ヒベルティアのせい


 ~ 三月二十七日(水)

 ア:LV22 道:LV12 ~


 ヒベルティアの花言葉  無邪気



 深い渓谷の底には。

 光も浴びたことのない岩肌が黒く冷たく横たわり。


 太陽が無いと生きていけない俺たちにとっては忌避すべき存在。

 闇を好む生き物が、彼らのパラダイスを構築していた。


 そんなところに、エサとなる生き物を呼び寄せるには。

 エサにとってのエサを撒けばいい。

 釣りと同じ要領だ。


「いやだ! 死にたくねえ!」


 十時間かかって、やっと手に入れたアイテム。

 闇を好む強敵ばかりがうごめくこの地のどこかに。

 ランダムに現れてはすぐに消える『赤龍眼』。


 強い弓を作るために必須の宝石をやっとの思いで手に入れたが。

 体力が限界だから、セーブポイントへ戻るまで護衛を頼むと。

 Yっち君からのメッセージが携帯に届いてから三十分。


 遅ればせながら、俺とアイシャが技量不相応な場所へ足を踏み入れるなり。

 正面の暗がり、遠くにかすんで見えるものは。


「うわ」

「……あたしともあろうものが、漏らしかけたわよ」


 こんなでかい敵、初めて見た。

 いや、初めて見たと言うと語弊がありまして。


 あれは、日本人にはおなじみのクリーチャー。

 T-レックスという奴です。


 もう、見たまんま怖い。

 今も巨大な口で、頑丈なヤング君に噛みつきましたけど。

 彼の上に浮かんだダメージの数値。


 俺の最大体力より大きいのですけど。


 ――メンバー四人、互いに、必死に連携しながら。

 渓谷から脱出するまであとわずか。


 でも、あんな高次元な連携が俺たちに出来るはずもなく。

 俺も穂咲も足手まとい。

 ゲートの近くから見守るしかない。


 このゲートさえくぐれば。

 その先にはゲーム初心者でも歩けるのどかな草原が待っています。


「死にたくねえ!」


 まだ、Yっち君たちとの距離がある。

 ヘッドフォンから聞こえるはずもないけれど。


 でも、彼の叫びが聞こえるようで。

 俺も手に汗を握ります。


 ずっと欲しがっていたアイテムを手に入れたのに。

 倒されてしまうと、入手したアイテムはすべて失って、セーブポイントからやり直し。

 しかもレベルダウンのおまけつき。


「死にたくねえ!」


 きっと、彼はそう叫びながら。

 必死に倒せるはずもない強敵から逃げていることでしょう。


 ……そんな緊張の走る中で。


「……あれ? どこ行きました、アイシャさん?」


 白いコートがどこにもいない。


 こんな時、隣り合わせでのゲームは大変便利。

 俺が、お隣りのディスプレイを覗き見ると。


「無邪気かっ!」


 暗闇の中でキラキラと光るちょうちょを追いかけて。

 やっとこ捕まえて、頭上にそれを掲げます。


「……綺麗だったからねっ!」

「いや、あのね、アイシャさん」

「だって、あたしらが行っても足手まといじゃない! だったら……、ヒベルティアが咲いてる! ねえ、見て見て!」


 一人だけ、すっかり無邪気にピクニック気分。

 今度は、彩度の低い、淡いレモン色のお花を摘んでいます。


 確かに綺麗ですが。

 そうではなく。


「いいかげんよしなさい。ほら、みんなの声も聞こえてきましたよ?」


 想像通り、的確な状況報告と行動指示の四重奏。

 思わず物理的に穂咲の肩を揺すって我に帰してあげると。

 

