夜中の会話
夕餉を終えるとすぐ、
囲炉裏の火はまだ落とされていないから、家の中はかすかに明るかった。
峰継は横になりながら、今日のことを思っていた。
息子の
結果として、息子は自分のそばにいる。誰も欠けることはなかった。そのことにほっとするあまり、慶充が負傷したことは二の次になっていた。
「佐奈井、今さらだが、どこも痛めていないな」
峰継は隣で横たわる佐奈井に話しかける。
「どういうこと?」
佐奈井が聞き返してくる。
「さっき賊に押し倒されただろう。もろに背を打ちつけていた。今になって痛み始めた、ということはないだろうな」
佐奈井が呆れたように、へへ、と笑った。
「俺は大丈夫だから。父さんも、本当にどこも痛んでいないのか? あんなに激しく動いて」
佐奈井らしい、と峰継は思った。息子はいつもそうだ。何かにつけては古傷を抱える峰継の身を案じる。もっと自分の心配をすればいいものを。
「あれくらいなら、どうってことはない」
「古傷はどう? うずいたりしていない?」
「古傷?」
囲炉裏の火を落とそうとしていた
「昔、戦に出ていたものでね。何、多少戦うくらいならばどうってことはない。痛みもないよ」
本当は賊と戦っている最中、古傷に痺れが走ったのだが、明かさないでおいた。
「園枝、といったか。この先の大野郡に知り合いがいるのか?」
「ええ、弟が暮らしている。理世にとっては叔父にあたるわね」
ならばなおさら、都合がいい。上手い具合に伝手を作れば、一乗谷に戻れなくなったとしても、今後生きていくための見込みが立つ。
「あなたたちも、状況を知っているでしょうから、会って話をしてもらうけど」
「ああ」
話をするだけならば、いくらでもできる。
「子連れなら、なおさらあんたたちを放っておけないし」
「すまないな」
とにかく、佐奈井が生き延びられるためならば手を尽くす。
「あと、
「私の心配はしなくていい」
慶充が言ってのけた。
「峰継さんには、ああするだけの恩がある。後ろめたく思う必要はない」
「勇ましいのね」
慶充は嫌そうな目を理世に向けたが、黙ったままだった。
「もう寝るわよ」
園枝が、囲炉裏の薪を抜こうとした。だがその手を止める。
「あと、……出発する前に尋ねたほうがいいかもしれないわね」
園枝が、唐突に深刻な顔になった。
「あんたたちと慶充、それから香菜実の関係、もう少し問い詰めてもいい?」
「たまたま知り合った。それだけだが」
「でしょうけど、慶充と
賊に襲われたりして、慶充と香菜実の着ている物は汚れている。だが身なりがしっかりとしていて、武士とひと目でわかる。
「もっといえば、
園枝の声に、憎悪が混じっている。殿を恨んでいた。香菜実が手を握って、園枝の目をうかがっている。
田を耕してきた峰継には、理由に心当たりがある。何年もの間、朝倉義景は織田信長との戦で軍費をかけすぎた。その皺寄せは民にのしかかり、圧政で飢え死にする者も出ている。
「殿なら見限った」
慶充は遠慮もなく言った。
「もし殿に従うなら、間違いなく戦に巻き込まれる。香菜実も無事では済まされない。他の肉親は近江での戦で生死も不明だしな」
「朝倉義景と私たちは、同じ場所に向かっているんだけど」
「あそこしか逃れる場所はない。戦が本当に起こるなら、巻き込まれる前にもっと遠くへ逃げるだけだ」
「殿とは、もう関わりはもうない、ということね」
理世が尋ねてくる。彼女も、慶充の身分を気にしていたらしい。
「俺と慶充たちが一緒にいるの、そんなに変か?」
佐奈井が尋ねる。園枝は、首を横に振った。
「いえ、確認したかっただけ。ごめんなさい、こんな話をしたら眠れなくなるね」
「こちらに隠しごとをする理由はないが」
峰継の言葉に、園枝は皮肉そうに微笑む。
「ただ私の弟も、朝倉義景を恨んでいるから。慶充、あんたは妹と佐奈井を守らないといけないし、私たちも護衛が欲しいから傷の手当てをしたけれど、弟ならそんな親切はしなかったかもしれない。あくまで朝倉義景の手先だったらの話だけど」
「関わりがないなら、慶充と香菜実を受け入れてくれるのか」
峰継も念を押す。もし朝倉義景と関わりがあったことを理由に拒まれるならば、他を当たらなければならない。
「いい顔はしないでしょうけど、見捨てはしないはずよ。肉親がいない人を放り出すほど無情じゃない」
不安にさせないよう気遣っているのだろうが、しかし、無駄な言葉だった。家の者が朝倉義景に従っていた香菜実は、横になったまま黙り、不安げに手を握ったままだ。
「大丈夫だよ」
佐奈井がすかさず励ました。
「園枝さんも何とかしてくれるって。変なことを言われたりしたら、俺だって言い返してやる」
息子の言葉を聞いて、峰継は胸の内に冷たいものがよぎった。
佐奈井が他人を思いやるところを見られたのは、素直に喜ばしいと思う。だがそう言う佐奈井も、香菜実と同じく、無力だ。一人では賊すら追い払えない。
だから自分が、必ず息子を守る。
「さて、もう寝るわよ」
そう言って、園枝は囲炉裏の薪を抜いた。火が小さくなっていき、家の中が闇に溶け込んでいく。
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