峰継と慶充

 町に入り込むにつれて、佐奈井さないはそこの人たちの落ち着きのなさが気になった。道という道で、人々が何か話し合っている。聞いていると、それが失踪したという朝倉義景あさくらよしかげのことだった。

 慶充よしみつの話したとおり、甲冑をまとった兵らしい者は見当たらなかった。町の者たちも逃げているのかもしれない。荷を抱えて行ったり来たりしていた。

 佐奈井は父の姿を探してみる。

「いるか?」

 慶充がこっそりと近寄って、ささやいてきた。佐奈井は首を横に振る。もっと奥、町の中央にいるのかもしれない。

 二人はまだ進んでいった。

 町の通りを進んでいき、谷への敵の侵入に備えて築かれた城戸にさしかかる。いつもは堀や櫓の上に警備にあたる兵がいるが、今は無人だ。佐奈井には、不気味だった。


 二人はそのまま城戸を通り抜けた。

 朝倉義景の館が近くなるにつれて、武家の屋敷も多くなる。高い土塀が迫るようになっていた。

 父の姿はなかなか見つからない。どこかですれ違ったのだろうか。

 家に引き返したい、と思い始めた時、慶充が通りの先を指し示した。

「あの人、だろう?」

 佐奈井と同じ身なりをした男がいる。峰継みねつぐだった。通りをこちらへと引き返してくる。

 佐奈井はうなずいた。そして、

「あれ? 慶充、どうして父さんの顔を知っているの?」

 佐奈井が慶充と会っていることは秘密で、会っているところは峰継も見ていない。当然、慶充も峰継の顔を知らないはずではないのか。

 だが慶充は問いに答えず、佐奈井の耳元にもろに顔を近づけた。

「これから峰継と話をする。戸惑うなよ」

 慶充は峰継のほうへと歩みを進めた。佐奈井も慌てて後を追いかけていく。峰継と話をするだと? 

「おい、父さんには俺たちのことは内緒にしろって、慶充が言ったじゃないか」

 佐奈井は止めようとするが、慶充は聞こうとせず、止まることもなかった。

「峰継、峰継だな」

 佐奈井の言葉を無視して、慶充は峰継に声をかける。峰継は足を止めた。同時に佐奈井とも視線が合う。

 佐奈井は足を止め、叱責の言葉を待った。むやみに侍に話しかけるな、と言っていたのは峰継である。その峰継に、侍である慶充と一緒にいるところを見られた。

 しかし峰継は、佐奈井を叱ることはしなかった。


「慶充か。久しいな」

 そんな挨拶までしている。

「俺が佐奈井と一緒にいても平然としているなら、この状況はよくわかっているよな」

 どうして慶充は気さくに峰継と話している?

「ああ。もう普段どおりにはいかなくなった」

「父さん、どういうことだよ」

 佐奈井は口を挟んだ。

「慶充を知っているのか?」

 峰継は、もったいぶったように間を空けた。苦笑いすら浮かべている。

「当然だ。かつてこいつを守ったことがあるからな」

 佐奈井は、慶充を見た。慶充もまた、自分と峰継の関係が佐奈井にばれて、皮肉な苦笑いを浮かべていた。

「ここだと話しにくい。私の家まで来るか?」

「そうしたい。できれば、妹を連れてもいいか」

「そうしろ」

 二人は歩き出した。わけがわからなくて、佐奈井はその場に取り残される。

「佐奈井、どうした? ついてこい」

 峰継は佐奈井の動揺も無視してせかした。佐奈井は歩き出す。

「お前の家はどこだったかな」

「この近くだ。来たことがあったのではなかったのか?」

「そうだな」

 二人は親しいらしい。野良着の男と、袴を身に着けた侍の青年。佐奈井にとって、見知らぬ者同士だと思ったのに。

 そうしているうちに、三人は慶充の家の前にさしかかった。慶充と峰継は門を通り抜ける。佐奈井は門の辺りで立ち止まったが、

「佐奈井、何をしている。早く来い」

 峰継にせかされて、佐奈井はゆっくりと門を通り抜けた。

 慶充は家の戸を叩く。

香菜実かなみ、いるのだろう」

「はい」

 戸が開けられた。香菜実は、兄の姿のそばに見知らぬ男と、佐奈井を見つけて、言葉を失ったらしい。

「ここにいないほうがいい。騒がしすぎる。来てくれるか」

 慶充が、香菜実の手を引いた。

「怖がるな。この人は佐奈井の父親だ。信頼できる。これからこの人の家に向かうがいいか?」

 香菜実は、佐奈井がいることで、少しは安心したらしい。足を踏み出した。

「佐奈井の父親の、峰継だ。息子が世話になったらしいな」

 峰継は名乗った。かすかに微笑んでいるのは、自分が怪しい者ではないと示すためなのだろうし、谷の困惑した状況で動揺している彼女を気遣っているのかもしれない。


 四人はそのまま、慶充の家を離れた。いなくなった朝倉義景の行方や、敵である織田信長の進軍状況といった、把握のしようがない情報を求めて騒ぐ町民たちをよそに、佐奈井の家を目指していく。慌ただしく人々が行き交うから、香菜実が他人にぶつかって、転びそうになった。隣にいた佐奈井が、とっさに彼女の手を取る。

「大丈夫か」

「うん」

 香菜実はうなずく。佐奈井は憎たらしくなって、香菜実にぶつかった者を探す。だがその者は、他に行き交う者たちに紛れて、見えなくなった。

「行こう」

 香菜実はそう、佐奈井を促す。

「そうだな」

 立ち止まっている間に、峰継と慶充から距離が開いた。立ち止まってはいられない。

「父さん」

 追いつくやいなや、父の背に話しかけた。

「何だ?」

 前を向いたまま、峰継は応じてくる。

「俺と慶充のこと、いつから知っていた?」

「ずっと前からだ」

「峰継さんは、私の恩人でな」

 慶充は言いながら、皮肉な笑みを浮かべていた。

「まさか、兄さんを矢からかばったというのは」

 香菜実が口を開いた。

「ああ、お前に話したのは、この人のことだ」

 慶充が香菜実のほうを見つめる。

「話したのか? 慶充」

 峰継は咎めた。やめてくれ、と言いたげだ。

「私をかばってできた古傷は、まだ癒えきってはいないのだろう。支障はないのか」

 慶充が案じると、峰継が唐突に佐奈井の肩を掴んだ。大きく揺らす。

「平気だ。いざという時はこいつもいるし、食って田を耕すだけならやれている。案ずるな、と何度言わせる?」

 そして佐奈井の頭を乱暴に撫でた。

 峰継と慶充、まるで友人のように語り合っている。髪をかき乱されながら、佐奈井はただ不思議に思っていた。決して関係のない二人だと思っていたのに。

 佐奈井たちのすぐそばを、包みを背負った者たちがすれ違う。

「ここも火の海になるぞ」

 そんな風に慌てていた。


 だが、峰継と慶充は落ち着いている。取り乱してはいけない、と佐奈井たちに暗に示しているみたいだった。

 四人はそのまま、城戸を通り抜け、町から離れていった。谷の奥に近づくにつれて、混乱極まる喧騒は薄らいでいき、やがて峰継と佐奈井の暮らす家に着いた。峰継が戸を開けて、他の者たちを中に招き入れる。だが香菜実だけが足を止めた。佐奈井と何度も会い、話している香菜実だが、家を訪れるのは初めてで、戸惑っているらしい。

「入ったらいい」

 峰継はそう、優しい言葉をかけた。香菜実は、そのまま家に入る。

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