二
二
犬飼は己の対面(といめん)と左右に座っている人物が自分に好奇心旺盛な目を向けていることに理解できず、ううんと一つ唸った。
自分の対面に座って体をテーブルの上に乗り出してきているのは金髪にピアス、ちょっと怖そうな顔をしている男なので、無意識に顔を横に背けてしまう。
左に背けたのがいけなかった。
侍が持っているような刀を腰にさしているのにお洒落な羽織を羽織った格好をしていて、手にはメロンソーダを持っている変な奴がストローでメロンソーダを吸い上げているところだった。
なんだここは。変な家に迷い込んでしまった。ここは『うち』ではない。
ああ、右にはなんと綺麗な女子がいるのか。
こちらは紅色の着物を着ている。良い香りのする女子であった。
よし、こちらを向いていよう。そう決めて女子の方に視線を置くことにすると、
「あら、あんたあたしに気があるのかい? 面白い犬だねえ」
鼻であしらわれてしまった。
「全く女とみたら見境ない。死んでからも同じだなんて、ああ嫌だ。恥ずかしい」
聞いたことのある声の主は自分のすぐ隣、いや、下と言った方がいいか、すぐそこからだった。
見下ろさなければならなかったが、そこには懐かしい猫夜(ねこよ)がいた。
「ああこれは猫夜。そんなところにいたなんて。小さくて見えなかったよ。びっくりするじゃないか。でもよかった。一人じゃないと思うとほっとする」
旧友に会えたのが嬉しいのか犬飼は尻尾をぶんと大きく振った。
「やめやめ、尻尾をあたしの前で振るなって言ってるのがいまだにわからないなんて、なんてバカな犬なんだい。もう、世も末。終わってるけど」
口を膨らまして自分の冗談に自分で突っ込みを入れている猫夜は、犬飼に、「ようやく復讐できる時が来たようだよ」と、低い声で呟き、周りの人に目を移した。
猫夜はこの状況を理解しているが、犬飼は小首を傾げたままいまだに尻尾を振っていた。
その尻尾の振り幅が広く、猫夜の背中に直撃し、よろけた。自分をよろけさせた犬飼の尻尾にムカっときて、おもいきり渾身のパンチをくれてやる。
痛くも痒くもない猫パンチをくらった犬飼は、少し腰を浮かせて尻尾を己のまたぐらに挟んで収納した。
「あたしは猫夜と言いましてね、ご覧の通り真っ白い雪みたいに綺麗なふわっふわの可愛らしい猫でございました」
三人に深く頭をさげた猫夜は、自分をえらく良く紹介した。続いて、犬飼は見ての通り巨体だけが取り柄のなんの役にも立たないただの犬でございました。と軽く犬飼をディスって適当に紹介する。
「話が早くていいや。で、猫夜さんはこれからのことをわかっているみたいだけど、犬飼さんはわかっちゃいないねえ、それに、俺たちのことは何だか知ってるのかい?」
太郎が昭子に酒を注いでやる。己にはこんぶ茶を用意した。
先ほど、たまこに言われたことがひっかかっているのだろう。どこまで知っているのかを知りたかったのだ。ここでも地縛霊と言われたら侍を蹴り飛ばさないと気が済まない。
こんぶ茶を一口飲んで喉を鳴らし、持っている湯呑みを猫夜に向けて話の先を促した。
「はい、あたしらは侍さんのことは知っています。あたしも犬飼も死ぬ直前まですさまじい怒りと恨みをある男に対して持っていました。そして、死してこの世とあの世との一線を越えてこちらの世界に入ったとき、そこにいる侍さんにばったりと出くわしました」
侍は猫夜と犬飼が真っ黒い恨みの感情をとぐろのように身体に巻きつけて、ある家の前を行ったり来たりしながらなんとか呪ってやろうとしているのを見て、
「その恨み、晴らしてやってもいいぜ。そのかわり、なんでその恨みを抱いたのか、その時が来たら酒の肴の代わりに詳しく話してくんな」
