生まれ変わっても、君と……

神辺 茉莉花

第1話生まれ変わっても、君と……

 雨と敵の猛攻をしのぐため、俺と藤十郎は互いに相手の肩に腕を回し、山中の洞穴へ転がり込んだ。三人も入ればいっぱいになる小さな洞だ。出入り口以外には逃げ場はない。それは前さえ注意していれば敵が入ってこないと同時に、囲まれたら終わりだということを意味していた。

「……っ!」

 何かにつまずいたか、もう立つ力が残っていないのか、藤十郎がふらりと倒れ込んだ。派手な水音があがる。受け身さえとれていない。

 荒い息。精悍な顔つきが苦渋に歪んだ。

 毒、か。おそらくは先ほど右の太ももを貫いた矢に塗られていたのだろう。毒には耐性が付いているはずの彼がここまで痛手を負うほどだ。よほど強力なものに違いない。

「大丈夫か」

 そう声をかけた俺も、もう立っていられなくなって岩肌伝いにずるずるとへたり込んだ。胴回りの防具は壊れ、具足、籠手もすでに泥と雨と血で汚れている。熱も出てきたのか、ふわふわとして……寒い。

 ……戦いすぎた。

 人殺しのツケが回ってきたのかもしれない。このままでは互いに三分ともたないだろう。

 雨音を、藤十郎の声が打ち破った。

「城主……申し訳ない。俺が、あんなところで転んだりしなければ……」

 二人の時だけの呼び名。

 あれは数刻前。撤退戦のさなかの出来事だった。

 俺を守るかたちで敵の攻撃を防いでいた藤十郎が小石に足をとられ、体勢を崩した。

「藤十郎の目を潰したのは俺だ。だから、俺が藤十郎を助けるのは普通のことだろうが」

 当たり前のことに、ふるふると藤十郎は首を横に振った。

「城主を助けてこそ家臣。城主に助けられる家臣など、どこにおりましょう」

 泥が付いた顔を拭いもしない。

 ごうぅぅぅ。

 雨音が、恐ろしいくらいに響いていた。



 そのまま、数秒、無音が続いた。

 目を閉じる藤十郎が生きているか確かめたくて、俺も彼の隣で横になった。どうにも体が重い。

 ――ああ、ちゃんと生きてる。

 胸が上下に動いているのに安心すると、ふ、と藤十郎が目をあけた。右腕を半ば持ち上げ、定まりきらない視界のなかでうめく。まなじりに、透明なものが溢れていた。

「辛いか。苦しいのか」

 首肯。

 水の一杯も差し出すことができない自分を、この時ほど責めたことはなかった。もう、体が動かない。洞の出入り口から滴り落ちる雨水すらも、集めてやることができない。

「城主。俺、もう……」

「しゃべるな」

 確定された未来がやってくるのが怖くて、俺は藤十郎の言葉を遮った。

 何かにすがるように重なってきた手が、熱い。

 一つ、しわぶきが空気を揺らした。少し呼吸が楽になったか、苦悶の色がわずかに薄くなった。

「城……主が、竹千代様だったころから……お慕いしておりました」

「ああ」




 もともと俺は妾の子だった。産んだ女は、俺が四歳の頃はやり病で死亡。父親には溺愛されたが、正妻には疎まれながら育った。

 生まれながらの人殺しで、生きる価値もない存在がお前だ。

 火葬の時に正妻から叩きつけられた言葉が全てだった。

 それから……

 何日も、何日も、たった一人で政治に関する書物を読み漁った。

 何時間も、何時間も、たった一人で素振りを繰り返した。

 そうして俺は、城主としてこの戦国時代を生き抜くための処世術を……それだけを身につけていった。

 友など、いらない。友など……他人など、裏切られ、憎まれて終わりだ。俺は、俺一人で生きる。


 それから七年。俺が十一歳の時だ。

「このたび、側用人として竹千代様をお守りする役を仰せつかりました藤十郎と申します。どうか、よろしくお願いいたします」

 俺よりも一歳下。初めて会ったときの藤十郎はわずかに憔悴しているように見えた。言葉とは裏腹に、ついと上げた目のなかに隠しきれない憎悪が揺らめいている。

「うむ、藤十郎か。これからよろしく頼む」

 型どおりの挨拶をして、そっぽを向く。

 このころ正妻の嫌がらせはより顕著なものとなっていた。腹に男の赤ん坊がいて、このまま俺が元服すると厄介らしい。

 ――どうせこの藤十郎も金で雇われた刺客だろう。

 そう判断した。

 だから俺は、籐十郎という側近を持ちながら、誰一人そばに近づけさせることもなく寂しい日々を過ごした。


 そうして数ヶ月。桜が散って枝が緑に包まれる頃。俺にとっては生涯忘れることのできない事件が起きた。

 晴れた日だった。俺はひとりふらりと縁側に座り、小箱を手に物思いに耽っていた。

「母君……」

 ふたを開ける。中に入っているのは一枚の千代紙だ。

 母の唯一の遺品。病弱だった母は生前この千代紙で折り紙を作り、俺をあやしたのだという。

 手に取り、陽にかざす。透ける紙の向こう側で、もうおぼろげにしか覚えていない母が笑っている気がした。

 そのとき、不意に風が強く吹いた。そして……

「あ……!」

 決して呆けていたわけではなかったが、風が俺の手から千代紙を奪っていった。

 高く、ひらひらと舞い上がる紙片。

「待って……! やだ、待って!」

 何度飛び跳ねても捕まえることはできない。

 しばらく風にもてあそばれた後、千代紙は敷地内の大きな桜の木に絡まった。はたりはたりと身じろぎする。

「誰かを呼びに……!」

 いや、その間に風に飛ばされ、見失ったらどうする。仕方がないと諦められるのか。

 ――登るしかない。

 ゴクリとのどを鳴らして覚悟を決める。箱をその場に置くと、俺はごつごつとした木を上り始めた。



 ――あと、少し……!

