あと一駅

Fas7

 

 スマホに目を落とすと、十六時三十分を表示していた。部活は毎週金曜日だけで、それ以外の帰りはいつもこのぐらいの時間。帰宅ラッシュ前の普通電車は閑散としており、この車両には私と祐子の他には数人しか乗っていない。

 こんなに空いているのだから、ボックス席なら向かい合って座ればいいのにとは思うが、私達はこうやって隣同士に座っている。お揃いの鞄をお揃いのプリーツスカートの上に乗せて、時折他愛もない話を、声を潜めてするのだ。肩が触れ合うまで体を寄せて、今日の数学Ⅱの授業で当てられたタイミングが悪かったとか、お調子者のクラスメイトの言動はさすがにばかげていただとか。私は祐子より数駅向こうの駅だから、学校を出てから祐子の最寄り駅までの三十分弱、二人でそうやって過ごす。静かな電車の中だと絶え間なく会話をすることは難しいが、この沈黙が信頼関係を築けているようで、心地いい。

 私は、今のこの状況をどうしようもなく好んでいた。学校から帰るためだけに学校に通っているのかもしれない。というのも私は友情とは違った意味合いで祐子のことが好きだった。学校では他の友達と何人かでいることが多いので、この時間は確実に二人になれる貴重な時間なのだ。

 きっかけはよくあることだと思う。それは半年ほど前で、ちょうど祐子が風邪を引いて私は一人で電車に乗っていた。一人で帰るのは新鮮で、音楽を聴きながら外を見ていたとき、私の中にもしかして祐子のことが好きなのだろうかという考えが唐突に頭をよぎったのだ。

 私は顔を上げる。今、窓から見える景色は住宅街の中に突如現れて、すぐに消える田園地帯に差し掛かった。そうだ、ここだ。半年前ここで私は祐子のことを好きになったのだ。私は毎日その思いを改めて感じながら帰ることになる。

 好きなのだと気付いてしまえば、その事実は私の中にすっとおさまった。どうして好きなのかと問われればわからないとしか答えられない。でも、世の女子高生の好きだなんてそういったものなのだろう。不幸なことに、私には男である必要がなかったというだけなのだ。なぜ不幸かというと、私にはこの好きに対する終わりが見えないから。

 それから、今までのように二人の時間を過ごすことができなくなった。どれぐらい、毎日のこの三十分を無駄に過ごしてきたのだろうと後悔した。いかに祐子の言葉を聞き流していたのだろう、何とも思わずにこうやって至近距離で座っていたのだろうと。

 祐子が私の腕を突っついた。私は自らの考えから抜け出して、小さい声でどうしたのと聞くと、祐子はついに出たよ、と呟きながら、私からも見えるように手に持っていたスマホの画面を傾けた。どうやら彼女は私がぼんやり外の景色を見ている間にゲームをしていたようだ。画面にはホロ背景の青年のカードが笑っている。今彼女がはまっているゲームだが、私は誘われて始めてみたものの、どうしても興味がわかず話に合わせられる程度にしかやっていない。私にとっては、祐子が喜びを私と共有してくれるということ、それがいいのだ。よかったねと音を立てずに拍手すると、祐子は自慢げに微笑んだ。うれしい。


 ふと二人の体が前に傾く。電車が駅に滑り込んだようだ。

 あと一駅、あと三分。

 今日はもうこんな時間。毎日毎日、この一駅が嫌いだ。途端に今日が名残惜しくなるから。祐子が降りる次の駅まで、三分。そして私は毎日、最後の三分をひどく無駄に過ごすことになる。私は、先ほどまでは心地よいと思っていた沈黙に後悔する。どうして今まであまり会話せずに座ってばかりいたというのだ、会話ができないにしろ、どうして窓の外ばかり気を取られて笑顔や柔らかい輪郭を描く頬や鼻を見つめてこなかったというのだ。

 たとえば、ここでの三分を何もせずに終わって、駅に着いた祐子が笑っていなくなるとする。まずありえないだろうが、私がこんな気分で一緒にいるのは今日が最後かもしれない。移ろいゆく感情で、このような名残惜しさを感じているのはこの一瞬だけかもしれない。もしくは、私がこの苦しさに耐えられず今日死んでしまえば、これが本当の最後の三分間になる。祐子が駅を降りたところで誰かに刺されて死んでしまっても最後。これは極論だとしても、いつかこうやって二人で帰るのに終わりは来るのだ。もう少し現実的な考えをすると、クラスメイトの誰かが今日の夜、祐子に電話をして、告白するかもしれない。私にそれを止める資格はないし、そうすると、私と祐子は明日から一緒に帰ることがなくなってしまうかもしれない。もし祐子が誰と付き合うことがなくとも、卒業してしまえば終わりだ。一緒に帰ることがなくなれば疎遠になって祐子は私のことを忘れていくのかもしれない。そんなこと耐えられない。

 だからこそ、毎日この瞬間に、私自身の意志で何もかも終わらせてしまいたい衝動に駆られる。どうせ私の思いにハッピーエンドは存在しないし、思い通りにいくことはない。それならせめてもの反抗で、この場で筆箱の中のナイフを取り出して……。それはさすがにできないにしても、小さな声で祐子のことが好きなのですと呟くだけでいい。どういう形であれ今の二人で帰るのは最後になるのだから。

 それでも私は、結局毎回、何もできないでいる。口の中で好きという言葉を転がして、三分が経つのを待つだけだ。スマホに視線を落とす祐子の横顔を盗み見る。好きな人の描く体の曲線はどうしてここまで儚いのだろう。化粧せずとも白く透明な肌と薄く色づく頬と唇。私の体はこれほどに熱を持って出口を探しているというのに、祐子の見た目はいたって涼しげだ。電車が小さく揺れると、時折二人の肩や肘が触れ合うが、制服だけで仕切られた二人の距離は、私にとって近過ぎる。実際は遠過ぎるから。


 あっ、と祐子が不意に小さい声を上げた。私の堂々巡りの思いは中断される。

 私が祐子の方を見ると、祐子ははっとして私を見、ごめんと首を振って笑った。そうしておもむろに鞄を開けて、少しのあいだごそごそと中をかき回していたが、肩を落とす。宿題用の問題集、持って帰るの忘れたんだけど、と祐子が囁く。そのページの画像を送るから、と私はスマホを振って見せた。祐子がありがとうと言って微笑むのを見ていると、つらくなった。

 そこから少しも経たないうちに電車が止まり、祐子が鞄を手に立ち上がる。本日も当電車をご利用いただきありがとうございました、という車掌のアナウンスが遠く聞こえた。

「ありがとう、また明日」

 今日も何もできなかった。私たちは果たしてこれで最後になったのだろうか。口の中に入れていた好きという言葉は、カラメルのようにほろ苦く溶けて胃の中におさまった。

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