第二話 霊:猫夜と犬飼
第二話 霊:猫夜と犬飼
一
麻布十番の三叉路に、夜中になると現れる小さな藁葺の家がある。
生きている人間には見えない家だ。
この家の主人はまだうら若く見える、太郎という青年であった。
太郎は金髪にデニムの着物、足元はスニーカーという出で立ちだ。首を傾げたくなるが、本人はいたって気に入っていた。
果たして太郎が人間かどうか怪しいところはさておき、ここに入り浸っているのが、雪のように真白な肌をした昭子だ。紅色の着物にお垂髪の頭。こちらも人間かどうかは定かではない。
もう一人、高そうで粋な羽織を着た侍のようにも見える男が一人、人の良さそうな笑みを顔に貼り付けている。その手にはメロンソーダが握られていた。
建て付けの悪い戸を引いて中を覗くと、すぐに小上がりになっていて、部屋の真ん中にこたつが一つ、ふつうの家の六畳一間くらいの広さである。その奥に台所といういささか変な造りの家であった。
「太郎さん、洗い物全部終わったのでここに置いておきますね。家の掃除もしましたよ」
誰もいない家に少女の声が響く。
それが合図となり、家に明かりが灯り、明かりによって影になっているところから何やら騒がしい声が聞こえてきた。
こたつのスイッチを入れて一人先に入った少女は、たまこである。
ノートを広げたたまこは、ペンを紙の上に滑らせた。
侍は昔の武士の妖怪(たぶん)
そんなことを書き、メロンソーダ好きなのは長くこの世に居過ぎて現代に感化されてしまったから。
と、本当か嘘かもわからない自分が侍を見て思ったことを書き終えると、満足気に顎をつんと上げた。
「なんだよ、おまえこそここに長く居すぎたから仕草が昭子さんに似てきてんじゃねえか」
たまこが書いているのを横から覗き見していた侍が不服そうにちゃちゃを入れる。「俺は別に感化なんてされちゃあいねえってんだよ。それに元から侍じゃねえって何回も言ってんだろが」と独り言ちた。
「そんなことを言いながらもちゃあんとメロンソーダ持ってんだから感化されたってえのもまんざらじゃないんじゃないかい? あたしに似てきたってのは誇らしいからそのままでいいよ」
昭子がお手本だとばかりに顎をあげて鼻で一つ笑ってみせる。酒を注げとばかりにグラスを太郎に突き出した。
「はいはい、そしてそこに俺がお酒を注ぐのもいつもの『パターン』ですね。おや、カタカナことばを使ってしまうなんて、俺も感化されてるのやもしれないねえ」
太郎が並々と酒を注いでやりながら唇を斜めに上げる。
「侍さんはメロンソーダが恋しくてこの世に留まってるのはわかりましたが、昭子さんはなぜこの世に留まっているんですか? 何か未練があるんですか? それか、もしかして昭子さんは……」
ノートをめくり、『昭子さん』と新しくタイトルをつけた。
「待て待て、俺のことを便所紙みてえに素っ気なく扱うなよ。それになんだそのノートに書いてある俺のことは。たった一行で終わらせてんじゃねえか。俺だってメロンソーダ欲しさに留まってるわけじゃねえぞ。聞いてびっくりするもっとすげえ歴史があんのよ。そこんとこは勘違いしないでもらいてえな。メロンソーダんとこ消せよ」
「まあ、そんなに鼻息あげずにさ、いいからここはあたしにしゃべらせなよ。それにあんたにそんな歴史があるとは到底思えないねえ。たまこちゃんはあたしに聞いてんだから。ねえ」
侍が食ってかかったのを昭子は軽くいなし、侍の肩を軽めに二回叩く。口を尖らせた侍は音を立てて残りのメロンソーダをストローで一気に啜った。
「一つ聞いてもいいかい? たまこちゃんはあたしらを一体なんだと思ってるんだい? あたしのことをなんとなく知ってるそぶりをしたけど、なんだと思う?」
昭子が興味津々にたまこと向かい合う。
「幽霊。しかも地縛霊」
たまこは考える間もなく即答し、大きく頷き、目をキラキラさせた。
「なるほど」
昭子が顔色一つ変えず、体を前に倒してたまこに近づき、たまこの目の奥を覗き込む。
「ああ、驚いた。こいつは本当にそう思ってるみたいだよ」
たまこから体を離し、太郎と侍に目を合わせ、可笑しそうに笑みを浮かべた。
「俺らが幽霊ねえ。しかも地縛霊ときたか。どこからその発想が出てくるのかねえ」
「まったく幽霊ごときと間違えられるとは心外だ」
太郎と侍がたまこを見下ろしてぶつくさ言っている。
昭子は大きく鼻でふんと笑い、太郎は腕組みをして体を左右に揺らして楽しそうだ。
「ねえ、たまちゃん、あんたが思うその地縛霊って奴はさ、こんな道の真ん中にあるちんけな家の中でさ、毎夜中に地縛霊同士が仲良く集まって面白おかしく話をすると思うかい?」
「そこが解せないところなんです」
たまこがノートを閉じて正座したまま右隣の昭子ににじり寄る。
