佐奈井の背で彼女は

 翌朝、朝餉を終えてすぐに出発することになった。

佐奈井さない香菜実かなみが手伝ってくれたから、すぐに出られた。ありがとう」

 理世りせが荷を背負いながら、二人に言う。

「いえ、兄の傷だけでなくて、いろいろお世話になったから」

「香菜実はおしとやかだね」

理世はそう、香菜実の頭を撫でる。

「理世も二人も気をつけて。この先に賊がいるかもしれないんだから」

 園枝そのえが注意を飛ばす。うん、と理世はうなずいた。

 昨日までに引き続いて、谷間の道を歩いていく。峰継みねつぐ慶充よしみつは昨日のように、いつ賊が現れてもいいように、それぞれの腰の刀に手を添えていた。

 二人して不穏な雰囲気を漂わせているものだから、佐奈井は話しかけづらい。おまけに、昨晩の園枝は気さくに佐奈井や香菜実に話しかけたのに、今は無言だった。

 無駄な話ができる状況ではないのだ。佐奈井は仕方なく、黙ったまま一行に従っていた。もし話をしていれば、賊の類に目をつけられるし、こちらも警戒が緩んで接近されても気づけない。

 それに佐奈井自身、警戒で身がこわばっていて、気楽に話ができる状態ではなかった。昨日は賊に押し倒され、連れ去られそうになった。あのまま慶充が何もしなければ、今頃何をされていたのかわからない。


「香菜実、どうしたの?」

 理世が口を開いた。とっさに佐奈井は香菜実を見る。顔色が悪かった。汗の量がすさまじい。

「止まってくれ」

 佐奈井がとっさに、先頭を行く峰継と慶充を呼び止めた。

「平気、まだ歩ける」

 弱々しい声で言うのが、佐奈井を苛立たせた。

「真っ青じゃないか。近くに川があるから、少しは休めよ」

 昨日は川辺で休んだけれど、その最中に賊に襲われた。疲労に加えて緊張にさらされ、やはり無理をし続けていたのだ。


 香菜実はそのまま、川のほとりで水を飲んだ。佐奈井も、彼女を気遣いながら水を飲み、頭から水をかぶって汗を洗い落とす。

「どうだ?」

「ちょっとは楽になった。ありがとう」

 香菜実はそう言うし、顔色も少しはよくなったけれど、疲れた目はそのままだった。もちろん佐奈井は、彼女の言葉を信じてはいない。このまま歩いていれば、また倒れる。

 佐奈井は、背を香菜実に向けた。

「しばらく、俺がおぶるよ」

「佐奈井、無理はするな」

 峰継が横から言い放ってくる。

「父さんはいつ戦うかわからないだろ」

 乗って、と佐奈井は香菜実を促す。香菜実はためらっていたが、ゆっくりと佐奈井の肩に手をかけた。佐奈井はそのまま背負い上げる。

「佐奈井、すまないな」

 慶充が後ろめたそうにしているので、佐奈井は驚いた。いつも慶充は、佐奈井に対して強気な態度しか見せたことがなかったのに。

「これぐらいは迷惑だと思っていないよ。香菜実もゆっくり休んでいて」

 香菜実の体の重みに耐えながら、佐奈井は正直、ほっとしていた。昨日賊に襲われた時、自分は捕われ、慶充に助けられるだけで何もできなかった。何か役に立てることがあって、嬉しい。

「疲れたら言って」

 そう、疲れ果てたはずの香菜実は言い聞かせてくる。

 

 途中で賊らしき集団を見かけ、佐奈井たちはひっそりと茂みに身を隠すことがあった。だが何とか、襲われることなく移動を続けている。

 佐奈井が背負っているうちに、香菜実の顔色もよくなっていった。でも無理はさせたくない。佐奈井は身を落ち着けられる場所まで彼女をおぶるつもりでいた。それでも、重みに耐えているうちに自分のほうが疲れてきた。

「しばらく止まる」

 佐奈井の様子を見かねて、峰継が皆に告げる。

「もう私に代わって」

 佐奈井も香菜実を降ろした時に、理世が言い出した。

「いいよ。まだ平気だ」

「強がり」

 いたずら半分に言われる。陽気な人だ。

「あの、私、もうだいぶ楽になったから」

 香菜実が言う。確かに、さっきと比べて顔色はよくなったが。

「だめだよ。まだ休んでいないと」

 佐奈井はきっぱりと言った。

 そうね、と理世もうなずく。

「でも佐奈井がこれ以上無理するのを見ていられないから。優しいのはわかったから」

 唐突に褒められて、佐奈井は頬がほてった。陽気に好き勝手を言ってくるのに、ちょっと腹が立つ。

 と、理世が両方の頬をつまんできた。

「怖い顔しない。ちょっとは笑ってみたら」

 ぐいっ、と頬を上に引っ張られた。

「やめ、やめろよ」

 面白いらしくて、香菜実がくすくすと笑った。横目で見て、佐奈井は余計に頬が熱くなる。

「もうすぐ行くが、いいか?」

 峰継が声をかけてきた。

 理世が、佐奈井の頬から手を放した。腰かけている香菜実の体を背負い上げた。不意を突かれた形になって、香菜実が短く音を洩らす。

「そんな、兄の傷のことでお世話になったのに」

「これくらい迷惑だと思っていないよ」

 理世が佐奈井の口真似をした。香菜実はうなずく。やっと素直になれた。

「すまない、理世、妹が世話に」

 慶充が頭を下げたので、理世は笑い声を上げた。

「若い侍さんがそんな風にへりくだらない。もう少し毅然としてくれたほうが、私としては安心できるんだけどな」

 遠慮のない物言いに、慶充まで苦笑いを浮かべている。一乗谷を発ってから、慶充はずっと難しい顔をしていたので、佐奈井もほっとした。

 まだ笑えるだけの余裕はあるんだ。

「香菜実、あんたもつらい中で頑張ったんだから。これくらい私にもさせて」

「……ありがとう」

 香菜実が落ち着いたので、佐奈井も理世に文句をぶつける気が失せた。そのまま歩き続ける。

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