 ようやく体重を支えられるくらいの細い枝に猫のように身を伏せて、精一杯手を伸ばす。

 ほんの少し先で紙が誘っていた。

「あとちょっとなのに……!」

 すでに相当な高さだ。落ちたらひとたまりもないだろう。だから俺は下を見ないようにして必死に枝にしがみつき、身を乗り出した。

「……っ……あっ!」

 手が千代紙に触れた。と同時、枝が大きくしなる。

「わ……わぁぁぁっ!」

 掴んだ。そう思うのと、落ちると思うのと、どちらが早かったか。

 背が、顔が、腕が、足が枝に当たる。

 パキパキ、バサバサという音が耳元でうなり声をあげ、痛みと熱が全身に走った。

 背骨を折ったら、頭から落ちたらどうなる。

 嫌な汗が背に浮かんだ。

「竹千代様っ!」

 籐十郎の声だ。

 ――意識を失っている間に頭をかち割られたら嫌だな。

 死の前には全てが遅くなるなんてことを聞いたが、本当かもしれない。俺は薄く笑んだ。

 そして……。

 そろそろ地面か、なんて思った瞬間に衝撃がきた。

 思ったよりもずっとぬくい。そして、柔らかい何かが潰れる感覚。

「竹千代様……! ご無事で良かった」

 顔の左半分を血で真っ赤にして、それでも藤十郎は口の端を持ち上げた。

 さぁ……と血の気が引いた。あれだけ皺をつけないようにと気を付けていた千代紙を、くしゃりと握りつぶす。

「誰か……誰か、早う! 早う!」



 己の腕で藤十郎の左目を潰してしまったのだと知ったのは、治療を終えてすぐのことだった。慌てて彼の所在を訊くと、まだ自室で寝ているという。なんでも、あれから高熱が続き、うなされているのだとか。

 行く、と言った。藤十郎の部屋に行って詫びがしたいと。それが今できる最大の誠意の見せ方だと思った。



「藤十郎……?」

 そっと部屋の戸を滑らせる。刺激しないようになのか、藤十郎の部屋はどことなく薄暗かった。

 部屋の真ん中、布団に横たわったままで藤十郎は苦痛に顔をゆがめている。どうやら意識はないようだ。

 薄く開いた唇から、うわごとが漏れる。

「ごめんなさい……体が勝手に……。ごめんなさい。ちゃんと……助けず、殺すから……だから、妹を返して。妹を、殺さないで……!」

 そして、悲痛に震える声で正妻の名を呼んだ。

「…………!」

 確か、藤十郎の妹はまだ五つだったか。

「下衆が……っ!」

 低く吐き捨てて、そっと俺は藤十郎の部屋を辞した。



 それからの俺の行動は早かった。正妻を殺し、金と身分にものを言わせて藤十郎の妹を助けた。途中、例の千代紙を半分分け与え、兄弟の契りを交わした。

「生きるのも、死ぬのも一緒だ」

 そう誓い、いよいよ身分が危うくなると一介の流浪人として藤十郎とともに諸国を転々とした。

 共に桜を見た。

 清流で鮎を釣った。

 芋の子汁で腹を満たした。

 一組の布団で寒さをしのいだ。

 そのうちに全国で戦が始まり……。

 そうして……。




 また、藤十郎が口を開いた。緩慢な仕草で、懐から朱に染まった守り袋を取り出す。

「転生って、知って……ますか」

「ああ」

 確か、去年泊まった木賃宿で修業中の僧侶が説いていたはずだ。現世での行いが来世に反映される、とかなんとか。

「この中に入っている丸薬は、転生をしやすくする薬だと……代々続く言い伝えです。生まれ変わっても会えるよう、共に飲みませんか」

 もしかしたら自死を促すための薬なのかもしれない。死の苦しさを紛らわせるために……。

 それでも構わなかった。どうせ死ぬのだ。できるのならば、一縷の望みに賭けてみたい。

 震える指先。黒く小さな丸薬が二つ。

 俺の手の平に一つを乗せ、藤十郎は満足げに笑った。

「「生きるのも、死ぬのも一緒だ」」

 口中に含み、飲み込む。

 かすかに苦く、塩の味がした。

 ――生まれ変わるのなら、穏やかな時代に……。

 目の端で、守り袋に入れた、半分になった千代紙が天に舞い上がるのが映り……ぼやけて真っ暗になった。



 数十年、数百年がたった。

 何度も転生をした。何度も藤十郎を探した。

 生きて、死んで、生きて、死んで……。こんなにも求めているのに会うことはできなかった。


 空虚な思いを抱えたまま、俺は何度目かの現世で高校生活を送っていた。

 時期外れの編入生がクラスに来ると聞いたのはつい二日前のことだ。

 決まり通りの朝のHRが終わりに近づき……。

「それでは編入生を紹介します。佐々木藤十郎君、入って」

「はい」

 この声……! このおもかげ……! すぐに分かった。

 ――ようやく……ようやく会えた!

「佐々木藤十郎です」

 目がまっすぐに俺を捉えていた。

「こちらでもよろしくお願いします」

 

 さぁっ、と暖かい風が吹いた。

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