「よし、お遊びはここまで。真面目にあたしも彼らの援護を……、あ! 綺麗な石があった! こっちにも!」

「おおい! そんなの拾ってる場合じゃ……、って。それ『赤龍眼』!?」


 なんたること。

 君の強運、あきれるばかり。


 俺たちのやり取りが聞こえた四人からも、なんだそりゃあの大合唱。


 でも、そんな気のゆるみが命取り。

 Yっちが、体力切れ一歩手前の大ダメージを食らって、しかもマヒ状態になってしまったのです。


 「「「Yっち!」」」


 一斉に叫ぶ仲間の声。

 しかしそれを割り裂くかのように、白い妖精から異常状態回復の魔法が飛ぶ。


 間一髪、T-レックスからのとどめの攻撃を避けて、弾かれるように俺たちの元に向かうYっちだったのですが。


 呪文詠唱の術後硬直状態だったジャスミンが。

 衝撃波をもろに食らってマヒ状態に陥ってしまったのです。


「ジャスミン!」

「俺が解除するから待ってろ!」

「ううん? ……みんな、私を置いて、逃げて。このままじゃ全滅」


 ヤング君も多少は回復魔法を持っているけれど。

 ジャスミンほどの効力は期待できない。


 彼女の指示は確かなもので。

 だからこそ、みんなは一瞬の躊躇を経て。


「す、すまん、ジャスミン!」

「いいの。私を置いて逃げてって、いっぺん言ってみたかった、から」

「すぐにレベル上げ協力してやるからな!」

「ん。……一足先に、町へ戻ってる」


 そんな言葉を最後に。

 暗闇の中で、ひと際白く輝くジャスミンの姿が。

 T-レックスの凶悪な口の中に消えて行ったのです。


 ……昨日と言い。

 今日の事と言い。


 なんて勇敢で仲間思いなことか。


 たかがゲームなんて言葉は通用しない。

 それほどまでに、俺たちは自分のキャラクターに思い入れがある。


 だからみんな。

 声を一つに。

 叫び声をあげたのです。


「「「ジャスミーーーーーン!!!」」」

「……あ。もひとつあったの」


 おおおおおい!

 皆さんが一目散へゲートに駆け込む中。

 赤い石を掲げて能天気にファンファーレ鳴らしているんじゃありません!


「アイシャ! 後ろ後ろ!」


 見る間に俺たちへ接近した。

 見上げるほどの巨大な敵が。


 アイシャの体を飲み込もうと、剣呑な大口を振り下ろすと。


「よいしょ」


 ……随分とのんきな掛け声とともに振った剣から輝く二つのエフェクトは。


「ノックバック!?」


 ダメージ表示はゼロ。

 でも、T-レックスの体は遠くまで吹き飛ばされたのです。


「ふう。……さあ、道久君! ヤツが戻る前に、あたしたちも逃げるわよ!」

「まったく呆れたヤツなのです。でも、これで無事に逃げることが……、あれ?」


 どういうわけか。

 いくら操作しても、俺の分身は一向に動こうとしません。


 何が起こっているのかと、俺の方を見つめるアイシャさん目線のモニターを覗き込むと……。


「岩に潜っとる!」


 ……そういえば。

 先ほど、アイシャさんのピンチに、つい条件反射で。

 俺は彼女の前に立ちはだかるべく接近したので。


「……食らっていたのですね、ノックバック」

「…………夢のセリフなんだろ? 良い機会じゃないか」

「ええ、言わせてもらいますよ。俺を置いてさ」


 せっかくいただいた機会も生かすことなく。

 身動きの取れない俺は、あっという間に食われてしまいました。


 ――そんな珍事は捨て置いて。

 俺は、穂咲の画面を覗き込んで、悲壮な皆さんの様子をうかがいます。


「ジャスミン、あたしと一緒にレアなアイテムを手に入れて、セーブもしねえでここに来たんだ」

「……そうだったのか」

「うおおおおおお! ジャスミン、なんでも言うこときくから許してくれ!」

「ああ、俺もできるだけのことをしてあげたい」

「……じゃあ、みんなで会いに行くわよ! あたしが取った石をお土産に!」

「いや、アイシャ。気持ちは嬉しいが、白魔にそいつはいらねえんだ」


 そう言われたアイシャさん。

 ならばとみんなに一つずつプレゼント。


「敢闘賞よ!」


 そんな石を手に、Yっち君とヤング君は、呆れた強運のアイシャさんへ突っ込みを入れたのですが。


 モモさんは、一言も発することなく。

 手にした赤い石を、じっと見つめていたのでした。


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