第二章 罪、積み重ねた果てに

8  襲撃と黒幕と

 あくる日、最後までアイリは再び戻ることに抵抗したが結局通らず。名残惜しくも朝も早くから活気溢れるハイゼルンを後にすることと相成った。


 幾分か歩き、太陽は今日もまた天高く輝く。徒歩で旅路を行く者としては、暑くはあるが晴れなのはありがたい。同じ道は通りたくないというアイリのわがままにより、主街道から北に一本離れた道を行くことになった。往きに通った街道ほど道幅はなかったが、歩くのに苦労することはなかった。


 主街道は主に開けた平原にあったが、この道の北側には木々が鬱蒼と生い茂っている。

 石畳など敷かれてはおらず、より自然を感じる。小川に架かる小さな橋や、道端に咲く名も知らぬ花を見るとなんだか微笑ましい。


 ドリスに行くにも遠回りになるこの道には、人通りはほとんどなく。誰かとすれ違い、また追い抜かれるといったことはなかった。 


 雑談するプルートとリオの後ろを、序盤文句を並び立てていたアイリは、今は大人しく本を読みながらついて行く。読んでいるのは、昨日買った魔術書だ。リオによると、まともな書店や魔術の店のまともな魔術書はべらぼうに高く、露天や古書店に売ってる誰かの使い回しの本で十分事足りると言う。

 もっとも古書の中には逆にとんでもない値が付いてるものもあるとのことだが。


 アイリは昨日、魔術書と一緒に買った鞘のおかげで両手が空いていた。こんな大きなサイズの鞘は店頭にはなく、その場で作ってもらった急ごしらえの代物だったが、とりあえず背に担ぐだけなら何も問題はない。


 リオは後ろを振り返りアイリの様子を覗くと、何やらぶつぶつ呟いている。呪文を暗唱しようとしているのだろう。


 リオは初め、アイリ用に自分が魔術書を選ぶつもりでいたが、古書の並ぶ露天に着くなり店主と熱心に話しこんだ後、一冊の魔術書を手にした。ちらっと見れば初級者から上級者までお任せ! とかなんとか謳った風の質の専門書のようだったので、本人も気に入っているようだし、リオは口出しすることをやめた。


「どーお? ちょっとは覚えたの? アイリ」


 リオがアイリに声をかける。


「まだうろ覚えだけど、流れは掴んできたかな」


「へー、一つくらい呪文覚えたのか? 聞かせてくれよ」


 ただ呪文を暗記しただけでは魔術が発動するわけではないが、魔術に興味津々のプルートの言葉に応え、アイリはパタッと本を閉じ、呪文を紡ぎ出す。


「えーっと、『若い婦人の声に従い、我が身、その君に捧ぐことを……』」


「ちょっと待ったぁ! なんか怪しい話になってるわよ! ホントにそんな呪文だったの?」


 ほんのり顔が赤くなってるリオに、アイリはある一ページを見せた。


『我が意、風神の声に従い、我が身、其(そ)の神に捧ぐことを誓い……以下略……』


「この変態バカ! 全然違うじゃない!」


 ドガッ! 強烈なリオの右アッパーがアイリに炸裂し、吹っ飛んだ。


「ってー! だからうろ覚えだって言ったろ! 覚えやすいようにストーリー仕立てにしてたの! 冗談も通じないのか!」


 アイリはあごをさすりながら恨めしそうにリオを睨む。


「だからってどういうストーリーにしてんのよ! この腐れバカ!」


 顔を赤くしてリオはアイリを非難する。


「まったく……。一体どんな呪文覚えようとしてるのよ」


「派手な魔術で彼女にいいとこ見せたい! そんなあなたにはこの魔術! って書いてあったからこれにしたんだよ。やっぱり女の子にときめかれるような魔術じゃないとな」


 満足げに答えるアイリ。


「そんな理由で決めるな! というか、なにその本!?」


「恋愛上級者から恋に臆病な初心者までお任せ! 魔術で掴もう、あの子の心。 使い方いろいろ風の質編って本だけど。まさに探していた一品で即決だ」


「この色惚けバカ! そんなもんで掴むな! もっと真面目に選べ!」


「オレは真面目に選んだぞ。幸せな老後に素敵なパートナーは不可欠ってのが持論だからな」


「とにかく! もっと基本的な初歩から覚えなさい! ちょっとその本貸して!」

 本を見るなりリオは目を丸くする。


(……これって)


