魔力充填所要時間、3分

八百十三

魔力充填所要時間、3分

 世界は一人の男によって救われた。

 唐突に異世界から迷い込み、その類稀なる能力を以て数多の強敵を打ち倒し、時には敵にも手を差し伸べ。

 ついに世界を破壊せんとする魔王ガルバンゾーを完膚なきまでに破壊せしめた勇者。

 黒い髪と灰色がかった茶の瞳を持つ、その勇者の名こそが阿東アトウ 昌純マサズミ

 そして、勇者の異世界への帰還は、すぐそこまで迫っていた。




 ノルドグレーン王国、王都クヴィスト。

 王城の中庭に敷かれた魔法陣の中心に、昌純はいた。

 彼の周りには誰もいない。魔法陣の周りには、彼を見つめる仲間たちや、支援者たちがその様子を固唾を飲んで見守っている。

 この王国の国王であるアルフォンスが、集団から一歩前に進み出た。


「マサズミ、これより貴殿を地球に帰還させる転送魔法を走らせる。準備は良いか」

「あぁ、アルフォンス。始めてくれ」


 まっすぐとこちらを見る昌純の瞳を見返して、アルフォンスは小さく笑った。相変わらず敬意の無い物言いだが、それも今では心地よい。

 すぐさまに腕を伸ばし、魔法陣の傍に控える魔導士たちに指示を飛ばす。


「よし……始めろ!」

「「はっ!」」


 二人の魔導士が魔法陣に手を触れると、地面に描かれた魔法陣が菫色に輝きだした。

 古代遺跡から発掘された、異世界とこの世界とを繋げる転送魔法。

 魔王軍が復活させたそれを解析し、昌純の故郷の世界・地球への経路を見出し、送り出すのがこの魔法陣だ。

 転送を行うための魔力が充填されるまでの所要時間は、3分。


「3分後に転送が行われる。思い残すことの無いよう、言葉を交わすとしよう」

「ああ」


 アルフォンスから投げられた言葉に、こくりと頷く昌純。

 国王と入れ替わるようにしてまず一歩踏み出したのは、隣国であるアシェル帝国の宮廷治癒士、ダグニーだ。


「マサズミ……地球に帰っても、怪我だけには気を付けてね!あっちはこっちみたいに、魔法でぱっと治すってことは、出来ないんだから!」

「分かってる。ダグニーの治癒魔法には幾度となく世話になったからな」

「本当に、本当に……四天王戦で胸から下が吹き飛んだ時は、どうなることかと、私でも無理じゃないかって思って……」

「あの時はなぁ……本当に死ぬかと思ったさ。こうして生きているけどな」


 ズボンを穿いた太ももを、ポンポンと昌純は叩いた。

 魔王配下の四天王・アハティの攻撃が直撃して、昌純の胸から下は文字通りに吹き飛ばされた。彼の命を永らえさせるために、神獣ミアが文字通りにその身を捧げたのだ。

 医者による処置のおかげで人間と同じ形を保っているが、これによって昌純の持つ超常的な能力が更に人外に近づいたのは間違いない。

 巨大な狼である神獣シグムンドが、フン、と鼻を鳴らした。


「そうだぞ、マサズミ。あの戦いでの処置とミアの犠牲を以て、お主はただの人間の枠組みを超えた。

 医者共の手で人間の形を取り戻してはいるが、中身は我等と同様、神獣の一柱であると心得よ。

 そしてかの世界で、お前はきっと苦しむことだろう。なにせかの世界には、知性ある者は人間の形しかしていないのだからな」

「大丈夫だ、シグムンド……人間であっても、神獣であっても、俺は俺だ。そこは揺るがない」

「ふん、つまらん。その一切ぶれぬ芯の強さこそが、お前の強さの秘訣ではあるのだがな」


 シグムンドがその口角をぐっと持ち上げて笑うのに合わせて、昌純もにこりと笑ってみせた。

 次いで魔法陣の前に立つのは、魔王軍から離脱してそのまま王国民になった、魔族の女戦士・シーヴだ。


「こっちに転移してきた時は地球に帰りたいって泣き喚いてたマサズミが、いざ地球に帰る算段が付いた時には涙も見せずにすっくと立っているだなんてねぇ。

 今でも信じられないよ、それで世界最強の戦士になっちゃったってんだから」

「シーヴには、魔王軍によって俺が転移させられた時から世話になっていたからな。こうしてここまで付いてきてくれて、感謝している」

「よしてくれよ、マサズミに感謝されるだなんて縁起でもない。明日は雪が降るかね」

「おい、お前は俺を何だと思っているんだ」


 その場に零れる笑い声。笑いに伴い涙を見せる者もいた。

 そうするうちにも魔法陣から発せられる光はどんどん強さを増していく。発動まで、あと僅かと言えよう。

 最後と見て、アルフォンスが再び一歩を踏み出した。


「ノルドグレーン王国が誇る真の勇者、マサズミ・アトーよ。

 我々一同、お前と共に世界平和を成し遂げられたことを、心から光栄に思う。

 そして忘れるな、たとえ世界が分かたれていようとも。

 我々の心は常に、お前と共に在ると」


 アルフォンスが左胸に拳を当てながら、力強く宣言した。ノルドグレーン王国における敬礼のポーズだ。無論、一国の国王が気軽に取るべきポーズではない。

 それを受けて昌純も、背筋をしっかと伸ばして右の拳を左胸に当てた。


「アルフォンス、シーヴ、シグムンド、ダグニー、皆。

 今まで本当にありがとう。おかげで俺はこうして地球に帰れる。

 また会えたらいいなと、そんな機会があったらいいなと、思っている。

 だから、「さようなら」は言わない。また会おう、きっと、どこかで」


 昌純の最後の挨拶に、その場にいる一同、全員がこくりと頷いた。あるものは手を振っている。あるものは涙に濡れて蹲っている。

 そうして益々強くなる魔法陣の光。

 と、昌純が何かを思い出したかのように目を見開いた。アルフォンスへと指を突きつけて叫ぶ。


「あっ、それとアルフォンス。俺の剣をどっかに飾るのはやめ――」


 全て言い切る前に、返事を届ける前に。

 魔法陣から発せられた光が中庭に満ちた。

 光が収まると、中心に立っていた昌純の姿はない。転送は無事に行われたようだ。


「……ふっ、何を言うかと思えば。悪いがその願いは聞き入れられないぞ、マサズミ。

 お前の振るった剣が、お前を思い起こすことの出来る唯一の品になるのだから……王城で厳重に保管させてもらうさ」

「いいんですか、国王様」


 誰に言うでもなく、はっきりと昌純の意向に反する発言をするアルフォンスに、シーヴがおずおずと語り掛ける。

 傍らに寄った魔族の少女に、国王はくしゃりと悪戯っぽい笑みを見せて言う。


「いいのだよ、勇者への意匠返しだ。こうでもしなくては、彼と再び見えた時に面白くない」




 かくして、勇者マサズミ・アトーは地球へ帰還した。

 3分の間にかわされた言葉は、今でもきっと彼らの胸に残っていることだろう。

 勇者マサズミの剣が王都の記念博物館で展示され、連日満員の人入りを記録していることを、昌純は知らない。

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