ん? なんで見ず知らずの己らにそんなことを言うのかって? そうだな、気になるわな。よし、まずはそこを話すか。俺らはずうっとこの世に留まっていて人の様を見続けてきてな、もう人には飽きたんだよ。人ってもんは簡単に人やら動物やら自然やらを殺すだろう。まるで人間が一番偉いと勘違いしてやがる。さすがに嫌気がさしてな。そんなときに偶然にも人に対して恨み辛み怒りを持っている霊に出会ってな、話を聞いているうちに手を貸してやろうと思いついたんだよ。頭いいだろ? あ? 俺がなんでそんなことができんのかっって? ああ、そのときが来たら紹介してやるよ。
「俺一人じゃなんの力もねえがな、仲間がすげえ面白いんだよ。どうだい? 乗るかい?」と唐突に言われた。
その約束ができるのであれば、その恨みの対象を取り除く手伝いをすると言われたことをさらりと告げた。
「おーおー、そうか、おまえらあんときのワンコロとニャンコロか」
太郎のところへ行く道すがらに偶然に出会ったこの犬と猫にした約束のことを思い出し、侍がぽんと手を打った。顔が綻んでいる。
「あたしたちだけではどうやってあの男に復讐したらいいかわかりませんでした。ですから、快諾したんです。それからあたしはそのときが来るのをじいっと執念深く待ちました。この犬飼は三歩歩けばなんでもかんでも忘れる非常におめでたい脳みそを、いえ、そもそも脳みそなんかないのかもしれませんがね、忘れそうになる度にあたしが思い出させ、留めてました。え? なんで逝かせてやらなかったのかと聞くんですか? もちろん一度めんどうくさくなりましてね、あたしだけ残ってこやつはさっさと逝かせようと思ったこともあるんですが、事もあろうか、そんなときにばかり詰まってもいない脳みそが機能しましてね、すぐに思い出したんですよ。まあキャンキャンとうるさく責められましてね、よく吠える犬は弱い犬と言いますでしょ。あれは本当ですよ」
だから、それ以来、どちらかが忘れそうになったらお互いに思いおこさせることにして今日に至るってわけです。あたしは忘れたことはござーせんよ。猫の執念は素晴らしいものなんです。
犬飼がこたつの上のにおいを一生懸命嗅いでいるのを細い目で横に捉えながら猫夜が鼻の頭にしわを寄せている。
「それで、やっとそのときが来たってえわけだな」
太郎の問いに可愛らしい頭をちょいと下げ、大きなお目目をゆっくりパチリとつぶった。
かわいいと昭子が猫夜を抱こうと伸ばした手にはもちろん猫夜のパンチが飛ぶ。
「すいません、あたしは触られるのが大嫌いなもんでして」
困った顔をしながらも愛おしそうな顔をする昭子を猫夜は冷ややかにあしらった。
「あたしと同じように雪みたいに真っ白で綺麗だと思ったら、心までもあたしに似てるよ。まったく可愛らしいったらありゃしない」
昭子がよくわからないことを口走る。
「それならどんなことがあったのか、冥土に行く前に俺たちに聞かせておくれな。まずは、その名、苗字だか名前だか知らんが妙な呼び名はなんだい。犬は犬で猫は猫だろう」
太郎が疑問に思っていたことを手始めに聞いた。
犬と猫なのに、犬飼に猫夜とはどういった了見か。
「はい、それはあたしたちの飼い主だった男がつけた、あたしたちの名前です。犬の名前は犬飼。そしてあたしは猫夜です。夜に拾ったから猫夜ってつけたそうです。犬のほうは知りません」
けったいなことですわ。と、猫夜が吐き捨てた。
「私はけっこう気に入ってました。苗字みたいで格好良かったですし」
犬飼も話に加わり始め、猫夜は小さく頷き、犬飼も応えるように頷き返した。
太郎は侍におかわりのメロンソーダを。昭子には酒を並々と、自分の湯呑みには熱めのこんぶ茶を注ぐと、
「じゃあ、さっそく肴を話してくんな」
三人は聞く体制を整えた。
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