7 魔授盤
昼も少し過ぎた時刻、まだまだ強い日差しの下を三人は歩いていた。リオの指図で歩いていたのだが、あれほどにぎやかだった街が今では人通りもほとんどなくなっている。
外郭がもう間近なほど街の外れに来たおかげで、すっかり様子が変わっていた。
「魔術の研究所は、いつどんなことが起きるか分からないからね。大概町外れにあることが多いのよ」
「それにしても、まだ着かないのか? もう相当歩いたぞ」
歩き疲れたアイリがリオに文句をつける。
散歩の域を越えていたし、見るほど楽しい景色も、にぎやかな人々の喧騒もなくなっていたので、アイリにしてみれば面白くなかった。中心街では個性的な建物も多かったのに、この辺りでは殺風景な建物や、空き地が並ぶばかり。同じ街かと思うほど静かだった。
「もうちょっとで着くわ。まったく魔授盤も知らない旅人なんて、今時聞いたこともないわよ……」
「そんな便利な物があるとは。魔術も奥が深いな」
奥も何も、さわりも全く知らないプルートが煙草をふかしながら、呑気に答える。
世界律。あるいは魔術。
呼び名こそあれど、かつては人の扱える力ではなかった。
人の有史から比べると人が魔術を扱い出した歴史はごく浅いものだ。とある幻獣によって人にも開放されたその力は、人が扱うべきものではなかったという識者もいる。
ともあれ人類魔術史の夜明けから紆余曲折を経つつも、今となっては一般家庭の照明すら魔術を利用したものが大半であるほどに欠かせぬものとなっていた。
こと冒険者にあってはその力は単なる戦闘力としても価値は高く、十人に一人と呼ばれるその資質をもつ者の優位性は揺るぎないものでもあった。
そんな魔術の素養を調べるために用いられるのが魔授盤である。
大きな円盤と小さな円盤が二つならんだ形状の薄い石板の上にいくつもの宝玉が飾りつけられている代物で、それだけ見ればただの骨董品と大差ない。
しかし、魔術の素質ある者が小さな円盤上についている黒い水晶玉を半分にしたような半球部分に手を触れれば、大きな円盤上の宝玉が輝き出す。その輝きによって魔術が扱えるかが分かる。と、道中リオが二人に説明した。
アイリは魔授盤については知っていたが、自分が使ったことがあるかどうかの記憶はなかった。
「魔術を扱うにはね、
「なるほどな。じゃあどんなに弱い光でもいいから、どれか一つでも宝玉が輝けば魔術が使えるってわけか」
「そういうことよ。もともと魔術は神話の通り、幻獣しか使えないものだったの。それが今、私達が魔術を扱えるのは
「その話は聞き覚えがある気がする」
頷きながら、プルートが答える。
「人に知恵と、言葉と、そして魔術を与えたとされる存在。ルクスェルは人の親とまで称されてる。どこまで本当かは分からないけど、知恵と言葉を与えた時代と魔術を与えた時代が離れすぎているから、魔術については本当は人に与えるつもりがなかったと言われてるわ。だけど彼らがまずアルレイド族に世界律、魔術を与え、そこから他の人にも広まったってわけ。ま、今でも魔術を扱えるのは十人に一人程度の割合らしいけどね」
そんな話をしていると、辺りの建物に比べ一際大きい建物が見えてきた。
「ひょっとして、あれか?」
アイリがその建物を指しながらリオに尋ねると、そうよ、と頷いた。三階建ての古臭い建物で、一昔前の建築様式のようだ。頑丈そうではあったが華やかな建物とは言い難い。
入り口で代表者、リオに頼んだが、の名前を書くだけですんなり入ることができた。とは言っても研究所内のほとんどの部屋が一般人の立ち入りが禁止されていて、入れる所と言えば世界律についての資料がある部屋と、各種申請や相談の窓口のある部屋、そして魔授盤がある部屋の三部屋だけだった。
「ある程度の規模の街なら大体魔導研究所があるわ。その中で魔授盤は一般開放されているの。小金はとられるけどね」
