急襲

 一乗谷を出て、川に沿って東を目指していく。一乗谷から出ると、民家も少なくなってきた。混乱した一乗谷と違って、ここらは静かだった。佐奈井さないたちを除いて道を行く者たちは見当たらない。だが、すでにこの道を通って逃げた者がいるのだろう。道にはたくさんの足跡があった。

 佐奈井も、父や慶充よしみつに遅れないよう急ぎながら、無言を保っていた。どう考えたとしても、今は逃げるだけだ。今にも一乗谷に織田信長の軍勢が押しかけて、さらに佐奈井たちに追いつくかもしれない。


 そうして佐奈井は、黙々と歩いていく。もう周囲の景色は、見たことのないものだった。深緑の谷が、上空に立ち込める雲のために薄暗く、陰湿に見える。ふと、隣の香菜実かなみの息が上がっていることに気づいた。彼女の額の汗の量がすさまじい。

「止まってくれ」

 佐奈井はとっさに、前を行く峰継みねつぐと慶充に告げた。佐奈井の声に、二人は足を止め、こちらを振り返った。

「香菜実を休ませたほうがいい」

「だめ、急いでいるから」

 香菜実は強がっているが、佐奈井には聞き入れなかった。

「そんな状態で、この先ずっと歩けるのかよ。川があるんだから、水を飲んだりしたほうがいいって」

「そう言う佐奈井も、顔色が悪いな」

 峰継に言われて、佐奈井はやっと、体の節々が痛いことに気づいた。背負っている荷が、さっきよりも重たく感じる。

「突然の移動だから、仕方がない。すまないな。もっと早くに気づくべきだった」

 慶充はそう、道を外れた。川原に下りていく。

「佐奈井も休んだらいい。移動を焦るなよ」

 峰継もささやいて、慶充に続く。

 佐奈井と香菜実も、道を外れた。転んだりしないよう互いに手を取り合いながら、川原へと下りていく。


 川原で荷を降ろすと、包んでいる布が汗で濡れているのが目についた。着ている物も汗のせいで重たい。佐奈井は喉の渇きに耐えられなくなって、川に急ぎ立ち寄り、そして手で水をすくって口に含んだ。隣の香菜実は、頭から水をかぶっている。

 喉の渇きを満たし、顔や髪の汗を川の水で洗い流すと、木立の影で休憩をとった。

「ごめんなさい。私のために」

 香菜実が他の三人に謝る。

「そう言うなよ。俺だって同じだったんだから」

 励まそうと思って、佐奈井はあえて笑みを浮かべ、大きな声を出した。佐奈井の空元気を見抜いてか、香菜実は黙ったままだ。

「父さん、顔色少しはよくなったかな」

「ましにはなったが、無理はするな。まだ休んだほうがいい」

「うん、そうする」

 ――でも、長くは休めないな。

 もう昼を過ぎた。まだ大野郡まで距離があって、日没までに着けそうにはない。かといって、香菜実もいる中でむやみに野宿をするわけにもいかない。どこかの家に泊めてもらうことになるだろう。

「静かに」

 慶充が唐突に立ち上がった。腰の刀に手を添えている。続いて峰継も立ち上がり、慶充の背後に目を光らせた。

 佐奈井や香菜実も立ち上がって、周囲を見渡す。まさか、敵?

「こっちに誰か来る。複数人だ」

 慶充はささやく。

「足音はしないけど」

「動きを止めて、こちらの動向を覗っているんだ」

 慶充はそう、鯉口を切った。峰継はすでに抜刀している。二人の刀が鳴らす金属音に、佐奈井は不吉な思いにかられた。慶充はいつも帯刀しているけれど、普段からむやみに抜くものではないからと、佐奈井の目の前で刀身をあらわにしたことはない。佐奈井は急に恐ろしくなって、周囲の林を見渡した。

 唐突に、何かが佐奈井の近くに飛んできた。鈍い音が聞こえて、佐奈井は足元を見下ろす。地面に短刀が刺さっていた。

 慶充が抜刀した。白く輝く慶充の刀身に、佐奈井の身がこわばった。慶充ですら、危険を感じている。

 佐奈井の背後から駆けてくる者がいた。佐奈井が後ろを振り返った時には、峰継が、見知らぬ男の刀を受けていた。

 殺気に満ちた刀同士がぶつかる音に、佐奈井は思わず耳を塞いだ。目を一瞬だけ閉じ、そして父に襲いかかった男を見る。佐奈井よりもずっとみすぼらしい恰好をした男だった。着物は大きく破れ、土汚れがひどい。刀も錆で光沢がなかった。賊の類だ。父は何度も刀を振るって、男を振り払おうとしている。刀がぶつかる度に、火花が散った。

