二
二
高輪大木戸の大吉といえば俺のこと。と侍は得意気に語り出した。
江戸の東海道口、高輪大木戸辺りを毎日のように駕籠に乗ってあっちへふらふらこっちへふらふら、糸の切れた凧のように風の向くまま気の向くままに遊び歩いていた大吉は、ろくに仕事にもつかず、金が無くなれば、店の帳場を手伝っていた弟の中吉に無心をし、その金で悪い仲間と朝まで遊び呆ける毎日を送っていた。
なんせ実家は高輪辺りじゃ知らぬ人はいないというほどの大店だ。金はあって当たり前。たとえ江戸の火事で店が燃えたとて、他にもいろいろな店を構えている。一つくらいなくなっても痛くも痒くもないのだ。
そんな大店の長男坊に生まれた大吉には両の親も手を焼いていたのである。
自分一人で遊んでいるだけならまだしも、女子(おなご)をとっかえひっかえし、中には本気にさせるだけさせて放ったらかしにした女子もいた。その女子が両親のの元にまで現れ、自分の前から消えた大吉の行方を探していると言いに来た。一人二人の話ではなかった。
そんなことは御構い無しと、この世のありとあらゆる遊びを知りたい大吉は、一通りの遊びじゃ飽き足らず、裏の遊びにも手を出すようになった。その頃にもなると、大吉の遊びっぷりと金の使いっぷりは悪い噂となって、闇の商売を生業とする輩の間で話に上がるようになっていた。悪い奴に限って人当たりがよい。人の裏表を読めぬ大吉なんか、赤子の手をひねるより簡単だった。
大吉も最初は軽い遊びのつもりであったが、己でも気づかぬうちに終ぞ闇の賭場にまで手を出し繰り出すようになった。そんな大吉を見兼ねた両親がある日大吉を自分たちの前に呼び出し、
「お前は麻布の叔父さんのところに奉公に出」
ぴしゃりと言い放ったのだ。大吉は口をあんぐりと開けることしかできなかった。今の今まで奉公の話なんんて出なかった。自分は長男坊だ。この店にいるのが当たり前だとそう思っていた。行かせるなら中吉のほうだ。
大吉が反論をする間も無く話は締め括られ、話はとんとん拍子に大吉のいないところで進められた。
「ふん。みくびってくれちゃ困るってもんだ。俺がすんなり言いなりになると思ったら大間違いだぜ。それに俺は何一つ悪いことなんざしちゃいねえ。ただ遊んでただけで奉公に出されるなんてひでえ話じゃねえか。クソ」
手の平で鼻をこすり、大吉は両親が営んでいた新鮮な海鮮を食べさせる料理茶屋の帳場に入り込み、そこで名目は手伝いとして任されていた弟に「おう、今しがたおっかさんが呼んでたぜい。ここは俺が見てるから行ってきな。なるたけ早く帰って来てくれよな、俺はこんなとこで座って待ってるほど暇じゃあねえんでな。へへ」と弟に言うと、弟が大吉の嘘に引っかかっておっかさんのところへ行っているうちに、根こそぎごっそりと金を袋に放り込み、そのままどこぞへととんずらしてしまったのだ。
「その後、店がどうなったのかは俺にはわからねえこった」
侍は二杯目のメロンソーダをズズッと啜った。
「ほら始まった。侍はいっつもこれだよ。いいところで話を切る。尻切れ蜻蛉とはこのことさね」
「肝心なところは言わないって、一番嫌なタイプですよね」
昭子と太郎が侍にもんくを言う。しかし、その顔は何やら知った顔で目をギラつかせながらたまこの様子をうかがっていた。
「それで終わりなの、侍さん、その後お家がどうなったか本当に知らないの? 弟さんとは会ってないの? そもそもくすねたお金はどうしたの? どこへ行ったの? ふつう家族の人は探しに来るでしょう?」
ここから話が面白くなるのにその後のことは知らねえと白を切られたたまこは、前のめりに侍に近づき、話の先を聞きたいと訴える。
しかし、侍は「へへ」っと笑って誤魔化すだけでたまこの聞きたいことには答えない。
「でもさ、けっこうなお金をくすねたんだからお家の人が探さなかったらお巡りさんとかが探すでしょう? 侍さんの後を追って来たりしたでしょう? 結局見つかっちゃってたりして。で、しこたま怒られて大泣きしたとか。でしょう?」
たまこがカマをかけてみる。
侍がたまこの方に身体を向け、口を開きかけたのと同時に、
「お。そろそろ時間だぜい。続きはあとにしな」
太郎が割り込み、話を遮った。部屋が暗くなる。
たまこも太郎に「いいところだったのに。じゃ、後でちゃんと教えてくださいね。というか、ちゃんと思い出してくださいね」と言い、本当に残念そうにノートを閉じて侍の方にちらりと視線をやる。
「バレてたか」
侍は己が思い出せないだけだということがたまこにバレていることが知れると、己の席に座り直して背筋を一つ伸ばす。
昭子も気だるそうに身体をくねらせ、背筋を正した。
「たまこちゃんは留守番頼むね」
太郎がたまこの頭を撫でる。
困った顔をしてたまこは席を立ち、太郎の後ろへノートを抱えて小走りに移動した。
たまこが座っていた席がぽっかりと空いた。
そこに太郎が火のついた蝋燭を置いた。
「じゃ、始めるぜい」
太郎が蝋燭の火をふうっと吹き消した。
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