状況に焦っているというわけではない。

「しばらく休むか。時間を置いて冷静になることも大事だ」

「うん」

 慶充は木の棒を地面に置くと、佐奈井の汚れた着物をはたいた。

「また土まみれ。一乗谷に戻ったみたい」

 自分の身なりを見て、佐奈井はつぶやく。佐奈井を鍛える側の慶充は、汗をかいているのを除けば、着ている物はきれいなままなのに。

「……擦りむいているな」

 慶充が、佐奈井の左肘を見ながら言った。土で黒ずんだ擦り傷に、血がにじんでいる。

「近くに沢があるから、行くか。喉も乾いただろう」


 二人は森の中を歩いていく。

 朝倉景鏡が投降してから、柴田勝家が率いる織田軍は数日にわたって大野郡に滞在していたが、今は兵の大半が引き上げていた。南での敵勢力、浅井長政の討伐がまだ終わっていないからだという。

 今後のことはどうなるのかは、織田信長やその家臣たちの采配によるもので、確定的な情報はない。だが織田側に投降した朝倉の旧家臣たちが越前の地を取り仕切るだろうと、頼孝や峰継たちは話している。

「ねえ、いい?」

 佐奈井は慶充の背を追いながら、話しかけた。

「どうしたんだ?」

「あの、駿岳っていう男のことだよ。二人きりだし、今話しても大丈夫だよね」

 夜中に殺気立ち、家族の復讐を唆した駿岳は、翌朝は物静かだった。

 ――今後の無事と幸運を祈る。

 それだけ言って、いなくなったのである。

「その前に、あの夜はどこまで聞いていた?」

「父さんが外に出るまでは、何も知らない」

 だから家族を守ろうとした、と駿岳に言われても、詳しいことがよくわからなかった。

「知ってしかるべき、だよな。お前も知っているとおりだ。三年前に命ぜられたのは、織田の支配勢力の放火だった。織田に攻め込まれた後で、牽制のつもりだったらしい」

 そこで朝倉の兵は、略奪を始めた。戦と無関係な者たちにも手をかけた。

 美濃国のことは、佐奈井は傷ついて帰ってきた峰継から聞いていた。父が戦に向かわなくなったのは、足の古傷のためだけではない。略奪に加担するのが耐えられなくなったからだろうし、佐奈井も、父がそんな行為に走って欲しくなかった。

「美濃国であの男と会ったのは、偶然だ。たまたま家へ向かって家族を守ろうとしていた」

「そしてあんたは、助けようとした、だろ」

 慶充は寂しげ笑みを浮かべて応じた。


 佐奈井と慶充は、沢にさしかかった。水の流れのそばに、二人は隣同士でしゃがむ。

「駿岳の家にさしかかった時に、兄を含めた味方が襲ってきた。……しみるぞ」

 佐奈井の擦りむいた左肘に、慶充が水をかけた。冷たく、傷がしみて、佐奈井は片目をぎゅっとつぶる。

「大丈夫」

 佐奈井は洗われた擦り傷を見つめながら言う。慶充は布で擦り傷についた水気と血を拭っていく。

「兄たちは、駿岳の家族にも矢を放った。それが、彼の妻に当たった」

 佐奈井の左肘に止血の布を巻きながら、慶充は話す。

 ……その慶充の手から、震えが伝わってくる。

「……ごめん、話しにくいこと」

「いいさ。事実だから」

 強がっている。

 慶充は笑みを浮かべているけれど、寂しさはしっかりとにじみ出ていた。

「駿岳を襲った兄たちは、逆に駿岳によって殺された。でも仇を討つべきとまでは考えられない。兄たちも、略奪に加担していたから」

 ――仇は討たれたのにか。

 あの夜、慶充が言っていたのは、そういう意味だったのか。

 ――足りると思うな。

 慶充は、止血の布を結び終えた。

「あの時のことは、正直まだ割りきれていない。本当はね、私は弱いんだ」

「そんな、違うよ」

 佐奈井はつい、わめいた。

「慶充はいつも堂々としているだろ」

「強がっているだけだ」

「ここに来るまで、俺たちを守っていたし」

「略奪や放火を止められるほどではない。守れるのは少人数で、状況によってはそれさえも守れないんだ」

 実際、一人の死を防ぐことができなかった。

「だったら、俺も頑張るよ。あんたが一人で抱え込んだりしないように」

 せいぜい佐奈井には、そう強がることしかできなかった。

 慶充の目に、再び生気が戻ってくる。

「ああ、頼りにしているぜ」

 そうやって、佐奈井の肩を軽く叩くのだった。

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