 ふざけたタイトルのわりに、その本に載っている呪文はどれも高等魔術。普通にこんな魔術が載っている本はとても簡単に買える値段じゃないはずだ。


「ちょっと、アイリ! この本どうしたのよ!?」


「どうしたって、お前も昨日いたろ? 露店のおっちゃんと女の子の話で盛り上がって、そしたら特別だとか言ってその本売ってくれたんだよ」


「これきっと秘伝書の写本よ。作者にちょっと難はあるけど。たまにあるのよ。暗号化とか分かりづらくしてあるのが」


 こんなところに伝説とも言われるような魔術の数々が書かれた本があるなんて。驚きを通り越してリオはなんだか呆れていた。


「さっきあんたが唱えていたのは天才魔術師クライスの呪文みたいね。魔王を倒したっていう伝説の人物よ。ていうか、あんたみたいな初心者がこんな上級魔術唱えたら、耐え切れなくなって下手したら死ぬからね」


 魔術には作った一族なり個人なりによって、呪文だったり効果だったりにクセや個性がある。クライスは幅広い質を備えていて、実用的な多くの魔術を生み出し、愛好家も数多い。見る人間が見ればすぐに分かる。


「とにかく、もっと初心者向きなのを覚えなさい! 本も買い直し!」


 げっそり疲れているリオの言葉にちぇっと呟きながら渋々従うアイリ。


(こいつらと旅すると私の寿命が縮まりそ……)


 リオが自身の健康について思案し始めたころ、プルートから声がかかる。


「楽しいおしゃべりは、一旦休憩した方がいいみたいだな」


 急に真面目な口調のプルート。すぐに理由が分かる。林側から複数の人の気配がした。

 明らかに敵意をこちらに向けている。


野伏のぶせりだな。隠れても無駄だから出て来い」


 プルートの挑発にぞろぞろ出て来る盗賊達。その数なんと二十人ほど。いくらなんでも群れすぎだろ、とアイリはうんざりした様子で彼らの登場シーンを見守った。


 そのうちの頭目とうもくらしき男が一歩前に出て語り出す。


「わざわざ呼んでくるとはな。お前ら腕に自信があるようだが、怪我しないうちにさっさと金目のものを置いて行きな。この人数と盗賊団『森の狼』の名を聞けば諦めがつくだろ」


「そんな……、まさか……!」


名前を聞いたとたん、がっくりと膝を落とすリオ。全身の力が抜け地面に跪いてしまっている。


「どうしたんだ、リオ? そんなやばい連中なのか?」


 アイリの問いにリオが震える声で答える。


「まさか……まだ私の知らない盗賊団があったなんて。この大陸についてあれだけ下調べしたのに……!」


 痛恨の思いがありありとリオの顔に浮かぶ。


「……お前らよっぽどマイナーらしいぞ……」


「ほっとけ! 馬鹿にしやがって! 野郎ども、欲しいものは奪い取れ!」


「おおう!」


 アイリの言葉に逆上した盗賊達が襲い掛かる。無駄話の間に三人はちゃっかり戦闘準備を終えていた。


 アイリは親方にもらった大剣を重たそうに抱え、プルートは腰に下げた二刀のうちの一刀を無造作に構え、リオは長い槍を片手に持ち、風切り音をさせながら素振っていた。


 三人は互いの武器で傷つけあわぬよう距離をとる。

 数は多かったが一度に掛かれる人数は限られている上、名前も知らないマイナー盗賊。

 リオはこれっぽっちもやられる気がしなかった。手を合わせれば予想通り三下さんした連中。どれくらい余裕かというとさばきながらアイリとプルートの二人の様子を探れるほど。