テーブルの上に置かれた魔授盤の前に立ちながらリオが説明する。
実際の魔授盤は、大きな円盤側の中心に大きな宝玉があり、そこから放射状に大小様々な宝玉が並んでいた。そこには読むことはできないが、おそらく文字であろうものも記されている。小さな円盤側の半球は吸い込まれそうなほど黒い色をしていた。
「さ、この黒いところに手を乗せて。素養があればそれだけで変化があるわ」
リオに言われてプルートはその通りに手を触れてみた。
「……」
しかし、魔授盤に反応はない。沈黙が流れる。
「何も起きないが……」
プルートがリオに疑問の声を上げた。
「それはね、あなたに魔術の質は備わってないってことなのよ。残念だけどね。ま、魔術がなくてもグレーセル倒せる強さなんだから十分だと思うけど」
リオの言葉にプルートはしきりに悔しがったが、鍛えてどうにかなるというものではないというならどうしようもない。
「そうか、残念だが仕方ないな。今度はアイリ、やってみろよ」
「これ本当に何か起きるのかよ」
言われたアイリは文句を言いながら同様に黒い半球に手を乗せる。
すると、キイィィィン! という甲高い音と共にアイリの顔辺りの高さまで緑色の光を放つ柱が無数の宝玉の中の一つから現れた。
「って、うぉっ!」
光に驚いたアイリが小さく呻く。
「へー! アイリは質があるみたいね。ちょっと待ってね。その宝玉は、っと……」
そう言いながらリオは、脇にあった魔授盤の絵が描かれた紙と、光る魔授盤とを交互に見比べる。
「えーっと、あ! 分かったわ。その光は風の質みたいね。アイリは
「風の質?」
「シングル?」
アイリとプルートがそれぞれ首を傾げながら、疑問符を浮かべる。
「風の質があるってことは風系統の魔術が使えるってことよ。その宝玉の系統が風を示してるわけ。もっとも、いまだに全ての宝玉が何の系統か分かってないんだけどね。それで、魔術師は主に三つに分けられる。それぞれ
アイリは何とか理解したが、プルートの方を見ると変な笑みを浮かべたまま固まっている。
どうやら理解しきれなかったらしい。そのうち、シングルが、プルーラルで、とさっき出てきた単語をブツブツ呟き始めた。
「じゃあオレは風の魔術しか使えないのか。 魔術が使えるのは良かったけど、何か損した気分だな」
「そうね、いろんな魔術が使えるプルーラルの方が確かにバランスはいいけど、でもその分シングルはその系統を極めることが出来て、より強力な魔術が使えるようになることが多いわ」
「なるほど。それでどうやったら魔術が使えるんだ?」
アイリとリオのやりとりの間もプルートはまだ呟いているが二人は取り合わず話を進める。
「質がなければ魔術は使えないけど、あれば使えるってものでもないわ。当然、鍛錬が必要よ。魔術を使うには呪文や魔法陣、それに魔術の力がこもった道具とか何かの媒介が必要になるの。個人の技量によって呪文の簡略化とかも出来るけどね」
リオの話を聞きながらアイリがふむふむと相槌を打つ。
「一番簡単に魔術を使うには、すでにある自分の質と量に見合った魔術の呪文や陣を覚えること。でも丸暗記したからと言って術は発動しないわ。きちんと理解しなくちゃいけないの。ここで鍛錬が必要になる。さらに魔術についての理解が深くなれば自分でも魔術を作れるってわけ。それには結構なセンスが必要だけどね」
「修行あるのみってわけか」
「そうね。魔力もある程度なければ強力な魔術は使えないし。まずは安物でもいいから自分の系統の魔術書でも買って勉強しなさい」
分かったというふうにアイリは頷いた。
(でも変ね……)リオには一つ腑に落ちないことがあった。
(アイリのさっきの輝き方、相当な魔力だわ。何も訓練しないであそこまでの量って。この二人、本当に何者なの?)