「慶充、もう一人を頼む」

 父が声を上げた時、再び金属音が響いた。もう一人の賊が、慶充に襲いかかったのだ。

「佐奈井、香菜実から離れるな」

 慶充が声を上げ、刀を横に振って賊を牽制した。

 佐奈井は、隣の香菜実を見た。恐怖で混乱しているのだろう。耳を塞いで震えたままだ。

 佐奈井は、地面に刺さったままの短刀を見た。やはり錆びついている。佐奈井は思い切って、短刀を引き抜いた。

 見た目よりも重たい。こんな物、扱いきれるだろうか。

 不安にかられた時、佐奈井は敵のわめく声を聞いた。賊がしつこく慶充と間合いを詰め、刀を振り降ろしている。慶充は半身を切ってかわし、その肩を切りつけた。

 賊はわめき、切られた肩をかばいながら佐奈井のそばに倒れる。佐奈井は、その肩の傷から血が流れ出る様子を見た。短刀を足元の賊に向けるが、切っ先が震えてしまう。

 背後から香菜実の嗚咽が聞こえた。

「こっちだ」

 佐奈井は香菜実の手を引いてその場を離れた。切られたとはいえ、賊のそばにいたくない。

 賊を倒した慶充は、そのまま峰継に加勢している。もう一人の賊も、二人を相手に後退を始めた。これなら、やりすごせる。


 しかし、もう一人忍び寄ってくる者がいた。

「佐奈井、敵だ!」

 父が大声を出す。佐奈井は、もう一つの足音を聞いた。続いて自分にまっすぐに駆けてくる、もう一人の男を見る。

 唐突すぎて、佐奈井はひるんだ。短刀を振り上げるが、降ろす前に手首を掴まれ、大の男に地面に押し倒される。

 背中を地面に打ちつけて、佐奈井の呼吸が詰まった。持っていた短刀が手から離れる。

 ――香菜実がまずい。

 焦るが、体が動かなかった。抵抗すれば自分が何かされる。殺されるかもしれない。

 新手の賊は佐奈井を押さえたまま、陰湿な目で峰継たちを見つめた。もう二人の賊も動かず、動向を覗っている。

「何がしたい? なぜ襲う」

 峰継が刀を構えたまま尋ねる。

「荷の中身をもらう」

 佐奈井を押さえている男が告げた。仲間が傷つけられたからかもしれない。声に焦りがあった。

「それから、こいつと、この娘も来てもらう」

 人さらい。佐奈井はぞっとした。この人たちは、自分や香菜実をどこかで売るつもりだ。道を外れ、人目につかない場所にいる自分たちは格好の的だったのだ。

 しかも織田信長の侵攻で、今は混乱を極め、たくさんの人が避難している。賊の類にとって、荷を奪う絶好の機会だ。


「そのままおとなしく……ぐっ」

 香菜実が、佐奈井を押さえている敵にもろに体をぶつけた。賊の体がよろめく。

 続けて慶充が、その男の腹を蹴った。佐奈井の身が自由になって、香菜実に身を起こされる。

 叩きつけた背が痛むが、それでも佐奈井は立ち上がった。香菜実に手を引かれるまま賊たちから距離をとる。

 慶充に蹴り倒された賊は、地面に転がる短刀を握っていた。そのまま慶充に投げつける。

 慶充は避けるのが遅れた。右肩に短刀が当たって、着物が裂ける耳障りな音が響く。

 だが慶充は、傷をかばうことなく刀を振り上げた。中途半端に腰を上げた賊の腹に刀を突き立てる。その賊は短い音を洩らすと、動かなくなった。


 慶充は、もう一人の賊と対峙した。唯一無傷なその賊は、勝ち目がないと見越したらしい。刀を大きく振って峰継や慶充を牽制すると、腕をやられた賊の手を取った。乱暴に立たせ、動かなくなった仲間を放置して、林の奥へと逃げていった。

「荷を持って離れるぞ」

 峰継は刀をしまった。先を行こうとする。

「待てよ、父さん。慶充が」

 佐奈井は父を引き止めた。慶充の肩の傷が痛々しい。父はこの傷が見えていないのか。

「佐奈井、峰継さんの言うとおり、今は逃げるのが先だ」

 慶充も言いながら、刀についた血を拭っている。

「でも肩が……」

 香菜実もまた、慶充の傷を見て動揺している。

「ぼんやりするな。二人とも」

 慶充にたしなめられて、佐奈井と香菜実が動き出した。荷を担ぎ、慶充に刺された賊をそのままにして、峰継と慶充に続く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る