一
影の内から垂れる水のようにつぅっと姿を現したのは、お洒落な長羽織を着た細身の男。腰には刀がぶらさがっている。
仲間内では『メロンソーダ侍』通称『侍(ざむらい)』と呼ばれているが、生前は侍ではない。大店の長男坊として生まれたのに働かず、遊び放題に遊んで迷惑ばかりかけていた放蕩息子だった。
建て付けの悪い引き戸を雑に開け、憎めない笑顔を覗かせた。
「今日もさむい。これは昭子さんのせいだよ。まったく。太郎、あれだ、いつものくんな」
「侍さん、おでましかい。いつものアレだね。ちょっと待ってくんな」
しゃがれた声で返事をよこしたのはこの民家の主人、タロ太郎だ。『タロ』が苗字で『太郎』が名前だ。
中に入ってみると、すぐ小上がりになっていて、部屋の中は薄暗く、真ん中には大きなこたつが一つ。その奥が台所となっていた。太郎はその台所の中にいて、飲み物を入れるグラスを用意していた。
侍は慣れた様子でこたつに入り込む。こたつ布団を肩まで引っ張った。
太郎は左の唇だけ上げて鼻でふんと一つ笑う癖がある。
金髪の髪に筋の通った鼻、切れ長の目、ぴんと背筋の伸びた立ち姿に流行りのデニムの着物がよく似合っていた。どういうわけか足元はスニーカーという不自然さには首を傾げるところである。
「それで、今日のは誰の話を聞きに来たんだい? たまちゃん」
鈴の音のような耳心地の良い声が侍が座った隣から聞こえた。そのまた隣にはたまこと呼ばれた年の頃は十才前後のおかっぱ頭の少女が分厚いノートを広げて鉛筆を持って待ち構えていた。
太郎と侍が話している間に、どこからともなく二人は現れて、気付いたときにはこたつに入っていた。
「昭子(しょうこ)さん。今日は侍さんの話を聞かせてくれる約束をした日だよ。侍さんがどうしてここにいるようになったのか、教えてくれる日」
昭子と呼ばれたのは、先ほどの鈴の音の主で、紅色の振袖の打掛にお垂髪(おすべらかし)のよく似合う妖艶な雰囲気に香の香りをふわりと漂わせた二十に差し掛かろうかという頃合いの女だ。肌は雪のように真っ白くて冷たい。身体をくねらせ、太郎にいつものように、「あたしにはお酒をちょうだいね」と台所の奥に置いてある酒の瓶を指さした。
「はいはい。いつものですね。ちょっとお待ちを」
侍の前にメロンソーダを置いた太郎は昭子にいつもの日本酒を、たまこにはオレンジジュースを出した。
各々飲み物を手に取り一口飲むと、頼んでもいないのにおでんの皿がそれぞれの前に置かれた。
「やっぱり今日もおでんだ。昨日もおでんだったし。太郎さんは一つにハマると飽きるまで続けるところがある」
分厚いノートを端に避け、おでんのたまごに箸をぶっさし、たまこが太郎にちくりと嫌味をこぼす。おでんじゃないものが食べたかったのだ。
「そんなこと言ってもたまこちゃんはいつも全部ペロッと食ってるぜい」
ふふんと得意げに鼻を鳴らして太郎がたまこの皿を指した。
欲しいことばはそれじゃない。知らない。聞こえないとばかりにたまこは横を向いておでんをかっこみ始めた。
侍も昭子も同様に勢いよくおでんをかっこんでいる。
たまご、大根、ちくわ、こんぶが、各々から出て混ぜ合わさった出汁をよく吸って美味しく育っていた。具材は半分を残し、その半分におかわり自由の自家製甘味噌をつけて食べるのが三人の間で流行っていた。
みんなの食べっぷりに、太郎は満足げに頷いていた。
長い年月をかけて編み出した太郎なりのおでんはここ最近毎日のように出されている。
具も、たまご、大根、ちくわ、こんぶのみといったところであった。
一通り腹も満たされたところで、たまこが皆の食べ終わった皿を重ねて台所へ持っていく。腕まくりをした。洗い物をするのはたまこの仕事になっているのだ。
洗い物を終え、布巾できれいに拭いて元のところに戻し、こたつに戻ったところで、たまこが切り出した。
「で、侍さんはどうして妖怪になってしまったの?」
分厚いノートを自分の前に引き寄せてえんぴつの先を舐めた。
「おいおいたまこちゃん、どうして妖怪になってしまったの? はねえわなあ。俺は自らが好き好んでこうなってんだよ。それに、なんで俺が妖怪だって思うんだい? 人間かもしれないぜ」
侍があやふやな言い方でたまこに言うと、爪楊枝を歯間に食い込ませた。
「侍なのにメロンソーダが好きなのってなんか変だし、首の周りに一周切られた傷があるのに生きてるし、それに影の内からぬうって出てくるもん。だから妖怪決定」
たまこが侍の首の傷を指さした。
「そんなずばっと言っちゃあ、身も蓋もねえってもんだわな」
侍が目尻に烏の足跡をこしらえて残りのメロンソーダを飲み干した。着物の襟を首元まで上げてわざとらしく傷を隠した。
「そうよねえ、メロンソーダが好きな落ち武者なんて聞いたことないよねえ」
昭子が日本酒をくいっとやって侍にしてやったり顔を向ける。
「おい、昭子さん、俺は落ち武者じゃねえぞ。それに言っとくがな、侍でもねえ。放蕩息子だ。一緒にしてもらっちゃあ困る」
「放蕩息子だって胸を張って言えることじゃないですよ、侍さん」
太郎が横槍をいれる。
「それじゃあ、侍さんがどうしてメロンソーダが好きな侍さんになったのか、死んだのになんで成仏しなかったのかを教えて」
玉子が鉛筆の先をまた舐めて、書く体勢を整えた。
「言い方にしっくりこねえが、ここは一つ我慢しちゃるか。面倒くせえが、それがお前との約束だしな。少しだけだったら教えてやっていいぞ。というよりだな、長く居すぎて昔のことは朧げなところもあんのよ。だから、そういうところは端折るからな。それでいいな」
たまこは大きく頷いた。
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