その後、資料室を調べ回ったものの、結局ラステアに関する資料は出て来なかった。
夕暮れの中、人通りもなく寂しい道を三人は歩く。辺りは空き地が多く、カナカナとなく虫の声も響いていた。
「結局何も見つからなかったわね……。今日はとりあえずそろそろ宿を探さないとね」
「そうだな。あ、魔術書を買いにもいこうぜ」
「ずいぶんやる気じゃない」
「そりゃもちろん! 風の魔術なんてスカートめくりから女の子の髪をなびかせるまで、幅広く使える夢あふれる魔術じゃんか!」
笑顔いっぱいのアイリに呆れ果てたリオは何かを言ってやる気にもならなかった。
「そして、ゆくゆくは可愛い女の子の帽子を自分の方に飛ばして運命の出会いの演出すら可能!」
大してレベルアップの感じない目標をなにやら誇らしげにアイリが掲げだす。
力強く拳を握り一番星に誓い出した。
そんなくだらない話をしながら歩くうちに、再びあのにぎやかな街の喧騒が近づいてきていた。
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―
「やっぱりとりあえず爆発の起きた現場に行くしかないと思うのよね」
唐突なリオの発言。
夜の帳も落ち、仕事を終えた人達で賑わう街角。
夕食をとっているのだが、この時期ハイゼルンでは潮の香りの中でもっぱら食事をするらしい。
外のテラスには各店のテーブルとイスが所狭しと並び、道を通り抜けるのも簡単にはいかない状況だった。昼食に続いて無茶な注文をするプルートとリオに、アイリは呆れていたが二人はこれを全て平らげるのだから文句も言えない。
あれから、王立図書館にも行くだけ行ってみようという話になり、閉館間近の図書館に駆け込んではみたものの、一般人も閲覧可能な図書にはラステアという単語すら見付からず。司書に冷ややかな視線をしこたま浴びせられただけとなった。
仕方なく宿の手配をプルートが行い、その間にアイリとリオは魔術書を買いに行ったのだが、合流した時にはすでにいい時間で当然夕餉の話に。手配した宿でも追加料金で食事をとることが出来たが、せっかくだからと言うリオに引っ張られわざわざ外で食べることになった、という次第だ。
どうやらリオも今日ハイゼルンに、というかこの大陸に着いたばかりらしく観光気分でいっぱいらしい。アイリは初めこそ面倒臭がったが、いざ来てみればにぎやかなこの雰囲気が何だか心地よく上機嫌だった。
しかし、リオの言葉までそのまま気分で流してしまうことはできなかった。
「ちょっと待て。プルートが見たけど手がかりは特に何もなかったって言ってただろう?」
賛成しかねたアイリの言葉にリオはすぐさま切り返す。
「プルートに言われてもあんまり信用できないわ。他にアテはないんだしここは一回現場を見とくってのがスジってもんよ。アイリだって見てないんでしょ?」
いつそんなスジが出来たかは知らないが、確かにプルートに言われても、というのはアイリも同意せざるを得なかった。
「そりゃ見てないけどさ、何にも残ってない現場を見て何が分かるんだよ? それより他の大陸の大きな街でもっと情報集めしたりした方がいいって」
「そんなこと言って、あんた来た道戻りたくないだけでしょ」
「ぎくっ! そんなことねーよ! お前こそ来たばっかりのこの大陸をもっと周っておきたいだけだろ?」
歪んだ表情のアイリの言葉に同じく顔を歪ませるリオ。
「ぎくぎくぅっ! ち、違うわよ! 大体まだ大陸最大のドリスがあるじゃない。古い街だからいろいろ情報出てくると思うわ」
「だったら、せっかく港まで来たんだから、わざわざ来た道戻らないで他のもっと大きな街をだな――」