(天下に名高い賞金首を仕留めたプルートは、っと。もう二人倒してる……。ほんとにとんでもないわね)


 一目でプルートの動きから実力が知れる。盗賊達は軽くあしらわれていた。しかもアイリとリオとをいつでも援護できるように動いているようで、逆に底は知れなかった。


 リオはと言えば、ぼけっとプルートの様子を見ているわけではない。さほど集中しなくともこの程度の相手、どうとでもなる。裏からまわしたリオの槍の石突が一人の頭を直撃し、まず一人。


 旅でもすればこういった連中に出会う危険もあるため槍なんて武器を持ち歩いてはいるが、できる限り殺したくはない。槍の刃先であるは牽制程度に使うだけで、ましてや急所を突いたことはなかった。


(だてに何度か三途の川を渡りそうになるまで修行したわけじゃないんだから。おじいちゃんに無理矢理させられたようなものだったけど)


 アイリの方はと視線を送ると、大きな剣を持て余しているのか攻撃はされ放題だが、見事な身のこなしで全て避けている。スピードだけならプルート並みだ。ちなみにプルートのスピードはと言うと、残像だ、とか言い出しそうなほどだ。


(ほんとにこいつら、私を雇う必要ないじゃない。雇われ甲斐のないやつらね……)


 その時、リオについていた一人が急に離れたかと思うと、目標をプルートに変え、思い切り無防備な背後を取る。


「プルート、後ろ!」


 しかし、リオのその声は意味を成さなかった。後ろに目でもあるのか、当然のごとく向き直り、プルートは盗賊を一撃にて倒す。つもりだった。一本の大剣がプルートに向かって投げられなければ。


「どわ!」


 思わず仰け反ったプルートと敵の合間とを抜け、大剣は丁度側部にあった大樹たいじゅに突き刺さり、振り下ろした敵の剣戟けんげきを受ける格好となっている。プルートとその周りの盗賊達の動きが一瞬止まった。


「ダメだ、プルート! 剣変えてくれ。重すぎ!」


 ぶん投げたのは、もちろん剣の主であるアイリ。


「……おい、アイリ! 避けなきゃ死んでいたぞ!」


「ちゃんと狙ったから大丈夫だって」


「完全直撃コースだったが……」


 動きの止まっていた盗賊達が思い出したかのようにプルートに襲い掛かる。アイリに気をとられていたプルートはあわてて避けることになった。


「んなことより、早く貸してくれ!」


 さすがに素手で武器を持った敵をさばくのは難しいらしく、アイリの言葉に焦りが滲む。


「まったく。仕方ないな、大事に使えよ!」


 アイリはプルートから投げられた二刀をキレイに受け取るとニッと笑みをこぼす。


「サンキュー、プルート!」


 プルートは敵の攻撃をよけながら先ほどの大樹の場所まで行くと、突き刺さった大剣を抜いた。


「やれやれ、勝手な奴だ」


 ズシリと腕に重みがかかる。確かにアイリの体格ではここまでの大剣は手に余るだろう。

 そうはいってもプルートにしても今までとはいきなり勝手が違ってしまった。急に両手で一つの剣を握るというのはどうにも納まりが悪い。

 

 かと思っていたのだが。しかし剣を一度、二度と振るう度にその違和感はどんどんと薄れていった。もともと器用でないプルートには力に任せて振り回すほうが気質にあっていたらしい。


(親父の形見ということにこだわりすぎていたのかもな。自分の向き不向きを考えるべきだったな)


 黒と白の刀身。黒刀と白刀。父が操るこの二刀を幼いプルートは憧れながら眺めていた。圧倒的な強さを誇った父が、亡き者とされてしまうまでは――。


 そんな考えを巡らすうちにプルートについていた最後の盗賊がバタリと倒れる。刃こぼれこそなかったが元より切れ味はそこまでだったのだろう。斬撃というより打撃で倒したようなものだった。骨が折れたものはいるかもしれないが死んだものはいまい。


