第8章

「手から煙り出して、扉をひらいたぁ?郁美、お前ここ大丈夫か?」


速見は自分のこめかみあたりを指差しながら言った。




新聞部の部室。正式な部員は郁美を入れてたった3人。


それも女子ばかりだが、ほかの部員はいつものごとくサボっている。


6畳ほどしかない部室は、書棚や長机、いくつものパイプ椅子で、


さらに狭苦しく感じられる。


長机には雑誌や印刷用紙が雑然と散らばっている。


速見や浅川は、放課後こうやって新聞部にだべって雑談することが多かった。




「でも、江野って奴確かに不気味なとこあんだよな」


同席している浅川が口を挟む。




「それに私に変なこと言ったの。キミは光の魂の持ち主だから


 僕に近づくなとかなんとか・・・」




「そりゃ、完全にイカれてるわ。江野ってどっかの宗教団体にでも


 入ってんじゃねえの?」


速見は少しイライラしたように座っているパイプ椅子をギシギシ鳴らした。




「でもさ、何で江野が美術室に用があったんだ?


今日は土曜日で美術の授業もないし、ってことは


 天宮もいないってことだろ?妙だよな」と浅川。




「美術室で何かを探してたみたい。見たわけじゃないけど・・・」


郁美が自信無げに答えた。




「あの二人、何だか雰囲気似てるんだよな。他の授業じゃ、騒いでる奴でも、


 江野と天宮の授業じゃおとなしくしてるし」浅川は速見の顔を見て言った。




「確かにな。他にも強面の教師はいるんだが、あの二人は特別だよな。


 江野や天宮の前では、ふざける空気が出てこないんだよな・・・」


速見も同意する。




そこで郁美は気になっていたことを口にした。


「前に、都内の繁華街で3人の男のミイラ死体が見つかったってあるでしょ?


 彼らの死体が発見される少し前、その3人が20代くらいの


 上下黒レザーを着た若い男を、路地裏に引っ張り込んだって記事に


 あったよね。もう、6月になろうとしてるのに黒レザーって・・・


 それに年恰好からも江野先生を連想しちゃうんだよね」




「それはねえよ。あんな細くて白い顔してる江野が繁華街でたむろしてる、


 ヤバいやつらを3人も片付けたって・・・」


速見は郁美の訴えかけるような眼差しに言葉を切った。




「まさか、郁美が見たっていう、黒い煙・・・」


速見は細い声でつぶやくと、郁美もうなづく。




「それじゃあ、まるで宇宙人か悪魔だぜ」


速見は笑いながら言ったが、声は少し上ずっている。




「まあ、郁美も浅川もあの二人に関わらない方がいいんじゃね?」




「そうね、それがいいかも」


郁美も同意した。これまでのことはただの


偶然と見間違いであることを、自分に言い聞かせた。






土曜の深夜。都内の井の頭公園に、江野の姿があった。


土曜の夜ながら、人影はほとんど見られない。


あちらこちらにブルーシートで覆われたホームレスの小屋が


点在しているだけだ。




江野は南側の木立の中に立っていた。彼は目を閉じ、


ゆっくりと顔を夜空に向ける。


夜空には満月が煌々と輝いていた。




江野はゆっくりと口を開く。




「You give me power darkness,


  and collect souls of Tamae and the darkness・・・・・・」




江野の両足は、地面から離れていく。彼の身体は加速的に、空中に浮き始める。


周囲の落ち葉が、江野を中心に回転し始めた。


数秒後には江野の姿は、地上200メートルに達していた。


満月をバックに江野のシルエットが黒く浮かび上がる。


そして、江野の背から3対の―――6枚の純白の翼が広がった。


翼は月光を照り返し、まるで真珠のように輝いた。




江野は両手を、夜景に輝く大都会の方向へ向けた。


いつもは髪で隠れている左目が、風であらわになる。


その紅い瞳がルビーのようにきらめいた・・・・・・






その男は前科6犯の強盗傷害の常習犯だ。今も全国に指名手配されている。


その彼が今追っているのは、夜道を歩く一人の女性。


年齢は30代くらいか。肩にはブランド物のショルダーバッグをかけている。




(いい獲物だ)


その男はほくそ笑む。街灯の途切れた時がチャンスだ。


男は一気にその女性との距離を詰めた。




(今だ)


男は尻ポケットから取り出した折りたたみナイフの刃を引き出す。


彼は猛然と走った。狙いは女のショルダーバッグ。


抵抗されれば、このナイフで刺すこともいとわない。




その時だった。彼は自分の身体に異変を感じた。力が急速に抜けていく。


そのまま地面に倒れこむ。




その音を聞きつけて、狙われていた女性が気づいた。


何も知らない女性は、倒れて動かない男におそるおそる近づいた。




女性の悲鳴が都会の夜に響く。




男はミイラのように干からびていた・・・・・






都内のマンションのエレベーター。


一人の若い女性が、乗り込む。するとロビーの四角から、フードを被った


男がその時を待ってたかのように女性の後を追って、


エレベーターに乗り込んだ。




男はエレベーターの回数ボタンを押さない。


女性は不審に思い、「何階ですか?」と尋ねる。


女性の言葉が終わらぬうちに男が動いた男は女性に抱きつき、


その身体をまさぐり始める。


女性は悲鳴すら出ないくらいの恐怖に抵抗も出来ない。




ところがふいに男の動きが止まった。女性は回数ボタンを、


めちゃくちゃに押した。


ようやく開いたエレベーターから転がるように出る。


彼女は携帯電話を取り出すと、震える手で110番を押していた。


だが、すでに女性を襲った男はエレベーターの一面に身を預けるように


絶命していた。その姿はまるで、壁に立てかけた枯れ木のようだった。




都内のある繁華街。その中でも薄暗い路地で一人のサラリーマン風の


中年男性が、5人の男たちに取り囲まれていた。


中年男性はビジネスバッグを抱えたまま、地面に転がされている。




取り囲んでいる5人は、いずれも派手な格好で目付きは常人の


それとは違っていた。その一人が中年男性に罵声を浴びせる。




「ウチの店はなぁ、ビール1杯3万なんだよ!4杯だから12万な。


 わかるか?オッサン!」


そういいながらも、5人は中年男性を蹴りまくっている。


中年男性は、そんな金は持ってないと半泣きで男たちにすがっている。


しかし、なおも5人は中年男性を蹴り続ける・・・・・・




被害にあっている男性が、5人の一人の足にしがみついた。


とその時、男たちの動きが止まった。


中年男性が泥だらけになった顔で見上げると、


男たちは、糸を切られたマリオネットのように


倒れている。5人ともだ。




中年男性は明滅する淡いネオンの光で倒れている男たちの顔を見た。


5人の男たちはいずれも、灰色の干物のようになって息絶えていた。




中年男性は悲鳴も上げられず、失禁した。






上空200メートルに浮遊している江野に


向けて、眼下の大都会の様々な方向からいくつもの黒い霧状の


ものが集まってくる。それら黒い霧は江野の赤い左目から吸収されていく。


江野は軽くうなづくと、地上へ降りていった。




「これからが本番だ」


地上に降りた江野は、ひとりつぶやくと歩き始めた。

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