終わりそうのない二人の言い合いを尻目に、プルートはテーブルに並んだ料理の数々を堪能していた。庶民的な店ではあったが味は絶品。箸の休まることがなかった。
実際プルートも特にあてはなく、どこに行くのでも構わなかった。ただ、あの惨状を再び見に行くのかと思うと少々気が滅入る。
そんなプルートを余所に二人の会話はどんどんエキサイトしているようだ。
「で、プルートはどう思うんだよ?」
「どう思うのよ?」
同時にプルートに向き直る二人。
「んぐっ! げほっ! ごほ! ここでオレにふるのか?」
まさか今さら自分に聞かれるとは思ってなかったプルートは、驚いてエビをのどに詰まらせた。二人の鬼気迫る表情にたじろぎ、答えに窮する。意見など何もなかったが、それでは済みそうにない。
「そ、そうだな。ここは一つ、何か二人で勝負して勝ったほうの意見に従うというのは……」
「あんたねぇ!」
「お前なぁ!」
「す……すまん」プルートは何も考えてない意見でやっぱり二人を怒らせたかと顔をしかめた。が、返ってきたのは意外な答えだった。
「たまには良いこと言うな」
「そうね」
……拍子抜けしたプルートを置いてけぼりにし、二人はすっかり臨戦態勢に入っていた。
「どうせ何にしたってオレが勝つんだ。勝負内容はリオに選ばせてやるよ」
「大した自信ね。後悔してもしらないわよ。そうね、なら……おっちゃーん! この店で一番強いお酒二つちょーだい!」
近くをうろついてたウェイターに注文する。
「何かと思えば飲みくらべかよ? こいつは楽勝だな」
「あら、私が疾風のリオと呼ばれているのを知っての暴言かしら? 勝負は早飲みよ!」
「疾風って……。おいおい、それよりお前らまだ飲める年じゃないんじゃないか?」
一応注意してみるプルート。言っても無駄だとは思っていたが。
「大丈夫よ。私の生まれた国では16歳からオッケーだったわ。おじいちゃんに付き合ってしょっちゅう飲んでたんだから」
「きっちり勝ってやるから安心しなって、プルート。お前も来た道戻るのは嫌だろ? 酒の早飲みなんて、ガキの勝負だ」
「ガキは飲めないだろ……」
予想通り、聞く耳を持たない二人。プルートは早々と説得を諦め、この近海でとれたらしい魚の蒸し焼き達をほおばる。
「ったく。それじゃさっきの注文、オレの分もいれて3つで頼む」
ウェイターが合点承知と厨房に引っ込むと、程なくして酒が運ばれてきた。
「文句なし、一回勝負よ」
「いつでもいいぜ」
「んじゃ、いくぞ。よーい、スタート!」
プルートの掛け声と共に二人は一斉にグラスを掴む。
勝負は一瞬だった。誰が呼んだか疾風のリオの名に偽りなく。
ドンッ!
テーブルに置かれたグラスはすでに空。
その横で虹を掛けるアイリ。
夜空にキラキラと輝きながら迸る液体。すさまじい勢いで彼は一度口に入れた酒を吹き出していた。
「ゲホッ! ゴホッ! うぇ! なんだ、コレ! リオ! お前、一服盛りやがったな!?」
涙目になりながら訴えるアイリ。
「はいはい、くだらない言いがかりつけてないで男らしく負けを認めなさい。ということで、明日の行き先決定ね! さ、飲みなおそ! お酒はやっぱりゆっくり飲んだほうがおいしいもんね。プルートもまだ飲むでしょ?」
「ああ、頼む。勝負に負けたんじゃ仕方ないな、アイリ諦めろ」
酒を再び注文し上機嫌な二人を余所に、それでもアイリが文句を並べるも時すでに遅し。
とんぼ返りツアーが確定した。
「「かんぱーい!」」
夜のハイゼルンにこだまする二人の声が、酒の影響で早くも痛くなってきたアイリの頭に響いた。
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