 使い慣れた双刀よりも初めて扱う大剣で明らかに短時間で掃討できたことは、少し寂しくもあった。



アイリは大剣を使っている間、ずっともどかしかった。

 振るうことが出来ないわけではなかったが、重たい大剣ではどうしたって自分のタイミングと一つも二つもずれていた。親方にもらったせっかくの剣を扱えぬ自分に不甲斐なさでいっぱいだったが、悔やむだけでは仕方ない。


 思考を切り替えるとプルートに武器を替えてもらうことにした。ちょっとコントロールは甘かったかもしれない。

 黒と白の二刀を携えたアイリは水を得た魚のごとく、目にも留まらぬスピードというやつで盗賊達をことごとく打ち倒す。よく手に馴染むこの剣は、年来の相棒のように扱うことができた。あっという間にアイリの前に立つ者はいなくなっていた。


 リオも残すは頭目と名もなき盗賊Aの二人になっていた。しかし、アイリとプルートの様子を見ていたリオは呆れ返っていた。武器を持ち替えたアイリは、今まで目にしたことのない速さで駆け抜け、プルートは言わずもがな、明らかに戦い慣れしていて、余裕が溢れて零れるようだった。


(とんでもない二人ね。上には上がいるのは当たり前だけど。私の儚い自信が打ち砕かれるなあ)


 物思いにふけながら盗賊Aをひょいっと倒すと、三人に囲まれて狼狽する頭目。

 それはそうだろう。二十人からいた盗賊達が、たかだか三人の通りすがりにやられ放題、立っているのは自分一人となったのだから。


「さって、残るは親分、あんただけだな」


 アイリが声をかけると、頭目は蟻もくぐり抜けられぬほどガバッとひれ伏した。


「すまねぇ! 勘弁してくれ! 故郷には病気の娘がいるんだ。家財は全て売り払ったってのに、治療に当てる金がまだ足んなくてこんなことを……。今度はちゃんとまっとうに稼ぐから、今回ばっかしは見逃してくれ!」


 三人を仰いだ頭目の前にぽんっと小袋が投げられる。ジャラっと音がした小袋からは金貨がこぼれていた。

 いつのまにやら担いでいる例のバカでかい袋からプルートが取り出したらしい。


「百万くらいある。何も言わずに持ってきな。もう……こんなことはするなよ」


 プルートは背を向け、斜め上の空を見上げていた。


「早く娘さんのところに帰ってやれ……」


「だ……だんなァ!」


 頭目の瞳が潤む。


「――ってこのハートフルバカ! 嘘丸出しでしょ!」


「げ!? バレた!?」

「え、嘘なのか!?」


 プルートと頭目が同時に驚く。


「当たり前だろ! バレた言ったし。こんなヨタ話にさっくり全財産やるなよ」


「まったく……。そりゃ三千万もすぐなくなるわね」


「なんてこった。病気の子のためなら喜んで金を渡そうと思ったのに。いつからこんな世の中になっちまったんだ……」


「いや世の中どうこうじゃない気がするんだけど……。ま、いーわ。さっさと役人にでも突き出しましょ」


 その言葉を聞いてさらにうろたえる頭目。


「ちょ……ちょっと待ってくれ。今度こそ本当のことを話すから! オレ達金で雇われたんだ、お前達を襲えって! だから――」


「はい、そこまでー! お疲れさん」


 後ろからかかる耳慣れない声。


 三人が振り向けばそこには、不自然な組み合わせな二人が立っている。


 一人は、派手な格好の中年の男。ボサッと伸びた黒く長い髪に、口周りからアゴ下まで無精な髭が伸びている。歳に似つかわしくない派手なシャツと、レンズの小さなサングラスは何の役に立つのだろうか。声をかけて来たのはこちらのようだ。


 もう一人は、二十台半ばだろうが、眉間に常にシワを寄せた目つきの悪い男。といっても片目しかなく、右目は髪の生え際から頬にかけての大きな刀傷で潰れている。ツンと立てた白髪はくはつに、整った一筋のアゴ鬚。腰には剣を備えている。簡単に心を開いてはくれなそうなタイプだ。  

 プルートはこの顔に覚えがあるような気がしていた。

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