ノートをぽんと叩き、両の指を交差させてノートの上に置いた。
「この前もね、太郎さんがここに蝋燭を置いて、火を吹き消したときまでは覚えてるけど、そのあとの記憶が私にはないんです。ここに来てからずっとですよ。そのあとどこで何をしたのか全然覚えてなくて、気づいたらここにこうやって一人でいたんです。そのすぐ後にみなさんが現れて。だから別に留守番していたわけじゃないんですよ」
太郎が、留守番ありがとう。と言ったのをいまだ覚えていたのだ。
だから、みなさんがどこで何をしているのかわからなくて。でも私は一人でここにいる。気づくとここにいるし、また気づくと消えている。それにこの家の外に行ったことがない。そんなんだからきっと私は皆さんとは違うんだなって思って。地縛霊はどこにも行けないんでしょう? だからここが地縛霊の基地だと思う。と付け加えた。
「だから、私も含めてみんな地縛霊かなって思った」
あっけらかんと言うたまこに、
「へえ、そうかい。これだからこどもは面白い。たまちゃんは自分が地縛霊だと思ってるのかい。で、俺はこんな風に蝋燭を置いたのかい?」
太郎がたまこの座っている席の左隣に蝋燭を静かに置く。
その顔は小さなねずみを見つけたときの猫の目のように好奇心にぎらついていた。
すかさず、侍と昭子が太郎に、それはまだだろう、何考えてんだい、あたしがまだ話してんだよ。早くひっこめな。とか、たまこはまだ気づいちゃいない。俺らを地縛霊だと思ってるなんてこんな面白えことが他にあるかい? ええ? これはもうしばらく飽きずに遊べるじゃねえか。もうちょっと待てよ。とよくわからないことを言っていた。
たまこは交差させて組んだ指を忙しなく動かしている。
「昭子さんも侍さんもそんなムキにならんでくださいよ。まだ消しゃあしませんよ。準備だけってもんで。さ、どうぞ。心置き無くしゃべってください」
昭子と侍の突っかかりっぷりに少々ひるんだ太郎は手の平を上にして昭子に滑らかに滑らせた。
「そうこなくっちゃ。いいかいたまちゃん、たまちゃんがなんであたしらを地縛霊だと思ったかはわかった。じゃあ、百歩譲ってあたしらが地縛霊だったとしよう、」
「幽霊じゃねえだろ」
「うるさいね。百歩譲ったって言ったろ。それに幽霊じゃなくて地縛霊だよ。あんたとは違うんだよまったく」
侍の横入りを昭子が一蹴する。
もんくを言いながら唇を尖らせ目を細めてそっぽを向いた侍を無視し、
「あたしが地縛霊だったら、なんでここにいると思うんだい?」
うーんと唸ってしばらく考え込んだたまこは、「たぶん、何かが起こって、その未練か執念か、怨霊が残っているからここにいるんだと思います」と言った声はやや自信無さげだった。
「じゃあ、その大元はなんだと思うんだい?」
「たぶん、誰かに殺されたか自殺したかしか思いつかないんですけど。あ、もしかしたら事故とか。自分でも気づかないうちに死んじゃったとか。それで、まだ死にたくなかったって気持ちが残ってるとか」
うんうん頷いている昭子を見て、自分が言ったことが当たっているのかと目をキラキラさせたたまこは、
「その犯人を見つけるためにここに残ってる」
これだ。と自信満々に鼻の穴を広げた。
「へえ、これは驚いた。そんなことを思ってるのかい」
視線はたまこにつけたまま、顔だけを太郎と侍に向けた昭子は、右手の小指、薬指、中指、人差し指の順にこたつテーブルを繰り返し叩いた。
三人の目が自分をまっすぐに捉えていることに少々戸惑い、肩を縮こませ、ノートをそろりと引き寄せて胸の前で抱えた。
「たまちゃん、いいとこ突いてるわよ」
昭子のお褒めの言葉に気を持ち直したたまこはすこぶる笑顔になった。
「じゃあ、やっぱり昭子さんは誰かに殺されたんですね」
「そんな背筋をぴいんと伸ばして嬉しがってもダメよ。あたしは殺されちゃいない」
昭子が白い歯を見せた。
「え、じゃあ、」
「殺されたのはあたしじゃないんだよ」
昭子が目線をたまこに合わせるように低くして間近にたまこの目を捉えた。
「たまちゃんはあたしを地縛霊か、もう一つ、それじゃないかなあって思ってるのがいるだろう? それじゃない方がきっと当たってるよ。」
ふふっと含み笑いをし、己からは答えを言わない昭子はたまこの考える姿を見て遊んでいた。
「じゃあ、昭子さんはもしかして、」
「お。今度こそそろそろ時間だぜい」
たまこが昭子に何かを言おうとしたけれど、その前に太郎に言葉を挟まれた。
「じゃ、いいかい。始めるぜ」
太郎がたまこの横に置いた蝋燭の火をふうと吹き消した。
たまこが何か言おうと口を急いで開いたが、時すでに遅しであった。
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